日本の平和教育のつけ。維新丸山議員の非常識発言より。 | 世に棲む日々。(教育講演、研修、相談)

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おもしろきこともなき世をおもしろく
すみなしものは心なりけり

維新の丸山議員の非常識発言が世間を騒がせています。

 
丸山議員は「戦争でこの島を取り戻すことには賛成ですか? 反対ですか?」「戦争しないとどうしようもなくないですか?」などと元島民に詰め寄ったとのこと。
 
丸山議員の議員辞職は当然ですが、維新のトカゲの尻尾切りで終わる姿勢にこの政党の質も見えてきます。責任持って辞職させ、それから除籍にするのが筋というものです。
 
今日、言いたい事はこんな当たり前の事ではありません。

それは日本の平和教育について。
 
昭和59年生まれの丸山議員。私の教え子世代でもあります。我々教育者は丸山議員が受けた平和教育について無責任ではおられません。そこから目を背け丸山議員の個人の資質に責任を転嫁してはなりません。
 
では日本の平和教育の何がおかしいのでしょう?
 
日本の平和教育の間違いは子ども達に戦争の悲惨さを伝え、二度と戦争の無い世を願うことで美しく完結してしまうところにあります。

要は戦争の悲惨さや愚かさを伝え、戦争の無い平和な世界を願う気持ちを育む機会はありますが、その先のプロセスが無いのです。平和を守るために何をなすべきか?具体的な学びがないのです。
 
平和を祈り願うという崇高な理念が絶対的な方法論と化したような空気が日本の教育界に蔓延しています。

 

今回の丸山議員の発言を聞いて平和への思いが足らないとの声は正論ですが、それだけの問題ではないように私には思えます。

 

願い祈るだけでは帰ってこない北方領土への無知な彼のいら立ちや絶望感が丸山議員に「戦争しないとどうしようもなくないですか?」

と言わしめてしまったのではないでしょうか?


繰り返します、大人としての彼の責任は当然です、しかし教師として教え子世代の愚かな言動の責任を看過するわけにはいきません。

 

広島平和記念公園でよく見かける修学旅行生の光景。原爆ドームと原爆資料館を見学し、戦争の悲惨さを感じ記念公園にて平和へ誓いを宣言しています。

戦争の無い世を願う強い気持ちを大切に子供たちにも抑止力や防衛力としての軍事力自衛隊についてもしっかり学び議論させねばなりません。明治から終戦までの正しい歴史観も学びなおしが必要です。
 
平和を祈り願うという崇高な理念が絶対的な方法論といったいびつで画一的なイデオロギーが平和への学びの機会を奪ってきました。

 

戦後の平和教育への検証が今まさに求められています。


戦後教育に携わってきたものとしての責任をいま私も問われている。発信する事で責任を果たしたい。


関連ブログもお読み下さい。



『なぜ 日本の平和教育は間違っているか? ~戦争知らない子供たち 2018~ 』

https://ameblo.jp/kondayao21/entry-12396206431.html





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