実録・應援團営業部【3】 | 甲南大學應援團OB会のブログ「雲外蒼天」

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甲南大学応援団再建物語
~黄霧四塞すと雖も、上に蒼天なきに非ず~

その1 その2 に続きしばらく間が空きましたが、第3話であります。詳細はお手数ではありますが、前話をご一読頂きたいのですが、要約すれば、大学のクラブ活動は意外と金がかかるものである反面、我が團の財政事情は極めてお寒い状況であったという次第です。


無いものは無いものとして、嘆いても解決致しません。その代その代で活動計画と共に予算計画も立案し、必要と思われる金子を用意せねばならないのであります。ここで2タイプに分かれる傾向にあり、資金獲得に努めながらも、理想と現実の差を鑑み、獲得可能な見込予算に合わせ活動計画も縮小させる堅実なタイプと、男一代、一度、打ち上げたアドバルーンを縮めてどうする、とばかりに是が非でも費用を稼ぐ事に全精力を傾ける野心的なタイプであります。


数として多いのは前者である様に思いますが、ブログのネタになるのは断然、後者でありましょう。予めお断りしておきますと、愛と正義に生きる應援團、一切の違法行為とは無縁である事を高らかに主張致したく存じ上げ奉り候。


甲南大学建学間もない昭和20年代後半に産声を上げた我が團も、当初は当時の物価から考えればそれなりの年間予算を拝領致しておりましたが、当時は團員が溢れかえる程に居た時代でもありますので、忽ち予算不足に陥ったと伝えられております。三代目会計部長であり後に甲雄会三代目を継承する藤本祐義先輩の卓抜した手腕でこの難局を乗り切りました。


昭和40年代に我が校では全面的に禁止になりましたが、大学内のクラブを初めとする各種団体がパーティを催し、それを通じ僅かではございますが収益を得るという形態がございました。これは我が校に限らず全国の大学で見られた現象でありますが、現在の様に巷に娯楽が氾濫している訳でもなく、大学生の遊びも後年ほど派手ではない時代でございますので、学生からのニーズも高かった様であります。

一説によれば作家の安藤昇 さんが法政大学在学中に編み出したシステムだとも言われておりますが、正確な事は分かりません。我が校では昭和30年の應援團主催のダンスパーティーが第1号と言われております。


甲南大學應援團OB会

八代目甲雄会広報委員会