我が應援團の現時点での最終形である48代目当時(平成15年)の組織体制が固まった昭和50年代半ば以降、團費のやり繰りには苦労が絶えませんでした。無論、それ以前が楽だったという訳ではありませんが、帳簿等が残っており、確実な事が申し上げられる期間という意味合いでございます。
資金繰りが楽だと言う団体は珍しいと思いますが、学内でも台所事情がとりわけ苦しい部類に入っていた様に思います。
考えるまでもなく学生団体は収益を上げる事が目的ではありませんので、思いつくまま活動するのではなく、定められた予算の中で最大限の動きをする必要がある訳であります。
さりとて年間50万円の予算で活動している団体はそのうち60万、70万あればと思う様になるでしょうし、100万の団体でもやはり120万、150万あれば、と思う様になるでありましょう。
予算はなかなか上がらないのに対し物価は確実に上昇して参りますし、勢いのある団体であれば部員数も増え活躍する場も増えて参りますので、忽ち経済的苦境に陥る訳であります。
我が團の苦悩の要因として、應援團の予算は学内でもおそらく最低ラインであった点が挙げられます。体育会所属の友邦団体の予算を聞き仰天したものでございます。不祥事の数だけは天下一品でありましたので、その影響は無視出来ないでありましょう。
應援團は莫大な予算を拝領し、幹部は酒池肉林に耽るというイメージは少なくとも我が校においては漫画が作り上げたフィクションであります。
甲南大學應援團OB会
八代目甲雄会広報委員会