ご訪問いただきありがとうございます(^^)
「こころ整体院」院長の船山武です。

 

僕はフェイスブックをよく見るのですが、その中で、

「院経営で月商200万以上達成!」という記事や、

「こんなすごい人と仕事をしているよ!」という記事や、

「今日は家族でこんな楽しく過ごしました♪」という記事や、

毎回100人以上集まるセミナーを定期的に開催している人についての記事など、

 

リア充”の記事を見ると、

すごいなぁ…、いいなぁ…、という憧れと、嫉妬と、焦りと、不安などを感じてしまいます。

 

だけど、このとき僕は知らず知らずのうちに自分自身を否定しているようです。

 

なぜなら、自分のことを憧れの対象との差異(ギャップ)で見ており、“ありのままの自分”のことは見ていないからです。

こういうとき僕は、

ある基準を満たしていなければ、自分を肯定できないという“条件”をつくっています。

 

“条件”をつくると、自分を肯定するためには外部の何かが必要になってきます。

それは、他人の賞賛だったり、数字的な結果だったりします。

 

 

そして、これを求めているうちは、たぶん本当の意味で自分を肯定することはできないのではないかと思います。

 

なぜなら、他人の賞賛や、数字的結果などの外部要因は必ず変わっていくからです。

 

私たちはどこかでそれを知っているから、

その「得られた承認を失いたくない」という恐れに縛られて生きるようになります。

 

外に承認(肯定)を求めているうちは、自分の中で自分を肯定できていないということです。

 

 

 

 

 

自分を肯定するのに条件付けは必要ありません。

本当の自己肯定とは、“そのまんまの自分”無条件で認める

ということではないでしょうか。

 

ダメな自分だろうが、間違っている自分だろうが、悪いこと考えている自分だろうが、

まずは、そんな自分を変えようとせずそのまんま無条件で肯定する。

 

それは、たとえ世界全部が「私」を非難したとしても、

自分だけは最後まで「私」自身の味方でいると決めるようなものではないかと思うのです。

 

自分の味方でいるというのは、どんな時も自分を正当化するということではありません

 

それは、常に自分自身に寄り添い、

“そのまんまの自分”の感覚や感情を受け止め、認めるということなんだと思います。

 

これが出来てはじめて、

「私」は、望む自分を「選択」するスタートラインに立てるのではないかと思うのです。

 

 

 

私たちはほとんどの場合、

世界との比較を通して自分を観ているので、自分そのものを観て(感じて)いません。

 

このように、“自分という感覚”を無視したり、感じないよう麻痺させていることを“自己否定”というのではないかと思います。

 

辛い時、苦しい時、悩んでいる時、“自己否定”せずにその時の自分を感じてみて下さい。

「自分という感覚」に根付いてみてください。

 

 

“自己肯定”できるようになったからといって、

苦しみがなくなるわけではありませんし、ネガティブな感情がなくなるわけでもありません。

でも現実は必ず良い方向に動いていきます。

そして、体も良い方向に変化していきます。

 

今ここから、自分の名前を言って自分という感覚”を感じてみて下さい。

 

 

今回も最後までお読みいただき本当にありがとうございました。


 

 

 

 

 

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