■世の中には「後者」という生き物がいるんだよ。悪意の正体。 | 心屋仁之助オフィシャルブログ「心が風に、なる」Powered by Ameba

心屋仁之助オフィシャルブログ「心が風に、なる」Powered by Ameba

見えないけれど、やさしく包んでくれる。
風のように、水のように、普通の幸せに気づける、
そんなお話をお届けしようと思います。

{EC9304ED-4221-40C2-AAE0-1F2720CB6855:01}



うちの認定講師の彼女が朝から叫んでいました。


前者・後者の話をずっとしてきました。


また、ひとつの特徴があります。

この前者後者の話が理解できないのも、後者です。

でも、

この話は、後者を救う話なのです。

そして、

この話は、前者も救われるのです。


で、ここで

「わたしは」前者か、後者か、
と色分けするのが目的ではないのです。

でもまぁ、気になりますよね。

でも、色分けすることの一つのメリットは
「客観性」が出るということです。


それは置いといて


前者・後者 は、男と女みたいなものです。

期待しない  ←これも読んでみて

「ほんとに、男って」
「ほんとに、オンナって生き物は」と言う話です。



「仕組み」を理解してほしいのです。
「客観的に」

「問題」と「言われていること」の
「仕組み」。






後者は、
前者になろうと頑張ってきたのです。


語弊はあるかもしれないですが、
後者は、カメ
前者は、ウサギ です。

速いウサギを見て
「あんな風になりたい」
「ああならなければいけないんだ」

ウサギの親から生まれたカメは
ウサギ親から、ノロイだのクソだの言われます。

そしたら、カメ(後者)だとダメなんだ!
とがんばってみた。

でも、カメなんです。





逆に、カメ親から生まれたウサギは
カメなんてダメだ! と、カメをバカにしつつ生きます。


すべては

「後者(カメ)は、ダメ、役立たずだ」

という、世間の価値観から来ています。


「大人になりなさい」


この価値観が、

劣等感と、優越感を生み
罪悪感を、カメに植え付けてしまう。



あんなことを

やってしまう自分

こんなことも

やれない自分


という罪





そして、カメはカメなりに頑張った。
頑張って、がんばって、ガンバってきた。


でも・・・認めてもらえない。
「ガンバリが足りないんだ」とまた思う。



カメなりに頑張るけれど
到底、ウサギのスピードには届かない。

でも、中には
速く走れるようになってしまったカメもいるわけです。

やってみるもんです。


そしたら、
自分がウサギのように走れるようになったものだから
同じカメをバカにするわけです。



カメはバカにされて悔しくてガンバルのだけれど
速く走れないので落ち込む。

「役に立たない自分はダメだ」
「このままじゃ捨てられる」
「頑張るから、頑張るから、癌ばるから・・・」


カメには、カメの生き方があるのです。
ウサギには、ウサギの生き方があるのです。


でも、世の中が
ウサギを良しとしてしまった。



でも、みんながウサギだと
世の中うるさくて仕方がない

船頭さんばかりだと
舟が山に登ってしまいます。


ゆっくり座っててくれる「乗客」が必要なのです。

だから
「後者は、なにもしないこと」が
「役に立っている」のです。


「なにもしないで」は
戦力外通告ではなく

「ありがとう、そこに居ることで役に立っている」なのです。







実際、ウサギが、世の中を回しています。



ところが
じゃあ、カメは回していないのかというと
そんなこともないわけです。

それは
「まわしているもの」があれば
「まわされるもの」があるのです。

サービスする人がいれば
サービスされる人がいないといけないのです。

本を書く人がいれば
本を読む人が必要なのです。

歌を歌う人がいれば
歌を聴いてくれるひとがいるのです。


速い人がいれば
遅い人も必要なのです。

「違う」だけなのです。






だから、

後者の仕事は
「してもらうこと」「助けてもらうこと」「許してもらう」ことです。

前者の仕事は
「してあげること」「助けること」「許すこと」です。


そして、
「後者はダメだ」と思っている後者
「後者はダメだ」と思っている前者


両方にとって、
そのことは、とても屈辱的なことなのです。
大きな損なのです。

だから僕は、いつも「損しよう」と言っているのです。

それが

自分と、自分とは違う誰かを許す、ということなのです。
闘いが終わる=統合

なのです。




でも、

そうおもって書いているのですが

前者後者の話は、わからない、興味がない、
飽きた、どっちでもいい

なんてことも当然目に入ります。


ああ、こんなに大切なことなのになぁ、と
ちょっと悲しくもなりますが・・・




よくわからない、と言われるので
こうやって詳しく書くと

もっとたとえ話で話してほしい、
と言われて

色んな例を挙げると

そんなにたくさん読めない、
もっと簡単に書いてくれ、わからない、と
振出しに戻ります(笑)



巧妙な「回避能力」だったりもするわけです。



なのでまぁ、
コレに関しては山ほど話がまだあるので

読まれる、読まれないは別にして
また書いて行こうと思います。



この話は
前者の人の方が理解しやすいと思うんです。


だから、それぞれの理解で
書いてくれると嬉しいですね。こういうの(笑)
後者よ、これが悪意だ。



前者の方が
能力が高かったします。

理解力
処理能力
行動力



でも、そういう「能力」と
それから、以前に書いた「悪意」も

前者後者で分けるというより
これは「個体差」だなぁと思うようになりました。


つまり

悪意のない前者もいるし
能力の高い後者もいる
悪意のある後者もいる



悪意って、要は「どうせ」というスネ、です。
拗ねてるのは、勘ちがい、ここに尽きる。





理解されないのはなかなかアレだけど

冒頭の叫びのような気付きも
沢山届いているので

まぁ、それでよしとしますか。



飽きずに続けて書いて行きますわ。



-------------------------------------

私、本当は後者でした。
小林麻耶ちゃん大好きなんです。
彼女の気持ちめっちゃ分かるんです。

でも前者のふりしてる時は、
彼女のこと大っ嫌いでした。

「可愛いからって何でこんなにはちゃめちゃなことしても許されるんだ!ズルイ!許せない!」

って。


でも自分が後者として、自分の思うままに自由にしてたら、
人から「あんたは、可愛くない麻耶ちゃんだね(ひどい 笑)」と言われました。

後者のままでいると、前者で空気読みまくって、
正しいことしようとしてたときよりも、何でも上手くいきます。

何だか周りの人も優しいし、とんでもないことしでかしても許してくれるんです。
逆に前者でいようと必死に頑張っていると、激しく叩かれるし、周りも引くし…。


元々、いろいろなことの計画を立てたり、
TO DOリスト作ったりとかすごく苦手なんです。

その時の直感で動きたいし、
しかも根拠なく自分の勘は絶対に外れていないと全力で信じてます。

仁さんの言う「なんか知らんけど」は、めっちゃ腑に落ちました。


自分の直感を信じて疑わないと、
道に迷った時は必ず逆方向に進んでしまうんです(笑)。

でも「道を間違えたら戻ればいいだけじゃん?」って、
全く気にならないんですよね。

前者系の人からは
「ちゃんと調べれば無駄なことしなくてすんだのに!」
ってすっごく非難されますけど…。

何か直感でやってた方が楽しくて、
間違えてもテヘペロって感じで。そこにムカつかれますが(笑)

自分の思いつきを信じて、人に頼って、
読めない空気読まずに、

テヘペロで、可愛くない麻耶ちゃんとして生きていこうと思います。


image 
   ■アメーバ大喜利

■心屋公式サイト
■心屋に頂いたメッセージやコメントを記事や著書で許可なく紹介させていただくことがあります
■心屋の記事はリンクフリーです