いつから自分のことを「お兄ちゃん」ではなく「おっちゃん」というようになったのか記憶がない三科です。アラフォーです。
不登校の子どもと関わるようになったのは、二十歳くらい。
ミュージシャンを目指して路上ライブを重ねているときに初めてその存在を認識しました。
当時は、「学校に行ってなくてもオレたちのライブで盛り上がってアゲアゲでいってたら人生楽しいぜヒーハー!!」という残念なノリでしかありませんでした。
そこから小学校の別室登校専門のスタッフをしつつ、適応指導教室のスタッフとしても子どもと関わり続けていきました。
「今の子どもの状況からどのような関わりがその子にとっての最善の策なのか」
毎日活動終わりに朝までずっと仲間と話し合っていました。
「あいつのこうゆうとこ問題って言われてるけどめっちゃ好き!」
「もっと声かけの仕方を変えたらあいつの良さが生きるんちゃうかなぁ?」
「最近あの子元気ないからこんなことしてみーひん?」
「そもそも学校教育ってなんやねん!これからどんな教育が求められるんやろ?」
仲間とそんな話しを永遠とする時間がとても好きだった僕は、今でも生徒たちのことをスタッフと一緒に話し合う時間が楽しくて仕方ありません。
それと同じように、お母さん方とも子どもについて話すことが大好きです。
僕は生徒のことを家族だと思っているので、例えるなら一緒に子育てをしているような感覚。
「今日はこんなことを言ってましたよ!」
「あの時にすごく気を遣って僕を助けてくれたんです!」
「勉強の理解するペース、最近ヤバいです!」
一緒にお子さんのステキな所、おもしろかった所などを話すときに自然と笑顔になります。
そんなことが、その子たちの周りにいる大人みーーんなでできたら最高じゃないですか。
なるべく多くの大人が色んな場所で1人の子どもと関わり、その中で育つことができる社会。
親だけが、先生だけが、フリースクールだけが、学校だけが関わると子どもを追い詰めてしまいがちです。
1人との関係がダメになればそれでおしまい、1つの場所が合わなければ不適合者の烙印。
そんなのどう考えたって窮屈でしょ。
失敗が許されない社会に、多くの子どもは明るい未来を創造できないはずです。
大人も同じ。
もっと他人や自分を受け入れてあげる必要性があるように思います。
不登校だろうと苦登校だろうとチビでもデブでもノッポでもガリでもひきこもりでもニートでもオタクでもLGBTでも障害者でも外国人でも中卒でもエリートでもなんでもいいでしょ。
そんな上っ面で誰かを否定するなんてバカバカしいにも程がある。
そんなことを思ったシンポジウムでした。
まだ余韻があります。
今日は早く寝れそうです。
おやすみなさい。
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