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くろすろーど

国公労連オフィシャルブログ★貧困と格差なくし国民の暮らし守る行財政・司法へ


中嶌聡/NPO法人はたらぼ
第6回:多様性を活かすには


活動開始から1年が経つころには、メンバーは2倍以上になった。
メンバーが増えるとどこでも課題になるのが「多様性」の問題である。
多様性とは、組織において多様なメンバーが混在することを指すが、一歩踏み込んで、ここでは「多様なメンバーがどうすれば活きるか」という問題意識で考えてみたい。


なぜ参加者が固定化するのか

1年経ったとき、「メンバーの数は増えているのに、参加者は固定化が進んでいる」という問題が起きていた。
ある程度できてきた組織の文化に「合う」「合わない」をそれぞれが感じるようになってきたのだ。

当時の活動は、団体交渉研究会と団体交渉にほぼ絞られており、参加メンバーを一言で表現すると、「団体交渉など、直接的な解決への活動に意義を感じ参加したいと思う人」だった。

そして「緊迫した場面は苦手だが、みんなとゆるやかにつながりを持ちたい人」はなかなかメンバーとして参加しづらい状況になっていた。
実際そのようなメンバーが当事者であった場合、団体交渉と次回の団体交渉の間は、組織の他の活動にも参加しづらく、引き籠もりがちになっていることがわかったのだ。

こうした組織文化が作られた大きな要因は、役員であった当時の私の志向性にあった。
私自身が解決志向型で、何か具体的な課題を解決すること、要するに個別の労働問題をどんどん交渉して解決していくことに重きを置いていたのだ。
一方で、無目的(と感じてしまうよう)な交流が苦手だったのである。


「多様性」についての発見

当初、私は、この課題を解決するには私自身が変わる必要があると感じていた。
交流会にも意義を見いだせるにように自分が変わるべきだと考えていたのだ。
役員が多様性に対する幅を持たなければ、組織に多様性は生まれない。
だから今の組織の課題は自分の課題だと考えていた。

しかし、どうにも、ただ交流するだけの会を運営している自分が想像できない。
この問題はメンバーと一緒に考える中で解決した。
交流会を運営することがそんなに苦じゃないというメンバーが運営に手を挙げてくれたのだ。
「得意な人に任せよう」とは常に考えてきたが、実感したのはこの時だったように思う。

つまるところ、組織の多様性を担保していくためにも、メンバーの多様性が必要だったのだ。
個人で無限の多様性を受け入れるしかないと、自分を責める必要はなかったのである。
多様なメンバーで多様なメンバーを受け入れていけば良い、と自覚し始めた。
そして多様なメンバーの取り組みの中に参加することで、自分自身の多様性も自然と広がるのではないかと考え始めたのである。


レクリエーションの意義

最初に取りかかったのは、「ユニオンカフェ」という月1回の交流企画だ。
16時~22時くらいまでの時間で集まりたいメンバーが集まり、買いだし、料理、配膳、片付けをする企画だ。
重視したのは、ざっくばらんにフリーに交流してもらうこと、共同作業(買い出し、料理、配膳)の時間を組み込んだことだ。
共同作業中の偶然のコミュニケーションから関係性ができる、という必然性を作り出したかったのだ。

ユニオンカフェの進行については、「自由に交流してください」と伝えるだけでも難しく、仕切りすぎても交流しにくい。
このバランスをどうとるかは難しかったが、時々のメンバーがアイデアを出し合った。
そうしてユニオンカフェは、団交やミーティングに参加しないメンバーも集まる最も人気の定例イベントになっていった。

共同作業の中で、メンバー同士は、互いの新たな得意分野を見つけた。
例えば、スーパーのフルーツ売り場でアルバイトしたことのあるメンバーがマンゴーのうまい切り方をみんなに伝授したり、日本料理屋で働いていた料理人が誰でも作れる秘伝のおいしいカレーレシピを実演したり、音楽活動をしているメンバーが一曲披露したり、動画作成をし始めたメンバーがこれまでの取り組みをビデオでまとめて上映したりといったことができた。
これらは普段の団体交渉や会議では出番のなかった特技だった。
多様なメンバーが混在してはいたが、団交や会議だけだと埋もれていた強みが、ユニオンカフェを通して開花したのである。


自分たちをチェックする「多様性委員会」


その他、働き方を抜本的に改善していくための政策を考えたいメンバーで集まる「政策提言会議」や、役員が提起する議題ではなく、参加者からみんなと話し合いたいテーマを募り、議題毎に小グループに分かれてディスカッションする「ユニオンバズ」などが毎月の取り組みに加わった。

さらに女性役員メンバーが中心となって不定期で女子会が開催されたり、企業にセクハラ・パワハラ対策を求めるのであればと、自分たちの組織内においてもセクハラ・パワハラがないかをチェックして対応する「多様性委員会」が設立された。
この委員会では、メンバーにアンケートを採り、組織活動内におけるヒヤリハットの事例を集めて全体に共有し、相談窓口を設置した。
このような取り組みで、健全な組織活動ができるように仕組みを整えていったのである。



多様性を活かすには


多様なメンバーが混在しているだけの状態から、メンバーの多様性が活かされる組織へ変わっていくまでには、いくつかのハードルがあった。

まず1つ目に、当たり前だが、自分と他人は違うことを自覚し、既成概念にとらわれず情報を共有すること。
自分が気の進まない行動も他人は「それならやりたい」となることがある。ユニオンカフェは良い事例である。

2つ目に、安全性である。活動に参加しても安全かどうか。
つまりは、個人情報をやたらと聞かれたり、参加したくないことにも強制で参加させられたりしないかどうか、である。

3つ目に、義務よりやりたいことや強みに基づいて役割分担をすることである。
多様性が最も活きるのは、その人の志向性と行動が一致したときである。
義務的な行動に費やされる時間が増えれば増えるほど、メンバーの多様性は無意味化されていく。
私たちは、組織の維持や発展のための必要な行動を、役職に基づいてではなく、やりたいと感じるかどうかに基づいてすることにした。
そして誰もがやりたいと感じないときは、現状の多様性と規模では難しいと考え、やらないという判断をすることもあった。


最後に、4つ目として重要なのは、ミーティングやイベントを「ファシリテーション」という技術を使って参加型にしたことである。
どんなにメンバーの関心が高いテーマでも、意見が言いづらく主体性を発揮しづらい運営方法では誰も行きたがらない。
これについては、次回で詳しく紹介したい。





なかじま あきら 1983年大阪府茨木市生まれ。大阪教育大学を卒業後、外資系人材派遣会社での正社員経験を経て、大阪の個人加盟ユニオンで活動。役員として4年間で200回以上の団体交渉を経験する。ネット中継やトークイベント等の新しい運動でも注目を集める。2013年に「NPO法人はたらぼ」を立ち上げ、代表理事に。ブラック企業淘汰を目指し、企業・労働者・行政の3者をつなぐ中間団体として活躍中。新聞・テレビ等からの取材多数。



イラスト 大江萌


※リレー連載「運動のヌーヴェルヴァーグ」では、労働組合やNPOなど、様々な形で労働運動にかかわる若い運動家・活動家の方々に、日々の実践や思いを1冊のノートのように綴ってもらいます。国公労連の発行している「国公労調査時報」で2013年9月号から連載が始まりました。


中嶌聡/NPO法人はたらぼ
第5回:2万の批判から学んだ広報活動


独自の広報戦略の必要性


団体交渉や、抗議行動、求人票キャンペーンなど、「闘うアイテム」を増やし実践していく一方、私たちは広報活動にも力を入れた。
私たちの組織化対象は、大阪府に住んでいる、もしくは府内の事業所で働くすべての労働者、である。
学校でも、テレビのCMでもニュースでもドラマでも、ほとんど知らされない労働組合を知らせるためには、独自に広報戦略を立てる必要があった。
当時、主に3つのメディアで取り組んだ。


闘う経験を共有する「つぶやき」

1つ目は、ツイッターをはじめとするSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)の活用だ。
その日受けた労働相談の内容、団体交渉前の打ち合わせ中の写真、団交で出てきた相手の主張などを発信した。
「現在進行形で労働問題が解決されている」ことをSNS上で体験してもらうことを心がけた。
なぜなら、「解決できると思っていない人」が大半だからである。
「また解決したのか、すごいな。なんかあったら相談しよう」とか「うわ、うちの会社と同じサービス残業の問題か。どうなるんやろう?」と気にしてもらいたかったからだ。


日本初!? 抗議宣伝をニコ生で生放送!

2つ目は、ニコニコ生放送(以下ニコ生)である。
ニコ生とは、会員になればだれでも気軽に生放送できる動画サイトで、10代、20代を中心に人気のインターネットサービスである(今では政治系の番組も多く年齢層も広がってきている)。
生放送されている動画の上に視聴者からのコメントが流れるため、コメントが多いと動画が見えづらくなり動画の注目度がわかりやすい仕組みである。
これが、他の動画サイトとの違いで、人気の理由でもある。
当時、組合員の1人にニコ生をよく使っていたメンバーがおり、彼が「抗議宣伝を生放送しよう!」と言い出したのがことの始まりだった。

抗議宣伝については、以前から私たちの間で問題視されていた。
宣伝カーを横付けして大きな音量で会社側に抗議行動をするわけだが、会社にとっては威嚇にはなれど、人通りの少ない場所ではビラは100枚も配れない。
多くの人に知らせるという目的が達成されているのかわからなかった。
また、真っ昼間に近隣住民(子どもを寝かしつけている最中の世帯もあるだろう)にも迷惑だとわかっている中で(もちろん責任は会社側にあったとしても)、率直に抗議行動がプラスに働いているのかどうかも知りたかった。
そこで、抗議宣伝を生放送し、視聴者のコメントを集めることにした。


2万の批判コメントの嵐


結果は、予想以上だった。1万人が視聴し2万近くのコメントをつけたのだ。
抗議宣伝中はコメントが集中し画面一杯がコメントだらけの状態も続いた。
ただ、内容はまずかった。右翼と間違えられたり、ただの嫌がらせととらえられたり、何がしたいのか不明などと、真意が伝わっていないと見受けられるコメントが圧倒的多数だった。

反応を可視化することが目的だったので、反応にめげずに、コメントすべてを一覧表にして、内容を分析していった。
結果として、以下の4つのポイントが見えてきた。
① 「おまえら誰だ!?」に答えられていない
② 抗議行動までの経過が不明で、いきなり過激な行動をしていると思われている
③ 「法的に大丈夫なのか?」と心配されている
④ そもそも「何の問題に対してアピールしてるの?」が伝わっていない、である。


一転した視聴者からの反応


私たちは上記の反省を踏まえて、1時間の番組仕立てで放送することにした。
最初の15分間で労働相談の内容から団体交渉の経過、労働組合が使える団体交渉権と団体行動権の説明、現在の争議の状況と、抗議宣伝の目的を伝えた。
次に30分間フリーで質問に答え、最後に15分間でまとめと今後の展開を説明していった。
また、細かいことであるが途中からの視聴者への配慮も踏まえ、タイムテーブルを書き随時画面に見えるようにし、視覚による情報も提供した。

すると驚いたことに批判的コメントがほとんどなくなり、「なるほど」「組合ってすごいな」「もっとやれ」などの肯定的なコメントや質問、建設的な意見のみになったのである。
匿名の、かつ一時的な関係しかないインターネットメディアだからどんなに工夫しても批判されて終わるだけだろうとの考えもあったが、「私たちの伝え方次第なのだ」と気づかされる結果になった。
その後、メンバーが単独で実施していた労働相談についても、青年部として取り組み始めた。
集団的にネットを通して生で受けて答えることで、一緒に見聞きしている視聴者も同時に学べる取り組みとなったのである。
回数を重ねると、ある程度の労働相談に視聴者同士で答え始めていたり、参考文献をまとめてくれたり、時には共感した視聴者からカンパを頂くこともあった。



組合とゆるっとつながるメールマガジン


3つ目は、「365日働くルールメルマガ」と題した毎日届くメールマガジンを開始した。
これは、労働組合に加入することが依然としてハードルが高い中で、労働組合の一層外側にゆるいつながりを作り、何かあった場合に労働組合という選択肢を常に意識してもらうことが狙いだった。
メルマガの構成は「いきなり解雇と言われた! 仕方ない?」といった問いかけから始まり、1行で結論を述べ、その下に詳細、さらに関連する法律条項を掲載するという内容である。
全文を30秒で読める分量にしたこと、ランチタイムに合わせて正午に配信したことが特徴である。
これは労働組合の活性化を願う献身的な弁護士さんとの出会いにより実現した。
3.11の東日本大震災時には2週間連続で震災時の働くルール特集を発行、GWや台風、花火大会など季節に合わせたテーマでの投稿を心がけた。
メディアにも4、5回取り上げられ、メルマガは大ヒットし、最高で2,400人が登録するにいたった。

以上3つの取り組みは具体的な効果もあった。
ツイッターを見て「オープンな組織だと思った」と加入したメンバーは後に役員となった。
大学生からツイッターで得た情報は、マスコミとつなぐことで後にニュースになった。
ニコ生やメルマガで知識を得て会社と交渉したり、他の地域の組合に加入した人々もでてきたのだ。



丁寧に伝えることの重要さ


広報をするときに気をつけていたことがある。
それは、「主張を押しつけない」ことだ。これは、ニコ生での経験が教えてくれた。
同じことを伝えても伝え方一つで全く受け取り方が変わったのだ。
刺激的ではっきりした強い主張よりも、事実をしっかり知らせ、丁寧に選択の過程を共有し、何のために行動しているのかを伝え、共感してもらいやすいように主張することが重要である。
私たちはそれを2万の批判の嵐から学んだのである。





なかじま あきら 1983年大阪府茨木市生まれ。大阪教育大学を卒業後、外資系人材派遣会社での正社員経験を経て、大阪の個人加盟ユニオンで活動。役員として4年間で200回以上の団体交渉を経験する。ネット中継やトークイベント等の新しい運動でも注目を集める。2013年に「NPO法人はたらぼ」を立ち上げ、代表理事に。ブラック企業淘汰を目指し、企業・労働者・行政の3者をつなぐ中間団体として活躍中。新聞・テレビ等からの取材多数。



イラスト 大江萌


※リレー連載「運動のヌーヴェルヴァーグ」では、労働組合やNPOなど、様々な形で労働運動にかかわる若い運動家・活動家の方々に、日々の実践や思いを1冊のノートのように綴ってもらいます。国公労連の発行している「国公労調査時報」で2013年9月号から連載が始まりました。


中嶌聡/NPO法人はたらぼ
第4回:小さな「勝ち癖」の重要性


『NGO運営の基礎知識』との出会い


前回紹介した「コミュニティオーガナイジング」の概念は最近知ったのだが、実はそこで使われている運動手法やトレーニング方法には、たまたま、既に出会っていた。
私が大学時代、優れた実践を体験して学ぼうと様々なNPO、NGOの活動に参加しているときに知ったのが、
『NGO運営の基礎知識』(POWER~市民の力/A SEED JAPAN 共編)という書籍である。

『NGO運営の基礎知識』には、「活動の7ステップ」「目標設定の仕方」「戦略の立て方」「広報」など、まさしく日々の活動の中で必要なものばかりが書かれており、当時、感銘を受けた。
日本の市民運動本には体験談や事実経過を書いたものが多いが、体系立てて理論化されている書籍は知らなかったからだ。
この書籍から学び、実践したキャンペーンを紹介したい。



労働局に何を交渉するか?


私が関わっていた労働組合は、その当時、最低賃金のアップを中心的要求に、年に一度大阪労働局と交渉をしていた。
その内容や交渉の方法に、私は違和感を覚えていた。

とはいえ、「あの交渉は要点を得ていない」とか「もっと良くした方が良い」などと息巻いてるだけでは何も変わらない。
具体的な対案が必要だったのだ。

この違和感を解決するために『NGO運営の基礎知識』を再読した。
そこには「ターゲットの特定と権限の確認」が重要だと書かれている。
つまりは、交渉するときは、通したい要求に対して「イエス」と言うことができる権限者(個人)が誰かをまず特定する必要がある。
次にその個人を「イエス」と言わせるために必要な要素を見つけ出し、戦略を立てる必要がある、と書かれているのだ。

この点を踏まえて振り返ると、交渉内容・方法について改善ポイントが見えてきた。
そうして、若手のメンバーに問題提起しうまれたのが、「ウソの求人票やめさせませんか」キャンペーンである。



権限のリサーチと「測定可能な」獲得目標

 

目をつけたのが、当時の労働相談で多かった「求人票と実際の労働条件の相違」である。
労働条件を良く見せておいて雇う直前で難癖つけて労働条件を下げてくるような企業が多く見られた。
そこで「ハローワークの求人票の取り扱い」に目をつけた。
そしてさらに「固定残業代」の表示問題に的を絞った。
例えば、職場で20時間残業しても給与が同じだったので経営者に質問をすると、「営業手当5万円に残業代が入ってる」と言われる、という問題だ。
基本的には、これは未払いに当たるのだが、労働者からすれば「騙された」と感じて諦めがちだろう。

『NGO運営の基礎知識』には、問題の設定ができたら次に「解決策を選ぶ」プロセスが必要になると書かれている。
解決策を選定するにはリサーチが必要である。

解決策は、法律改正レベルから、求人票受付時のチェックなど現場の運用レベルまで、多様な解決策のアイデアが出てきた。
各解決レベルの権限者が誰かも調べた。
例えば、
「求人票の項目を変える権限は誰が持っているのか」
「求人票を受け付ける時のチェック内容を変える権限は誰が持っているのか」
などだ。

結局、ハローワークが求人を受け付けた時、
「この営業手当に残業手当が含まれていますか?」
「含まれているなら営業手当という曖昧な名前にせずに残業手当としてください」
と指導することを解決策として選んだ。
これなら大阪労働局の権限内でできる。
そこで、私たちは、「固定残業代については適切に表示させる」をキャンペーンの測定可能な獲得目標にしたのだ。



戦略とアクション、その結果


改めて解決策を決定したので、再度ターゲットの確認をすると、大阪府労働局長まで上がらなくても、職業安定課の課長クラスの権限内であることがわかった。

次は戦略である。
課長が「イエス」と言うためにどのような戦術が効果的か。
極端に言えば、私が突然尋ねていって、「残業手当はおかしいでしょ。変えてよ」とぶしつけに言って変わるものではない。

そこで、まずハローワークの求人票と実際の労働条件が違ったという経験をインターネット上のアンケートで募ると同時に、ハローワーク前で出てきた人から聞き取り調査を行った。
そのアンケート調査は必ずしも学術的に耐えうるものではなかったが、事例を集めるという意味では、結果的には十分効果があった。

あとは、行政が取るであろう反応をいくつか洗い出し、対応を考えながら当日を迎えた。

 

結果はあっさり出た。
交渉に入ると、まず問題意識を共有し、アンケート結果を説明、当事者から体験談を話してもらった。
これに対して労働局は、職員が不足していて求人票一つあたりにかけられる時間が少なすぎるという背景を共有しながら、要求を認め、徹底するように約束したのである。

ターゲットの権限や戦略を練って挑み、かつ要求そのものはかなり小さく絞り込んでいたとは言え、拍子抜けした。
「いつからですか」とかろうじて質問が思い浮かび、「来月からします」と言質を取って終了した。
この運動については、『NGO運営の基礎知識』の「広報」の項で書かれている通りに、マスコミにも随時連絡を取っており、この日夕方のニュースに私たちの取り組みが放送された。



勝ち取ったのは「勝ち癖」

私たちが勝ち取ったことは、小さな運用の改善ではあった。
だがそれ以上に大きな経験を得た。
それは、ターゲットを定め、戦略を立て、いくつかの原則にのっとってやれば、初めてでもそれなりの水準のキャンペーンを実践することができ、かつ、勝ち取れるという経験だ。

どんなに小さなキャンペーンでも、やるなら必ず勝ち取るつもりで実践し、「勝ち癖」をつけることが重要だと私は感じている。

私たちがもし、ターゲットや権限、戦略など考えずに挑んでいたら、アンケートはとったかもしれないが、おそらく要求項目は「ウソの求人票がなくなるようにしてください」といった曖昧で測定不可能なものになり、目の前にいる担当者が交渉相手として適切かわからないまま押しつけがましい要求をしていただろう。
交渉も空振りに終わり、「行政がだらしない」などと一方的に批判して終わっていたかもしれない。

具体的な結果を出すことは、勝ち癖につながり、勝ち癖はキャンペーンの質を上げる。

私たちはこうして毎年恒例の交渉、ではなく「具体的な何かを勝ち取るための一連の行動=キャンペーン」を学んでいったのである。






なかじま あきら 1983年大阪府茨木市生まれ。大阪教育大学を卒業後、外資系人材派遣会社での正社員経験を経て、大阪の個人加盟ユニオンで活動。役員として4年間で200回以上の団体交渉を経験する。ネット中継やトークイベント等の新しい運動でも注目を集める。2013年に「NPO法人はたらぼ」を立ち上げ、代表理事に。ブラック企業淘汰を目指し、企業・労働者・行政の3者をつなぐ中間団体として活躍中。新聞・テレビ等からの取材多数。



イラスト 大江萌


※リレー連載「運動のヌーヴェルヴァーグ」では、労働組合やNPOなど、様々な形で労働運動にかかわる若い運動家・活動家の方々に、日々の実践や思いを1冊のノートのように綴ってもらいます。国公労連の発行している「国公労調査時報」で2013年9月号から連載が始まりました。


中嶌聡/NPO法人はたらぼ
第3回:
草の根のムーブメントを開花させるもの

これまで2回にわたり、自己紹介と活動紹介をしてきた。
今回は、現在の活動につながるイベントについ先日参加してきたので、レポートしたい。
4月13日に反貧困ネットワークが主催した
「コミュニティオーガナイジングで労働運動が変わる」と題したセミナーである。

労働組合に飛び込み、ゼロから体当たりしながら「闘うアイテム」を学び増やしてきた私にとって、組織運営から運動の手法までプログラムとして体系化され、数多くのトレーニングスクールがあるアメリカ発の「コミュニティオーガナイジング」は、まさしく目指しているもの、そのものだった。


コミュニティオーガナイジングとは

コミュニティオーガナイジングは、1940年頃にソウル・アリンスキーというアメリカの活動家が、アフリカ系アメリカ人が多く住むシカゴの貧困地区の住民の組織化を行う過程で体系化し、1960年代から全米に普及したとされる運動論だ。

日本においては、2008年にアメリカの大統領となったバラク・オバマがコミュニティオーガナイザー出身だったことから、近年広く注目を浴びるようになっている。

コミュニティオーガナイジングには明確な定義がなされていないようなので、ここでは「地域や組織のメンバーが自分たちで課題を見つけ、日常的な課題の解決を継続させていくことを支援すること」とする。

具体的には、地域の社会問題を解決するために、特定の地域に入り、住宅を一軒一軒回り住民を組織化し、住民自身が隣人を訪ねたりホームパーティーを開くなどして、戦略を立て、行動し、解決していく過程を支援するといった活動である。

それゆえ分野は、住宅問題、治安、学校の教育問題、拠り所づくり、災害復興、法的扶助、権利擁護、職業訓練など多岐にわたる。
コミュニティオーガナイザーはそれぞれの状況に合わせて適切に住民を支援していく。
運動を実行するリーダーとしてではなく、あくまで住民たちの要望を聞き取り、住民が自ら解決するための支援者として関わることに重きを置かれている印象であった。



コミュニティオーガナイジングと労働組合


これらコミュニティオーガナイジングは、全国の組織化された労働者を主体に要求を勝ち取っていく旧来型の労働組合運動からは遠い存在であった。

しかしながら、組織率が低迷し、団体交渉によって要求を勝ち取るスタイルが難しくなる中で、地域コミュニティとの連携が模索され、1990年以降具体的な連携により新しい労働運動が展開されている。

ナショナルセンターのAFL-CIOがコミュニティオーガナイジングとの共同を大きく打ち出し、昨年末に全米で「生活できる賃金」を求めて起こったウォルマート抗議デモでも、多様なコミュニティ組織が参加した。
コミュニティオーガナイジングが組織化してきたのは、地域住民、中小企業事業主、宗教指導者、女性権利擁護団体メンバー、議員、一般市民、学生などであり、彼らが一斉に抗議集会やデモに参加したのである。
組織化された労働組合のみが抗議行動をするにとどまっていた運動が、地域住民を巻き込み数百人規模の抗議行動に発展した。

労働組合と地域コミュニティの連携が、新たな、団体交渉とはちがった交渉力を作り出していることが注目されている。



体系化されていることの持つパワー


日本でも地域運動や住民運動は歴史的な積み上げがあり、労働運動との連携も行われている。
私が注目したことは、コミュニティオーガナイジングの手法が体系化されており、トレーニングスクールが無数に開催されていることである。

例えば公民権運動を率いたキング牧師は、こうしたスクールに通い、その手法や考え方についてのトレーニングを受けていた。
また、2008年大統領選挙の際も、オバマ陣営のフィールドオーガナイザーが数千人単位で集められ、4日間の集中トレーニングが行われたことが、大統領選の結果に大きく関わったと言われる。


日本の運動がコミュニティオーガナイジングから学ぶべきは、自らの運動を言語化・体系化し、トレーニングメニューを開発することなのではないだろうか。


私自身も会社では新卒研修を受けたが、労働組合で活動に関わり始めたとき、そのようなトレーニングは皆無であり、OJT(仕事をしながら学ぶ)形式で学ぶしかなかったため、体系的に学ぶことができなかった。
知識を得る勉強会は多々あり、最新の情勢や判例、運動理論などは現場でも大いに役立ったのだが、それらは知識偏重であった。

だが実際の現場では、経営者と交渉するための交渉術のロールプレイング、効果的なアクションを行うための戦略の立案、共感をひろげるためのスピーチ、民主的で創意工夫を引き出すミーティングの手法なども必要になってくる。

アメリカでは2年で1000人のオーガナイザーを育成するといった目標を掲げ達成している。
それができるのも、トレーニング体制がしっかりとしているからだ。


例えば、セミナーで紹介された、スクールの実際のトレーニングメニューには、
・市民活動の分析
・市民活動の戦略の立て方
・具体的な戦略モデル
・リクルートメントの方法
・アクションのガイドライン
・アクションロールプレイ
・ネット戦略
・メディアとの接し方
などがあった。

もし労働運動の世界への入り口に、こうした実践的・具体的なメニューの研修があれば、多くの若者がワクワクしながら参加するはずだ。



トレーニングスクールを


「知識編重」から脱却したトレーニングメニューを作るには、まず組織におけるベストプラクティス(最も効果的な方法)の棚卸し作業が必要になるだろう。

私自身の経験からも、参加させてもらった団体交渉では、担当者によっても労働組合によっても方法論は様々である。


団体交渉申入書一つを取り上げても、見比べることで取り入れられることは無数に見つかる。
組合内での会議も、民主的とは到底思えない会議を何度も経験した。
行政相手に交渉するときに、全くお門違いな交渉になっているケースも見られる。

これらは単純に、よりよく実践するためのアイデア不足である場合も多分にある。
そのため、ある程度の「コツ」が共有されることは、地域や組合の運動などには重要な課題だ。


そうやって一つ一つの行動が効果的なものに変わっていけば、労働組合やソーシャルムーブメントの「見え方」は大きく変わるのではないかと感じている。

積み上げてきた多くの実践を属人的なものにせず、そして「背中で学べ」形式でもなく、体系化し、効果的に広め伝えていく仕組みを作っていきたい。

アメリカのコミュニティオーガナイジングの実践は、そのための鍵になりうるのではないか、と私は注目している。





なかじま あきら 1983年大阪府茨木市生まれ。大阪教育大学を卒業後、外資系人材派遣会社での正社員経験を経て、大阪の個人加盟ユニオンで活動。役員として4年間で200回以上の団体交渉を経験する。ネット中継やトークイベント等の新しい運動でも注目を集める。2013年に「NPO法人はたらぼ」を立ち上げ、代表理事に。ブラック企業淘汰を目指し、企業・労働者・行政の3者をつなぐ中間団体として活躍中。新聞・テレビ等からの取材多数。



イラスト 大江萌


※リレー連載「運動のヌーヴェルヴァーグ」では、労働組合やNPOなど、様々な形で労働運動にかかわる若い運動家・活動家の方々に、日々の実践や思いを1冊のノートのように綴ってもらいます。国公労連の発行している「国公労調査時報」で2013年9月号から連載が始まりました。


中嶌聡/NPO法人はたらぼ
第2回:
労働組合にしかできないことを全うする


方針は「闘う青年部」

可能性を感じ組合に加入した私は、働きながら半年間ほど青年部の活動に関わり、新たな方針を探っていた。
メンバーと話し合った結果、退社と同時期に開かれた青年部の定期大会にて、「闘う青年部」を方針とし、私は副部長に就任した。

労組が取り組む労働相談センターには、年間2000件以上の労働相談があり、それを契機に、地域労組には年間200人弱が加入していた。
具体的な相談から加入してくる組合員に何よりもまず求められたことは、「労働問題の解決」である。

しかしながら、労働相談を受け、企業に交渉を申し入れる書類を作成し、予期せぬことが起こりうる団体交渉の場を運営するための知識、スキル、経験を持ったメンバーはいない。

つまり、労働組合にしか使えない団体交渉権、団体行動権の2つの権利を使えない状態だったのである。
「全うする」にはほど遠い状態であった。

もちろん、青年部が団交をせずに年配の役員の方に任せる選択肢もあった。
しかしそれではいつまでたっても「自分たちで闘う」ことができず、責任も持てない。

何より労働相談にも乗れず、団交もできず、どうやって信頼を得て私たち青年部への共感を広げられるのかと考えていた。
だから自分たちで闘えるようになることを最優先にしたのだ。



レクリエーション、禁止


「やらないこと」も決めた。理由は主に2つ。

1つ目は、労働相談にも乗れないのにレクリエーションに誘えば、当事者からどう見られるか、を考えたからだ。
解雇されて生活費もどうなるかわからない状況で「それどころじゃない」と思うのではないかと考えたのだ。

2つ目は、地域労組全体の財政も厳しく、年間5万円の限られた予算を効果的に振り分けるために取捨選択が必要だったのである。

そのために、あえて「レクリエーション禁止」を決めた。



活動開始

まず、労基法の第一条から通しで読み込み、同時に相談の電話をとらせてもらった。
多いときは一日12,3件の電話をとっては内容をまとめ、保留を押して「どうアドバイスしたらいいか?」とベテランの相談員に確認、そのまま相談者に伝える、を繰り返しながら個別の対応を覚えた。

ただ、これでは「違法だけど交渉でどこまでできそうですか?」という具体的な相談には応えられない。
やはり、相談に十分に乗るためには、団体交渉の経験が必要になった。

次に、「団体交渉研究会」を始めた。

当事者から争議内容を聞きとり、争点は何か、使える法律はどれかなどをみんなで考えた。
労働相談のガイドブックや書籍を2、3冊持ち寄り調べながら学び、交渉のシミュレーションをした。

そうすると、当事者との信頼関係ができてくる。
一緒に闘ってくれる仲間としての関係ができてくる。
結果的に、単なるレクレーションよりも深い関係を築けた。
シミュレーションをしてから団交後の学びもより具体的になった。

団交が終わると、シミュレーションと違う点についてベテランの役員に質問をぶつけた。
「なぜあの論点はあの角度で追及したのか」「今回の交渉では何が得られたのか」などなど。
そうして、シミュレーションとベテランの技の差を埋めていく作業をしながら学んでいった。


たった406円の大きな意義

08年11月、意欲はあり、知識もついてきたが、まだ責任を持って団体交渉を若手だけで受けることができるだろうか、と考えていた矢先だった。
メンバーの一人が「残業代未払いや」と言い出した。
日雇い派遣で8時間を超えて働いたのに割り増し分が払われてなかったという。
割り増し分だけなので、合計406円。
みんなで「それや!」とすぐに飛びついた。

かくして、書類作りから会社とのやりとりすべてを自分たちで担当する、私たちの「406争議」が始まった。
「最初の話し出しはどうするか?」「服装は?」「交渉の役割分担は?」「相手がこう主張してきたら?」などと考えることは山ほどあったが、その間ワクワクしっぱなしだったことを覚えている。

先に結果を書いてしまうと、406円については、会社側は団交の最中に早々に現金で支払ってきた。
企業側としては「さっさと終わりたかった」のだろう。

しかし私たちは違う。そもそも労働組合は、労働者間の競争を規制し、個々人が安売りしないで済むようにすることが運動の本質である。
また、せっかくの実践を簡単に終わらせたくないという思いもあったので、「残業代割り増し分が払われなかった理由は何か? 他の労働者にも未払いではないか? 調査し全員に払うべきだ」と詰め寄った。

最終的には、そこまでの成果は勝ち取れなかったが、未払い賃金は「満額回答」。若手だけの団体交渉を無事終えることができた。
こうして、何もできなかった私たちは一歩一歩、「労基法」、「労働相談」、「ダンコー」というアイテムを手に入れ、「闘う青年部」に大きな一歩を踏み出した。



闘うためのアイテム

「年越し派遣村」が開村される直前の08年12月末、まさにその年最後に受けた労働相談は、経験値を一気に引き上げることになる。
資本金300億円を超える派遣先と、当時業界一位の派遣元が交渉相手になったのだ。

典型的な違法派遣の相談だった。
専門26業務とされてきた内容が途中から製造業務扱いになっており、合計すると3年8カ月、直接雇用の雇い入れ義務が生じている状態だった。
契約期間との関係で、迅速に対応する必要があった。

つながりを生かし弁護士の協力のもと、労働局への申告をした。
団体交渉だけでなく、行政を使って企業内の情報を引き出し、是正指導をさせてから、その上で交渉していった。


しかし企業側は、行政への申告をものともせず、申告者である当事者は契約解除をもって「すでに労働契約がないため是正のしようがない」と主張してきた。

交渉をしても埒があかない。
こんなときは、団体行動権だ。
私たちは初めての抗議宣伝を実施した。


とはいえこれも初めてだらけで簡単ではない。
ビラ作りも、何が争点になっているか、交渉はどう進んできたかなど事実に即してかつ、渡す相手となる現場の労働者の共感を呼ぶ必要がある。

また、警察がでてくる可能性もあり、対応方法など学ぶなど大変だったが、当日は10人ほどが集まり、私たちは無事抗議宣伝をやり終えることができた。


8ヶ月の長期に及んだこの争議では、最終的に当事者には直接謝罪がされ、金銭和解になった。
さらに同じ部署で働いていた50人には是正勧告がなされ、直接雇用化がなされた。
当時でも画期的な取り組みだとメディアにも取り上げられた。


こうして一つ一つ、「組合にしかできないこと」を実践できるようになり、企業と対等に交渉するためのアイテムを増やすことで、組合の可能性を実感できるようになったのだ。




なかじま あきら 1983年大阪府茨木市生まれ。大阪教育大学を卒業後、外資系人材派遣会社での正社員経験を経て、大阪の個人加盟ユニオンで活動。役員として4年間で200回以上の団体交渉を経験する。ネット中継やトークイベント等の新しい運動でも注目を集める。2013年に「NPO法人はたらぼ」を立ち上げ、代表理事に。ブラック企業淘汰を目指し、企業・労働者・行政の3者をつなぐ中間団体として活躍中。新聞・テレビ等からの取材多数。



イラスト 大江萌


※リレー連載「運動のヌーヴェルヴァーグ」では、労働組合やNPOなど、様々な形で労働運動にかかわる若い運動家・活動家の方々に、日々の実践や思いを1冊のノートのように綴ってもらいます。国公労連の発行している「国公労調査時報」で2013年9月号から連載が始まりました。


中嶌聡/NPO法人はたらぼ
第1回:崩せない「枠」との遭遇


人材派遣会社の営業マンだった頃

「学者の発表は終わりましたか?」
新卒で外資系人材派遣会社に入社した私は、新しく移転した本社で2週間の新卒研修を受けていた。
新聞記事を読み考えたことをプレゼンする研修を受けていたときだった。
女性の就業が30代前後で減るM字カーブの記事を読み、「世界中に支社がある我が社の海外ネットワークを活かして、M字カーブ問題を解決している国の実践を調査し、女性活用パッケージとして独自の働き方を提唱できないか」と提案した。
話し終えるや否や、年配の研修担当者は、他の新卒社員数十名に笑いを誘う風に冒頭の発言をした。
プレゼン方法が優れていたとは到底思えない。
思考が単純すぎるといわれても仕方ない。
しかしあの瞬間感じたことはそういったことではなく、何か崩せない「枠」だったんじゃないかと、今になって思う。

2年と少し、私はこの会社で働いた。
昼間は、「ローラー」といってしらみつぶしにビルの上から下までドアがあればノックし営業をかけ、夕方帰ってくると登録者に電話をかける。
昼間の営業先でのトークはこうだ。

「イマドキ正社員なんて損ですよ。GW、お盆、正月…休みが多い月も給与が同じ正社員より、働かせた分だけ払えばよいのが派遣社員。ボーナス、昇級、福利厚生、社会保障、有給休暇、それらすべて派遣元の私たちが請け負います。気に入らなければ契約満了で切れますし、不当解雇にもなりません。当社に登録している派遣の中から、御社にあった人材を探してきますので、高くて雇えるかもわからない求人広告費もいりませんし、手当たり次第書類をみたり、面接したりする必要もありません。実質派遣社員を決めてから、働かせた分だけ払ってもらえばいいので成功報酬のようなものです。もちろん、どの人を派遣するかは事前に見てもらえます」。

そうやって「正社員一人欲しいんや」という営業先に「派遣のおすすめ」をする。
そして夜、「できれば正社員の仕事がしたい」と希望を持つ登録者に「いまどき正社員はなかなかないですよ。派遣でまず働いて、気に入ってもらえたら正社員になれるかもしれませんよ」と“営業トーク”をする。
「何かがおかしい」という気持ちは日に日に積もっていった。



職場で払拭されない「違和感」


実は、この思いを職場でぶつけたことがある。
同僚はもちろんのこと、先輩や上司にもぶつけてみた。
若気の至り、学生の頭でっかちと論破してほしい気持ち半分、実はみんなも同じ違和感を感じているんじゃないかという気持ち半分。
いや、実際はどちらでもよい。
本当のところが知りたかっただけなのだと思う。
答えは、はっきりと後者だった。

個々人の選択という意味では、「派遣という働き方が良い人もいるんじゃない?」との意見はもちろんあった。
しかし、「派遣という形態が広がった方が良いと思うか?」というマクロの質問になると、ほとんどの人が、「うーん」と頭を悩ませた。
立ち話、を超えて議論になったこともあったが、納得のいく答えは出てこない。
派遣会社で派遣することを仕事にしているから派遣を広げたいけれど、もし自分がその仕事をしていなかったら、積極的に広げたいとは思っていないといった印象だった。
つまり、自分も買いたくない、家族や友人にもすすめない商品を、赤の他人に売っていやしないか、との思いは払拭されなかった。
もちろん、悩める新卒の真剣なまなざしに話を合わせてくれた方もいるだろうことは想定されるが。

勤め始めて(と同時に悩み始めて)1年が経とうというとき、全く連絡をしていなかった学生時代の友人から「来週日曜あいてない? おもしろい学習会あんねんけど!」とメールが入る。
職場と家の往復だった自分には刺激的な誘いで即返答。
根拠のないワクワク感を抱きつつ参加したイベントで出会ったのは、ある意味でショッキング映像だった。



「おっさん」が体現していたもの


そこに映し出されたのは、パリッとスーツを着た信頼できるイケメンの男性、とはお世辞にもいえない、パッとしない中年男性だった。
その男性が、「今から会社に交渉しにいきます」とカメラの前で言うと、そのままずかずかと会社に入っていく。
社員が出てきて何か言い合いになっているようだが、そのまま会社に入っていった。
映像は早送りされ、会社から出てきた中年男性が、出てきてカメラに向かって何か話しているが、何を話していたのか覚えていない。
何より「なんだこの強引なおっさん」という印象だけが残っている。

映像が終わると、「これ、残業代未払いの会社に残業代を払わせるための交渉に行ってたシーンやねん。労働組合というものがあって、労働条件について会社と対等に交渉できる唯一の団体やねん。なんかおもしろそうじゃない? これって可能性感じない?」と問いかけられた。
「可能性を感じない?」という言葉と「お世辞にもパッとしない中年男性」のミスマッチに矛盾を感じながらも、「会社と対等に交渉」という言葉が勝手に頭の中で反復される。
おそらくこの中年男性、にではなく、中年の男性が体現している労働組合とやらは、私がずっと感じてきた違和感である「枠」そのものを変えうるのでは、と感じたのだ。

それから、半年ほど悩んだ末、一念発起し会社を辞めた。
まったく活動やら組合やらに縁のない親からは「あんたなんのために大学行かしたと思ってんの!」とドラマか漫画だけの世界だと思っていた言葉をリアルで言わせてしまった。
なぜか「逆ギレ」しながら「もう辞めてきたから」と事後報告の強さを利用して押し切った。



以上が、私が大学卒業以降「組合運動」とやらに関わるまでの経緯である。
退職とほぼ同時に青年部の役員に就いてから丸4年、相談件数は1000件以上、担当した交渉は60件、会社と組合が労働条件について交渉する団体交渉は200回以上経験した。
当時役員一人だった青年部が、十数名の役員体制になり、毎月団体交渉、ミーティング、UnionCafe(食事をメンバーで作って食べる、月一回の交流会)を行うようになった。
活動が注目され、1時間のドキュメンタリー番組がMBSで放送された。
2012年9月に役員を降りるまで、多くの経験をさせてもらった。

ご紹介頂いた神部さんの連載が、働く若者の実態を深く掘り起こしてくれたので、私は一当事者として関わった軌跡をこの連載を通じて書いてみたい。
次回からは、労働組合時代に何を考えどう動いたか書こうと思う。
「運動のヌーヴェルヴァーグ」とまでは到底いえない実践ではあるが、今後引き起こされるであろう、そして引き起こされるべき本当のヌーヴェルヴァーグの一助になれば幸いである。





なかじま あきら 1983年大阪府茨木市生まれ。大阪教育大学を卒業後、外資系人材派遣会社での正社員経験を経て、大阪の個人加盟ユニオンで活動。役員として4年間で200回以上の団体交渉を経験する。ネット中継やトークイベント等の新しい運動でも注目を集める。2013年に「NPO法人はたらぼ」を立ち上げ、代表理事に。ブラック企業淘汰を目指し、企業・労働者・行政の3者をつなぐ中間団体として活躍中。新聞・テレビ等からの取材多数。



イラスト 大江萌


※リレー連載「運動のヌーヴェルヴァーグ」では、労働組合やNPOなど、様々な形で労働運動にかかわる若い運動家・活動家の方々に、日々の実践や思いを1冊のノートのように綴ってもらいます。国公労連の発行している「国公労調査時報」で2013年9月号から連載が始まりました。

神部紅/首都圏青年ユニオン
第5回:際限なき収奪に抗う


共感共苦がなければ

 社会問題の全体像をできるかぎり自覚化することは、運動を進める上、方向性を定める上では極めて重要だ。社会の表層をつかみ、それらに対して個別的に働きかけたところで、本質的な構造は変わらないからだ。

 首都圏青年ユニオンは非正規労働者の若者を中心とした労働組合ゆえ、それだけでは狭い視野しか持ちえない。他の社会問題の領域まで直接的に関わることは難しい。例えば、さまざまな障害・困難を抱えている人びとや、マイノリティが向き合わされている状況は、複雑で多様に入り組んでいる。そういった特異性をより身近に捉えることにより、単に“大変そう”といった感想を抱くにとどまらず、自分たちと地続きの問題――社会全体のこととして、貧困が固定化、再生産されていく構造が少しずつ見えてくる。

 より生活に困窮している人々や、マイノリティを本当の意味で共感をもって迎え入れるためには、こうした状況全体をつかもうとする必要がある。運動を構造的変革に導くためには、それぞれの権利や要求運動のベクトルが、より困難な人たちも含めて異議申し立てをしていくことに向かうべきだ。


安上がりなナショナリズム


 東日本大震災当時、自衛隊は最大10万8,000人もの災害派遣部隊を被災地に派遣した。内閣府が2012年1月に行った「自衛隊・防衛問題に関する世論調査」では、9割を超える人々が自衛隊の災害派遣を評価し、自衛隊そのものについても良い印象をもっていると答えている。そうした追い風を受けて、アイドルやアニメのキャラクター、芸能人などを利用して、自衛隊は志願者獲得のため奔走している。軍隊の本質とは暴力そのものであり、人の命を奪うことを大きな目的としているにもかかわらず、「平和を、仕事にする」といった勧誘文句や軍隊色を漂白した宣伝活動には閉口させられる。


 09年の情報公開制度で明らかになった自衛隊の志願理由と目的を見ると、自衛隊の最大の役割であるはずの「防衛で国のために役立つ(8%)」や「災害派遣で役に立つ(7.2%)」より、「他に適当な就職がない(15.2%)」や「自分の能力や適正が生かせる(20.8%)」が上回っている。「給与、退職手当がよい」は8.3%だ。


 少なくない志願者が自衛隊の任務や役割への賛同というよりも、就職困難、待遇面などの魅力や経済的理由から志願していることがわかる。これは戦争を知らないことによって引き起こされている「悲劇」でも「想像力の欠如」でもない。自衛隊に志願する若者が増加している背景には、急速に拡大している貧困がある。教育や雇用の機会を奪われた若者たちは、将来を容易く悲観する。あとは優しく背中を押すだけで、戦場へ足を踏み出すのだ。


 若者たちは貧困に晒され、尊厳を奪われる。残されるのは、「日本人」という帰属意識。幼稚で安上がりなナショナリズム。かつて侵略した国を「仮想敵」に仕立て上げ、不満はそこへぶつけさせる。


 政府は貧困と格差を拡大させる政策を次々と打つだけで、戦場に進んで志願していく若者を量産できる。貧困問題が克服されていかなければ、「経済的徴兵制度」はさらに強化されるだろう。



“絆”原理主義


 東日本大震災以降、多くの職場で「絆」「支え合い」「がんばろうニッポン」などという“美辞麗句”が盛んに使われるようになった。被災地の状況を置き去りにし、あるべき規範を強要されているようで息苦しい。


 表向きは立派に見える企業でも、人権無視、労働基準法無視の主張を平然とぶつけてくる。会社や、お上に頼らず、「自助努力」「自己責任」で賄えという。多くの若者は憤りを感じながらも、強力な同調圧力のなかで「仕方がない」と、周囲や社会と折り合いをつけてしまう。社会は自然には変わってくれない。生きていくためには高望みしないことが重要で、「泣き寝入り」したほうが利口だという思考回路に閉じこもる。常に「何をやってもムダ」という無力感を抱え込んでいる状態だ。これは、対応の術を知らないからこそとる、反射的な自己防衛反応だ。



たたかいはどこから


 東証一部上場企業の売り上げ上位100社の内、約70%は厚労省の過労死ラインである月80時間を超える残業をさせている。日本の企業は若者たちを殺す気で雇っている。仕事によって命を奪われた20代はこの6年で5倍増。日本では1時間に1人、若者が自殺するが、就活自殺にいたっては5年前の3.3倍増。就職失敗による大学生の自殺率は、日本の平均自殺率の2.6倍にものぼる。


 日本には過労死するほど仕事があって、自殺するほど仕事がないのだ。


 この国では権利を果たす前に義務を果たせという主張がまかり通る。これは無法・違法状態が正されている状況ではじめて成り立つ言い分だ。私たちは「勤労の権利」があることを高く掲げるべきだろう。


 それはパワハラやセクハラ、生活が困窮していき、死に至るような長時間労働の中で働く権利ではない。まっとうな仕事を求める権利が、私たちにはある。


 労働基準法第1条には「労働条件は、労働者が人たるに値する生活を営むための必要を充たすべきものでなければならない」とある。使用者と対峙し、直接交渉できる、唯一の組織が労働組合である。職場での法律違反を正す団体交渉が可能なのは労働組合のみに与えられた最大の権限だ。


 仮に法的知識があってもそれが通じない職場のなかで、労働組合だけが予防的行動をとれる。労働法は労働組合に入らないと実質的には使えない。際限なき収奪を跳ね返す力は労働組合しか持ちえないのだ。


 自分や自分の大切な人たちが働く現場で、搾取は起こりつづける。あなたはそれらの横暴に対峙し、声をあげることができるか。「円満に」「もめないように」といった理由で躊躇する者もいるが、現実をみればその主張は幻想にすぎない。我が身を削り、乾いたからだを絞って働くことで、何が残るのだろう。搾取は加速し続ける。社会を変える主体者となれるかどうかの試金石は、職場で行動できるかどうかだ。職場での収奪にすら無抵抗、無力であるのに、社会を変えることなど考えられるのだろうか。目をつぶらず、まず職場を変えることから始めなければ、真に社会を変える一歩を踏み出すことはできまい。


 資本は自らの限りなき増幅を本性とし、人間の尊厳など配慮しない。際限なき彼らの収奪に、抵抗の狼煙を。(了)


〈次回から、大阪のNPO法人はたらぼ代表・中嶌聡氏に交代します〉




首都圏青年ユニオン パート・アルバイト・派遣・正社員、どんな職業、働き方でも、誰でも一人でも入れる若者のための労働組合。労働相談の受付は、電話03-5395-5359まで。


じんぶ あかい 1982年生まれ。工業高校を卒業後、内装業やタイル工、デザイナーとして働く。正社員と非正規社員のどちらも経験。千葉青年ユニオン委員長を経て、2012年3月から首都圏青年ユニオンへ。現職は事務局次長。高校・大学での労働法講義や24時間営業店舗の夜回り調査、若者ホームレス支援、Let's DANCE署名推進委員会など、旧来の労働運動の枠を超えて活躍中。


イラスト 大江萌


※リレー連載「運動のヌーヴェルヴァーグ」では、労働組合やNPOなど、様々な形で労働運動にかかわる若い運動家・活動家の方々に、日々の実践や思いを1冊のノートのように綴ってもらいます。国公労連の発行している「国公労調査時報」で2013年9月号から連載が始まりました。


神部紅/首都圏青年ユニオン
第4回:「ブラックバイト」に喰い潰される


 アルバイト先を「ブラックバイト」と揶揄する学生が増えている。「ブラックバイト」は、低賃金・低処遇にもかかわらず、過度な責任やノルマ、義務などを課せられる。企業側は学生の学業や生活がひっ迫する事態を顧みない。総じて休みづらい、辞めづらい、賃金を請求しづらいといった特徴がある。

 例えば、レジの金額が合わない責任の押し付け。ノルマを課せられ、売れ残りを買い取らされる「自腹営業」。備品を壊したという理由で過大な賠償請求。契約すら無視して長時間拘束のシフトを組み、試験前でも休めないなど学業に支障をきたし大学中退を余儀なくされた学生。「辞めるなら求人広告料を請求する」「まず研修費用を払ってからやめろ」などと脅されるため、バイトを「辞めたいのに辞めさせてくれない」といった相談も数多く寄せられる。

 塾講師や家庭教師のバイトは、授業時間と時給を比べれば、他のバイトより賃金が高く見える。しかし授業の準備、待機、研修、報告日報、保護者への連絡などに費やす拘束時間で換算すれば最低賃金を下回るケースも散見できる。教材費や、自分の携帯電話からの保護者に対する営業やクレーム対応などの通信費も自己負担にされる構造だ。


 大手学習塾では、1コマに教科や学年の違う生徒を詰め込み、同時に教えさせるという“荒行”を押しつける。講師は準備などに2倍の労力がかかるので、労働者は割にあわないが塾にとってのうま味は増す。


 抗議しても「みんな生徒のためを思って働いているのに、お前は金のことしか頭にないのか」と、生徒への“愛”や“奉仕”を説く。これは、やりがい搾取だ。


 学生たちは気楽に自由にバイト先を渡り歩くイメージを持たれがちだが、実際は簡単には辞めさせてもらえず、辞められたとしても新たな就職先はそう簡単には見つからない。正規雇用の枠が政策的に減らされているもとで、バイトなどの非正規雇用に求職者が群がり、仕事を奪い合う状況も生まれているからだ。たとえいまの就労先が「ブラックバイト」であっても、一度辞めてしまえば、次の仕事に渡れる保証はない。



負のスパイラルから抜けだせない


 2012年の学生生活実態調査(全国大学生協連)によれば、下宿先の仕送り額の平均は月6万9,610円と、6年連続で減少。学生生活調査(日本学生支援機構)では、それにリンクするように、「家族からの給付のみでは修学不自由・困難」と答える学生は40.3%(2010年度)と、06年度から4.9%増加した。


 家族の学費や、生活費を補填するため奨学金を借りているケースも増えた。仕送りなどが足りない部分を「ブラックバイト」で補い、貧困ビジネス化している奨学金などにすがって、自分の学生生活どころか、家族の生活を維持するというなんとも倒錯した状況もひろがっている。


 「現場責任者」「バイト(パート)リーダー」「コアスタッフ」「コアキャスト」「主任バイト」「バイト(パート)マネージャー」などの役職名で粉飾し、中核的な業務をバイトに過重負担させているケースが増えている。損をするのは、こうした名ばかり責任者に任命された、まじめな者たちだ。


 バイトなどの非正規に基幹的業務が雪崩打つように移行している。低賃金で低処遇にもかかわらず、責任だけが膨張しているため、トラブル増加は必然なのだ。非正規雇用の比率の高い外食産業などでは、そもそも労働組合の存在しない企業が圧倒的だが、労働組合はこうした職場で満足に組織できていない。



「鮮度が落ちる」と雇い止め


 ㈱シャノアールが全国チェーン展開する喫茶店「CAFFE VELOCE」(カフェ・ベローチェ)は、5,000人をこえるバイト・パート従業員に対して、改正労働契約法の悪用と、「鮮度が落ちる」という驚くべき理由で不当な雇止めを強行。私たちは千葉店で働く首都圏青年ユニオンの組合員を原告として、シャノアールを昨年7月に提訴した


 それぞれの店舗に社員が1~2人が配属。1~2年で社員(店長)は配転されていく(千葉店の店長はこの6年間で6人も入れ代わっている)。一方、ユニオンの組合員をはじめ、長年勤務するバイト・パートは業務を熟知しているため、シャノアールは「時間帯責任者」なる“称号”と過大な責任や膨大な業務を担わせ酷使していた。


 新人育成、シフトの管理や調節、不足商品の発注。営業時間中に4回に渡って売上金の計算を行い、銀行入金や本社への報告も行う。営業に必要な備品、店舗で提供する食材の在庫がなくなれば自腹で買いに行かされることもある。雨が降るなどして入客数が少ない日は、売り上げが落ちる。そんな時は現場をまわしている「時間帯責任者」が、ほぼ同じ待遇のバイトやパートに帰宅の指示をすることが強要される。忙しいときはその逆で、シフトの有無を問わず出勤の指示をさせる。スタッフ同士の人間関係が悪くなるのは必至だ。6時間にわたるシフトに入ったら、まだ15分しか働いていないのに30分の休憩時間を指示するといった、非効率でずさんな時間管理が横行し、バイト・パートを物のように削ったり増やしたりと、調整弁として使っている。


 さらには、店舗を解・施錠する際に店長(社員)が不在だと、「鍵持ち」任務を負わされた学生たちがシフトに入っていない日でも出勤する。もちろん賃金や交通費は一切支給されない。有給も認めず、早出出勤や残業代も支払わない。パートの雇用保険の加入は恣意的に行っておらず、週20時間を超えないようにシフトコントロールされていたケースもあった。


 シャノアールは、「バイト・パートに休まれると店舗が回らなくなる」と労働強化をつづけていたのにかかわらず、“雇用の安定を図る”という法改正を脱法的に逃れるため「4年で使い捨て」を強行した。人事部長は、意図的に女子大生を雇っていたと発言してはばからなかったが、「学生アルバイトを中心とした、低コスト・低価格の気軽でライトな雰囲気のカフェ」「定期的に店舗従業員が刷新する体制を構築」する。これが“彼ら”の論理だ。


 最初は労働組合のない、非正規労働者が多くを占める職場からこのような労働条件の大きな変更が始まる可能性が高い。雇用も生活も破壊つくされ、奪いつくされ、骨の髄までしゃぶられ棄てられていく若者を、指をくわえてながめているだけでいいのだろうか。




首都圏青年ユニオン パート・アルバイト・派遣・正社員、どんな職業、働き方でも、誰でも一人でも入れる若者のための労働組合。労働相談の受付は、電話03-5395-5359まで。


じんぶ あかい 1982年生まれ。工業高校を卒業後、内装業やタイル工、デザイナーとして働く。正社員と非正規社員のどちらも経験。千葉青年ユニオン委員長を経て、2012年3月から首都圏青年ユニオンへ。現職は事務局次長。高校・大学での労働法講義や24時間営業店舗の夜回り調査、若者ホームレス支援、Let's DANCE署名推進委員会など、旧来の労働運動の枠を超えて活躍中。


イラスト 大江萌


※リレー連載「運動のヌーヴェルヴァーグ」では、労働組合やNPOなど、様々な形で労働運動にかかわる若い運動家・活動家の方々に、日々の実践や思いを1冊のノートのように綴ってもらいます。国公労連の発行している「国公労調査時報」で2013年9月号から連載が始まりました。


神部紅/首都圏青年ユニオン
第3回:かき消される声/覆い隠される貧困


 性風俗で働いている20代の女性から相談があった。夫は介護の仕事をしていたが、腰を痛めて失職。先の見えない苛立ちからか、彼女や2歳にも満たない子どもに暴力を振るう。「風俗で稼いでこい」と言われた彼女は、日中は夫の“お世話”、家事や育児に奔走。夜は託児所付きの風俗店で身を削っていた。

 源氏名入りのアゲハ蝶を模った名刺代、レンタルドレスやコスチューム代、ヘアーセット代、託児料金などが次々と給与から天引きされていく。「子どもを預けるために体を売っているようなもので、実際は、コンビニバイトの方がマシでした」と、彼女が自嘲気味に言うとおり、そこには幾重にも張り巡らされた搾取のシステムがあった。

 仕事を終えて、子どもを抱えての朝帰りはキツイ。満員電車を避けるために、勤務先には車での送迎を頼んでいたが、この車代も給料から天引き。結局、求人広告で提示されていた賃金は彼女の手元に入らなかった。

 彼女は相談の途中、「それでも私は、彼のことが好き」「彼も大変だから支えなきゃ」と、まるで自分に言い聞かせるように弁明した。いわゆる“できちゃった婚”で、親の反対を押し切った結婚。頼れる者はまわりにいない。先日、彼女は泣き止まない子どもに苛立ち、手をあげてしまったことで、自分に限界がきたと感じていた。

 堰を切ったように話す彼女には、となりで泣いている子どもが見えていない。「これ以上話すと、今夜はがんばれなくなっちゃう」と、口角を上げるが、目は笑っていなかった。私は子どもをあやしながら、彼女の腕に並んだリストカット痕を見つめ、次の言葉を探していた。



売買される女性たち

 彼女のように、「生活の拠点が脅かされている状態にある人々」は増えている。単身女性の3人に1人は、貧困状態におかれている。マスコミは「貧困女子」「ボンビーガール」なる言葉をつくり、バラエティ番組などで、上澄みをすくって面白おかしく取り上げているが、女性の貧困は、極めて見えづらい問題で、“隠された貧困”とも言えるだろう。

 “居場所”を求めて街をさまよう女性たちに、仕事や現金、携帯電話、住居など、生活を続けるのに必要なインフラの提供を“男たち”は持ちかける。それらは性的搾取などの取引材料として使われる。彼女たちは、自ら選択してそういった誘いに身を委ねて引き込まれていっているようにもみえるが、実際のところは“選ばされている”のだ。

 未成年の“家出”であれば、福祉行政にとっては保護補導の対象となるので、彼女たちはなおさら、街での声掛けに吸引されていく。

 支配的な家族関係、貧困、虐待、離婚、若年妊娠…。それぞれがたどってきた生育過程、家庭環境は厳しい。さまざまな理由で居場所を失い、性風俗やDV男性などが、女性たちの格好の“セーフティーネット”となり、性的搾取に脅かされながら生活している。

 女性や子どもを児童ポルノや買春、性労働の強制などの性的搾取の環境に置くことは、世界的にみればトラフィッキング(人身取引)と呼ばれる犯罪だ。

 現代の“奴隷制度”ともいわれるその定義は、「搾取を目的とし、脅迫、暴力その他の強要、誘拐、不正行為、偽装、権力乱用、他人の弱い立場を悪用、他人を支配できる人物への金銭や便宜の授受などの手段を用いて、人を募集し、移送・移動したり……売春における搾取やその他の形態の性的搾取、強制労働・奉仕、奴隷制度・隷属と同様の行為」とされている。

 日本は、国際社会から人身取引が防止しきれていないと非難されている。

 世界の人身売買根絶をめざし、毎年、米政府から発行されている「人身取引年次報告書」では、日本は、13年連続で「人身取引根絶の最低基準を満たさない国」として位置付けられている。この報告書では「加害者は、特に弱い立場に置かれた女性や少女をターゲットにしている」ことも問題視されている。



自分を“切り売り”して生きる


 児童養護施設で暮らす子どもたちが施設にいられるのは、基本的には18歳までだ。退所後、多くは1人で生計を立てなければいけない。家族や親類の援助が得られることはまれで、若年かつ低学歴での自立となる。ここではじめに課題になるのが住宅探しだ。保証人や初期費用の確保ができずに、多くは住み込みの仕事を選ばざるを得ない。住み込みは労働条件も居住環境も過酷だ。

 路上生活をしていたら、テレカと私の名刺を渡され、「この人に相談してごらん」と声をかけられたと、21歳の児童養護施設出身の男性が連絡をしてきた。施設を出てからは、中華料理屋、寿司屋など、戸を一枚開けるとすぐ店舗といったところに寝泊まりして働いていたという。労働時間の制限はあってないようなもので、残業代が出ないことはあたりまえ、とても安定して働き続けられる条件はなかったという。

 あどけない顔立ちとは対照的に、腕には無数の根性焼の痕、はだけたシャツのあいだからは刺青が覗いていた。どれも父親に無理やり入れられたもので、小さいころから虐待があったことを話してくれた。

 学歴や資格に乏しいもとで、「少しでも条件の良い仕事を」と考えた結果、犯罪に手を染めたり、性風俗の業界に身を置く女性たちも多い。将来的に安定した生活の保障はないし、望まない妊娠や性病などを含む健康被害のリスクも高まる懸念がある。住まいを喪失し、泊まる場所を探し求める過程で、複数の男性から性的暴力を受けたという女性の相談も多い。



個人に押し付けられるスティグマ


 生活保護基準切り下げなどの問題に見られるように、困難な状況で生活する人々に対し、「甘えている」という批判が高まっている。

 本当は多くのものに支えられて成り立っているのが、“自立”と言われている状態だ。誰かに頼って生きているという自覚は、多くのものによって支えられている者ほど希薄なのだ。多くはそのことに気づいていないか、目を向けようとしていない。

 労働者という意識が、消費者という視点に覆われ、かき消されている。困窮している人々は、「自分はお上のご厄介になっている」「社会に甘えている」というスティグマを持っている。しかも、そうした状況に置かれている者の多くは、家族や親族、“恋人”、施設、劣悪な就労先などしか頼るものがなく、頼れる場所・“依存先”が、極めて限定されている。

 苦しい状況にある人々の“自立”生活運動とは「頼れる場所を家族や親族、“恋人”、施設、劣悪な就労先以外に広げる運動」だと言い換えることができるのではないか。




首都圏青年ユニオン パート・アルバイト・派遣・正社員、どんな職業、働き方でも、誰でも一人でも入れる若者のための労働組合。労働相談の受付は、電話03-5395-5359まで。


じんぶ あかい 1982年生まれ。工業高校を卒業後、内装業やタイル工、デザイナーとして働く。正社員と非正規社員のどちらも経験。千葉青年ユニオン委員長を経て、2012年3月から首都圏青年ユニオンへ。現職は事務局次長。高校・大学での労働法講義や24時間営業店舗の夜回り調査、若者ホームレス支援、Let's DANCE署名推進委員会など、旧来の労働運動の枠を超えて活躍中。


イラスト 大江萌


※リレー連載「運動のヌーヴェルヴァーグ」では、労働組合やNPOなど、様々な形で労働運動にかかわる若い運動家・活動家の方々に、日々の実践や思いを1冊のノートのように綴ってもらいます。国公労連の発行している「国公労調査時報」で2013年9月号から連載が始まりました。



神部紅/首都圏青年ユニオン
第2回:「人質」にされる住まい


 「社長が辞めさせてくれない」と、スーパーで働く女性の相談が入った。東日本大震災の影響を受けて、東北地方から上京した20歳。自分の雇用形態は「正社員だ」というが、雇用契約書には期限の定めが記されていた。それぞれ3万円の寮費と食費を引かれ、月の手取りは5万円。店舗で売れ残った惣菜を使ったいつもの寮食と、仕事のストレス。アトピー持ちだった彼女は「体調を崩して気が狂いそうです」と、腕をかきむしりながら言った。


 この会社では、いつか結婚したときに必要だという社長の「ご配慮」により、毎月3万円が賃金から天引きされる。いわば、会社による「結婚支度金制度」のようなものだ。彼女がユニオンに駆け込むきっかけになったのは、この「制度」に「結婚していつか寮を出るときマンションを買う費用が必要だろう」という理由が付け加えられ、月4万円の増額が通知されたからだった。「お前は無能だから定時で仕事が終わらない」と叱責され、無給の休日出勤を続けてきた。相談に来たのは、何ヶ月ぶりだかわからないという休日だった。


 埼玉県で犬の訓練所に勤務する25歳の女性が逃げ込むように相談にきた。「住み込み」していたプレハブの6畳間にはエアコンもなく、風呂は共用。自由に外出することすら禁じられていた。


 専門学校にあった求人票には月収10~12万円とされていたが、入社時の面接では「お小遣い程度だけど、頑張れば2ケタになる」と、社長に言われた。


 実際に働きはじめてみると月の手取りは3~4万円。天引きしているという部屋代や食費はいくらだったのか分からない。犬の訓練士資格は、実地経験が受験条件だが、その経験をさせてくれる職場は多くはない。雇用契約書すらなかった職場だが、親に払ってもらった専門学校の学費の返済もある。夢だった犬の訓練士になるためにも、「こだわっていては働けない」と3年間我慢した。しかし、仕事上の意見を社長にすると「来月から1年間休め、荷物をまとめてここを出ろ」と言われ、彼女のなかでなにかがはじけた。


 表面的には「自立」して生活しているように見えても、劣悪な環境下で低賃金。貯金も次の仕事の当てもなく(すでに病気や精神疾患にかかっている場合も多い)、企業の一方的な都合でいつでも使い捨てられる状況にある。


 さらには長時間・過密労働で「過労死ギリギリまで働くか」「不安定で低賃金を強いられる貧困状態に堕ち込むか」日々、究極の二択を迫られる。こういうしんどさが若者たちのなかでひろがっているのだ。


 入口は労働相談であっても、生活困窮度によっては適切な相談対応に切り換えなければ、たたかうこと、職場を改善していくことにつながらない。犬の訓練所で働いていた女性は、団体交渉の申し入れと同時に、生活保護の申請に同行し、労働・生活問題の両面を解決した。


 いま、働く人の3人に1人は不安定な働き方を強いられている。若者や女性に関しては、実に2人に1人が不安定雇用を選択せざるを得ない。これは個人の努力や能力の範疇を超えた、社会構造的な問題だ。完全失業者のうち失業給付を受けているのは、30年前の6割から約2割に激減。約8割の失業者は無収入だ。


 このような状況下では、生活保護でも受けない限り、どんな劣悪な条件でも仕事に就かなければ飢えてしまう。政策的にさらに不安定雇用が拡大されようとしているが、それらに抵抗できなければ、違法な労働は必然的に増加するだろう。



「切られる」ための身辺整理


 大手コンビニエンスストアで、正社員として働く男性。いつクビを切られてもいいようにと家財を持たない。切られることを恐れているというより、切られることに自ら備えているのだ。これは特別なケースではない。住まいが脅かされるような異常な雇用状況すら若者たちはこのような形で引き受けてしまっている。若者の住宅、暮らしへの根源的な不安は、こうした働き方を前提にして生まれている。


 実際に仕事を失うなどして生活保護を受けている20~30代は18万人で、この15年間で3倍に増えている。現在のホームレスの33%は若者だ。これはあくまで"捕捉"されている数字であり、氷山の一角だ。


 ボロボロの服を着て、路上や公園、ダンボールハウスで過ごしている人たちを見れば、多くの人が「ホームレス」だと認識するだろう。しかし、私が普段接している「若者ホームレス」はそうしたイメージでは括れない。


 彼らは常に路上で過ごしているわけではない。不安定な就労、不安定な住居を経て、じわじわと路上に寄っていく。大半がネットカフェ、マンガ喫茶、ファストフード店、サウナ、コンビニエンスストアなどの24時間営業店舗と路上の行き来を繰り返す傾向にある。どこで夜をやり過ごすかはその日の所持金次第だ。


 現在、日本で法的に定められている「ホームレス」の定義は、「都市公園、河川、道路、駅舎その他の施設を故なく起居の場所とし、日常生活を営んでいる者」だ。この定義では、ひび割れた労働市場という器のフチをなんとかバランスをとりながら歩いている人たちは除外されている。


 EU加盟国でのホームレスの定義は、いわゆる「路上生活者」だけではない。知人や親族の家に宿泊している人、安い民間の宿に泊まり続けている人、福祉施設に滞在している人など、雨風しのげる家はあっても、さまざまな問題により居住権が侵害されやすい状態も含まれる。


 自戒を込めて言うが、私たちには「生活の拠点がない、あるいは脅かされている状態にある人々」は見えていない。いや、見ようとしていないのかもしれない。路上だけではなく、そこに至るプロセスすべてを視野に入れることが、予防や支援を考えていく上で重要なのだ。


 公共職業訓練の充実、不安定な雇用の法的規制、失業時の所得補償、若年者家賃補助制度など、具体的な施策を組んでいかなければ日本社会は融解していくだろう。


 若者の自立支援といえば、「若いから働ける」「探せば仕事はある」という前提で、とくに自治体などでは真っ先に「就労第一」が押し付けられる。


 家がなければ、仕事探しも病気の治療もハードルが高い。会社と交渉したり、生活保護申請さえも実質的に厳しい。必要なのは「ハウジング・ファースト」という考え方だ。だれにも脅かされない家があれば、自分の要求を下げずに仕事を探せるし、病気の治療もゆっくりできる。


 例えば生活保護を受給して生活の基盤を得れば、雇用保険に加入できる仕事を探せるし、「寮付き日払い」はイヤだと言える。「とりあえず、しかたなく」選択させられていた仕事から抜け、生活の基盤が出来れば、以前より声が出せる。声が出せる労働者が増えれば、ひどい労働条件のところには人が集まらなくなる。こうした階段をつくり、貧困を固定化・再生産させない具体的なサポートが、求められている。




首都圏青年ユニオン パート・アルバイト・派遣・正社員、どんな職業、働き方でも、誰でも一人でも入れる若者のための労働組合。労働相談の受付は、電話03-5395-5359まで。


じんぶ あかい 1982年生まれ。工業高校を卒業後、内装業やタイル工、デザイナーとして働く。正社員と非正規社員のどちらも経験。千葉青年ユニオン委員長を経て、2012年3月から首都圏青年ユニオンへ。現職は事務局次長。高校・大学での労働法講義や24時間営業店舗の夜回り調査、若者ホームレス支援、Let's DANCE署名推進委員会など、旧来の労働運動の枠を超えて活躍中。


イラスト 大江萌


※リレー連載「運動のヌーヴェルヴァーグ」では、労働組合やNPOなど、様々な形で労働運動にかかわる若い運動家・活動家の方々に、日々の実践や思いを1冊のノートのように綴ってもらいます。国公労連の発行している
「国公労調査時報」で2013年9月号から連載が始まりました。