神部紅/首都圏青年ユニオン
第1回:無力感を打ち破る
なぜ「助けて」と言えないのか
人は、自分の質問や悩みをだれかに真剣に聴いてもらったことがあれば、「人に頼ってもいい」「声をあげても大丈夫」と思えるようになる。これは生まれ持って身についている能力ではなく、経験によるものだろう。
しかし、いまの若者の多くは、そういう経験がないまま社会に放り出され、生活や住まいがおびやかされても、「助けて」と言えず、誰かに頼ることを「恥」と考える傾向がある。そういった若者たちに、私たちが「たたかえ」「たちあがれ」と安易に迫っても心には届かない。
あきらかに追いつめられている状況で、ひとりの力ではその状態から脱出できないにもかかわらず、「自分でなんとかします」「こうなったのも自分の責任なんで」という気持ちを強くもっている。点数や順位をつけられ、競争主義的環境のなかに浸ってきた若者たちは、客観的に見たら「それ、おかしいよ」「なんとかしなきゃ」と思うことであっても、「いや、大丈夫です」と、自分で抱え込んでしまってまわりに頼れない。
「自己責任」という言葉を、社会も、彼ら自身も口にする。
困っていても、それをうまく「表現」できない。これは、助けあいを本質とする私たちの運動にとっては、なかなか大変なことだ。「素直に」「率直に」といっても、それが表に出てこない。では、どうすればいいのか。
権利要求の「発声練習」
私は、「表現」しづらい、声を出しにくいのであれば、少しでも声が出せる場、いわば「発声練習の場」をつくることが大切だと考える。そうした場を通じて、私たちは「助けて」といわせない社会のあり方を、するどく問題提起していく必要があると思う。
権利要求の経験を持たない“不器用”な若者たちを社会や運動から遠ざけない、排除しない。自分たちが声をあげても何も変えられないという無力感を、権利を主張すれば変えられるのだという経験で、丁寧にくつがえしていく。そのためには、声をあげてたたかう元気がある仲間を組織し、そのたたかっている姿を、まだうまく声を出せない人たちの身近で見せるような関係性を意識的につくることが重要だ。
それは単なる机上の学習では取り戻せない。一つひとつ、不当解雇や賃金不払いなどの違法行為とのたたかいで、小さくても勝つという経験を自らくぐることが大切なのではないだろうか。そうした小さな積み重ねがあってはじめて、「声をあげれば変えられる」「人に頼っていいのだ」という感覚を少しずつ取り戻せる。ひとりではなく、「それっておかしくない?」と指摘しあえるような、ともに支え合う仲間がいることによって、自分の抱えている困難が「自己責任」によるものではなく、社会的、構造的な問題であるということに気づいていくのではないか。
たった1人のためにでも
首都圏青年ユニオンは、1人で加入してきた組合員であっても、その事案を可能な限りオープンにし、団体交渉で切り込み、必要であれば青年ユニオン顧問弁護団と一緒に、第三者機関の活用も積極的に行う。
青年ユニオンは、従来の労働組合の内にもあった、いわゆる「青年部」ではなく、労働組合として交渉権も争議権もひっさげて立ち上がった。たった1人の若者のためにでも、組合員であれば、誰もが制約無く、よその職場の団交に参加している。たとえ仕事を辞めてどこへ流れてもメンバーでいられる。誰もが団体交渉や司法闘争を通じ勝利を目指すことができる。この当たり前のことが、労働組合の常識に必ずしもなっていない。
学習や集会はもちろん大切だが、主体性がそれで育つとは限らない。そもそも団交にも戦術決定にも加えてもらえずに、組合活動に熱心になれる青年がどれほど育つというのだろうか。
若者が自身の働く場で自己実現を希求する限り、直接の交渉権と戦術手段を自ら手にし、よりよい賃金と労働条件をもぎ取りに行きたいと思うのは自然なことだろう。
世の中には、実践と修練によらず、技能や創造活動の継承が叶うような営みなど一つとしてない。それは労働運動においても同様だろう。青年たちには、労使交渉の実践と修練の機会がいま一番必要であり、そうして初めて、組合が自分の仕事や毎日の生活に直接的に関わっているのだと感じられるに違いない。
「自己責任」を突破する瞬間
青年ユニオンが活動の基本としているのは「組合員全員参加型」というスタイルだ。
会社との交渉、裁判などの傍聴、学習会や集会参加などの行動はメールですべての組合員に声をかける。生活が困窮している組合員には基本的に交通費を支給する。するとみんなが応援にくる。交渉前に毎回打ち合わせをし、おわった後にはみんなで感想を出し合い、交流をする。そして当事者も参加者も、参加できなかった組合員にむけて感想メールを流して共有する。
応援に駆けつけた組合員は、声を上げずに交渉を見守るだけであっても、当事者にとっては、自分のために、(時には仕事まで休んで)来てくれただけでうれしい。参加者も、当事者から感謝されるだけでなく「自分がここにいることでこのたたかいに勝ったのだ」「なにか役に立てたかもしれない」と感じる。
「自己責任」に押し込められてきた若者が、「まんざらでもない」自分と出会う瞬間だ。そういった体験が自らのなかに醸成されていくことで、自分たちが主体的に動けば少しずつ社会が変わることを肌で感じられる。他者とつながることが、前向きな変化を起こせるのだという深い実感につながってゆくのだ。
勝利は新たな動機へ
「自分の職場は変わらない」「政治は変わらない」という無力感を、「誰か」にお任せしてひっくり返してもらうのではない。
違法な行為に対しては、仲間に支えられながら丁寧にたたかえば、時間がかかろうとも必ず勝てる。自分が遭遇している困難さが、実は社会の構造によって生み出されていることを実感する。この反復によりたたかう力が醸成され、無力感は克服されるのだ。奪われた「憤り」の感覚は、仲間とたたかうことによってこそ、取り戻せるのである。
私たちは学習も重視しているが、このような実感が、労働者としての権利意識を形成し、政治意識の高まりにつながるという相乗効果を生んでいる。
流動する青年労働者が、従来の労使関係の制約をものともせず、企業の壁など無いかのように自在に交渉して回る。ここに、これまでなかった運動の萌芽がある。そして、勝つことが、次なるたたかいの動機となるのだ。
首都圏青年ユニオン パート・アルバイト・派遣・正社員、どんな職業、働き方でも、誰でも一人でも入れる若者のための労働組合。労働相談の受付は、電話03-5395-5359まで。
じんぶ あかい 1982年生まれ。工業高校を卒業後、内装業やタイル工、デザイナーとして働く。正社員と非正規社員のどちらも経験。千葉青年ユニオン委員長を経て、2012年3月から首都圏青年ユニオンへ。現職は事務局次長。高校・大学での労働法講義や24時間営業店舗の夜回り調査、若者ホームレス支援、Let's DANCE署名推進委員会など、旧来の労働運動の枠を超えて活躍中。
イラスト 大江萌
※リレー連載「運動のヌーヴェルヴァーグ」では、労働組合やNPOなど、様々な形で労働運動にかかわる若い運動家・活動家の方々に、日々の実践や思いを1冊のノートのように綴ってもらいます。国公労連の発行している「国公労調査時報」で2013年9月号から連載が始まりました。