緑に輝く翡翠は永遠の生命力をもつ霊石 | MAJOLICA

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《翡翠の女神》アマノコトネと行く巫女修行 in糸魚川

ヌナカワ姫、そして、翡翠にまつわる場所を巡るアマノコトネさんと行く糸魚川翡翠の旅

 

まずアマノコトネさんとは誰ぞや?という方のためにこちらの記事からどうぞ

アマノコトネ『富士神界の龍神からの緊急初メッセージ』

アマノコトネ

1950年生まれ。水瓶座。38歳で自分の特異性に気がつき大いなる光より「天界の言葉を人界に伝える巫女」という特命を持って現在も日々精進研鑽に努めている。地球人として考えるべきシステムを広く知らせるべく、広く作家活動を行い、作家桐島洋子主催の森羅塾をはじめ、日本各地で講演及び懇話会などを開催し人々の魂の覚醒に呈力している。また人々のつながりで世界を変えよう「八百万構想」に基づいてアース・ハート・サークル(EHC)を結成。大いなる光の力を人々に解りやすく理解してもらうためクリスタルの研究に努めている。

アース・ハート・サークル(EHC) アマノコトネの日記

 

私「コトネさん、2017年は鹿児島・屋久島のヒヨルコ様の旅でしたね」

奇しくも私たち一行が鹿児島・屋久島入りするのとほぼ同時に、皇后両陛下も訪問されたタイミングでした。両陛下、鹿児島・屋久島にご到着(産経ニュース)

 

私「2018年はどちらへ参りますか?」

 

 

 

コトネ「翡翠の女神、ヌナカワ姫のところへ参りましょう」

 

私「びっくり   糸魚川は行ったことがないのですが....」

 

屋久島でご一緒したA子さん「この前、ヒスイ工房をやってらっしゃる山田修さんにお会いしました!」

 

山田修さん 縄文人見習い

糸魚川市生まれの糸魚川育ち。幼少時から歴史好きで縄文人に憧れる。セメントメーカー研究員、橋梁設計、建築リフォーム店店長を経て1998年に「一人縄文人宣言」をして脱サラ。縄文人になる修行として八ヶ岳南麓の三井農園で自然農法を学ぶ。そこで出会った野口整体に「草や虫を敵としない自然農法と整体っちゃ植物か人間の違いだけで本質は同じもんだ」と感銘を受け、神奈川県藤沢市に移住して整体を学び始めた元湘南ボーイ。2010年に糸魚川にUターンして、翌年「日本海縄文カヌープロジェクト」を設立。日本海縄文カヌープロジェクトとは、五千年前に糸魚川ヒスイが青森県の三内丸山遺跡まで海上ルートを丸木舟により直接運ばれたという学説を検証する目的とした市民団体。2013年4月「ぬなかわヒスイ工房」を設立して勾玉や石笛作りを生業としながら、公益社団法人整体協会の動法教授資格者として整体の指導。各種体験会講師(民族楽器・縄文文化・薪割り等)講演で各地を飛び回る日々。整体・自然農法・縄文を人生の三本柱に据えて「21世紀の縄文人」を目指している。 縄文時間   ぬなかわヒスイ工房 

山田修さんが小学三年の時にご自宅の敷地内から、歴史好きのお母様の願いが叶って本格的な発掘調査が行われ、敷地地下には千七百年前の古墳時代前期のヒスイ工房跡が埋蔵されていることがわかり「笛吹田遺跡」と報告されました。糸魚川では縄文時代前期からヒスイの加工が始められ、古墳時代までその加工が続けられていました。そして糸魚川の古名は「奴奈川郷」であり「奴奈川郷」でヒスイ加工をしていた人々を「奴奈川族」と通称します。ですから山田さんの家の地下に眠っているのは、奴奈川族のヒスイ工房ということになります。そうして千七百年の時を経て奴奈川族の勾玉工房を復活させました。

↑縄文時代の丸木舟より遥かに軽量で航海性能の高い手作りのシーカヤックで「海のヒスイロード」を復活させた山田修さん

 

航海区間;上越市居多ケ浜~青森県青森市三内丸山遺跡

航海期間;2014年5月7日出発~7月19日到着(七十三日間)

漕いだ述べ日数;四十四日間

航海距離 ;783,401キロ(詳細は航海実測記録参照)

 

山田家の家宝の勾玉〈千七百年前の奴奈川族が作った本物〉

 

ということでなんと

ぬなかわヒスイ工房・糸魚川ヒスイ職人の山田修さんにガイドをしていただけることになりました。糸魚川・翡翠の歴史、ヌナカワの地・ヌナカワ族のことなど、翡翠にまつわる場所を巡りながらおはなしをしていただける貴重な2日間。

 

さらにさらに

幕末の蝦夷地探検家の松浦武四郎が、玉類243点を明治期に繋いで作った歴史的遺産である「大首飾り」今年は「武四郎生誕200周年」の顕彰イベントがあり、その目玉企画として山田さんは伊勢松阪市から複製を頼まれて現在製作中。現時点で既に11カ月間も製作に取り組んでいて、9月には完成予定とのことでみせていただけるかも!

 

「大首飾り」の新聞記事を見つけました。

武四郎の大首飾り作る 松阪市が生誕200年記念事業 三重

 

えーなんだかスゴいんですけど

現在翡翠にまつわるあれやこれやを山田師匠から教わり勉強中

サンクス(✿╹◡╹)人(╹◡╹✿)

 

日本の神話に翡翠に由来する名前を持つ姫君がいることを皆さんはご存知でしょうか?

その名はヌナカワ姫命で、古事記や日本書紀、出雲風土記などに

出雲の八千鉾神(ヤチホコノカミ)のお妃として登場します。

翡翠の産地として名高い新潟県糸魚川市周辺の古名はヌナカワ郷です。

 

ヌとは古語で珠、すなわち翡翠を表し翡翠なす川という意味でヌナカワと呼ばれたようです。

ヌナカワ郷においてヌナカワ姫命は、邪馬台国の卑弥呼のような呪術を持って

クニを治めたカリスマ的な族長と推測されます。

 

古事記唯一のラブロマンスとして、越の国に麗し女賢し女(美人で賢いお姫様)がいると

噂を聞きつけた出雲の八千鉾神が、ヌナカワ姫命に求婚する場面があります。

二人の間に生まれたのが、後に信州の諏訪大社のご祭神となられる

建御名方神(タケミナカタノカミ)ですが

糸魚川には出雲が攻めてきて、二度の戦いの末に破れてヌナカワ姫が

出雲(または能登)に連れ去られたという伝説や昔話が多数あります。

 

神話の真相はわかりませんが、翡翠は縄文時代前期の六千年前から加工が始まり

奈良時代初期までおよそ五千年の間日本列島で貴ばれてきました。

 

万葉集には

沼名河の 底なる玉 求めて得し玉かも 

拾いて得し玉かも あたらしき君が 老ゆらく 惜しも

と、ヌナカワの底にあるという翡翠を拾い求めて

日々老いゆく貴方様に差し上げ

何時までもお元気でいて欲しいという意味の歌があります。

昔の人にとって緑に輝く翡翠は永遠の生命力を持つ貴い霊石であったのでしょう。

糸魚川ツアーで、古代の浪漫に想いを馳せて頂けたら幸いです。

by 山田修

作品チラみせ💚勝手に載せてゴメンナサイ

自分の誕生石がペリドットなので緑の石がとっても好き

 

勾玉 ベターハーフ・ネーミングに素敵な意味がありました

石笛 どんな音色なんだろう♪

ペンダント・キーホルダー 魔除けになりそう

漂石ヒスイ 吸い込まれそうな緑色

モアイ形オカリナ きゃーこれも欲しいかも

 

糸魚川へ行く前から興奮気味のブログとなりました😆

今回はアマノコトネさんのヌナカワ姫の取材の同行を兼ねて旅をします。

さらに山田修さんにガイドをしていただけるスペシャルな企画となりました。

 

《翡翠の女神》アマノコトネと行く巫女修行 in糸魚川

 

すべての佳き出会いに感謝をこめて💚

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