『リオ・グランデの砦』(ジョン・フォード監督 1950年)で鬼軍曹の発破に馬ごと尻を蹴られて若者三人が見事な曲芸乗りを披露するあの場面、三人のひとり、ハリー・ケリー・ジュニアの語るところを聞いてみましょう(ハリー・ケリー・ジュニア『ジョン・フォードの旗の下に』筑摩書房 1997.06)。三人とは彼の他にベン・ジョンソンとクロード・ジャーマン・ジュニアで、この撮影を前にして(それでなくとも本番云々に拘わらずなにくれと緊張を強いられるフォードの現場の上に)三人連なりの曲馬となれば胸の内をぶつくさと愚痴、ぼやき、祈りが溢れ返ってくるのがこちらにも伝わってきます。何せジョンソンはそもそもロデオのチャンピオンにしてハリウッドに馬を供給する二大牧場のひとつに婿養子、いまは俳優ですがジョン・ウェインの馬上のスタンドインもこなしてこんなことはお茶の子さいさい、まさに腕が鳴るところ、自分と緊張など共有してくれるはずもありません(、<いやあ随分やってないから、できるかなあ>なんて笑っておりますよ)。さてもうひとり、ジャーマン・ジュニアは役でもウェインの息子であるその年頃のままに若さに体が居ても立ってもいられない感じで曲馬にもまったく怯むところなく練習用のトラックでもあっさり成功させて、ケリー・ジュニア曰く<まだまだ若くて自分が大怪我をするとは思ってもいない怖いもの知らず>、いよいよ追い詰められます。とは言いましてもケリー・ジュニアだって馬を乗らずに育ってきたじゃなし、父であるハリー・ケリーは連発した西部劇のヒットを自らの牧場を持つことに傾けそこで妻と子と過ごすのを人生の何よりの楽しみにしてきたわけですから、ケリー・ジュニアも馬とともに大きくなったわけです、それを思い出せばいいんです、自分だって馬はお手のものなのだと。さて本番、口から飛び出しそうになる役者魂を何とか呑み下していざ、というとき、クイックキャノン軍曹が口を挟みます。曲芸を見せるのに馬に乗ってから始めるというのは興ざめじゃないか、ここは尻から馬に飛び乗って走り出すというのが絶対いい。そりゃいいでしょうが、騎乗したまま曲芸に移るのも命懸けの上、ひとの背丈程もある馬の尻を(挙句に動きを察知するやいつ繰り出されるかわからぬお御足の危険を掻い潜って)跳び箱の要領で飛び乗れなんて、呑み込んで呑み込んでも魂が体を離れていきそうです。この結末がどうなったかは本作で存分にお楽しみ頂くとして今回のお話は映画を馬と駆け巡ろうというわけです。

 

 

 

 

『幌馬車』(ジョン・フォード監督 1950年)の撮影中、砂州に足を取られた馬が横ざまに倒れて半身下敷きになるワード・ボンドです。下敷きとは言え下は柔らかい砂であれば馬の腹が乗っかったところで笑い話ですが一同が青ざめたのには理由があります。遡る第二次世界大戦の銃後の巷、ボンドは自動車事故を起こして膝を砕きます。当時の医療の粋でかろうじて掻き集めては言わば医者がピンセットで作り直した膝でして、そう言えば戦前は何くれと頑健な裸の上半身に世界の無敵を輝かせた役を得意としながら(例えばラオール・ウォルシュ監督『鉄腕ジム』)あるときを境に尚立ち姿に昔の名残りを留めるにしても中年の、もう体の節々が痛くなっている落ち着きに移っていくのはこのためで、それを知っているからこそ馬に挟まれた足に仲間たちは息を呑んだわけです。この同じ不安を膝に抱えるのがグレゴリー・ペックでこちらは岩場を馬で駆け上る撮影中に馬が足の踏み場を崩して諸共に叩きつけられて砕きます。ラオール・ウォルシュ監督『世界を彼の腕に』(1952年)は大海原を真ん中にロシア帝国を敵に廻してまったく引くところのない海の男がグレゴリー・ペックで単に勇猛なのではなく(ペックだけに)アザラシの皮取引でもアザラシの保護を一方で進めることで乱獲による絶滅を防ぎとかく白人が文字と法律で煙に巻いては現地のエスキモーにびた銭を握らせてこき使う不正も見過ごしにしません。輝ける博愛と冒険心に立ち上がって奪われたヒロインをその婚礼の場から掻っ攫う活劇に天井から舞い降りて(勿論落下はカットで割ってそれでも)着地をするときに踏みしめる衝撃が膝を突き上げるのも辛そうで... しかし恋人を掠奪に参上した再会の高揚感ですから勿論ヒロインを引き寄せるとそのまま横抱きに持ち上げるのですがぐっと伸し掛かったヒロインの体重に膝は失神寸前、次々に現場を立ち去る仲間からヒロインの重さ分もがきながら泳ぎながらどんどん置いてけぼりになるペック(と彼の胸のヒロイン)です。カットが変わると一緒に手を繋いで走っています。とは言え滑らかには屈伸しないこの膝が(踏ん張ってもどこか体重が抜けている不思議な浮遊感をペックにもたらして)木偶の坊な二枚目に深い味わいを与えてもいるわけです。

 

 

 

 

それにしても西部劇のあるハリウッドで馬に乗るスターは数あれど騎乗する姿勢と手綱捌きの美しさで格段に目を見張るのはグレン・フォードです。『カウボーイ』(デルマー・デイヴィス監督 1958年)ではメキシコで買い付ける何千頭という牛をわずかな牧童が馬を駆って巨大な一群が形を崩すところを巧みに楕円に収めていく凄腕たちでその頭がフォード、傍らには恋に目が眩んでホテルマンから牛飼いに飛び込んだジャック・レモンがあります。言わばレモンが見るもの聞くもの初めての、馬に乗っているというよりも馬に運ばれているありさまに対して熟達のフォードが乗り慣れているのはそうでしょうが、そういう役の対比を越えて単純にその美しさが際立ちます。遠目にはなだらかな草原ではあっても小さく段丘を縫って砂礫にぐらつく傾斜であれ馬は並足になり諾足になりながら四足の自然なしゃくり上げで胴を揺すりますが操るフォードの頭はまったく同じ高さを移動してやがて駆け足に大地を疾駆しても駆けているのは馬でありフォードはそのたなびく速度に浮いているように見える巧みさです。瞼に彼の乗馬姿を浮かべてこのお話を〆たいところですが思えばわが国も時代劇に卓越した馬の乗り手を数多抱えてひとつそれをお披露目して終わりと致しましょう。成瀬巳喜男監督『旅役者』(1940年)は珍しく結末に荒々しさが噴き出します。成瀬の(燦燦とした)情念がユーモアの一歩手前で見る者を叱咤して(思い出すのは戦後の、『驟雨』の終わりが不甲斐ない夫を励まして紙風船を打ちつける原節子の(やはり燦燦とした)荒ぶりで... )旅の一座の物語です。座頭は高瀬実乗で傾く客の入りに彼が一計を案じて舞台で本物の馬を使おうというのです。そのためにただただ冷遇に甘んじてきた座員は馘首となり酌婦に囃し立てられるまま持ち役だった馬になって辻をぐるぐると蹴廻るうち怒りが頭上を逆巻きます。勢い小屋へと乗り込むと本物の馬をこの偽物が蹴立てて追い出し追いかけて追いかけて馬の矜持を見せつけるのです。さてもさてもこの駿馬は後ろ足に柳谷寛、前足に藤原釜足でございます。

 

 

 

ジョン・フォード リオ・グランデの砦

 

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デルマー・デイヴィス カウボーイ グレン・フォード

 

 

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