ピーター・ローフォードの生涯を見渡したとき浮かんでくるのは(まあ酒に溺れ優雅な権勢の波間に溺れるひとにありがちなものですが)まさに軽率という言葉です。ケネディ一族の愛娘と結婚して(必然的にアメリカ合衆国大統領の義弟となって)その名声があってこそ映画会社の幹部にも(ちょっと前までMGMの、中の上どまりだったときには考えられないことに)上座からざっくばらんに話しかけ(エヴァ・ガードナーとのささやかなゴシップのために)こじれていたフランク・シナトラとの関係も仲睦まじくラットパックにも名を連ねます(ルイス・マイルストン監督『オーシャンと十一人の仲間』 アメリカ 1960年)。しかるに結束第一の仲間内でディーン・マーティンの彼女をこれみよがしに鼻先で掠め取って悪びれたところもなく、挙句にジョン・F・ケネディが宿泊になるというのでそれを自慢したさに自宅を改築までしたシナトラを(大統領の滞在先には国旗が掲げられるという習わしに掲揚台まで設えたと言いますからシナトラのはしゃぎぶりが伝わってきますが)直前でキャンセル、よりにもよって大統領は近所の、ビング・クロスビー邸にお泊りです。(この意趣返しかどうか、ラットパック映画の『7人の愚連隊』(ゴードン・ダグラス監督 1964年)では勿論ローフォードの姿はなく何とビング・クロスビーの出演です。) それもこれもケネディ家あっての自分であり(それを骨の髄まで承知してい)ながらパトリシアと離婚、立て続くケネディ兄弟の不幸に(自分でも深く嘆きながら)その葬式にあろうことか昨夜引っ掛けたフーテン娘を同伴して現れ(自分でも何故自分がこんな失態をしているのかわからないまま)ミニスカートで大はしゃぎの娘を二の腕にぶら下げて一族にあって唯一好意的だったジャクリーンにも見放されます(ジェイムズ・スパダ『ケネディ兄弟とモンローの秘密を握っていた男ピーター・ローフォード』読売新聞社 1992.4)。何たる軽率さ、愛さずにいられない男です。

 

 

 

 

 

ピーター・ローフォード パトリシア・ケネディ

 

 

さてさて長くなりましたが今回のお話の口火にローフォードと犬の挿話をひとつ。そもそもイギリスのそれも上流階級にあるローフォード少年がハリウッドで映画デビューするに及ぶこの両親のすったもんだはぜひ後日に譲りたいところで(何せまったく<しとやかな獣>とも言うべき彼の母親はあまりに高いその気位から繰り出す悪口雑言にケネディ家でも煙たがられてパーティに呼ばれてもいないのにダンスの間中ケネディ家の当主にしつこく口説かれて困ったなどとゴシップ誌に語るようなひとですもの、こちらも愛さずにいられませんよ)、そのローフォードはいまやMGMの指折りの若手です。(おそらく当時の若手のトップはミッキー・ルーニー)。世はまさに第二次世界大戦の真っ只中、名犬ラッシーも健気に戦争協力に邁進です(S.シルヴァン・サイモン監督『名犬ラッシー/ラッシーの息子』)。この犬は撮影所で<ベティ・デイヴィスよりも意地の悪い役がうまい唯一のスター>と名付けられてまあ大変な人気者でしていざ撮影に入ると自分には化粧室もないのに犬には寝室がふたつ用意されていてローフォードは打ちのめされます、しかも爆薬が方々で炸裂する場面では自分には為されない安全対策が犬には施されている... 。映画史のなかの犬たちをぶらぶらと追っていくのが今回のお話ですがさて無声だった映画に音をつけようというアイディアは商業映画からそう遠くない時期から始まっています。(Scott Eyman "The Speed of Sound: Hollywood and the Talkie Revolution 1926-1930" Simon & Schuster; Reprint" Simon & Schuster 1997.3.13)。誰もが思いつくように最初はフィルムと蓄音器を連動させようとして幾多の試みが為されます。とりわけどちらにも特許を有するエジソンの研究所は熱心な探求者ですがすぐにいくつものの欠点が露呈します。まず上映中にスクリーン裏でレコードを合わせるのがなかなかに厄介であることです。合図の工夫もしますがそれより根本的なのは当時のレコード1枚の収録時間が短いことでして回転数を落としても膨大な枚数を取っ替え引っ替えすることになりとどのつまり映像と合わなくなるのが関の山です。地味な問題としてはスピーカーでして効率的な増幅装置が発明されるまでレコードを映画館の隅々に響き渡らせようとすると雑音は素直に大きくなりますが肝心の音声は割れてしまって聞き取れなくなります。挙句にというか撮影中にラッパ型の集音器を立てて音を拾いますとラッパに近い位置は明瞭ですが離れるほどセリフは拾えなくなり拾わせようと俳優がセリフを怒鳴り合うに至ってはもはや劇の破綻です。こんな十把一絡げの失敗の山を尻目にまったく違うところから音声付き映画を構想するひとが現れます。フィルムそれ自体に音を磁気データとして記録という画期的な発想の転換でしてそのひと、リー・ド・フォレスト1913年に見事成功すると、そこに映し出され(そして高らかにセリフを迸らせ)る史上初のトーキースターこそ彼の近所の雑種の犬です。

 

 

 

名犬ラッシー ジューン・ロックハート ピーター・ローフォード

 

 

ナチスの宣伝相だったゲッベルスは戦前戦中とウーファを統括しますが彼が目標に据えていたのが『風と共に去りぬ』です。勿論戦争中には各国国策映画を作り戦況が悪化してからも日本も娯楽映画を作り続けますがアメリカを追ってカラーの商業映画に踏み込んだのはドイツだけでまさにその盛花とも言えるヨセフ・フォン・バキ監督『ほら男爵の冒険』(1942年)です。このなかに犬が出てきます、何とも『ほら男爵』にふさわしい形で。屋敷の窓からご自慢のライフル銃を披露する男爵です。優雅で典雅な兵器にして工芸品の佇まいでやや物干し竿な銃身に立派な単眼鏡がついておりますのも1キロ先の標的を射抜けるというそのためです。屋敷に居ながら森の鹿撃ちができるというのです。いままさに森の茂みに身を潜めて忍び寄る鹿を仕留めんと狩人が身構えるところ遠くお屋敷の窓からその上前を刎ねて見せます。その途端です、猟犬の血が騒いだのではないでしょうが、部屋のタンスが犬の遠吠えと共にぐらぐらと立ち騒ぎ扉を開け放つやなかの衣服が踊りかかりますと男爵が叫びます、「タンスが狂犬病に罹った」。襲い来る獰猛なる衣服を銃で次々と射止める男爵です。実のところ私が映画の犬ということで真っ先に思い浮かべたのは『ウンベルト・D』(ヴィットリオ・デ・シーカ監督イタリア 1951年)で恩給打ち切りによって文字通りに路頭に立ち尽くす老人の、いまや唯一の家族がこの犬です。ネオ・リアリズモの残酷さと希望がともに陽光の明るさに揺らめいてそのなかをとぼとぼと走りゆく犬の姿は忘れられませんが... このまま切りもないおしゃべりになりましょうからあの映画の素晴らしさは後日の愉しみと致しましょう。最後に犬を巡るジョン・フォードの冗談を。フォードのねちねちとしたお小言が始まると誰もが直立不動、<はい、パピー><そうです、パピー>と有無も言わせません。インディアンの衣装についてふつつかなひと言を漏らしたばっかりにこの洗礼を浴びたジェームズ・スチュワートに<冷や汗かいたろう>とジョン・ウェインが労うのもまさに長年の辛苦が滲みます。このお小言を全身で受け止めて凹むことなく尚かつ怒っているフォードの機嫌も活気づかせるのがワード・ボンドで(まあ叱って大のお気入りというところ)、またぞろウェインが立ち尽くしていると撮影所の向こうからワード・ボンドがやってくるのを見た途端に助かったと天を仰いだというんですからまったく以て愛すべき人柄です。そのボンドが撮影の合間に先住民の子供が連れてきた犬に噛まれたというのです、それを聞いたフォードが叫びます、「何噛んだ? それは大変だ、病気にでもなったらどうする、早く病院につれていけ、その犬を!」

 

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