牝猫たちの夜
  監督 : 田中 登

  製作 : 日活
  作年 : 1972年
  出演 : 桂 知子 /吉沢 健 / 影山英俊 / 原 英美 / 牧 恵子

 

 

田中登 牝猫たちの夜 原英美 牧恵子 桂知子
 

私の子供の頃はバルカン半島の由緒ある国の名前が大っぴらに付けられて(当然作中では<トルコ風呂「極楽」>と男たちのにたり顔に頬ずりするような店名でして)その特殊浴場の泡姫たちがヒロインです。勿論日活ロマンポルノですから手を替え品を替えの裸三昧でして(ただ同時期の他の監督に比べても裸のピッチが早いというかよく言われる10分に一度は裸を挿入という会社からの条件なんて軽くクリアして)桂知子なんて服を着る間もない感じに部屋に帰ってもほぼ半裸、そのままの姿で掃除もする朝食にもかぶりつくという文明への反逆ぶりです。ともに日活ロマンポルノを牽引した神代辰巳が一般映画の四隅を裸へ刺し通すようにしてポルノ映画を撮っていたとするなら田中登はポルノ映画の木枠に一般映画を流し込んで(そうだけに神代が比較的早くに一般映画に活動域を広げてそれを安定させ得たのに対し田中の主戦場は裸のまま... )ただ本作も然り、のちの『色情めす市場』(1974年)にしても『人妻集団暴行致死事件』(1978年)にしても(裸一貫の女たちの境遇をそれでも身ぐるみ剥ぎ取るロマンポルノにあって)田中の語りは虚無へと傾斜することはありません。神代が抱えていたような無為の戯れのなかに生きることを呆然と見失うような感覚には遠く(苦悩も自失も例え殺人や自殺であっても)飽くまで生きることの、実感を手放さないわけです。それにしても見渡せば日活ロマンポルノの初期を支えたあの顔、この顔が見えてきますよ。勤勉な銀行員の黒縁眼鏡に隠れてあっけらかんと他人の虎の子の(それも銀行員らしいのは)束になったところだけを(さらに銀行員らしいのは)根こそぎ持っていくのは浜口竜哉ですし高橋明は(相変わらず)炒り豆がふやけたような風貌でドスの効いた役どころ、影山英俊においてはお化粧をして(ちょうど当時の、あいざき進也や城みちるが着ていた)飛べるような大きな襟に丈の長いジレを潜らせたパンツルックの<ゲイボーイ>で全裸でギロチン台に首を突っこんでは鞭で厭というほどぶたれるわかろうじてパンツこそ履いていますが半裸で新宿の路上につっぷして女優たち並の奮迅です。しかし本作で何より魅力を放つのが吉沢健でして、アパートで中途半端な毎日を送りながら(何せお向かいの男女のあけすけな夜を夜長鑑賞するためにオーディオなどは足の指で抜き差しできるところを取り巻き挙句に天井からはキャベツを吊るして鑑賞を妨げない食事に準備しているありさまで)ヒロインとは恋人であれお互いにそう名指しすることに手応えのなさを感じていて言わばその手応えのなさの向こうに哀切な痛みを探しているそんな男で...  間違えた待ち合わせ場所でひとり取り残されているようなニヒルと滑稽のはざまに嵌った吉沢の佇まいに目が離せません。夜明けの、無邪気なほどの静寂に包まれて生きることは結局何も変わらないということに行き倒れて。

 

 

田中登 牝猫たちの夜 桂知子

 

こちらをポチっとよろしくお願いいたします♪

 

田中登 牝猫たちの夜 桂知子 吉沢健

 

 

関連記事

右矢印 映画ひとつ、神代辰巳監督『宵待草』 神代辰巳監督作品

右矢印 70年代の光

 

 

田中登 牝猫たちの夜 浅井麻千子 影山英俊

 

 

前記事 >>>

「 老いて見上げる星:やがて朝に星は消えて 」

 

 

田中登 牝猫たちの夜 桂知子 吉沢健

 

 

 

 

 


■ フォローよろしくお願いします ■

『 こけさんの、なま煮えなま焼けなま齧り 』 五十女こけ