どうも、こんにちは。

番外編を除くと前回の記事からはや3ヶ月滝汗

いい加減進めていかないと間に合わないっ!

 

ようやく新年度が動き出したというのに、先週から家庭訪問が始まり・・・チーンチーン

弁当は作らなくてもよくなりますが、早く帰ってくる子達に溜息が出ますアセアセ

 

いろいろバタバタしそうな中、更新させていただきます。

 
 
猫しっぽ猫からだ猫あたま猫しっぽ猫からだ猫あたま熊しっぽ熊からだ熊あたまビーグルしっぽビーグルからだビーグルあたま牛しっぽ牛からだ牛あたま魚しっぽ魚からだ魚あたま
 
このたび、春から受験生な子ども1真顔
そして、中学入学した子ども2。
 
この年齢で、「やりたいこと」や「進路」を決めるのは、すごく難しいことだと思います。
でも、「高校受験」は人生の最初のハードルなのではないでしょうか?
 
そして、受験生の子どもを持つ親や家族はそれはそれは気を使うと風の噂に怯えておりますガーンガーンガーン
今のところ、子ども1は実感がないようですが、できれば少しでも成績を上げて、自分のやりたいことを目指して、希望する学校に入ってもらいたい!!
成績が下よりは上のほうが、選ぶ選択の幅も広がると思いますしニコ
 
「受験」という人生のハードルに少しでも役に立つのなら、一肌脱いでもいいんじゃねウシシ

ということで、昨年から少しずつ準備をしておりました。

 

もちろん、リアルで子供のため、というのもあるのですが

あわよくばこれでお絵かきの修行になれば・・・、と邪な思いも多少ニヤww。

いや、むしろこれを口実に堂々と修行の場が作れるニヤリニヤリ・・・。

などと考えておりました。

 

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ちなみに前回の記事がこちら。 → その1その2その3

 

イラストなしの番外編もあります。→番外編1番外編2

 

 

今回は第四回目。
奈良時代と「天平文化」のまとめを作ってみました。
小さいノートに書いてますので、見にくくなってしまいすみません。
 
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とりあえず、見たときに「これ!」とわかるものを箇条書きにしておきました。
 
主にテストに出そうな部分は赤字でチェック入れました。
 
まずは
・630年 遣唐使を派遣する。
日本での仏教文化を広めるため・唐の文化や制度を取り入れるため。
630年に初の派遣から894年遣唐使廃止まで続きます。
 
語呂合わせとして、「ムサ男、派遣される」とでもしておきましょうか。
(犬神さんという人が派遣されたようですが、ムサ男だったかはわかりませんw)
 
・710年 平城京遷都。
奈良といえば、「平城京」というほど有名な京。遣唐使からの情報を元に都作りが行われたため、当時の唐の都「長安」をまねたと言われています。碁盤の目のような作りが当時の流行。
実際は、平安京になるまで4~5回いろんなところに遷都していたようです。
 
今だったらデザインのパクリは許されなかっただろうなぁ真顔
 
語呂合わせは「なんとステキな平城京」あたりでしょうw。
 
ちなみに平城京というと、ついこの子を思い出してしまいます。
 
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模写いたしました滝汗滝汗
スンマセン、消しゴムカスやら、書き直したあと満載です。
 
ちなみに、せんとくんの他に「まんとくん」、「なーむくん」もおるそうなw。
 
誰がいいと言われましてもww。
画像お借りしてきました。人気投票もあったようです。
 
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アップにしたら、左右のバランスとってないことがわかったまんとくん。
 
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手のアングルが一番難しかったなーむくん
うちのこども3はこんな雰囲気ですw。
 
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せんと三人衆ww。(勝手に命名w)
左からせんとくん、まんとくん、なーむくん
全体図にすると、全体像のバランスが悪い悪いゲローゲローww。
模写感満載で失礼しましたww。(薄かったので加工してみました)
 
せんとくん、まんとくんあたりはなんとなく覚えていたけど、なーむくん知らんわ~ww。
これ、聖徳太子をモデルにしてるんだろうなww。
 
・712年頃 「古事記」ができる
古事記は上中下の3巻で出来ており、712年頃に完成となっています。

編纂者は天武天皇てんむてんのう 、稗田阿礼ひえだのあれ( 語り部)かたりべ 、太安万侶おおのやすまろ (編集者)の三人。

主に日本の神話時代から聖徳太子が摂政を務める推古天皇までの歴史を書いた「歴史書」となっています。

内容が分かりくかったため、江戸時代の学者本居宣長が「古事記伝」を後に発行。

 
・720年頃「日本書紀」ができる

日本書紀は海外向けの「日本の歴史」を書いたものだそうです。

 

 

天武天皇てんむてんのう の息子舎人親王 がメインになって日本神話と歴史をまとめ、720年に完成しました。読み物というよりは、教科書という感じなんだそうです。

 

       

・743年「墾田永年私財法 こんでんえいねんしざいほう」ができる
     
723年に三世一身の法さんぜいいっしんのほう(朝廷から与えられた口分田とは別に、新しく土地開墾した者には、その土地を3世代まで自分たちの土地にしてよいという法律)を出したものの、成果の上がらなかった政府は、743年に 「墾田永年私財法」というパワーアップした法律を出して国民に開墾を推奨します。
 
             
・753年 鑑真和上がんじょうわじん来日。
最初の渡航は754年。それから約10年の間、日本への渡航を目指すものの、天候や弟子からの引き止め等によりうまくいかず、その間に失明をしながらも754年に渡航が成功。759年、唐招提寺を創建。763年、唐招提寺で死去。享年76歳。
 
・756年頃「正倉院」ができる
756年頃に光明皇太后が夫天武太上天皇の17回忌に際して天皇の遺品を東大寺に奉献したのが始まりと言われている。東大寺の正倉(倉庫)だったため、この名前がそのまま使われた。明治時代に国の管理となる。

 

         

・759年「唐招提寺とうしょうだいじ」建立。
上記で出てきた鑑真和上が日本に来日後、創建したお寺。
鑑真はこの唐招提寺で最期を迎えた。
        
・759年頃「万葉集 まんようしゅう 」・「風土記 ふどき」ができる。
万葉集」はおもに和歌を集めた歌集です。
5世紀初めから、奈良時代の淳仁天皇の時代まで、約350年の間に詠まれた4500首以上の和歌が時代順に20巻もあるそうです。
              
編纂に関わったとされるのは「大伴家持 おおとものやかもちが有名。
万葉集に乗っている有名人として、
・柿本人麻呂かきのもとひとまろ 、・額田王ぬまたのおおきみ、・天智天皇てんじてんのう、・持統天皇じとうてんのう、・山部赤人やまべのあかひと、・大伴家持おおとものやかもち、・橘諸兄たちばなのもろえ
などがでてきます。この歌集の特徴は、天皇や皇族などの貴族だけでなく、下級歌人や防人の歌も収録されているということ。当時の名も無き人たちの気持ちが入った和歌を見ることが出来るというのはとても貴重なものなのではないでしょうか。
 
風土記」は当時の元明天皇が各国の役所に対して、「各国の様子が分かるものを提出せよ」という指示からはじまった、いわば土地の地理や伝承をまとめた記録
今で言えば「地理」的な意味合いのもの。
現在完璧に残っているのは、出雲国風土記のみで一部の欠損があるものの現在まで残っているのは、播磨国、常陸国、豊後国、肥前国の4ヵ国分。
 
 
ということで、奈良・天平時代のまとめを作ってみました。
そして、今回で「奈良時代」は終了。
 
文字が多くて、読みにくい部分もありますがとりあえずは赤字の年代の部分だけ覚えとけばOK牧場牛しっぽ牛からだ牛あたまということで今日はこのあたりで終了します。
 
次回は、平安時代へ参りマース。