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こはにわ歴史堂のブログ

朝日放送コヤブ歴史堂のスピンオフ。こはにわの休日の、楽しい歴史のお話です。ゆっくりじっくり読んでください。

記念すべき第一回の放送は5月のことでした。

それまで、番組で取り上げる人物などについて、いろいろお話しをする“打ち合わせ”があります。
毎週ある曜日の夜に、こはにわ、プロデューサー、ディレクターの三人で集まります。

初回にむけて、いろいろな話をいたしました。

初回にチョイスされた人物は、

 武田信玄・徳川綱吉・水戸黄門

の三人でした。

 できれば、一話につき、一人の人物をとりあげたい。

というのが、プロデューサーさんのお考えでした。
複数とりあげると、人物の人となりなどがぼやけてしまう…

ただ、第一回は、どういう感じで番組を進めるのか、視聴者の方々にコヤブ歴史堂の“方法論”をわかってもらうという意味で、三人をダイジェスト的にやろう、ということで、有名どころの三人が選ばれたのです。

武田信玄は、「男に書いたラブレター」を紹介しました。

 誰もが知る「あの歴史上の人物」の「意外な一面」

これがまず一つのテーマです。

え? 武田信玄が??

というところを紹介する…

徳川綱吉は、「自分の娘の名前(鶴)を使うのを禁じた」という話を紹介しました。

 誰もが知る「あの歴史上の人物」のエピソード以外のエピソード

え? 綱吉なのに、犬の話じゃないの?? え、他に何やらかしたの?

というところを紹介する。

これはいわゆる「肩すかし」という方法です。

他にもこの“手法”で、いろいろな人物が紹介されていたということに気が付いた人もいるでしょう? 「ああ、この人物だから、きっとあのエピソードだ」と思っていたのに、「え? それじゃないの??」という話を用意する…

水戸黄門は、「若い頃に辻斬りをしたことがある」という話を紹介しました。

 誰もが知る「あの歴史上の人物」のエピソードが実はフィクション

え? あの話、ほんとの話じゃなかったの?

というところを紹介する。

歴史上の人物の「盛られた話」、実際と物語の中での“ギャップ”などを知ってもらう…

この後、いろいろ紹介する人々の「切り口」を初回で軽く紹介していく、ということでした。

で、初回のゲストの人選は、実にすばらしかったと思います。

 小泉エリさんと次長課長の河本さん

小泉さんの、陰のない、明るい語りと、河本さんのリアクション。
(わたしは、実は河本さんとコヤブさんのやりとりがけっこう好きでした。河本さん、もっとたくさん出てほしかったなぁ~、と、思っています。)

本番、ゲストのみなさん、小薮さんらからどんな質問が出るやら、まったくわからずどうなるだろう、と、思っていたのですが、みなさん実に反応がよく(そりゃそうです、一流の芸人さんなんですから)、いいぐあいに説明しやすく、ボケでいただいたりツッコミを入れてもらったり…

初回をビデオな撮られている方がおられれば気が付くと思われますが、こはにわ先生が登場するとき、

 はいはい~ ど~もぉ~

と、それから後にお馴染みになる“登場のセリフ”は発していません。
黙ったまま登場…
なんせテレビに慣れていなかったときですから、“沈黙”のまま出現していきなり解説を始めてしまいました。

 ディレクターの堀さんは、基本的に出演者の片に注文をあまりつけず、のびのびと芸人さんたちの力を引き出すことができる名人なのですが、唯一、初回の後に

 先生、すいません、こはにわ先生が登場するとき、なんか一言、言うてもらうませんかねぇ~

と言われちゃいました。

 あ、た、たしかに… だまって出てくるの、変ですものね。

 さて、では、どう言えばよいのか… で、「はいはい~ ど~もぉ~」と、何の芸もない言葉を発してしまって、以後、それが定着してしまいました。

 みょ~な“沈黙”

で、登場してしまう、初回のこはにわ先生でした。
葛原親王には二人の息子がいました。

一人が高棟王。

学校教育では、壇ノ浦の戦いで平氏は滅亡した、なんて説明してしまうもんだから、12世紀で平氏が断絶してしまったかのような印象を与えてしまいますが、平氏は滅んではいません。

高棟王の子孫は、堂上家といって、昇殿がゆるされる高位の貴族の家柄となります。
いわゆる貴族としての平氏の家柄です。

平清盛の妻の時子や、後白河法皇の寵愛を受けた滋子は、この高棟王の子孫です。

「平氏にあらずんば人にあらず」(この一門にあらざれば人非人なるべし)という有名な言葉を残した平時忠は、時子の同母弟で、滋子の異母兄、ということになります。

この有名な言葉は、平清盛が述べた言葉ではありませんし、平清盛の横暴さを示す言葉てもありません。(清盛は、謙虚で思慮深く、家来を大切にする人物でした。)

そして、もう一人が高見王。

この人こそ、坂東平氏の源流、高望王の父です。
が、しかし…

まったくの“謎”の人物なんです。

『尊卑文脈』という書があります。貴族などの系統を示す系図ですが、男系のみの表記で、妻や娘などの女性はすべて「女」としか表記されていません。
あらわされたのが南北朝時代から室町時代にかけてで、源平藤橘のうち、藤原氏と源氏の記述は詳細ですが、平氏の記述にはややあいまいな部分が多いというものです。

これによると、高見王は、なんと無位無官。

葛原親王の子の代から平姓を名乗ることになっていたはずなのですが、高見王は平姓を名乗っている気配がない…

いくらなんでも、葛原親王の子が無位無官なんてありえない。
おまけに平姓でもない。
子とされている「高望王」の“高望”の読み方は「たかもち」以外にも「たかみ」とも読める。
よって、実は「高見王」なる人物はおらず、葛原親王の孫ではなく子が「高望王」なのではないか?

と、考える研究者も多いんですよ。

でもね…
高見王は若くして死んでしまった(この時代、16才くらいですでに子を為している、という場合もけっこうある)ので、無位無官であり、よって平姓も名乗っていなかった、と考えてみるのはどうでしょう?

残されたのは幼い高望王。
父の後ろ盾をうしなっている貴族の子弟は、都での出世はなかなかのぞめない…
よって高望王は、関東にくだっていったのだ、と、すると、一応のツジツマは合います。

はるか後年、平重盛の死後、維盛、資盛などの小松家が中央での力を失ってしまった、というところによく似た事情があったのでは、と、私は考えています。

いや、もっと想像をたくましくして…
「なんらかの理由で」高見王が“罪”を得てしまい無位無官の身となってしまった。
しかし、なんといっても葛原親王の子…
不祥事は記録から消される…
なんといっても皇室の血をひく“貴種”であるので、高見王の子、高望王は、関東へ下向して都へは帰らず、そこで、関東の治安維持に活躍する…

そう考えてみてもおもしろいかもしれません。

高見王という“謎”の空白に、平氏が関東に進出していった理由が隠されている、のかもしれません。
さて、関東に向かった高望王なのですが…

(次回に続く)
にゃんたとこはにわ先生の話の続きですが…

わたしたちは、どこにいるかと言うと、コヤブ歴史堂のセットの裏にいます。
あ、もうすでにご存知だとは思いますが、にゃんたは、別のスタッフの方が動かしていて、久馬さんは声だけ出しておられます。

でもね、このにゃんたを動かしていた方、女性なのですが、この人がまたまたすごい!
あの、小さな台の下にずっと入っておられて、にゃんたを操っておられるわけですが…

久馬さんの声やボケと、にゃんたの動き、見事に一致していると思いませんでしたか?

この方が、にゃんたに命を吹きこんでいるんですよね。

我らが歴史堂の主管、小薮さんはたいへんお優しい方で、いつも、にゃんたを動かしているスタッフにやさしい声をかけておられました。
なんだか、ふだんの小薮さんは、ほんとにやさしい穏やかな人で、いろいろな番組などで、厳しい口調でいろいろおっしゃっているのが“芸”である、というのがわかります。

こはにわ先生とにゃんたは、ちょうどレキコさんが座っていて、掛け軸があるところの向こう側に二人仲よく並んですわっています。

にゃんたのボケっぷりは、むろん打ち合わせのときには無いものばかり。
小薮さんやゲストとのやりとりの中で、ほとんどアドリブで、いろいろな掛け合いが進んでいきます。
もう、おかしくておかしくて…

わたしは、黙ってしまっているときが時々あったと思うのですが、たいていは、笑いをこらえているときでした。

「ほんとに芸人さんたち、すごいですね。その場その場で打ち合わせなく、よくそんなにおもしろい話ができますね。プロは違いますね。」

と言ったことがあるのですが、

「先生も、打ち合わせもなく、ゲストさんや小薮さんの質問によく答えられますよね。それと同じようなもんですよ。」

と逆に言われたことがあります…

なるほど… ゲストさんや小薮さんの質問に答えるのがわたしのお仕事でしたから、そんな感心されるようなこととは考えてもいませんでした。
芸人さんたちに「おもしろいですね~」というのは、よく考えてみれば失礼な話。
プロなんだから当たり前…

にしても、ほんとに楽しい時間でした。

で、これ… もう言ってしまってよいかなぁ…
もういいですよね?

あのね、ないしょですよ。
実は久馬さん…

 音痴

なんですよ。

ときどき、こはにわ先生とにゃんたで、歌をうたっちゃうようなときがあるじゃないですか。
むろん私も知らない曲なんかを歌わされて、へんなことになっちゃうんですが…

最終回のとき、

 へ~イ、ヘイヘイ へ~イへ~イ

の、フィンガーファイブの歌、やったじゃないですか。
あれ、リズムがくるってグダグダになっちゃったのは、久馬さんがリズムとれなかったからですよ。

それだけではありません。

最後の歌、山口百恵さんの「さよならの向こう側」。

歌詞などすべて久馬さんが考えて(すごいでしょ?)、どのように歌うかも、こはにわやレキコに“指導”してくださったのが久馬さんなんですよ。
三人で、ユーチューブまで見ながら、歌の練習をして、ディレクターさんに「そんなにちゃんとしなくても」と言われるほど、みっちりやったのに!

本番、久馬さん、自分の担当のパート、音がとれなくて、まったく歌えなかったんです。

 え? にゃんた、ちゃんと歌ってたやん??

と、思われたでしょ? あれ、後から取り直したやつをディレクターさんがうま~く編集してつないで、にゃんたを操っているスタッフの方が、さも歌っているかのように動きをつけて“完成”されたんです。

 え~ あんだけ練習したのにぃ~ 久馬さ~ん!

と、レキコさんに突っこまれていました。
裏では、ほんとにスタジオ大爆笑の、楽しい楽しい最終回となりました。

いやいやいやいや、ひょっとしたら、これすら、お笑い軍師久馬さんの、最後のオオボケだったのかもしれません。
歴史上の“嫌われ者”たち…
彼らはなぜ嫌われたのでしょうか?
彼らにはある“共通点”があるんです…

たとえば、鎌倉時代初期の梶原景時。

彼は後世、大悪人と称されました。
もともと、源頼朝が挙兵した石橋山の戦いのとき、頼朝と敵対する平氏側についていたのですが、頼朝が隠れているところを知りながら見逃し、後に頼朝に仕えることになって信任を得ることになりました。
実際、景時は「一ノ郎党」と呼ばれ、頼朝の御家人たちの中では筆頭人とでも言うべき存在となります。
とくに頼朝の弟、義経とはたびたび対立し、小説やドラマなどでは讒言によって義経を失脚させた人物として描かれています。
義経を主人公とするような小説やドラマが多いため、景時はしぜん、“悪いヤツ”として描かれてしまうことになりました。

たとえば、南北朝時代の高師直。

彼は後世、極悪人として語られるようになりました。
高氏は、足利氏の執事として代々仕え、高師直のとき足利尊氏を補佐して、尊氏を天下をとることを助けました。
旧来の慣習などを無視し、寺院や皇室などの権威を軽んじ、さらには人妻への横恋慕などの逸話を残していることから、どうしても“悪いヤツ”として記録に残されてしまいました。

たとえば、安土桃山時代の石田三成。

彼への評価は、振り子のごとく、右へ左へと揺れ動きます。
豊臣秀吉の側近として権勢をふるい、秀吉の死後、他の家臣との対立をまねき、豊臣氏の内紛をまねいた張本人とされています…
かと思えば、政権の簒奪を図る徳川家康に対抗し、幼君秀頼を立てて豊臣氏を守ろうとした忠臣、家康という大きな敵に立ち向かった好漢として評価される場合もあります。

彼らの“悪人”としての共通点は、

 虎の威を借る狐

として描かれているところでしょう。

権力者の側にあって権力を恣意的にふるった… かの如くに説明されているところです。

梶原景時は、頼朝の側近として将軍親政を進め、頼家を立てて将軍権力を強化し、有力御家人の力を抑えようとしました。
高師直は、尊氏の側近として将軍親政を進め、義詮を立てて将軍権力を強化し、有力御家人や尊氏の弟直義の力を抑えようとしました。
石田三成は、秀吉の側近として秀吉の独裁を助け、秀頼を立てて豊臣政権を強化し、有力大名の力を抑えようとしました。

ワンマンな創業家の社長に信任され、社長室長くらいの肩書なのに会社の経営に口を出し、社長の死後は、新社長や他役人から嫌われ左遷されちゃった、というような人物に似ています。

有能で、こういう人物がいないと経営が回転しないのに、その人が現役のときは、けっこう嫌われ損な役回りを演じてしまう人たち…

けっこうあなたの職場などにもいませんか?
あるいは、あ、おれ、そんな立場にあるかも…
と、心当たりがある人もいるかもしれません。

いるんですよね…
きまって時代の節目、政権の変わり目には、必ずこういう人が出てきて、有能な才を発揮するんだけれどけっきょく悪者にされてしまう…

これは洋の東西を問いません。

王と側近と諸侯…

王権を強化しようとする側近・官僚と、王を飾り物にして合議制を実現しようとする諸侯の対立。

わたしは歴史上、“悪いヤツ”のレッテルを貼られている人物が好きです。
人に嫌われる、というのは、“何か”をしているからこそで、その才の表現の仕方に問題があるだけであって無能なのではけっしてない、ということです。

彼らは、ただ、勝者によって評価が歪められているだけなんですよね。
先日、にゃんた(久馬さん)からお招きをいただき、月刊コント9月号を観て参りました。
プラン9ファンのみなさんならば、いちいち説明不要ですが、いろいろな芸人さんのコントをうまくつなげて一つに仕上げる…
毎回、こういうパターンで、楽しいコントが繰り広げられていきます。

それをまとめて一つのストーリーにしているのが、久馬さんなんですよね。
もちろん、自らも出演されますが、どんな役もこなされて、まぁお見事としか言いようがありません。

まさに、“お笑い軍師”。

そういう大きい舞台は、もちろん、コヤブ歴史堂の中では、わたしのような素人にも、ネタを仕込んでくださいます。

 「先生、ちょっといいですか?」

と、打ち合わせが終わると、声をかけてくださいます。

 「えっと… 二つ目の話の後、猫の小判のコーナーの後なんですが…」

すっと、紙に書かれた“シナリオ”を渡してくださいます。

ご存知、にゃんたとこはにわ先生の、ミニコントが仕込まれる、というわけです。

その紙は、打ち合わせのときに配られるいろいろなプリントの裏面なんですが、そこに、いつも赤ボールペンで、こはにわ先生のセリフとにゃんたのセリフが書き込まれているんです。

今となっては、これは私の“宝物”ですよ。
すべて、ちゃんと捨てずに残しています。
“貴重品”でしょ? 久馬ファンの方なら、オークションに出せば、高値で引き取ってくださるかもですね~ (もちろん、売ったりしませんよ。大切にわたしの手元に残しておきます。)

一話ももらさず、残しています。
昨夜、束にしてファイルにしたのですが、読み直して、くくくっ と、一人でニヤニヤ笑ってしまいました。
なかなか楽しい思い出です。(にゃんたとこわにわ先生のミニコント集でDVD出してほしいくらいですね。)

久馬さんは、ほんとうに、頭の良い方です。

貴族の話(8月9日放送「スーパー貴族X-MEN」の回)をしていたときに、「桃尻」の話をしたことがあったのをおぼえておられますか?

平安時代、文献の中に「桃尻」という文字が出てきますが、これは、

 桃のようにすわりが悪い

という意味で、「あいつは桃尻だ」というと、それはすなわち「よく落馬する者」「馬に乗るのが下手」ということを示す表現なのです。(形のええケツ、という意味ではありません。)

桃は、とうぜん葉っぱが付いているほうが上ですが、下の実の部分がとがっているものですから、置くとコロンと転がるでしょ?
つまりすわりが悪い…

わたしがその話を本番で解説したわけなのですが、そのとき、にゃんたが、

「バーミヤンの桃は葉っぱを下にしていますが、桃屋の桃は葉っぱが上になってるでしょ?」

と、すかさず言ったんですよね。(ビデオにとっている方は是非、ごらんください。)
あれ、アドリブですよ。

バーミヤン(おいしい中華料理のチェーン店の名前です)の看板は、なんとなく見て記憶があったのですが、桃屋の桃の絵がそんなふうになっているなんて知りませんでした。
家にかえってから、桃屋のビンを思わず手にとって確認してしまいました。

久馬さんは、ふだんから、太い手帳を持っておられて、びっしりとネタや色々なできごとをメモされているんですよ。
日常生活の中の、何気ない出来事、すべて書き留めておられて、何かしらのコントなどのネタになるように“情報収集”されているんです。

 いやいや、プロはたいしたものだ。

と、感心しました。

“軍師”の条件に、「情報収集力」というのがあります。
一見無関係なようにみえること、その仕事とは関係が無いようなことでも、集めて整理して保存しておく…
世に参謀や、シナリオライター、脚本家というのは、この情報力というのが大切です。

CIA、というのは、中央情報局、と、翻訳される場合が多いですが、CIAの“I”はインテリジェンス、で、単なる、インフォメーションではありません。

インテリジエンスとは、その情報を整理し、どういう意味があるかを分析することなんです。

久馬さんのは集めた情報を、使える情報へ、つまりいつもインテリジェンスしておられるんですよね。

人が見えないものが見えるのが軍師ではありません。
人がふだん見ているものなのにそれに気づいていないことに気づくのが軍師です。

久馬さんの、にゃんたがいなければ、コヤブ歴史堂はあんなにおもしろくはなかったですし、わたしの拙い解説がわかりやすくみなさんに伝わることもなかった、というわけです。

(次回に続く)