彼らはなぜ嫌われたのか? | こはにわ歴史堂のブログ

こはにわ歴史堂のブログ

朝日放送コヤブ歴史堂のスピンオフ。こはにわの休日の、楽しい歴史のお話です。ゆっくりじっくり読んでください。

歴史上の“嫌われ者”たち…
彼らはなぜ嫌われたのでしょうか?
彼らにはある“共通点”があるんです…

たとえば、鎌倉時代初期の梶原景時。

彼は後世、大悪人と称されました。
もともと、源頼朝が挙兵した石橋山の戦いのとき、頼朝と敵対する平氏側についていたのですが、頼朝が隠れているところを知りながら見逃し、後に頼朝に仕えることになって信任を得ることになりました。
実際、景時は「一ノ郎党」と呼ばれ、頼朝の御家人たちの中では筆頭人とでも言うべき存在となります。
とくに頼朝の弟、義経とはたびたび対立し、小説やドラマなどでは讒言によって義経を失脚させた人物として描かれています。
義経を主人公とするような小説やドラマが多いため、景時はしぜん、“悪いヤツ”として描かれてしまうことになりました。

たとえば、南北朝時代の高師直。

彼は後世、極悪人として語られるようになりました。
高氏は、足利氏の執事として代々仕え、高師直のとき足利尊氏を補佐して、尊氏を天下をとることを助けました。
旧来の慣習などを無視し、寺院や皇室などの権威を軽んじ、さらには人妻への横恋慕などの逸話を残していることから、どうしても“悪いヤツ”として記録に残されてしまいました。

たとえば、安土桃山時代の石田三成。

彼への評価は、振り子のごとく、右へ左へと揺れ動きます。
豊臣秀吉の側近として権勢をふるい、秀吉の死後、他の家臣との対立をまねき、豊臣氏の内紛をまねいた張本人とされています…
かと思えば、政権の簒奪を図る徳川家康に対抗し、幼君秀頼を立てて豊臣氏を守ろうとした忠臣、家康という大きな敵に立ち向かった好漢として評価される場合もあります。

彼らの“悪人”としての共通点は、

 虎の威を借る狐

として描かれているところでしょう。

権力者の側にあって権力を恣意的にふるった… かの如くに説明されているところです。

梶原景時は、頼朝の側近として将軍親政を進め、頼家を立てて将軍権力を強化し、有力御家人の力を抑えようとしました。
高師直は、尊氏の側近として将軍親政を進め、義詮を立てて将軍権力を強化し、有力御家人や尊氏の弟直義の力を抑えようとしました。
石田三成は、秀吉の側近として秀吉の独裁を助け、秀頼を立てて豊臣政権を強化し、有力大名の力を抑えようとしました。

ワンマンな創業家の社長に信任され、社長室長くらいの肩書なのに会社の経営に口を出し、社長の死後は、新社長や他役人から嫌われ左遷されちゃった、というような人物に似ています。

有能で、こういう人物がいないと経営が回転しないのに、その人が現役のときは、けっこう嫌われ損な役回りを演じてしまう人たち…

けっこうあなたの職場などにもいませんか?
あるいは、あ、おれ、そんな立場にあるかも…
と、心当たりがある人もいるかもしれません。

いるんですよね…
きまって時代の節目、政権の変わり目には、必ずこういう人が出てきて、有能な才を発揮するんだけれどけっきょく悪者にされてしまう…

これは洋の東西を問いません。

王と側近と諸侯…

王権を強化しようとする側近・官僚と、王を飾り物にして合議制を実現しようとする諸侯の対立。

わたしは歴史上、“悪いヤツ”のレッテルを貼られている人物が好きです。
人に嫌われる、というのは、“何か”をしているからこそで、その才の表現の仕方に問題があるだけであって無能なのではけっしてない、ということです。

彼らは、ただ、勝者によって評価が歪められているだけなんですよね。