戦国のバットマン! 長宗我部元親 | こはにわ歴史堂のブログ

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朝日放送コヤブ歴史堂のスピンオフ。こはにわの休日の、楽しい歴史のお話です。ゆっくりじっくり読んでください。

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第20回は、長宗我部元親でした。


コヤブ歴史堂の、オープニングや人物のプロフィール紹介をしてくださっているのが、朝日放送のアナウンサーの乾麻梨子さんです。

あたりまえですが、たいへんよいお声で、いろいろな番組などを拝見・拝聴していても、この方が、かんだりミスったりしたことを聞いたことがありません。

アナウンサーはこうでないと、という模範的な方だと思います。


さて、いつものとおり、乾さんのナレーションでコヤブ歴史堂が始まったのですが、長宗我元親を軽く「戦国のバットマン」と紹介されました。

これ、戦国武将ファンでも、なぜ、長宗我部元親が「バットマン」なのか、???という方もおられると思います。

バットマンすなわち蝙蝠(こうもり)男…


織田信長の回のときにも説明したのですが、長宗我元親は、信長に砂糖を献上するなど「砂糖外交」を展開していました。

四国の支配を認めてもらおう、というわけです。

当時、信長の四国征服計画は、三好氏と協力するか長宗我氏と協力するか、で、路線が明確には定まっていませんでした。この路線の相違は、羽柴秀吉と明智光秀の路線の違いでもあり、これが本能寺の変のきっかけになった、ともいわれるところです。


さてさて、長宗我元親は、家臣の中でもインテリの(漢文の素養も深い)、中島可之助という人物を派遣します。もちろん、信長に四国の支配を認めてもらい、織田-長宗我部同盟を実現するためです。

ちなみに、このとき砂糖が献上されたかどうかは定かではありません。


信長に面会したとき、信長は言いました。


「元親は、チョウムトウノヘンプクだな。」


それに対して可之助は


「いや、ホウライキュウノカンテンでございます。」


と回答とます。

信長は、「よしよし」と上機嫌になり、可之助をほめ、元親の「四国切り取り次第」を認めた、といいます。


は??? なんじゃこりゃ???


これ、実は、戦国史家たちの中では、「なぞの問答」として有名です。

半分は解読されていて、


チョウムトウノヘンプクをすべて漢字で表記すると


鳥無島之蝙蝠


つまり、「鳥なき島のコウモリ」という意味になります。言うまでもなく「鳥無き里のこうもり」という諺を用いて、


「長宗我部元親など、四国という小さい島で、鳥がいないことをいいことに、自分が鳥だ、と言い張っているコウモリにすぎないではないか」


と、元親を見下したわけです。しょせんたいしたことがない、と…


問題は、「ホウライキュウノカンテン」という回答です。

よく言われることは、「蓬莱宮の寛典」と当てられて説明されます。

仙人が住むという蓬莱宮。寛典、とは、寛大な処置という意味…

でもねぇ~ これじゃ正直、意味がわかんないんですよね。

だいいち、これでは機知に富んだ「返し」とはいえませんし、信長も上機嫌になりません。


そこで、こはにわは考えました。


・可之助には漢文の教養がある。

・「鳥なき里のコウモリ」と主君が見下されたことを挽回しなくてはならない。

・それでいて、信長が喜ぶような「返し」でなくてはならない。


チョウムトウは「鳥なき島」で「鳥なき里」にあてたもの。

だったら、ホウライキュウも、それに対比されたものでなければなりません。

ヘンプクはこうもり。

だったらカンテンも鳥か何かの生き物に対比されていなければおもしろくありません。


ホウライキュウを「鳳来丘」とすればどうでしょう。

中国では宮殿には「鳳来台」というのがあり、伝説の鳥、鳳がやってきてとまる台が宮殿の一角にとりつけられています。


ヘンプクは「蝙蝠」の音読み。

カンテンもコウモリと対比されるものでなければなりません。

古代の中国では、鳳ではないけれど、鳳にみたてられる鳥がいるんですよ!

それが、鸛(かん)と鷆(てん)。

これらは、いずれも鳳に似ているとされて縁起がよい鳥。鸛はコウノトリ、鷆は夜行性のヨタカのような鳥です。


元親は、チョウムトウノヘンプクだろ!

いや、ホウライキュウノカンテンでございます!


しょせん鳥なき島のコウモリだろっ

いや、鳳がやってくる丘にいるコウノトリでございます。


と、回答したとしたらどうでしょう。


“鳳”がやってくるのを待っている“コウノトリ”。

鳳が信長で、コウノトリが元親です。


鸛鷆(カンテン)は鳳ではないが、それに匹敵する鳥。


けっして鳥なき里のコウモリなどではございません。立派な、大鳥、コウノトリやヨタカのようなものでございます。ただ、鳳が来る丘にて、鳳を待っているのでございます。


四国を平定する信長に代わって、信長さまが来るまで四国をおあずかりいたします、という意味がこめられていたわけです。

主人、元親を貶めることなく、それでいて信長を持ち上げている“名回答”ではないでしょうか。


チョウムトウノヘンプク

ホウライキュウノカンテン


の、「なぞの問答」に対する、こはにわの“ファイナルアンサー”なのですが、どうでしょうか。