『日本国紀』読書ノート(227・最終回) | こはにわ歴史堂のブログ

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朝日放送コヤブ歴史堂のスピンオフ。こはにわの休日の、楽しい歴史のお話です。ゆっくりじっくり読んでください。

【227・最終回】七十年にわたって積み重ねられ、育まれてきたことを、踏みつぶし、歪め、刈り取り、絶滅させようとしている動きこそ危険である

 

「戦争のない世界は理想である。私たちはそれを目指していかなければならない。しかし残念なことに、口で『平和』を唱えるだけでは戦争は止められない。世界と日本に必要なことは、戦争を起こさせない『力』(抑止力)である。」(P502)

 

戦争を起こさせない力=抑止力、という説明には賛成ですが、この「抑止力」を軍事力だけに求めて、政治や外交、経済の力に求めないのはもちろん賛成できません。

 

以下は細かいことが気になる私の悪いクセですが…

 

「日本と対極的な国といえるのが、スイスである。世界で初めて『永世中立』を宣言(文化二年【一八一五】し)し、二百年も戦争をしていないスイスだが(ヨーロッパが火の海となった第一次世界大戦でも第二次世界大戦でもスイスの国土は戦火に見舞われなかった)、強大な軍隊を持ち、男子は全員兵役義務がある。兵士の数は人口が約十六倍の日本の自衛隊に匹敵し、予備役兵を入れると、自衛隊の十倍以上の兵力となる。」(P502)

 

と説明されていますが、スイスも第二次世界大戦で戦火に見舞われています。バーゼル、チューリヒに、スイスの「親ドイツ的中立」を牽制する目的で連合軍は空襲をしています。また、シャウハウゼンはドイツ領と間違えたアメリカ軍による空爆を受けて大きな被害を受けました。

 

「スイスは『永世中立』を宣言しているが、他国がスイスを侵略しないとは考えていない。そのために常に侵略に備えているのだ。これが『国防』というものである。」

(P502)

 

と説明されていますが、スイスが「大戦中」に「永世中立」を守れて、侵略を防げた理由に「自衛隊の十倍以上の兵力」に求めるとしたら大きな間違いです。

第二次世界大戦においてスイスへの侵攻を阻止したのは外交と経済でした。

 

まず、スイスはドイツとイタリアとの対立を避けるため、イタリアのエチオピア侵攻、そしてドイツのオーストリア併合を承認し、国際連盟の経済制裁にも参加しませんでした。

スイスはフランスと密約を結び、スイス側の軍備増強を依頼していますが、フランスがあっさりとドイツに降伏してしまい、その密約がドイツに知られてしまいます。

ヒトラーはこれを「中立」違反とみなし、スイス侵攻の「もみの木作戦」を計画します。

スイスの企業の大部分はドイツ国内に支店や工場を持っていました。そこでスイスは民間企業の武器輸出は中立違反にならないことを活用して、ドイツからは原材料と石炭を輸入し、精密機械・武器を輸出し続けます。そしてスイス銀行は、ドイツがオランダ・ベルギーから接収した金塊を引き受けて、経済的にドイツを支えました。

またユダヤ人に対してもドイツの政策に「協力」してユダヤ人の入国を拒否しています。さらにスイスを通るドイツとイタリアを結ぶ鉄道の通交も拒否しませんでした。

こうしてスイスは「もみの木作戦」の発動を阻止し、ドイツの侵攻から免れたのでした。現実の戦争を回避するのは外交と経済である、ということも歴史から学ぶべきだと思います。

 

「この七十年以上、戦争がなかったことが奇跡ともいえる。ただ、これはアメリカの圧倒的な軍事力によって抑止されてきただけで、これから先も戦争に巻き込まれないというのは幻想かもしれない。」(P503)

 

と説明されていますが、この「七十年以上、戦争がなかったこと」は「奇跡」ではなかったと思います。そもそもその圧倒的なアメリカの軍事力を日本の後ろ盾とすることができのも外交ですし、周辺地域・国への友好的な交流、経済援助、外交など、積み重ねてきた「信頼」のトータルな力です。

また、アメリカ軍を「矛」とするなら自衛隊は「盾」として十全に抑止力となっていることは確かです。

グローバル・ファイアーパワーの「軍事力ランキング」では環太平洋の国々とアメリカを含めて紹介すると、

 

第3位 中国

第7位 日本

12位 韓国

14位 インドネシア

16位 ベトナム

18位 台湾

20位 タイ

22位 オーストラリア

23位 北朝鮮

 

ということになっています。日本の自衛隊は、基本的にアメリカ軍とさまざまな「共有」をしていて一体的な軍事行動も可能です。また装備も最新式のものが多く、何よりも「実働率」(兵器のメンテナンスが行き届いて使用可能な状態にある)がたいへん高い軍隊です。アメリカの圧倒的な軍事力『だけ』で維持してきたと考えていることが「幻想」です。

 

「安倍首相が改憲を目指すと言った直後から、野党、マスメディア、左翼系知識人、学者、文化人などの、安倍首相への凄まじい報道攻撃および言論攻撃が始まった。」

(P503)

 

と説明され、あたかも改憲を阻止せんがために「政権」に言いがかりをつけているかのような説明をされています。

私自身、むしろ自民党政権を支持している一人かもしれませんが、野党にせよ、マスコミにせよ、「安倍政権」の経済・外交・政治における問題点を指摘している部分については、いくつかの点で理解できないことはありません。

でも、それをテコに「改憲を阻止」しようとしている、「七十年にわたって、日本の言論界を支配してきたマスコミと左翼系知識人・学者たちの楼閣」を守ろうとしている、というのは百田氏の、ある種の「とらわれ」、「陰謀論」に近いものを感じます。

「改憲」「護憲」というような、冷戦期のような二項対立で、「激変した国際情勢」「国内政治」を理解しようとするのはかなり無理があります。

「左翼系」という表現もこの二項対立を象徴する表現で、現在の言論界、学者、そして若手の政治家たちの意識は、ほとんどイデオロギーや右派、左派という表現では括れない状況になっています。

 

「『日本人の精神』は、七十年にわたって踏みつぶされ、歪められ、刈り取られ、ほとんど絶滅状態に追い込まれたかのように見えたが、決して死に絶えてはいなかったのだ。」(P504)

 

と力説されていますが、七十年にわたって積み重ねられ、育まれてきたことを、踏みつぶし、歪め、刈り取り、絶滅させようとしている動きこそ危険です。

「日本の歴史」の説明が、その片棒を担ぐようなことに利用されることは避けなくてはならないと思います。

 

気がつけば、膨大な指摘とお話をしてきたようです。

「平成」最後の年に『日本国紀』という本に出会い、そして「令和」が始まる前になんとか「読書ノート」をまとめ終えることができました。

思うことは、歴史に、右も左も無い、ということ。ど真ん中のあなたの真後ろ。

多くの歴史研究者たちは、史料と資料の検証を積み重ね、「本来それはいかにあったのか」を日々求めています。

 

長く記してきた『日本国紀』読書ノートも筆を擱くときがきました。

私の拙い表現で、すべて正しく伝えきれなかったとは思うのですが、数多の歴史研究者たちの成果を、ほんの少しですが、この読書ノートを通じてお伝えできたのならば幸いです。