『日本国紀』読書ノート(226) | こはにわ歴史堂のブログ

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226】日本政府は冷戦後の国際情勢に適切に対応してきているのが実情である。

 

「我が国を取り巻く国際情勢は平成に入った頃から、急速に悪化してきた。しかし残念なことに、日本政府はこの状況に対し適切な対応を取れていないというのが実情である。」(P499)

 

「冷戦の終結」とともに「平成」が始まったかのようなタイミングであったことは間違いありません。

かつて「戦後」という言葉が日本の現代史を説明する際に、何らかの形で意味を為した言葉であるのと同様、「冷戦後」という言葉がまさに日本を「取り巻く国際情勢」を説明する際に欠かせない言葉になりました。

ただ、「悪化」をただのイメージではなく、具体的に説明する必要があります。

1991年、イラクによるクウェート侵攻に対して、アメリカ軍を主力とする多国籍軍が国連決議を背景に武力制裁に出ました。

日本は、アメリカに迫られ、「国際貢献」の名の下に資金援助をおこなっています。

これこそまさに血税からの捻出で、「この状況に対し適切な対応を取れていない」と説明されてしまいますと釈然としません。当時の憲法解釈、国民の理解でできる「適切な対応」であったと思います。

また、宮沢内閣が国連平和維持活動(PKO)法を成立させ、PKOに日本が積極的に関わるようになったのも「平成」に入ってからです。

1992年からカンボジアに停戦監視のため自衛隊を海外に派遣しています。以後、モザンビーク、ザイール、ゴラン高原でのPKOは現地での政府、あるいは住民から高い評価も得てきました。

1999年には自由党、公明党が政権参加し、衆参両議院で安定多数を確保し、新ガイドライン関連法を制定し、国旗・国歌法も制定しています。

2001年のアガニスタン紛争に対してはテロ対策特別措置法を制定し、海上自衛隊はインド洋で給油活動をしています。さらにまた翌年、東ティモールでもPKOをおこないました。

2003年のイラク戦争に対してはイラク復興支援特別措置法を制定し、その人道的支援もまた高い評価を得ました。

これらの活動と日本の対応を「日本政府はこの状況に対し適切な対応を取れていないというのが実情である。」と断定するのは不適切です。

 

「昭和四〇年代から(昭和三〇年代からという情報もある)、北朝鮮に何百人もの日本人が拉致されてきたにもかかわらず、自力で取り返すことさえできない。国の主権が著しく脅かされ、推定数百人の同胞が人権を奪われ、人生を台無しにされているにもかかわらず『返してください』と言うことしかできない。まったく国家の体をなしていないのである。こんなことは戦前の日本では考えられない事態である。いや、幕末の志士ならこんな暴挙は決して許さなかったであろう。」(P499)

 

だから、どうせよ、というのでしょう。これらは憲法が改正されれば解決する問題なのでしょうか。「自力で取り返すことさえできない」と言うならば、軍を派遣して拉致された人々を取り返す、ということでしょうか。たぶん、取り返すどころか拉致された人たちの行方もわからず殺されてしまうのがオチでしょう。

勇ましい言説ですが、非現実的な説明です。

それどころか、日本政府は現実的な対応で、一部ですが拉致された人々を取り返すことに成功しています。

2002年の小泉内閣は、それまで「拉致問題など無い」と頑なに否定してきた北朝鮮に対して、「拉致を認めさせた」だけでなく、拉致被害者を取り戻すことに成功しています。「『返してください』と言うことしかできない」などという説明は誤りだと思います。ましてや「国家の体をなしていない」は言い過ぎです。

 

「たしかに戦後半世紀以上、日本を軍事的に脅かす国は現れなかった。つまり九条があろうとなかろうと、結果は同じであったともいえる。」(P500)

 

と説明されていますが、歴史の段階を無視して憲法第9条を過小評価しすぎです。

戦後、日本は軍国主義を放棄し、「新生日本」となりました。

サンフランシスコ平和条約で調印しなかった国とも国交を回復したり平和条約を締結したり、さらには多くの国が賠償金を放棄し、日本も経済援助を積極的に取り組んできました。日本を東南アジア・東アジアの国々が受け入れた背景には「戦争放棄」を掲げたことが大きいことは明らかです。

「新しい日本」として国際社会に復帰できた背景には、やはり現行憲法の意味は大きいものがあったと評価すべきでしょう。吉田茂のサンフランシスコ講和会議での演説が説得力を帯びたのは、日本が口先だけでなく態度で示したからです。

https://ameblo.jp/kohaniwa/entry-12451762992.html

 

「第9条」を「足かせ」と考えるか「行動規範」と考えるかの問題で、冷戦後の国際紛争で、自衛隊や日本のPKO活動が評価されているのは「軍事力を持つ軍事行動」ではなく「軍事力を持ちながらもそれを行使しない経済・人道支援活動」だったはすです。

 

歴史的にみれば、終戦後、そして冷戦後、「第九条」は日本の国際的な「行動規範」たり得たと十分評価はできます。

ただ、私個人は、憲法は時代の変化に合わせてメンテナンスすべきであると実は考えている派です。

終戦から冷戦、そして冷戦後。人権意識や環境問題、そして安全保障のあり方など、現行憲法の「解釈」のみで対応する限界が近づきつつあることも確かです。

しかし、いま、憲法第9条を改正せんがために、過去のさまざまな段階での日本政府の外交政策・努力に対して、憲法第9条が「足かせ」となって「適切な対応を取れていない」と説明するのは誤っています。

 

「現在は、日米安全保障条約に基づいて、有事の際はアメリカ軍に助けてもらうことになっており、日米安全保障条約と在日米軍の存在が日本に対する侵略を抑止する力になっているが、現実に日本が他国の攻撃を受けた時、はたしてアメリカ軍が助けてくれるかどうかとなると、実は疑問視されている。」(P501)

 

これはごもっともなご意見です。ですが、これを言い出したらきりがありません。

CIAのターナー元長官やキッシンジャー、カールフォード元国務次官補の発言を紹介されていますが、また逆に、「日本が攻撃された場合、アメリカはアメリカが攻撃されたとみなす」(「基本姿勢」)と発言してきているクリントン国務長官、パネッタ国防長官、ヘーゲル国防長官、ケリー国務長官、カーター国防長官、ティラーソン国務長官、マティス国防長官らも紹介すべきです。

 

「抑止力」というのは、当たり前ですが、軍事力が行使されるまでの話で、攻撃されればその瞬間から役割を終えます。

ちなみにカール=フォード元国務次官補は、「自主的な核抑止力を持たない日本は、ニュークリア・ブラックメール(核による脅迫)をかけられた途端、降伏または大幅な譲歩の末停戦に応じなければならない」という話を、「国務次官補」として発言をしたことがないので念のため。