『日本国紀』読書ノート(225) | こはにわ歴史堂のブログ

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225】「朝日新聞」に関する批判が正確とはいえない。

 

「中華人民共和国は成立直後から、国民に対して苛烈な政策を行なってきた。」(P493)

 

と説明されていますが、誤りです。成立した1949年段階では、国民党をのぞく民主諸派と共産党の連立政権で、穏健な政治の下、農業生産・工業生産を伸ばしていきました。百田氏も説明されているように「反右派闘争」で何十万人を「労働改造」とし称して辺境に送ったのは1957年です。社会主義体制に移行し、共産党一党独裁に向かったのは1954年以降でした。

 

「余談だが、文化大革命については当初、日本の新聞社もこぞって礼賛記事を書いていたが、やがてその恐るべき実態を知り、批判記事を掲載し始めるようになる。中国共産党に批判的な報道をした新聞社・通信社は次々に北京から追放されたが、最後まで文化大革命の実態を報じず、処分を免れたのが朝日新聞社である。」(P493)

 

と説明されています。『日本国紀』の一つの視点に、マスメディア批判というのがあり、なかでも「朝日新聞」に対する厳しい批判が目立ちます。

たしかに1966年5月2日の社説を読むと、文革を第二革命と位置づけ、「中ソ論争の課題に答えようとする『世紀に挑む実験』といった意欲を感じられなくはないのである。」と記しています。文革を「道徳国家を目指す」という指摘は今となっては明確な誤りであったと説明できますが、「朝日新聞」に限らず他の新聞社も当時、なかなか文革の様子は見えにくいところがありました。もちろん、欧米の新聞に比べて批判の弱さも感じますし、他社よりも一歩踏み込んだ説明とはいえますが、その程度の差です。他社に関しては「礼賛記事」とまでは言えないような感じです。

また、「朝日新聞」は同年8月31日には「中国の文化大革命への疑問」という社説を掲げて批判に転じています。一度読まれればわかりますが、なかなか正確な紅衛兵運動の描写と批判だと言えます。「権力を持つ者の許可のもとに行われる革命-急激な改造-は、国家権力による強制にすぎぬのではないか。」という説明は今でも説得力のある指摘で、文革を批判的に説明するときにはよく引用される記事にもなりました。

もちろんこの後、「壁新聞」のそのままの紹介や、毛沢東が紅衛兵運動を鎮圧して以降は、中国政府側の方針に逆らわない記事になっていきますが、その頃は同時に「日中国交回復」への動きに対応したもので、とくに「朝日新聞」のみの論調では無くなっていたともいえます。「最後まで実態を報じず…」という説明は正確とはいえません。

 

「…日本政府は、同盟国アメリカとの関係を緊密にするため、『集団的自衛権』の行使容認などを含む『平和安全保障法制』の整備を急いだが、左派野党やマスメディア、左翼系知識人や文化人らが一斉に反対の声を上げた。彼らは、軍事機密などの漏洩を防ぐための『特定機密保護法』の制定にも大反対のキャンペーンを展開した。」(P494)

 

政府に反対する意見すべてが「左翼系」「GHQの洗脳」「共産主義思想」とレッテルを貼って退けようとする説明は著しく不正確です。

「反対の声」の中には、「特定機密保護法」に関する不備や問題点を指摘しているものも多く、特定機密の名のもとに立法府のチェックが妨げられる可能性もあります。野党が反対する理由もあったことは否定できません。

「平和安全保障法制」は、実は国際的には否定されていないものです。ただ、国内の憲法学者や行政法の専門家の中では懸念する声が多く示されています。

私個人としては実はむしろ賛成派なのですが、どういう問題点と課題があるのかを明らかにした説明が大切だと思っています。

反対者に「レッテル」を貼って否定する方法は、歴史の著述には似つかわしくないと思うからです。

 

以下は細かいことが気になるぼくの悪いクセですが…

 

「平成一五年(二〇〇三)四月二十日付けの朝日新聞は、『Q&A』というスタイルで、『ミサイルが飛んできたら?』という自作の質問に…」(P496)

 

と説明して「朝日新聞」を批判されていますが、日付が誤っています。このアンケートは平成15(2003)年ではなく、平成14(2002)年の誤りです。

 

「たしかなことは北朝鮮が同時に数発の核ミサイルを日本に向けて発射すれば、日本はこれをすべて撃ち落とすことはできないということだ。」(P497)

 

と説明されています。まことにごもっともな話ですが、これは現在の技術では、アメリカ軍でも無理な話です。

しかし、イージス艦の配備とその運用は北朝鮮にたいする防衛抑止力になっていることは確かです。

ただ… 蛇足ながら、「現時点で北朝鮮のミサイル発射基地を攻撃する能力もない」というのは自衛隊の過小評価だと個人的には感じています。

そういう「計画」などが防衛省や自衛隊内で考えられていない、とはまったく思わないからです。

それに、「現時点で北朝鮮のミサイル発射基地を攻撃する能力もない」と書いてしまっては、日本にはそんな能力がないのか、と侮られ、ますます強硬な姿勢に出られる可能性があります。

どうせなら「自衛隊の防衛能力は高く、有事には反撃できる能力は十分あり、その気になればミサイル基地を攻撃できる能力はあるが」憲法で禁じられている、と説明されたほうがよかった気がします。

いわゆる武道でいうところの「鞘の内」(ひとたび刀を抜けば相手を倒すのも容易な力があるのだが、抜かずに相手を屈服させる、という剣術の極意)が日本の自衛隊である、と私は個人的に思っています。