からだに恥をかく体操〜えんぴつみがき〜 -26ページ目

改訂シリーズ。赤福とおまけ

赤福、食いてえな。あれうまあよね。

さて、モヤモヤシリーズ始まるよ!。さて、じゃねえよ。ふざけすぎたね今回は。


相撲とるの?なんて、わざと聞こえる距離で
合コン相手にかわいい子だと伝えたり
性悪女よ、私のうちに来い
甘いものでも食ってけよ、それを見てやるよ
デブになれ私の家で、その隙に私は痩せる
家にある菓子を食わせる、復讐のダイエット
数値高くなる、プライドだけは下がる
恥も外聞もなく、食べ続けていけばいい
ぽっちゃりの方がモテるっていうよね
その言葉にのしつけて、そっくり返すから
デブになれ私の家で、うまいだろ、わかっているよ
太ってく様子を見てる、日記にもつけてやる
前髪で頬を隠して、プロフィール詐欺だと言われ
黒い服ばかり着てたら、マツコだと指差され
デブになるお前を見てる、それを見て私は痩せる
ブログでも晒してやるよ、炎上のダイエット



モヤモヤ。デブが咲き誇ったね!。頭の中のイメージ段階では、女の復讐劇…いや、決意をした女性の強さを…いにしえのテレビ番組「ど~なってるの!?」に再現VTR作られるようなものではなく、デリヘル呼んだら力士体型の人が来て、でも無碍に帰す勇気がない男が、とりあえず甘いものでも食ってけよおれはそれを見ててやるよって話だった。相撲とるの?はその名残。
また、
相撲とるの?なんて♪
わざと聞かなかったのも♪
から生み出されたイメージには、突然彼女がカッパになったと思ったら、どうやら世界中の人間がカッパになっている様子に気がつき、どうして自分だけがカッパじゃないのか、どうして自分だけカッパじゃないのに周りのみんなは普通に接してくるんだ、おれはカッパなのかカッパじゃないのか、皆はカッパなのかカッパじゃないのか、皆にはおれがカッパに見えているのか、だとしたら皆は自身のことをカッパだと気づいてないのか、という案も出たのは秘密だ。


以上ほぼ再投稿。私がこのブログ読者に与えることができる情報といえばダイエットのやりかたぐらいしかありゃしませんからね。どうですか、憎き相手を太らせながら自分は痩せる復讐のダイエットは。

さて、この歌詞のストーリーはいいのだけれど、このままだとボーナストラック行きです。なぜでしょう。それは、限りなく元歌と文字数を合わせた結果もあり短い文字数の中でストーリーを詰めこんだということもありますが、またもともとスタートがボーナストラック(ほぼウケ狙い)だということもあるのですが、まず第一に耽美的な表現と呼べるようなものがないことがこの歌詞がボーナストラックの域を出ない原因です。それと、これは元歌に合わせた結果の割愛ですが、具体的に何を食った食わせたのか、復讐相手は結局どうなったのか、登場人物を一言でいい得た語句等の背景描写に乏しいということもあります。
さて、耽美的な表現に戻りますが、ようするに、くだらない内容のものにいかにして耽美的表現を用いることができるか、が作詞家の役割なのであります。明るい曲には悲しい歌詞があう、という言葉があるように、作詞の方も同じで玉石混交だからこそ石という比較対象が隣にあることにより玉がよりはえるとでも云いましょうか、遊びなんだから真面目にやれよ、と、でも云いましょうか、全体はくだらなくてもサビ前後には山椒をピリリときかせたいのです。山椒は少し攻撃的な気もするので、ハチミツをかけたいのです、にしますか。ですから、この歌詞をボーナストラックから脱却させるには、
ま、それは企業秘密です(笑)。

って今まで語ってたのはお前だったのかーーい(今再投稿内容参照)。お前って誰だよ!。その企業秘密をおれにだけは教えてくれよおれの中に住む誰かよ。家賃ぐらい払えよ。ヘルプ、ヘルプミー、お前だけ不労所得生活かお前だけ不労所得生活かおれの中の何かを食って肥え太りやがってバカやろうが、お前から消してやる、お前から消してやるぞ、ダイエットだそうだハハお前が痩せてやがて線のように細くなってついに消えていくのをみててやる、お前の食い物でおれが肥え太ってやる。おれの内面を肥え太らせてやる。なに?、私が消えても太った栄養からまた第二第三の私が生まれる?。笑わせるな馬鹿や………


おれは一体なんなんだ?????

桃尻三年キカタン八年頬は九年で垂れ下がる。薬のばかめが18年

熟女と名乗って奥万年。やりまんねん。

最近よくよく思うのです。ニートはいますぐ何かを自称するのがよいと。人の一生、何かを自称するかしないか、自称できるかできないかで、これだいぶ違うのです。どう違うかというと、例えば、「芸人」を自称するとしよう、「詩人」でも「作家」でも「前衛芸術家」でも「モダン占い師」でもなんでもいいのですが、その瞬間、あなたは芸人となる。これは紛れもない事実です。実態の活動などあろうがなかろうが、あるいは私のようにブログ上でなんらかの愚文をさらすという手もありますが、芸人なんてものは国家の定めた免許制があるわけでもなんでもないのだから、名乗っちまえばいいのです。それだけで、あなたはもはやただのニートじゃない。その瞬間からあなたは売れていない芸人となる。ま、売れていない芸人とニートもしくはフリーターの差はいかにと問われればいささか答えに詰まることもありますが、なに、問題はそこじゃない。売れない芸人となったあなたは、一応やはりポツポツと売れてる芸人となる道を考えたりする。だって売れていない芸人だからです。養成所などに入っちまうってのはもはや人生の勝者です。なぜか、これはのちのち語りますが。売
れてない芸人であるあなたは当然バイトをしなきゃあならない。売れてない芸人はバイトをするもんです。売れる芸人を目指してバイトをするのです。こんなこと言うのもあれですが、たぶんあなたは一生売れない芸人なりなんなりのままでしょう。が、それでいいじゃあないですか。きっと楽しいですよ。芸人をやるのは。夢を追っているのは。なんせ、むつかしいむつかしい、人生は絶対に厳しくなければならないんだ、とする、たぶん自分の人生に自信がなく不安だらけだからとりあえず、この不安は世の中が厳しいせいなんだ、みんなが厳しい世の中に生きてるんだから私も安心だ、厳しく生きてない奴は私の知らない未知の生物だから人並みに厳しく調教してやらないとならない(その実これは己の不安を他者を通して肯定しようとしている。同じ儀式を経験させ、それは往々にして自分の体験にプラスアルファする、同族を増やし安心したいための、ただの自己欺瞞、虚栄心、嫉妬、または衛生観念ゼロのババアが握るおにぎりのようないらぬおせっかいにすぎない。こういう人はまた妙な愛社精神があったりする。これも所属組織を愛することでしか現状を認められない、いわ
ば現実逃避にすぎない。要するに“ひとつの世の中、ひとつの生き方”しか知らない無知からくるものでしかない)、あれ、カッコの前は何を言っていたんだっけ。まあいいや。サラリーマンにならないと死ななきゃならない道理はないのです。また、会社員にならなくても生きていけます。世の中そんな自称の人、たくさんいます。そしてえてしてそんな人は楽しげです。やることがあるのです彼らには。陳腐な言葉ですが、夢を持つことは金ではかえないもんです。ま、たいていの夢は金でかなうんですけど夢をかなえる、はまず金でなんとかなりますが、夢を持つ、って部分が金では買えないのです。毎日生きてるかいがあるのです。厳しくないですよ。厳しい厳しいと言われる仕事も。夢がありますからね。なにかに向かってまっすぐ生きているからです。これ大事です。私は最近よくよく思うのです。目標がある人生は素晴らしい。
バカなことを言ってないで現実をみろとかなんとかおっしゃられる人もおられるでしょうが、では現実とは一体なんでしょうか。やはり収入でしょうか。ある人は言います。せめて年齢の10倍ぐらいの年収及び生涯収入を稼がなくてはな、と。これはふらふらしていた頃の私をさして現実をみろとのニュアンスでありました。しかしはたしてこの収入率論が現実とよばれるものなのでしょうか。確かに私もたいがいのものは金で解決すると考えますし、人並みかそれ以上に収入があれば、生きていくのが楽なのかもしれません。ですが、そういう人に限って年齢の100倍も1000倍も稼ぐ人のことを非現実的にみてる気もします。要するに、自分が生きてきた中で構築してた価値観の押し付けなのです。つまりは、自分がおくってきた人生を他人を通じて肯定したいがためです。とっても不安なわけです。他人を通じて確かめようとしているのですから。そりゃもう不安なのです。同じ価値観を持つ仲間がひとりでも多く欲しいのです。すごくわがままです。自分がおくってきた人生がよかったのかどうか。これはつまり自分の人生がいかに平均平凡的かと同時にいかに個性的であるか
のせめぎ合いからくる不安でしょう。いち生命体といろいろ考えることをやめちまわない自意識とのせめぎ合いです。人間ならではのせめぎ合いですよ。昔話ばかりするのはその証拠です。夏目漱石もかの著作「吾輩は猫である」のなかで言っています。正確には吾輩の主人が言っています。放蕩家を悪くいう人の大部分は放蕩する資格のない人だ、と。ま、続く文で自称放蕩家の大部分もまた放蕩する資格のない人だと言ったのち、私のいうところの自称のあり方のようなものを大批判しているのですけど、しかしこれはあくまでも個人個人の体感幸福を焦点に論じたものではありませんからね。
人は生きなきゃならないし死ななきゃならないのです。
バイトなりなんなりの面接にだって堂々と芸人ですと名乗ればいい。詩人なら詩人と名乗ればいい。作家なら作家と名乗ればいい。人生なんてナメた者勝ちの部分あります。童貞がどんなにエロ本を読んでも非童貞にはなれないみたいなものです。実際に楽しんだ者勝ちですよ。真面目に毎日毎日遅くまで働いて給料安いと妙にハイテンションな笑みを浮かべて嘆いてる人みるとむかつきます。なにが社会人ですか。やってることがちょっと変わっただけで言ってることは弟妹ができて母を独占できなくなった小さな子供がこねる駄々とまるで変わらない。しかもそういう人たちは結局金儲けの努力とそのリスクをおってない人たちです。そういう人は真面目にさえ働いていれば将来安泰だと信じているようですが、そんな保証はありませんからね。真面目に仕事しかしていない、は言い換えれば、いまやってる仕事以外の取り柄がない、つまりは無性生殖で増える生物みたいなもんです。吹いてる風がちょろっと変わっただけで、びっくりするほどあっさり死滅することもあるのです。特に最近その傾向が強くなってきています。いわんや将来をやです。それに、時間は返ってきません。と
なるとしたいことができなかった過ぎ去りし無駄な時間は美化するしかない。そうやって自分に言い聞かせるより自分を正気でいさせる方法がない。すごくやっかいです。他人を巻き込みます。同じ底なし沼にはまれとばかりに引きずりこんできます。最悪な奴らです。


これもメモなのよ。メモメモ。ちょっといろいろあるなかで創作されつつあるとあるアレの登場人物のセリフ候補だからこれは。これをメモしてたら、取手の事件が起きてびっくりした。中也も言ってるもんな。夢見るだけの男になろうとは思わなかった、ってさ。夢追いをうたう奴がやっぱりダメでとちくるっていくってのやりたかったのに、これあダメだなって思った。先に使われるようじゃダメだなって。でもね私は思うのです。私は水嶋ヒロと友達になりたい。なりたいな。なれるかしら。絶対なってやる私はポケモンマスターに。そして野良猫にグレープフルーツを横に切り、中身をくりぬいたようなものを手当たり次第に投げつけた私は、動物愛護法違反で伏し目がちなポリスに捕まり、牢名主からたわむれに食い終わった薄いアルミの汁器をふたつ貝合わせにしたやつを投げられるんだ。かんらからから。「ポケモンゲットだぜ」「…………」「おい。おれのボールは当たったよな?、ポケモンマスターさん?」「………」「おれがポケモンゲットだぜっていったらなんて言うんだったかな、マスターさん?」「……ピカピカ」「ああん?」「ピカピカ」「ああん?」「ピカピ
カ!」「なにがピカピカだコラああん!?、なめてんのかてめえ!、おれがポケモンゲットだぜっていったら、おめえ、すぐさま壁に頭をぶつけねえかバカやろう!。ちっちゃくならねえとボールに入らねえだろうが!。ああ、そうか。頭をぶつけるってその要領がわからねえのかい。なあに、人生何事も最初はトーシロからのはじまりよ。おれは思うんだがね、男女の交わりもはじめはトーシロからはじまって、なれてきたころに腹がふくれる。そんでもって生まれてくる赤ん坊もトーシロときやがる。トーシロの塊みてえな奴だこいつは。するってえとなにかい、物事のはじまりはトーシロからはじまるってんなら、きっと宇宙のはじまりも今よりずっとトーシロだったんだろうねえ。きっと宇宙にも、こうなんてえか宇宙かくあるべしなんて説くコーチがいてよ。そんでもってある程度なったらいっちょひとりでビッグバンしてみろってんでこうなったんだろうかねえ。ま、おれっちには関係ねえ話だぜ。おれに関係あるのはお前の頭がビッグバンという偉大な功績に手えかすぐらいだからな。なあにビッグバンのことならおれあにまかしっちくり。ほれ暴れるな。やれいくぞ。はい、
どーん」。ぐちゃり。「ほらビッグバン」。私の頭が、ビッグバン?。一体いま私の頭はどうなって………ああ、目の前に私の右目が見える。すなわち今私は左目で飛び出た右目を見ながらその飛び出た右目で私の顔を見ている。なんて不思議な世界でしょう。セルフ鏡地獄とでも申しましょうか。とにかく右目が飛び出たなら、鏡代わりになって便利だあね、などとのたまいだすまえに、しまわなくちゃあなりません。ああ、しかし、私の頭蓋はどこでしょう。右脳はどこにありましょう。左脳はどこにいきましょう。瞼はやがて重くなり、意識は遠くゆらゆらと。世に云うこれがビッグバン。他人の頭でビッグバン。飛び出た中身はしまわれず、埃まみれの脳髄で、ビッグクランチの夢をみる。
水嶋ヒロ氏からの連絡を待ちます。3日間くらい待ちます。おれに連絡くれたら次回作に、任しっちくり、って使っていいよ。別におれが作った言葉じゃないけど。あ、水嶋ヒロシさんからの連絡は一切待ってません。

ああ、クリスマスですか。うちではぼくが子供のころ、なぜクリスマスにケーキを食べるのか、で激しい口論が勃発したことがありましてね、結局、これはキリスト様の誕生日パーティーにご相伴しているという名目なんだろうからとりあえず神棚にもケーキ一切れ入れとけ、ってことに落ちつきましたね。この神棚から神界通信でキリスト様にきっと届けてくれるだろっていうカトリックも啓蒙思想家も宅配業者でさえ鼻で笑うような理屈でね。子供ながらに変な家庭だなって思ったものだよ。っていうどうでもいい嘘。嘘。

メモ

日本の政治家の公用語を赤ちゃん言葉にしたらいいのに。
どうも斎藤智某です。日銭を稼ぎながらオヤジギャグを書いています。僕は2000万円のためなら不具になってもかまわない。だから僕は金に困ってる人間を描くことはないのだ。2000万円を得ることもないのだ。大が小を兼ねるのはこの世の真理なのだからどうするもこうするもないのだ。貧乏人が金持ちにまさる点など、こと貧乏においてさえもありはしないのだ。ヤスオにギャグでも勝てはしないのだ。これは醜い所業なのだ。醜い嫉妬なのだ。
かの小説に対するすべての批判は、かつて芥川竜之介が「朱儒の言葉」の中で記した「半肯定論法」のように、「それだけだ」の世界に終始するだろう。「はつらつとしてるが、それだけだ」「手軽に読めるが、それだけだ」「一気に読める。それだけだ」。それだけだ、とそれだけしか言えない評論家にかぎって彼の小説を我先にと読み、それだけだとわざわざ草の根かき分けてでもいいふらし、次にまたそれだけだと言うことのできる書物をさがす。だがそれもしようがない。それだけだってものも世の中にはある。人生自体がそれだけのものに過ぎない。。僕は2000万円がどうしても欲しいのだ。やりたいことがたくさんあるのだ。数え切れやしないよ。ひとつもふたつも数え切れやしないよ。
悲運は努力すればするほど、学べば学ぶほど文の技術者としてより確かになっていったこと。
夢野久作はやたらキャラクターのネーミングに凝る人だった。かっこいいキャラクターにはそれなりにかっこいい名前を、深窓の美少女ならばそれなりにどこか透き通るような肌を思い浮かべる名前をつけるべきだ、と、それはまあどの作家もそうなのだけれど、それに夢野久作は異常なほどこだわりがあった。こだわりというよりも夢野久作のコンプレックスから生じた偏執だと思う。理論では当時の作家たちにかなわないなら感覚には強いこだわりがなければいけないというような。時に本編の推敲よりネーミングに時間がかかったというし、時に名作の登場人物の名に腹に据えかねる、いっそ自分が名前を書き換えたいとばかりに文句をつけた、ぐらいネーミング観にこだわりがあった。
ものっそいあっさりとしかも大胆にそのネーミング観を述べるならば、普通にありそうで、しかしキャラの持つ見た目を読書にある程度統一されたイメージを与えることができて(当たり前だが作者が創作した作者の脳内にのみ存在するオリジナルなキャラと同じくするイメージを読者に連想させるということ。欲張りなことだ)なおかつやはりどこか現実離れした、そんな名前。登場人物のネーミングがその作品のすべてだと夢野久作は言った。そういう作り手、たまにいる。
夢野久作のキャラクターネーミング観は「豚男とヒョロ子」によくあらわれている。というよりも、これはタイトルから察せられるように、「豚男とヒョロ子」はネーミングという技法のみをノウハウに書かれた小説だ。内容はまあめちゃくちゃで(なんせネーミングだけで書かれたから)、「豚男」と「ヒョロ子」の夫婦が「無茶先生」にそうとうな無茶をされる、というあってないようなもんだが(好きだけど)、タイトルから始まったネーミングの技法が物語の最後になってちょろっと補足のような感じで登場し物語は完結するのだが、夢野久作のネーミング観を先に知っている人にはその申し訳程度のちょろっとした物語のオチが、知らない人はおいてけぼりをくらうに違いないオチが、ははあんなるほどなあ、と嘆息するに至る

これはメモよ。メモなのよ。2000万円が欲しい。とても欲しいのだよ。3150万払っても2000万円が欲しい。

滅亡バーグマンハウス

あの池上さんが映画「ロビン・フッド」を解説!
じゃなくて、
あの池上さんが映画「ロビン・フッド~伝説のタイツ男~」を解説!
だったら、少しだけぼくを笑顔にさせていたかもしれない。
バイオレンスフィクションは解説できて伝説のタイツ男という英雄物語へのアプローチの仕方を解説できない道理はあるまいよ。映画配給会社はただちにタイツ男の方の宣伝もかますべき。それの解説も池上さんにやらすべき。べきべきべっ………所哲也

今日わらったこと。

何の気なしにケータイでテレビ番組表をみていたら、深夜のテレ東「石川某スペシャル」なんちゃらという番組の裏の、番組欄でいうとそれの一個下のMXで、「俺の妹がこんなに~~」が列記されていたこと。
これは嫌がらせに違いあるまいよ。これは嫌がらせに違いあるまいよ。さようなら。

きみがっ!、泣くまでっ!、完顔阿骨打をっ!、やめないっ!!

ギザおそろしす。
某甲殻類人の比じゃないほど完顔阿骨打されるからね。
君が完顔阿骨打になるまで殴るのをやめない、にするかどうかを、できるだけ早くやらなければいけないことが目の前いっぱいに広がっているのに小一時間小首をかしげて悩む小ポエミックな小ぼく。ハチミツかけないと食べたくないのあたし(ブログ主のポエポエしてる人に対する貧困なイメージ。ちなみに、しょうゆかけねえと食いたくねえんだよおれあ、はブログ主の酔うとめんどくさい人に対する貧困なイメージ)。
完顔阿骨打は世界史にでてくる人名のはずだが、上記タイトルは特に完顔阿骨打についての語呂合わせになってるわけではない。いうなれば、語呂合わせ嫌がらせ。まっとうな語呂合わせよりもインパクトのある語呂合わせっぽい文で、受験生に混乱をもたらす悪魔の業。それが語呂合わせ嫌がらせ。
123456ビルマ!!、とかね。語呂合わせ嫌がらせだよ。リズムがいいだけで、言葉にまるで何かが含まれているなんてないからね。123456ビルマ!!。語呂合わせ嫌がらせだよ。語呂合わせ嫌がらせ。嫌がらせ語呂合わせかな、どっちかっていうと。嫌がらせ語呂合わせ。イヤ語呂。お風呂で覚えるイヤ語呂。でるイヤ。でないけど。
「いい国つくろう………としたんだけど…実家の兄が…エストポリス伝記の続きを…みんな一緒に監察処分っ!」みたいなさ。どの地域のどの時代なのかもわからないし、実際なんの語呂合わせになってなく、まして、どうしてみんなで監察処分を受けたのか気になって勉強不足を引き起こすという悪魔の業。
ああ、酔うとめんどくさいのは私めのことですね。ではまたいつか。