ぼくとアナルおじさん
ぼくのまちにはアナルおじさんがいます。
アナルおじさんはいつもパワーボムをしかけるときみたくもちあげた女の人のアナルに頭を入れてぼくのまちを散歩しています。アナルのなかでも息ができるよう、アナルおじさんののどには穴があいていて、そこからシュノーケリングみたいにパイプが突き出しています。そのパイプの先には、灯油を入れるときにつかうような、大きなうきわに空気をいれるときにつかうようなポンプがついていて、おじさんは歩くリズムを利用して、しゅしゅ、と空気を肺におくっています。
今日もぼくはアナルおじさんとあいました。道のむこう側からおじさんはあるいてきました。もうすぐすれちがうというところで、ぼくははじめておじさんにあいさつをしてみました。ぼくが「こんにちは」というと、おじさんはポンプをしゅしゅといつ もとちがうリズムでおしてくれました。
ぼくはそのことに少しおどろいたのでたちつくしてしまいました。ぼくはアナルおじさんの顔のあたりをずっと見ていました。アナルおじさんはぼくをとおりすぎました。ぼくがずっとアナルおじさんの顔あたりを見ていると、上の女の人に、
「なに見てんだよガキ」
と言われました。ぼくは、ひょっとしたらアナルおじさんはアナルおばさんなのかな?と思って学校へ向かいました。
おわり。モヤモヤ
アナルおじさんはいつもパワーボムをしかけるときみたくもちあげた女の人のアナルに頭を入れてぼくのまちを散歩しています。アナルのなかでも息ができるよう、アナルおじさんののどには穴があいていて、そこからシュノーケリングみたいにパイプが突き出しています。そのパイプの先には、灯油を入れるときにつかうような、大きなうきわに空気をいれるときにつかうようなポンプがついていて、おじさんは歩くリズムを利用して、しゅしゅ、と空気を肺におくっています。
今日もぼくはアナルおじさんとあいました。道のむこう側からおじさんはあるいてきました。もうすぐすれちがうというところで、ぼくははじめておじさんにあいさつをしてみました。ぼくが「こんにちは」というと、おじさんはポンプをしゅしゅといつ もとちがうリズムでおしてくれました。
ぼくはそのことに少しおどろいたのでたちつくしてしまいました。ぼくはアナルおじさんの顔のあたりをずっと見ていました。アナルおじさんはぼくをとおりすぎました。ぼくがずっとアナルおじさんの顔あたりを見ていると、上の女の人に、
「なに見てんだよガキ」
と言われました。ぼくは、ひょっとしたらアナルおじさんはアナルおばさんなのかな?と思って学校へ向かいました。
おわり。モヤモヤ
街路樹陰茎灯〜二〜
これほどまでに男は社会的価値を失い女により淘汰されつつあるが、生殖活動に精子が必要である以上、その存在価値までは失われず、奴隷として生かされている。いつでも絶滅可能な状態で。
年齢のいった、男の社会を知っている個体は既に殆ど始末されたが、性別のコントロール、産み分けが出来ていない以上男は自然に産まれ出る。その自然に、も、不思議と数が少なくなってきており、今では出産の八割方が女であるが。
前世界では主に宗教的倫理観によりその分野が日の目を見ることは無かったが、この完成された世界では前世界以上のあらゆる分野の科学的発展を遂げる意志はなく、また、学者等インテリ層は、これは男女共、女王達に特に嫌われ粛清されたこともあり、スーパーモバイルプリンター登場以後数十年が経過したが目立った科学的発展はない。
自然に産まれる男達は当然親から忌み嫌われる。その感情の一部には我が子が将来奴隷になることが義務付けられている悲しみもあるのだろうと信じたいものだが。しかし、産まれてくる子が男だとわかっても堕胎は許されない。というのも、性別など如何に腹の中を超音波検査しようが結局産まれてみなければわからないという部分が多いにある為だ。しかし男と診断したなら産ませない。腹が本格的に膨らむ前、妊娠20週から26週辺りで腹から取り出し、母親からみれば、無かったこと、にしてその精神的ダメージを軽減し、国が奴隷として管理、教育するのだ。しかししかし、そう割り切れない母親も少なからずいる。特に男女の双子の場合などに顕著である。そういう場合逃げながら産むしかないのだが彼女等は、大概捕まる。第一に、男と診断されたということはそのことを知られたということである。第二に、たとえ運良く捕まらず産むことが出来ても、必ず誰かにバレてしまう。バレたら必ず密告される。カリスマ女王の信者達にとってその母親は裏切りものに他ならないからである。
それでも、それでも何とか、国の、女王の目を盗み男を出産し育てている者達がいる。彼女等親子だけではない。運良く奴隷の束縛から逃れた男達も随分いる。誰にも知られずひっそりと日本の深い山間で、衛星写真からも観測出来ぬ深い林の中で、女王達の恐怖に怯えながら、そして、大いなる野望、夢、希望を抱きながら、その野望を今まさに目前としながら。
奴隷から救われた彼等は私の言うことをきく。言いなりだと言ってもよいだろう。奴隷として生き、奴隷として生きてきた彼等には、そうして生きる以外に道は無いのだろう。しかし、不思議なことに母親達も私の言うことをよくきいてくれる。恐らく、女王達の手から目から逃げていく過程で自身の絶対的忠誠を裏切る不敬行為に対する呵責や女王への疑問、疑念やらが入り混じった感情、また未来に、安心が約束された未来を投げ打ったことに対する不安を抱えたところへ私が現れ救いの手を差し出したことにより、彼女等の女王への忠誠心が反動で私に仮託されたのか、はたまた忘れかけていた父性というものに惹かれたのか、とにかく、こちらも、皮肉ながら奴隷のように言うことをよくきいてくれる。
私はこの無知で無教養な、まるで野人のような知識しか持たぬ奴隷達を「アダムとイブ」と呼ぶ。
そう、私は人類の歴史をやり直そうとしている。この腐った世界を原始に帰す。腐った世界、というのは何も女が世界を支配しているからではない。私は、少なくとも前世界ではフェミニストであったのだ。腐った世界といったのはこの発展を捨てた社会のことである。向上心のかけらも無い現在社会では、私が手を下さなくてもいずれ近いうちに種の絶滅を迎えるであろう。現にスーパーモバイルプリンターにより労働とそれに伴う知恵を振り絞るということを辞めた人類、この現在社会が確立されてから数十年、この間に産まれた四十歳にも満たない人間が次々と認知症など主に老化により起こる脳の問題を起こしその寿命を終えている。
人類が作り出した人類の英知の結晶とでも評価すべき機械がまさか人類から生きるベクトルを奪ってしまったとは。連続性の無い“点”はいずれ消え去るのみである。私はただ便利な世の中を、格差を抱えた奴隷的労働環境の改善を目指しただけであったのだが。
もはや人類は救えない。文明を捨て、過去に戻り一からやり直すしかない。執るべき手段は一つ。私は私の生み出したこのスーパーモバイルプリンターにより地球ごと刷新するつもりである。我ながら恐るべきことに、それは可能なのである。とはいえ従来のスーパーモバイルプリンターでは出来ない。所詮箱型機械であり、地球刷新を行おうとすれば赤道を四角く囲む枠が必要だからだ。現行のスーパーモバイルプリンターでもその枠自体は創れるだろうが、悲しいかなその枠を組み上げ固定及び可動させる人類の知恵や技術がない。なぜならその枠は前世界で存在しなかった物であるからだ。しかし、私には地球刷新が出来る。現代の人類にはおよそ不可能であろうが私はスーパーモバイルプリンターの技術を発展させたのだ。この新スーパーモバイルプリンターは直径50メートル程の円形をしている。私がこの機械のスイッチを入れればこの機械の上に乗っている物質以外、機械を中心にして波動のような波が大地を伝い、まるでドミノ倒しのように物質が、自然も建物も動物も人間も、次々と再構成されていくだろう。この新スーパーモバイルプリンターでは、生命を創り出すこと
は出来ないまでも、生命を既存の別の生命に変えることが出来る。現代を何の疑いもなく過ごしている人間達には些か悪い気もするが、これも人類の為だ。せめて人間は哺乳類に変えよう。
この新スーパーモバイルプリンターの上に乗せる人間は当然「アダムとイブ」達である。私は乗らない。無神論者の私が新世界の神になるわけにはいかないからである。彼等には最低限の生きる知恵を与えたつもりだ。それに、神様気取りではないが、刷新された後暫くはこの辺りを生活しやすい環境に変える。
願わくば彼等の子孫が私と同じ発明をせぬよう。では、世界よ、私の知る歴史よ、さらばだ。
ひょっとしたら、このスイッチが永劫回帰のスイッチなのかもしれない……………。車椅子の老人はスイッチを押した瞬間そうおもったが、すぐに一匹の鹿に変わった。
終わり。
年齢のいった、男の社会を知っている個体は既に殆ど始末されたが、性別のコントロール、産み分けが出来ていない以上男は自然に産まれ出る。その自然に、も、不思議と数が少なくなってきており、今では出産の八割方が女であるが。
前世界では主に宗教的倫理観によりその分野が日の目を見ることは無かったが、この完成された世界では前世界以上のあらゆる分野の科学的発展を遂げる意志はなく、また、学者等インテリ層は、これは男女共、女王達に特に嫌われ粛清されたこともあり、スーパーモバイルプリンター登場以後数十年が経過したが目立った科学的発展はない。
自然に産まれる男達は当然親から忌み嫌われる。その感情の一部には我が子が将来奴隷になることが義務付けられている悲しみもあるのだろうと信じたいものだが。しかし、産まれてくる子が男だとわかっても堕胎は許されない。というのも、性別など如何に腹の中を超音波検査しようが結局産まれてみなければわからないという部分が多いにある為だ。しかし男と診断したなら産ませない。腹が本格的に膨らむ前、妊娠20週から26週辺りで腹から取り出し、母親からみれば、無かったこと、にしてその精神的ダメージを軽減し、国が奴隷として管理、教育するのだ。しかししかし、そう割り切れない母親も少なからずいる。特に男女の双子の場合などに顕著である。そういう場合逃げながら産むしかないのだが彼女等は、大概捕まる。第一に、男と診断されたということはそのことを知られたということである。第二に、たとえ運良く捕まらず産むことが出来ても、必ず誰かにバレてしまう。バレたら必ず密告される。カリスマ女王の信者達にとってその母親は裏切りものに他ならないからである。
それでも、それでも何とか、国の、女王の目を盗み男を出産し育てている者達がいる。彼女等親子だけではない。運良く奴隷の束縛から逃れた男達も随分いる。誰にも知られずひっそりと日本の深い山間で、衛星写真からも観測出来ぬ深い林の中で、女王達の恐怖に怯えながら、そして、大いなる野望、夢、希望を抱きながら、その野望を今まさに目前としながら。
奴隷から救われた彼等は私の言うことをきく。言いなりだと言ってもよいだろう。奴隷として生き、奴隷として生きてきた彼等には、そうして生きる以外に道は無いのだろう。しかし、不思議なことに母親達も私の言うことをよくきいてくれる。恐らく、女王達の手から目から逃げていく過程で自身の絶対的忠誠を裏切る不敬行為に対する呵責や女王への疑問、疑念やらが入り混じった感情、また未来に、安心が約束された未来を投げ打ったことに対する不安を抱えたところへ私が現れ救いの手を差し出したことにより、彼女等の女王への忠誠心が反動で私に仮託されたのか、はたまた忘れかけていた父性というものに惹かれたのか、とにかく、こちらも、皮肉ながら奴隷のように言うことをよくきいてくれる。
私はこの無知で無教養な、まるで野人のような知識しか持たぬ奴隷達を「アダムとイブ」と呼ぶ。
そう、私は人類の歴史をやり直そうとしている。この腐った世界を原始に帰す。腐った世界、というのは何も女が世界を支配しているからではない。私は、少なくとも前世界ではフェミニストであったのだ。腐った世界といったのはこの発展を捨てた社会のことである。向上心のかけらも無い現在社会では、私が手を下さなくてもいずれ近いうちに種の絶滅を迎えるであろう。現にスーパーモバイルプリンターにより労働とそれに伴う知恵を振り絞るということを辞めた人類、この現在社会が確立されてから数十年、この間に産まれた四十歳にも満たない人間が次々と認知症など主に老化により起こる脳の問題を起こしその寿命を終えている。
人類が作り出した人類の英知の結晶とでも評価すべき機械がまさか人類から生きるベクトルを奪ってしまったとは。連続性の無い“点”はいずれ消え去るのみである。私はただ便利な世の中を、格差を抱えた奴隷的労働環境の改善を目指しただけであったのだが。
もはや人類は救えない。文明を捨て、過去に戻り一からやり直すしかない。執るべき手段は一つ。私は私の生み出したこのスーパーモバイルプリンターにより地球ごと刷新するつもりである。我ながら恐るべきことに、それは可能なのである。とはいえ従来のスーパーモバイルプリンターでは出来ない。所詮箱型機械であり、地球刷新を行おうとすれば赤道を四角く囲む枠が必要だからだ。現行のスーパーモバイルプリンターでもその枠自体は創れるだろうが、悲しいかなその枠を組み上げ固定及び可動させる人類の知恵や技術がない。なぜならその枠は前世界で存在しなかった物であるからだ。しかし、私には地球刷新が出来る。現代の人類にはおよそ不可能であろうが私はスーパーモバイルプリンターの技術を発展させたのだ。この新スーパーモバイルプリンターは直径50メートル程の円形をしている。私がこの機械のスイッチを入れればこの機械の上に乗っている物質以外、機械を中心にして波動のような波が大地を伝い、まるでドミノ倒しのように物質が、自然も建物も動物も人間も、次々と再構成されていくだろう。この新スーパーモバイルプリンターでは、生命を創り出すこと
は出来ないまでも、生命を既存の別の生命に変えることが出来る。現代を何の疑いもなく過ごしている人間達には些か悪い気もするが、これも人類の為だ。せめて人間は哺乳類に変えよう。
この新スーパーモバイルプリンターの上に乗せる人間は当然「アダムとイブ」達である。私は乗らない。無神論者の私が新世界の神になるわけにはいかないからである。彼等には最低限の生きる知恵を与えたつもりだ。それに、神様気取りではないが、刷新された後暫くはこの辺りを生活しやすい環境に変える。
願わくば彼等の子孫が私と同じ発明をせぬよう。では、世界よ、私の知る歴史よ、さらばだ。
ひょっとしたら、このスイッチが永劫回帰のスイッチなのかもしれない……………。車椅子の老人はスイッチを押した瞬間そうおもったが、すぐに一匹の鹿に変わった。
終わり。
街路樹陰茎灯
注)顔面ポンプ。以下の文を読むにあたりこの言葉を覚えておくようお願い申し上げます。
戦後のSF作家が誰一人として携帯電話の発達、普及を予言出来なかったという大ポカをやらかしたよう、2009年の人間、作家、科学者、研究者、妄想人、その他誰一人として、この20××年の世界の在りようを正確に言い当てた者はいまい。
20××年、世界の人口は約40億まで減り、減少の加速は止まらない。それに足並みを揃え日本、今のところ日本は国を維持している、の人口も2000年初頭の約半分、6500万人にまで減少している。この数字は1935年、昭和10年の人口とほぼ同じである。
そして経済及び政治。202X年、日本で、ある機械、が発明され、様々な圧力、障害をものともせずに全世界に普及且つ進化を遂げ、牽いては資本主義の滅亡という大変革を遂げた。その機械とは、一言で言ってしまえば、プリンター、である。しかし、ただ紙に印刷する機械ではない。2000年初頭には、立体プリンターやプリンターの技術を使い、細胞レベルから臓器を“刷る”機械技術が既に存在していたが、この世界の経済基軸、秩序を変えた機械とは、日本での通称「なんでもつくっチャオ☆」こと「スーパーモバイルプリンター」、わかりやすく説明すれば超高性能立体プリンターである。このプリンターの技術を進化させた機械はなんでも創ってしまう。なんでも、文字通り、形あるものならば、なんでも、だ。勿論用途によって仕様は様々なものがあるが、この言い方ももはやバカバカしいのだが、この機械にかかれば、トンネルを掘りながらコンクリートで固めて行く自動掘削機のよう、ビルだろうが、自動車だろうが、洋服だろうが、植物だろうが、森だろうが、山だろうが、人体だろうが、原材料さえ調達すれば創れてしまう。その原材料さえ核技術及び物理学の
発展により、極端な話をするならばビルを創る場合、設計図を打ち込み、必要量の“土”をインクカートリッジに入れさえすれば、それだけで二週間後にはたとえ地上何百メートルのものであろうが出来上がる。この技術によりあらゆる製造業界に大激震が走ったことは言うに及ばず、人件費の削減などという次元の話ではなく、産業革命以降発生した機械と人間の労働力戦争にも終止符が打たれた。ピサの斜塔も法隆寺も建てたのは大工、も今は昔。“木造建築”に於いても設計図が同じならばこのスーパーモバイルプリンターで建てた建物の方が熟練の大工が建てたものより遥かに耐震性があったし、まさしくイメージ通りのものが出来る。ロストテクノロジーである過去の名工が打った業物の日本刀や経年変化により初めてその素晴らしい音色を響かせるストラディバリウスでさえも、スーパーモバイルプリンターは創り出してみせた。自動車の運転や船の舵取り、パイロットに至っても、自動運行システムが確立され、そのシステムがプログラムされた基盤やチップなどの脳の部分さえもスーパーモバイルプリンターは体と同時に創ってしまう、人の手のかからないものとなった。む
しろ、人の手をかけると保険に加入出来ない時代もあった。数十年程前まで、顕著な例では衣服やアクセサリーブランドなどユビキタス社会を逆手にとり、家庭用スーパーモバイルプリンターに制限をかけ、オリジナルデザインをダウンロード販売することにより確かな利益を上げていたが、それも資本主義が息をしていた頃の話。人件費の必要が無くなった社会では労働と対価の図式は崩壊した。単純に労働力の需要も消え去り、従って賃金というものが無くなり、金の流通が無くなり、人命よりも重かった金の力は南国に降った雪のよう、あっという間に露と消えた。では資本主義がまだ息をしていた頃、賃金を得ない人々がどうやって物を得たか、答えは簡単、スーパーモバイルプリンターさえ手元にあれば、衣食住なんの不自由もない。スーパーモバイルプリンターが壊れた時にも、誰かのスーパーモバイルプリンターを借りてインクカートリッジにその壊れたスーパーモバイルプリンターを入れれば新品に生まれ変わる。究極のリサイクルである。電気が無ければ、電気代を払わなければスーパーモバイルプリンターを動かせないのではないかと思われるが、エネルギー技術の発展
により、太陽光発電で充分なエネルギーを得られ、その必要はない。あらゆる政府は初めエネルギー産業などライフラインを資本主義最後の砦として衣服ブランドのようにスーパーモバイルプリンターによる複製に制限をかけたが、結局は無駄であった。あらゆるものがダウンロードフリーになり、あらゆる会社は軒並み“倒産”した。倒産、という概念は既に無くなっていたのだが。そもそも、貨幣さえ、なのだから。デフレとインフレを繰り返し、それはそれは“虚しい”デフレとインフレであった、ついに資本主義は崩壊し、人類は労働をやめた。人々は資本主義に替わるものとして、スーパーモバイルプリンターによる享楽を用い、大享楽主義を自称した。20XX年、人類は人類史に無い長大且つ永遠に続くモラトリアム、アプレゲールを甘受し、飼い慣らされた犬のような生活をしている。
と、長々と記述したものの、今まで上述したことは、スーパーモバイルプリンターにより人々が働かなくなった、という部分以外忘れてよい。従って、“顔面ポンプ”などというわけのわからない言葉を覚えられている諸氏がいたらそれも忘れてよい。文句があるのならばそれは自身のその優れた記憶力に物申せばよいであろう。
ああ、20XX年。
膨大な時間の牢獄。
人々は生まれた瞬間から始まる余生を疑うことなく明るく楽しく生きている。
あの頃はよかったと時折つぶやく老個体。
戦争ってなに?先生も知らない。
情報ってなに?弱者の欺瞞さ。
教育ってなに?今こうして私が優越感に浸っていることさ。
全人類は趣味に時間を費やすことになるのだが、その趣味も、より単純に、より野蛮に、生きていることそして死を実感出来るようなものが人気であり、モテる。それは有史以来変わらないようである、が、
オセロのチャンプがまた負けた。
チェスのチャンプがまた負けた。
将棋のチャンプがまた逃げた。
碁のチャンプがまた負けた。
力士は土俵の上でパラパラを踊る。
レスラーは対戦相手とキスをする。
ボクサーは山に籠もって死んだ。
エベレストの八合目にコンビニ建った。
砂漠の真ん中に楼閣建った。
それら趣味全ては女によるものだ。モテる、としたが、それは女が女に、の話である。政治、主義、労働、男の男による男の為の役割は消え去った。残った男のやることといえばセックス、芸術乃至創作活動、料理ぐらいなもので、生命の存続、種の存続に於いて最も重要且つ本能に刷り込まれている育児に於いても、男は必要なくなった。要は無用の長物。必要なのは精子と使い捨ての快楽のみ。男がいるから戦争が起こるのだ、男が権力を持つから様々な問題が起こるのだ。女は抑圧され続けた数千年の感情を爆発させ、男と女の戦争ともいえるムーブメントが起こった。武力行使等血を見るといったことは無かった。なぜなら役割を終え呆然と立ち尽くしていた男達は女達の世界規模の“パーティーゲーム的ヒステリー”に抗う術もなく、次々と尻尾を丸め、その軍門に下ったからだ。まるであぶくのような男と女の戦争であった。戦争とは勝利の末に得るもの、領土であったり資源であったり自国の経済の潤いであったり正義であったり守るべき者の為であったり、それがあるからこその戦争であり、戦いなのだ。しかしながらこの戦争には、女には勝った時に得るものがあるが、男
には無かった。勝っても負けても、やることなど何もないのだ。世界中の国々の首長が女、即ちカリスマ的女王、になった頃、人間の男とは人間と動物の間の生物でありその人権を認めない、という内容の憲法が発布、施行され、男は女のペットと化した。
男は、その肉体的な能力差を振りかざし女に抵抗出来ないよう、外に出る時は一枚の精神異常者の描く色彩画のような装飾が施された畳一畳程のベニヤ板に三つ穴を空け、その穴から両手首と首を出し、首輪からいざという時には気絶する程の電流が流れる紐で女の手に繋がれていて、ペットどころか奴隷のように扱われている。家にいるときは人それぞれであるが、大抵柱に繋がれている。主人に“楽”をもたらすことが奴隷の存在意義であるからして、セックスを含めた身の回りの世話全般にスーパーモバイルプリンターの範疇ではない肉体労働、そして奴隷のすることと云えばそう、女王達は男に力をつけさせるなと禁じているが、元来他人を見下したい女の性質上、地下では古代ローマで行われていた奴隷同士の決闘が盛大に行われてはブリーダーとしての地位を得ようとしている。この状況に反抗する男もいないことは無いのだが…。
20XX年、世界は女のものとなり、となれば風俗や街並みも女のものとなる。単純に言ってしまえば女の男化である。女は男に“隠す”ことをやめたのだ。
例えば誰かと喧嘩や揉め事になった場合、裁判などしない。まず喧嘩や揉め事に至る前に、噂話や陰口による村八分合戦があるのだが、事ここに至れば、役所の許可を得て、当人同士、複数人同士や複数のグループ同士の場合その代表者が一対一、みつどもえ、よつどもえの殴り合いで決着をつける。まるで男の世界のそれである。が、殺害までも許容される。殴り合いの末の友情など無い。たまに、ではあるのだが、これもパーティーゲーム的に、「あの人やっちゃおうよ」、と、海外旅行中スリにあったと嘘をつき保険金を騙し取るような感覚で、この世界にはもう金も保険金も無いのだが、行われているようである。
街並みも変わった。街並みがピンク一色になるだとか、うさぎさんだらけになるだとかは古い男のイメージで、実際はその逆、車のハンドルでいう“遊び”の部分がまるで無い街並みになった。無駄なスペースが無く、質実剛健であると云えばそうでもあるが、可愛さなどとは程遠い。全部が全部“同じ形”をした、一様な景観が並んでいる。ビルも学校も病院も何もかも同じ形。女が着ているものさえ皆一様で、強いて云えばアクセサリー等や家具の装飾が若干違うぐらいなものである。夏になれば裸で歩くものも多い。皆と同じならばいい、寒くなければいい、なのである。
街並みといえば、街の至る所に実物大のディルドーが、街路樹が並ぶように大小様々なものが据え付けられている。女は街中で、さも当然のように下着を下ろし、ぐねぐねと腰を動かす。戦後のラッキーホールも真っ青な光景であろう。そんなものは家でやれと思われるかもしれないが、これはある種のスポーツである。勿論性的欲求を満たす意味合いもあるが、ま、健康の為ランニングに勤しむ人々もしくはスポーツジムで汗を流す人々を想像すればよい。女は気が向いた時や虫さされのように痒い時に、間寛平の持ちギャグ、かいーの、の如く腰を振り、性的快感や健康やストレス発散に励んでいるのだ。どうやら衆目の中でやることによりその効果が上がるらしいので仕方あるまい。男の目など無い世界ならでは、といったところか。
続
戦後のSF作家が誰一人として携帯電話の発達、普及を予言出来なかったという大ポカをやらかしたよう、2009年の人間、作家、科学者、研究者、妄想人、その他誰一人として、この20××年の世界の在りようを正確に言い当てた者はいまい。
20××年、世界の人口は約40億まで減り、減少の加速は止まらない。それに足並みを揃え日本、今のところ日本は国を維持している、の人口も2000年初頭の約半分、6500万人にまで減少している。この数字は1935年、昭和10年の人口とほぼ同じである。
そして経済及び政治。202X年、日本で、ある機械、が発明され、様々な圧力、障害をものともせずに全世界に普及且つ進化を遂げ、牽いては資本主義の滅亡という大変革を遂げた。その機械とは、一言で言ってしまえば、プリンター、である。しかし、ただ紙に印刷する機械ではない。2000年初頭には、立体プリンターやプリンターの技術を使い、細胞レベルから臓器を“刷る”機械技術が既に存在していたが、この世界の経済基軸、秩序を変えた機械とは、日本での通称「なんでもつくっチャオ☆」こと「スーパーモバイルプリンター」、わかりやすく説明すれば超高性能立体プリンターである。このプリンターの技術を進化させた機械はなんでも創ってしまう。なんでも、文字通り、形あるものならば、なんでも、だ。勿論用途によって仕様は様々なものがあるが、この言い方ももはやバカバカしいのだが、この機械にかかれば、トンネルを掘りながらコンクリートで固めて行く自動掘削機のよう、ビルだろうが、自動車だろうが、洋服だろうが、植物だろうが、森だろうが、山だろうが、人体だろうが、原材料さえ調達すれば創れてしまう。その原材料さえ核技術及び物理学の
発展により、極端な話をするならばビルを創る場合、設計図を打ち込み、必要量の“土”をインクカートリッジに入れさえすれば、それだけで二週間後にはたとえ地上何百メートルのものであろうが出来上がる。この技術によりあらゆる製造業界に大激震が走ったことは言うに及ばず、人件費の削減などという次元の話ではなく、産業革命以降発生した機械と人間の労働力戦争にも終止符が打たれた。ピサの斜塔も法隆寺も建てたのは大工、も今は昔。“木造建築”に於いても設計図が同じならばこのスーパーモバイルプリンターで建てた建物の方が熟練の大工が建てたものより遥かに耐震性があったし、まさしくイメージ通りのものが出来る。ロストテクノロジーである過去の名工が打った業物の日本刀や経年変化により初めてその素晴らしい音色を響かせるストラディバリウスでさえも、スーパーモバイルプリンターは創り出してみせた。自動車の運転や船の舵取り、パイロットに至っても、自動運行システムが確立され、そのシステムがプログラムされた基盤やチップなどの脳の部分さえもスーパーモバイルプリンターは体と同時に創ってしまう、人の手のかからないものとなった。む
しろ、人の手をかけると保険に加入出来ない時代もあった。数十年程前まで、顕著な例では衣服やアクセサリーブランドなどユビキタス社会を逆手にとり、家庭用スーパーモバイルプリンターに制限をかけ、オリジナルデザインをダウンロード販売することにより確かな利益を上げていたが、それも資本主義が息をしていた頃の話。人件費の必要が無くなった社会では労働と対価の図式は崩壊した。単純に労働力の需要も消え去り、従って賃金というものが無くなり、金の流通が無くなり、人命よりも重かった金の力は南国に降った雪のよう、あっという間に露と消えた。では資本主義がまだ息をしていた頃、賃金を得ない人々がどうやって物を得たか、答えは簡単、スーパーモバイルプリンターさえ手元にあれば、衣食住なんの不自由もない。スーパーモバイルプリンターが壊れた時にも、誰かのスーパーモバイルプリンターを借りてインクカートリッジにその壊れたスーパーモバイルプリンターを入れれば新品に生まれ変わる。究極のリサイクルである。電気が無ければ、電気代を払わなければスーパーモバイルプリンターを動かせないのではないかと思われるが、エネルギー技術の発展
により、太陽光発電で充分なエネルギーを得られ、その必要はない。あらゆる政府は初めエネルギー産業などライフラインを資本主義最後の砦として衣服ブランドのようにスーパーモバイルプリンターによる複製に制限をかけたが、結局は無駄であった。あらゆるものがダウンロードフリーになり、あらゆる会社は軒並み“倒産”した。倒産、という概念は既に無くなっていたのだが。そもそも、貨幣さえ、なのだから。デフレとインフレを繰り返し、それはそれは“虚しい”デフレとインフレであった、ついに資本主義は崩壊し、人類は労働をやめた。人々は資本主義に替わるものとして、スーパーモバイルプリンターによる享楽を用い、大享楽主義を自称した。20XX年、人類は人類史に無い長大且つ永遠に続くモラトリアム、アプレゲールを甘受し、飼い慣らされた犬のような生活をしている。
と、長々と記述したものの、今まで上述したことは、スーパーモバイルプリンターにより人々が働かなくなった、という部分以外忘れてよい。従って、“顔面ポンプ”などというわけのわからない言葉を覚えられている諸氏がいたらそれも忘れてよい。文句があるのならばそれは自身のその優れた記憶力に物申せばよいであろう。
ああ、20XX年。
膨大な時間の牢獄。
人々は生まれた瞬間から始まる余生を疑うことなく明るく楽しく生きている。
あの頃はよかったと時折つぶやく老個体。
戦争ってなに?先生も知らない。
情報ってなに?弱者の欺瞞さ。
教育ってなに?今こうして私が優越感に浸っていることさ。
全人類は趣味に時間を費やすことになるのだが、その趣味も、より単純に、より野蛮に、生きていることそして死を実感出来るようなものが人気であり、モテる。それは有史以来変わらないようである、が、
オセロのチャンプがまた負けた。
チェスのチャンプがまた負けた。
将棋のチャンプがまた逃げた。
碁のチャンプがまた負けた。
力士は土俵の上でパラパラを踊る。
レスラーは対戦相手とキスをする。
ボクサーは山に籠もって死んだ。
エベレストの八合目にコンビニ建った。
砂漠の真ん中に楼閣建った。
それら趣味全ては女によるものだ。モテる、としたが、それは女が女に、の話である。政治、主義、労働、男の男による男の為の役割は消え去った。残った男のやることといえばセックス、芸術乃至創作活動、料理ぐらいなもので、生命の存続、種の存続に於いて最も重要且つ本能に刷り込まれている育児に於いても、男は必要なくなった。要は無用の長物。必要なのは精子と使い捨ての快楽のみ。男がいるから戦争が起こるのだ、男が権力を持つから様々な問題が起こるのだ。女は抑圧され続けた数千年の感情を爆発させ、男と女の戦争ともいえるムーブメントが起こった。武力行使等血を見るといったことは無かった。なぜなら役割を終え呆然と立ち尽くしていた男達は女達の世界規模の“パーティーゲーム的ヒステリー”に抗う術もなく、次々と尻尾を丸め、その軍門に下ったからだ。まるであぶくのような男と女の戦争であった。戦争とは勝利の末に得るもの、領土であったり資源であったり自国の経済の潤いであったり正義であったり守るべき者の為であったり、それがあるからこその戦争であり、戦いなのだ。しかしながらこの戦争には、女には勝った時に得るものがあるが、男
には無かった。勝っても負けても、やることなど何もないのだ。世界中の国々の首長が女、即ちカリスマ的女王、になった頃、人間の男とは人間と動物の間の生物でありその人権を認めない、という内容の憲法が発布、施行され、男は女のペットと化した。
男は、その肉体的な能力差を振りかざし女に抵抗出来ないよう、外に出る時は一枚の精神異常者の描く色彩画のような装飾が施された畳一畳程のベニヤ板に三つ穴を空け、その穴から両手首と首を出し、首輪からいざという時には気絶する程の電流が流れる紐で女の手に繋がれていて、ペットどころか奴隷のように扱われている。家にいるときは人それぞれであるが、大抵柱に繋がれている。主人に“楽”をもたらすことが奴隷の存在意義であるからして、セックスを含めた身の回りの世話全般にスーパーモバイルプリンターの範疇ではない肉体労働、そして奴隷のすることと云えばそう、女王達は男に力をつけさせるなと禁じているが、元来他人を見下したい女の性質上、地下では古代ローマで行われていた奴隷同士の決闘が盛大に行われてはブリーダーとしての地位を得ようとしている。この状況に反抗する男もいないことは無いのだが…。
20XX年、世界は女のものとなり、となれば風俗や街並みも女のものとなる。単純に言ってしまえば女の男化である。女は男に“隠す”ことをやめたのだ。
例えば誰かと喧嘩や揉め事になった場合、裁判などしない。まず喧嘩や揉め事に至る前に、噂話や陰口による村八分合戦があるのだが、事ここに至れば、役所の許可を得て、当人同士、複数人同士や複数のグループ同士の場合その代表者が一対一、みつどもえ、よつどもえの殴り合いで決着をつける。まるで男の世界のそれである。が、殺害までも許容される。殴り合いの末の友情など無い。たまに、ではあるのだが、これもパーティーゲーム的に、「あの人やっちゃおうよ」、と、海外旅行中スリにあったと嘘をつき保険金を騙し取るような感覚で、この世界にはもう金も保険金も無いのだが、行われているようである。
街並みも変わった。街並みがピンク一色になるだとか、うさぎさんだらけになるだとかは古い男のイメージで、実際はその逆、車のハンドルでいう“遊び”の部分がまるで無い街並みになった。無駄なスペースが無く、質実剛健であると云えばそうでもあるが、可愛さなどとは程遠い。全部が全部“同じ形”をした、一様な景観が並んでいる。ビルも学校も病院も何もかも同じ形。女が着ているものさえ皆一様で、強いて云えばアクセサリー等や家具の装飾が若干違うぐらいなものである。夏になれば裸で歩くものも多い。皆と同じならばいい、寒くなければいい、なのである。
街並みといえば、街の至る所に実物大のディルドーが、街路樹が並ぶように大小様々なものが据え付けられている。女は街中で、さも当然のように下着を下ろし、ぐねぐねと腰を動かす。戦後のラッキーホールも真っ青な光景であろう。そんなものは家でやれと思われるかもしれないが、これはある種のスポーツである。勿論性的欲求を満たす意味合いもあるが、ま、健康の為ランニングに勤しむ人々もしくはスポーツジムで汗を流す人々を想像すればよい。女は気が向いた時や虫さされのように痒い時に、間寛平の持ちギャグ、かいーの、の如く腰を振り、性的快感や健康やストレス発散に励んでいるのだ。どうやら衆目の中でやることによりその効果が上がるらしいので仕方あるまい。男の目など無い世界ならでは、といったところか。
続