有島武郎別荘カフェ「一房の葡萄」は4月16日(土)にオープンいたします。
きょうの軽井沢は晴れ。穏やかな春の一日でした。最高気温は15℃、最低は2℃。
さて、軽井沢高原文庫の敷地内に移築保存されている有島武郎別荘内のカフェ「一房の葡萄」は、来週末4月16日(土)から新年度オープンいたします(水・木は休み)。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
また、軽井沢タリアセン内の塩沢湖畔に移築保存されている旧朝吹山荘「睡鳩荘」も、同じ4月16日(土)にオープン予定でございます。先日、本欄でお知らせいたしました通り、4月23日から6月12日まで、「女流博物画家 メーリアンの世界展」を開催いたします。
なお、本日、午前中、現在2階展示室で開催中の「高原に立った煙~軽井沢文学と災禍~」に対する読売新聞の取材があり、記者の方をご案内しました。午後は雑誌「ナイルスナイル」の撮影&取材があり、堀辰雄1412番山荘、旧朝吹山荘「睡鳩荘」、辻邦生山荘の3つをご案内しました。アントニン・レーモンド「夏の家」(=ペイネ美術館)への同誌の撮影もありました。
軽井沢町も新型コロナウイルス感染症の陽性者が少しずつ増えています。今日は13例確認されました。皆さまも、どうぞくれぐれもお気をつけください。
写真は、3年前の2018年4月21日午後3時頃、有島武郎別荘を北側から私が撮影したもの。建物を取り囲むようにしてあるヤマザクラが満開でした。 (大藤 記)
『軽井沢の文化遺産&資料集2』が刊行
このほど、『軽井沢の文化遺産&資料集2』が刊行されました(2022.3.31、軽井沢文化遺産保存会)。A4判、本文162頁、モノクロ、図版多数。執筆者10名。私も「軽井沢における川端康成」を書かせていただきました。
全体は、「第1部 論文、研究ノート、紹介など」「第2部 特集 取り壊された『軽井沢の川端康成別荘』 歿後50年」「第3部 軽井沢の文化遺産 保全と次世代継承」から成っています。
ちょうど1年前、「資料集1」の時も本欄で紹介したと思います。きのう、届いたばかりで、じつは私もまだよく読んでいませんが、様々なテーマの論考が収められており、いろんな素材が提供されていて、避暑地・軽井沢の近現代史(とくに歴史、建築、文化遺産、別荘生活、避暑地の起源など)に関心を寄せる方には、必須な文献の一冊となりそうです。
限定出版のため、数はあまりないようですが、いずれ当館ショップでも販売することになると思います。 (大藤 記)
中村真一郎色紙(「祝婚」)を受贈
昨日、俳句や短歌などの短詩型文学を中心とした出版社の東京四季出版の元社長・松尾正光氏の奥様から、中村真一郎・当館前館長が筆で書いた俳句の色紙をご恵贈賜りました。前日、夫人よりお電話をいただき、先月12日にご主人が残念にも84歳でお亡くなりになったこと、資料を整理していたら色紙が出てきたので縁の深い当館へ寄贈したいとの誠に有難いお話などをうかがったのでした。
色白で丸顔の、電話の声も聞き取りやすい松尾社長(当時、事務所は東京・銀座にありました)のことは、私もよく覚えております。ご冥福を心よりお祈り申し上げます。
ところで、お送りいただいた包みを開けて、びっくりしました。そして、一瞬にして、記憶が蘇りました。その色紙は、今から36年前、当館で「中村真一郎展―『四季』の世界―」(1986.5.1~7.30)を開催したさい、記念の販売物として製作した複製色紙3点の内の1点の原本だったのです。
色紙には、「祝婚」という前書がついていて、そのあとに、次のような俳句が3行に分けて、筆で書かれています。「木枯しや星明り踏む二人旅」。落款に当たる部分には、「真一郎」の署名と「真」の印が押されています。私の記憶違いでなければ、印の作者は串田孫一さんです。
小説家として79年の生涯を送った中村先生は、俳句は長い生涯で30句も作ったかどうかわからない、といった趣旨のことをエッセイで述べておられますが、これはそうした数少ない自作の句の一つです。
もっと言えば、じつは、この俳句は、開成中学以来の同級生で、終生親交を結んだ作家の福永武彦さんが、第二次大戦中の1944年に山下澄さん(筆名・原條あき子)と結婚したさい、その新婚夫婦に中村先生が贈った句なのです(中村真一郎「私と俳句」/『俳句のたのしみ』、1990.11、新潮社)。
「戦争とそれに続く苛酷な現実が、この未熟な「二人旅」を中断させることになり、この句だけが空しく今日まで残った。」(同)
もちろん、色紙は後年に書かれたものですが、さまざまな因縁のこめられた貴重資料がまた1点、当館に収蔵されました。松尾裕子さんに対し、厚く御礼申し上げます。 (大藤 記)
軽井沢は約5センチの雪が降りました。
今日から4月がスタートしました。昨晩、軽井沢では5センチほど、雪が降りました。 朝、起きて外を見て、びっくりしました。
写真は、午前8時半過ぎ、軽井沢高原文庫を道路側から写した1枚です。すっかり銀世界になっているのがお分かりになると思います。
開館前、さっそく雪かきをして、お客様が歩かれる道をつくりました。水分をたっぷり含み、それでいて、とてもやわらかい雪でした。春の雪の特徴。あと何回、今年は雪を楽しめるでしょうか。
明朝、軽井沢は気温が-5℃まで下がると予想されています。水道の凍結に気をつけなければなりません。寒冷地に暮らしていると、そういったことがつい、気になってしまいます。
新型コロナの感染者数が再び増加傾向を見せ始めています。軽井沢町でも数字が伸びています。皆さまも、どうぞくれぐれもお気をつけください。
もう1枚の写真は、本館裏に移築されている堀辰雄1412番山荘の西側のクマザサの茂みです。ご覧の通り、すっぽり雪に埋もれています。ここにはクルミの木が1本あり、秋になると決まってリスが訪れます。 (大藤 記)
来月、「女流博物画家 メーリアンの世界展」開催(旧朝吹山荘「睡鳩荘」)
4月23日(土)~6月12日(日)まで、軽井沢タリアセンの旧朝吹山荘「睡鳩荘」において、「女流博物画家 メーリアンの世界展―『スリナム産昆虫変態図譜1726年版』刊行記念―」を開催いたします。チラシデザインができましたので、ここに載せます。
メーリアン(1647-1717)は、今から375年前にドイツ・フランクフルトに生まれた女性画家です。フルネームは、マリーア・ズィビラ・メーリアン。彼女は、ユーロになる前の500ドイツマルク紙幣に肖像が用いられるくらい、ドイツでは大変有名な人物です。
彼女が遺した図譜の中で、最高傑作とされるのが『スリナム産昆虫変態図譜』です。今回、世界の昆虫学、植物学、博物学、芸術に大きな影響を与えた本書の邦訳初刊行(岡田朝雄・奥本大三郎訳、白石雄治製作総指揮、鳥影社刊)を記念して、本書から約30点を額装展示いたします。
いま、そのための準備で、今回、展示協力をいただいている発行元の(株)鳥影社の北澤晋一郎さんとやりとりをしています。
展示企画をご提案いただいた新部公亮さんのお話によれば、『スリナム産昆虫変態図譜』は、これまで図版だけは1991年に荒俣宏さんの監修でリブロポートから出版されていましたが、日本語に翻訳されるのは初めてとのこと。また奥本大三郎さんが翻訳された図版No.61〜72の英訳は世界初とのことです。
皆さまも、この時期に軽井沢にいらっしゃったら、よろしかったら睡鳩荘をのぞいてみて下さい。本書の作品写真は、黒澤明映画のスチール写真などを担当したイサム高野さんが撮影されています。
なお、この展示とは別に、軽井沢高原文庫では、7~8月にかけ、敷地内の堀辰雄1412番山荘において、この書物をもとに、さらに様々な実物の昆虫標本などを加えた博物学的立体展示を計画しています。展示協力は新部公亮さん。こちらもどうぞ楽しみにしていて下さい。 (大藤 記)
本日は立原道造の命日です。
本日3月29日は、詩人・建築家の立原道造の命日です。立原道造は83年前の今日、東京・江古田の東京市立療養所で亡くなりました。24歳8か月。
立原道造を愛する方は、それぞれ思い思いの仕方で立原を偲んでおられることでしょう。
私の場合、今日は立原の晩年の手記「長崎紀行」をあらためて読んでみようと、すでに鞄に入れました。
ところで、現在、軽井沢高原文庫は、「高原に立った煙~軽井沢文学と災禍~」を開催しています。会場でも、立原道造の詩「はじめてのものに」をパネルで展示していますが、ここでは立原が1938(昭和13)年8月21日、友人小場晴夫に宛てて送った、浅間山噴火に関する葉書をご紹介しましょう。文面は次の通り。
「二十三日には浅間山ガ有史以来の大発爆をします。(之を見ノガサナイ様)(追分測候所発)/フランスパンをわすれるなかれ! TAT・」
2日後、浅間山が有史以来の大爆発をすると追分測候所が予報を出したから、これを君も見逃さないように!、という実にユーモア溢れる内容です。もちろん、これは冗談で友人に書き送った手紙です。
次に掲げる画像は、『立原道造全集』5(2010年9月、筑摩書房刊)の口絵よりとらせていただいた葉書裏面です。色鉛筆で中央に浅間山の爆発が描かれています。末尾の「TAT・」は立原道造の「立」を、アルファベットを使い記号化した立原のサイン。全体に、遊び心が感じられます。
なお、立原関連で言えば、先日、クラシック系純音楽作曲家の木下牧子さんから、英訳立原道造詩集をお送り頂きました。大変丁寧なお手紙と共に。2年ほど前、木下さんにIida&Epp『OF DAWN, OF DUSK―The Poetry of Tachihara Michizô』(2001)をお貸ししたのを、お返し下さったのでした。 (大藤 記)
あす、深沢紅子の命日
あす3/25は、画家深沢紅子の命日です。深沢紅子は29年前の1993年3月25日、山梨県南都留郡山中湖村の別荘で亡くなりました。90歳。
軽井沢高原文庫は「軽井沢高原文庫通信」創刊号(1986.4)から第20号(1993.3)まで、表紙に掲載する挿絵を、堀辰雄や立原道造らと親交の深かった深沢紅子先生にお願いし、8年間、毎号、季節に沿った花の絵を描いていただきました。私は創刊号から編集を担当しています。
さて、以下のことは、ご長男の故深沢龍一氏から私がうかがった、紅子さんがお亡くなりになった当時の話です。
深沢紅子さんは、亡くなる日の前日、深沢龍一さんの山中湖別荘に滞在し、定期的に診てもらっていた山梨赤十字病院の院長先生に丁寧なご挨拶をすませ、夕食は大好きなうなぎを召し上がり、静かに床に就かれたとのことです。その日は奇しくも、1年前、夫・省三氏が亡くなった日でした。
翌朝、家族の方が寝室に行くと、紅子さんはすでに息を引き取っておられたとのことです。
この話を初めてうかがった時、私は深い感銘を受けました。お亡くなりになる前に、紅子さんは盛岡へ行って、ご主人の1周忌の墓参もなさっていたとのことでした。
「強いものより弱いもの、華やかなものより落ちついたもの、賑やかなものより静かなもの、私の選ぶもの、求めるものは、幼い頃から、心に染みた、野の花の心、ひっそりと佇む野の花の姿以外の何ものでもなかったことを悟りました。/その想いが、争いごとをも忘れて、終生を貫けたことを幸せに思います。」(深沢紅子「野の花によせて」より抜粋/『深沢紅子自選画集』、実業之日本社刊、1986年)
さて、深沢紅子野の花美術館では、3月19日から「紅子さんと省三さん~軽井沢の画家夫妻~」を開催しています。次に掲げる作品は「るり草」(水彩、1992年)です。
ルリソウは、ムラサキ科ルリソウ属の多年草。春、軽井沢では、やや湿った落葉樹林の林床で、この瑠璃色がかった可憐な花を見つけることができます。私の好きな花の一つです。当館の裏庭にも自生しています。 (大藤 記)









