辻邦生山荘見学会2022①を開催しました。
きょう、辻邦生山荘見学会2022①を開催しました。きょうの軽井沢は快晴。気温は最高22℃、最低9℃。山荘周囲はハルゼミがさかんに鳴いていました。
参加者の中には、仙台から参加されたという熱心な若い男性もいらっしゃいました。また辻山荘近くに祖父の代から別荘を持ち、1962年に廃線となった草軽電鉄に乗った経験があるという男性が奥様と参加されていました。その方から、電鉄は単線のため三笠駅で向こうから来る車両が来るのを待ち、到着すると車掌同士が丸い輪を交換し合っていたことや、国境平駅付近は野の花がたくさん咲いていたことなど、興味深いお話を披露いただきました。
私はうかがっているうちに、思わず、信濃追分の山荘にいた福永武彦が廃線を惜しんでわざわざ草軽電鉄に乗りに行き、それを室生犀星に報告している手紙を想い出しました(手紙は当館蔵)。
きょうは、辻邦生・佐保子夫妻の山荘の隣人、磯崎新・宮脇愛子夫妻についてのご質問もお受けしました。磯崎さんは辻山荘の設計者です。
つい、ご案内に夢中になってしまい、写真を撮りませんでしたので、終了後、高原文庫に戻る途中、北陸新幹線の陸橋の上から撮影した浅間山の姿をここに掲げます。
初夏の催しのひとつを無事に終えることが出来、ほっとしております。昨夜、私はこの催しに備えて、辻さんの作品から『ある生涯の七つの場所』の一部を読み返しました。
ご参加くださった皆さま、ほんとうにありがとうございました。 (大藤 記)
「高原文庫通信」第99号
きょうは、「軽井沢高原文庫通信」第99号の3人の方のエッセイ原稿を印刷所に入稿しました。内訳は、デザイナー、画家、詩人。今回は3人とも女性です。6月25日発行予定。残りの頁は、こちらで作成します。
定期刊行物の一つである「通信」は、のんびりしたペースではありますが、試行錯誤を重ねながら、ようやく99号まで辿り着きました。「通信」は友の会会員の方などにお送りするという使命があったからこそ、ここまで続けてこられたと私は思っています。言葉を換えれば、継続の陰の立役者は会員の皆さまということになります。
思い返せば、1986年4月の創刊号の巻頭エッセイは佐藤朔先生(フランス文学者、元慶応義塾塾長)でした。私は理事の岡田富朗さんに伴われて、佐藤先生の東京杉並の家まで原稿をいただきにうかがいました。
なお、一つの目標としていた100号も、年内には出せそうで、嬉しい限りです。私の夢の一つは、約30年前、渋谷の東急文化村がドゥ マゴというカフェにちなんで多くの文化人に珈琲等にまつわるエッセイを書いてもらい、洒落たエッセイ集として刊行した、あのように小ぶりな書物を、これまでの「通信」のエッセイをもとに上梓できたらいいなあと思っています。 (大藤 記)
「軽井沢高原文庫通信」創刊号 1986年4月
6月に入りました。
きょうから6月に入りました。きょうの軽井沢は快晴。気温は最高19℃、最低8℃。さわやかな一日でした。
きょうは午前中、塩沢湖畔に移築保存されているアントニン・レーモンド「軽井沢・夏の家」(=ペイネ美術館)を、文化庁の文化財調査官の方、長野県の文化財・生涯学習課主任指導主事の方が視察に来られましたので、ご案内しました。軽井沢町教育委員会の方も4人、ご一緒でした。写真はその時、撮影したアントニン・レーモンド「軽井沢・夏の家」です。なお、ペイネ美術館では、きょうから「レイモン・ペイネ 愛は世界をかけめぐる展」がスタートしています。
午後は、3日後に開催される辻邦生山荘特別公開2022①に備えて、旧軽井沢にある辻邦生山荘へ行って、山荘内外の清掃をおこなってきました。窓を開けて、新鮮な空気を通しました。周囲の草刈りも少ししました。
なお、深沢紅子野の花美術館の開館25周年特別展「深沢紅子と軽井沢~軽井沢に魅せられて~」(6/25~10/25)のチラシ原稿を一昨日書いたばかりですが、驚いたことに、もうレイアウトが出てきましたので、大急ぎで内容を確認し、夕方、校了にしました。表裏カラーです。
時が足早に過ぎてゆきます。 (大藤 記)
アントニン・レーモンド 「軽井沢・夏の家」
今年初めてハルゼミの声を聞きました。
きょうは、全国的に非常に暑かったようですね。標高1000メートルの軽井沢でも気温が27℃まで上がりました。皆さまの所はいかがでしたか。
さて、きょうは嬉しいニュースがあります。私は一日、高原文庫にいましたが、開放した窓の外から、今年初めてハルゼミの鳴き声を聞くことができました。
女性合唱のような、少し乾いた、美しい響きです。室生犀星は、このハルゼミの声を聞くために、7月初旬から軽井沢の別荘に来ることにしていると、昔、何かの随筆で読んだ記憶があります。
そのハルゼミの声を聞いた裏庭には、中村真一郎文学碑が立っています。けさ、堀辰雄山荘を開けるために、その碑の前を通ると、小さな淡い紫の花がたくさん落ちているのに気づきました。
見上げて、ようやく理解できたのですが、それはアカシアの木に巻きついて、いつしか成長した藤(ふじ)の、花が散った状態だったのでした。これには中村先生も驚いていることでしょう。 (大藤 記)
きょうは堀辰雄の命日です。
きょうは堀辰雄の命日です。堀辰雄は1953年(昭和28年)5月28日午前1時40分、信濃追分の自宅で多恵夫人にみとられながら永眠しました。48歳5か月でした。
ところで、堀辰雄夫人の多恵さんは、堀辰雄が死去してから57年間、生きられ、2010年(平成22年)4月16日、追分の自宅で96歳8か月でお亡くなりになりました。私は堀夫人には晩年の25年間、割合に頻繁にお目にかかっていました。とてもおおらかな方で、思い出がいっぱいあります。
なお、きょう、堀辰雄の終焉の地にある堀辰雄文学記念館で〝野いばら講座”(「音楽で出会う堀辰雄~蓄音機・SPレコードで聴く~」)が開かれます。さきほど、講師の庄司達也先生(横浜市立大教授)が、講座で使用する当館蔵の堀辰雄愛蔵の蓄音機を借用にお見えになりました。
余談ですが、堀辰雄は誕生日が12月28日、命日が5月28日と、偶然にも誕生日と月命日が共に28日です。当館で蓄音機・SPレコードコンサートといった催しをもしも行う場合、28日がよいかもしれないな、などと夢想しています。
さて、さきほど、当館敷地内に移築保存されている堀辰雄1412番山荘を撮影しましたので、ここに掲げます。山荘の側面は意外に奥行があり、それもすこし分かるように撮影しています。ご覧の通り、玄関はありません。ベランダから出入りする造りになっています(裏口があります)。 (大藤 記)
最近の出来事から
最近の出来事を想い出しながら、記しています。
一昨日、夏季特別展「生誕100年 ドナルド・キーン展―軽井沢と日本語の美―」の準備のため、再び東京都内の故ドナルド・キーン先生のマンションにうかがってきました。前回もそうでしたが、ご子息キーン誠己さんのほか、ドナルド・キーン記念財団の方が資料出しなどを手伝ってくださいました。
昨日、雑誌「家庭画報」の撮影がありました。当館や移築別荘など。作家の下重暁子さんが軽井沢のおススメの場所として当館を推薦してくださったとのことです。
今日は、軽井沢町が新しく刊行する文学散歩の書籍のための撮影があり、3人の方がお見えになりました。
今日は、明日に堀辰雄文学記念館で開かれる野いばら講座の講師、庄司達也さん(横浜市立大教授)と連絡を取りあい、講座で使う当館蔵の堀辰雄愛蔵の蓄音機をお貸しする方法などについて、打ち合わせさせていただきました。
今日は、深沢紅子野の花美術館に、鈴木三重吉の孫の藤倉瑠美子さんがご子息と来館くださいました。私は文庫にいましたので、電話でしばらくお話させていただきました。
数日前、米ロサンゼルス在住の河村麗子さん(深沢紅子の孫)から、お母さま陽子さんが昨年12月に98歳で東京でお亡くなりになった、その形見の絵画2点をご恵贈賜りました。お礼のお電話をして、ご母堂によく似た美しいお声を聴きました。
この半月あまり、関わってきたドナルド・キーン展のポスターとチラシの制作が今、大詰めを迎えています。レイアウトがほぼ固まりました。来週には私たちの手を離れ、印刷のほうへ進むでしょう。
定期刊行物「高原文庫」第37号(ドナルド・キーン展特集)と「高原文庫通信」第99号の原稿が数日前より届き始めています。ここにまだお名前を出せませんが、充実した内容になるよう取り組んでまいります。
なお、少し前ですが、会員の遠藤猛さんから、「福田恆存翻訳全集」全八巻をご恵贈賜りました。最近、元四季出版社長、故松尾正光夫人の裕子さんから、中村真一郎前館長の著書類をお贈りいただきました。
このところ、仕事が錯綜して、やや疲れ気味ではありますが、おいしものを食べて、なんとか乗り切っていきたいと思っています。昨晩、イタリア生活が長い知人と共に町内の和食店で食事をしました。自家製のカラスミというのをたっぷりかけたお蕎麦もいただきました。
写真は当館敷地内にある野上弥生子書斎の現在の様子です。今日の午後4時撮影。 (大藤 記)
本日、「新緑の信濃追分を歩く~追分ゆかりの文学者たちの足跡を訪ねる~」を開催しました。
本日、当館主催の文学散歩2022①「新緑の信濃追分を歩く~追分ゆかりの文学者たちの足跡を訪ねる~」を開催しました。天気は時折、雨がぱらつく程度で、それがかえって若葉をしっとりと濡らして、みどりを輝やかせているように感じました。
毎回、そうではありますが、きょうは追分ゆかりの堀辰雄、立原道造、福永武彦をはじめ、芭蕉、一茶ら江戸時代にも遡り、ゆかりの文学者15~20人の別荘、別荘跡地、ゆかりの場所などを、ゆっくりと追分宿の東端から歩き始めて、最後は分去れのある西の端まで、御影用水を何度も渡りながら、皆さんと約2時間、歩いてきました。
参加者の中には、江戸東京博物館に勤務されていた方や、NHKで教育番組を作られている方などもいらっしゃいました。軽井沢観光協会事務局次長の新宅弘惠さんや、堀辰雄文学記念館学芸員の駒田涼子さんも参加されました。
油屋では、追分コロニーの斎藤祐子さんに2階奥の堀辰雄が泊ったという「つげの間」をご案内いただき、堀辰雄文学記念館では駒田さんに文学碑をご説明いただきました。
分去れ近くのシャーロックホームズ像のところでは、偶然にも、日本シャーロックホームズクラブの関西ホームズ協会代表、平賀三郎さんが大阪から来られているのに遭遇し、ご説明をうかがうという嬉しいハプニングもありました。
ご参加くださった皆さま、本当にありがとうございました。 (大藤 記)
偶然、出くわした平賀三郎さんから、シャーロックホームズ像のご説明をお聞きしました。
ドナルド・キーン展の準備
軽井沢高原文庫では、今年7月16日~10月10日まで、夏季特別展「生誕100年 ドナルド・キーン展―軽井沢と日本語の美―」を開催いたします。きょうは、その準備状況について記します。
先月、まず先行して進めなければならない定期刊行物「高原文庫」第37号(ドナルド・キーン展特集号)の原稿依頼を10人ほどの方にしました。そして、10人の方に原稿の執筆をお引き受けいただきました。海外の方も含まれています。
先月、ドナルド・キーン展への後援依頼を16の機関、メディア等に対し、お願いさせていただきました。まだ回答待ちのところもありますが、今回、アメリカ大使館やコロンビア大学ドナルド・キーン日本文化センターなどからも後援を頂戴しています。
先月、「高原文庫」第37号への広告願いを、キーン先生の著作を出版している出版社および地元企業に対し、いたしました。大型連休もありましたので、少し時間がかかりましたが、昨日、ほぼ固まりました。
先週、ドナルド・キーン展ポスターの原稿を東京の熊谷事務所の熊谷博人さんへお送りしました。熊谷さんは、かつて、キーンさんの著作を装幀なさっているそうです。
さらに、一昨日、ドナルド・キーン展チラシの原稿を同じく熊谷さんへお送りしました。
もちろん、展覧会の展示資料の調査や選定なども、少しずつ進めております。
こうした一連の動きを並べてみたところで、あるいは無味乾燥なものに感じられるかもしれませんが、そこに慎重な手続きと相当なエネルギーが注がれていることをどうぞご理解ください。
まだ道半ばとはいえ、ともかく展覧会の準備が予定通り、進んでいることについて、キーン先生のご子息・キーン誠己さんの多大なご協力、そして泉下のキーン先生、多くの関係者の方々に感謝申し上げたいと思います。(大藤 記)









