またまた小沢岳探索。照れ
もうここまでくると、単に自己満足の世界。やっている自分だけが楽しい…。

小沢岳に残していたことをいくつかしてきました。
ひとつめは、小沢岳直下、北側800m付近にあったらしい城跡探し。南牧川に近い蚕影(こかげ)神社のあるP498は、砦があったらしく、以前から城郭マニアに登られている。奥にあったらしい城のことは情報皆無。ほんとうにあったのかさえ怪しい。
ふたつめは、山頂の大日如来。これは以前書いたように、北側の御嶽が開闢する前から存在しており、誰がどのような意図で祀ったものかわからない。自分の見立てでは、椚集落で祀ったものだと考えていて、椚集落へ下りる途中でなにか裏付けるものはないか探したかった。どこかにセットの不動明王があるのではないかと…。集落で話が聞けたなら、なにかわかるかもしれない。
せっかく城跡探しをするので、手前の小沢城跡と言われる蚕影山P498周りでスタート。鉱山内で御嶽神像にお詣りして、作業道で標高を稼ぎながら城跡を訪ねる。西尾根に乗って山頂へ上がり、帰りはP824経由で椚集落へ下りるつもりでいた。

がしかし、山頂で気になるものを見てしまい、予定外の北尾根を下った。以前、上りで蹴散らされているのでどうかと思ったが、案外スムーズに下ってしまった。
北尾根に登路を見出してしまったので、御嶽の登拝ルートの謎についてはますますわからない。
でも、とりあえずマッターホルンを攻略できたので、収穫の一日。
そして、花粉大収穫の一日!。ガーン





3/12 晴れ 大量花粉


いつもどおり南牧村の道の駅の地下駐車場へ車を置いて出発。
森林組合のところの小沢神社から入る。

小沢神社。


庚申塔や双体道祖神、馬頭観音などが並ぶ。
文政時代の優美な馬頭観音だ。


こちらはまた雰囲気が違う。


拝殿でお詣りした後、神社脇の道から入る。
途中、交錯する林道へ出てからの眺め。左の四ツ又山や右奥のしれいた山が見える。


石灰鉱山からの索道跡が良い雰囲気だ。


山頂には蚕影神社(馬頭観音堂?)。

周囲にはたくさんの馬頭観音碑が祀られる。
建屋の中に、明治三十八年に屋根を替えたことが掲げられているので、周囲に積まれている瓦はその時のものかもしれない。

馬頭観音と種子の馬頭観音碑。


南牧川が奥まで続きなかなかの展望。


小沢岳までは遠い。


すぐ先のこの岩頭は左右どちらからでも巻ける。左の方がややラク。

岩頭の鞍部には馬頭観音碑あり。

植林に入ると人為的にあけられた?穴のある岩。鉱山に関係するものか。


ダンコウバイの黄色い花が、早い春を感じさせる。


ここから先、植林作業道や鉱山跡の作業道歩きで割愛。

去年、見に来た御嶽石仏群に寄っていく。

手前の御嶽大明神、平成5年の石宮は、青倉石灰工業株式会社の奉納だった。
御嶽の神域だったところへの鉱山開発で…だと思う。

十二大権現はやさしく子供を抱く。


役行者像。


三笠山刀利天宮。

御嶽三座神の他、ほとんどは三十六童子の碑と石宮。
二十三夜塔や如意輪観音碑、帝釈天碑などは前回見落としていた。


石仏群を後にして作業道を進む。
作業道の斜面崩壊地点から展望が利いた。

一番奥のラインはトヤ山や毛無岩、立岩など。

四ツ又山と鹿岳。奥にうっすらと雪の消えかかった浅間山。


作業道から正面に小沢岳を見上げる。


ひとつめの目的、山頂北側800m付近で城の痕跡を探す。

周囲は広々としている。

奥に小沢岳。

城跡はわからなかった…。てへぺろ
見る人が見ればここが堀切で、本郭で…とか言うのかもしれない!?自分にはさっぱりわからない。
平坦地で背後には小沢岳が望まれ、なにかあったとしてもおかしくはない場所ではある。
大した成果も得られず後にする。

気温が高いのにまだ凍ってる。


作業道が西尾根に接近するところから尾根に乗った。
正面に小沢岳。

西から見る小沢岳は北へ尾を引いて優美だ。

帰りに下ろうと思っていた尾根が見下ろせる。背後にギザギザした檜沢岳北西陵。

西尾根の後半は、岩の痩せ尾根区間がある。でも、その辺りが南の展望良し。



山頂の岩肌が近づいてきた。山頂にいる人の声も聞こえる。


椚峠からの登山道へ合流。


山頂は団体さんでいっぱいで、人が写ってしまうのであまり撮れず。
なんとか大日如来を一枚。


断崖手前の展望地もランチ中の満席で入れず、遠くから背伸びして撮って覗いた。


なので、休憩する場所を探して隅っこに追いやられて、それがきっかけであるものが見えてしまった。
以前から山頂の北側にピンクテープがあるのは気が付いていた。
今回は、その奥にトラロープが垂れているのが目に入ってしまい…。こんな危険なトラップ誰が仕掛けたのか。
ワナにはまってみるか…と。ダメなら戻ればイイだけの話。
(一般ルートとは違うので通常は入らないように…注意

ピンクテープはすぐに消え、トラロープも最初だけ、踏み跡もすぐに消えた。
以前に上りで予習していたので、結局下りきってしまった。

見覚えある岩場だなと思ったら、前に御嶽探しの疲れた足で登り、攣る兆候が出始めたので途中で断念した岩場だった。


前衛岩壁の小岩頭。


小岩頭から少し前に居た小沢岳を眺める。


同じところからの展望。

真ん中に御嶽のある鉱山跡。背後に物語、鹿岳、四ツ又、落沢や御堂、妙義、うっすらと浅間…キリがないほどの山並み。

逆を見れば稲含山。


前衛岩壁と奥に小沢岳山頂。


奥へ伸びる椚峠に続く尾根はゆるやかに流れる。


木々の間からP881岩頭が見え隠れして、こちらも興味をそそる。




この800m等高線の鞍部から林道へ出て帰る。


林道へ出る前にP759方面へ少し登り返して、お気に入りの岩棚で景色を眺め休憩していく。

薬きょうが落ちていた。そろそろシーズンも終わり。


岩茸。


お気にの岩棚で休憩。


ここから眺める小沢岳はスクっと立ち上がって素晴らしい山容。


アセビ咲く向こうに小沢岳。


林道で鉱山入り口まで戻ってきた。


磐戸鉱山と梅の花、奥にさっきまで居たマッターホルン。


帰り道の弁天堂へ寄っていく。


お堂裏の岩に刻まれる「天女窟」。


岩窟のなかのこの弁財天は、信州高遠の石工の作品だとか。


この日の恵比寿さんと大黒さん。

尾根つながってご苦労さんと笑っている。

御嶽行者の開闢碑。

150年前、あなたさまの歩かれていた道は、今日歩いた道と同じなのでしょうか?
そう聞いてみたかった…。時計

ここを曲がれば道の駅。小沢岳の物語も終了。

ずいぶんと花粉を吸ってお腹いっぱい。鼻と目がグジュグジュする。えーん
好きなことやって楽しんでいるのだから自業自得。
花粉症なのにスギ林を歩いてしまう性なのだ。ニヤリ
山歩きもギャンブルやお酒と同じで中毒性があると思う。
自分の場合、高い山や困難なルートを登るよりも、山の謎解きが好きなんだなきっと。ひらめき電球







とりあえず北尾根をつなげたので、再度の考察。
小沢岳の御嶽山と言われる峯の御嶽山は、往時にはどのような登拝をした御嶽山だったのか。
2年前、山頂直下まで上がったときと今回とで、北尾根上で御嶽に関係していそうなものを見かけることはなかった。山頂直下北側はとても急峻な地形をしており、長い時の中で転落している可能性はあるものの、今となっては山頂へ向かう尾根上には何も残されていない。
途中で寄った御嶽神像群は、鉱山開発で一か所にまとめられて祀られたもの。果たして、それらはどこから集められたものなのか。鉱山開発の及ばない山頂直下、尾根上部の石造物まで、苦労して下ろす必要はあったのだろうか。そして、山頂を目指す御嶽の信仰登山だったのだろうか?と言う疑問。
青倉の谷間から見上げると、岩峰のように切り立った岩尾根の張り出しがいくつも見られる。鉱山開発されるということは、石灰岩の露頭がいたるところで見られたからであり、現在、採掘後の広大な平地になっている周辺は、石灰岩の岩稜帯を形成していたと思われる。今でも敷地内に、その時の名残りと思われる大岩がポツンと取り残されている。弁天沢沿いの林道峯線で上がっていくと、左手鉱山側には岩肌が続き、鉱山入り口ゲート付近は、かなりの高さの切り通しを抜けて舗装路が上っていく。開発される以前は、相当な岩尾根が続いていたことが想像できる。現在、鉱山跡となっている弁天沢と青倉川に挟まれた領域は、かつては急峻な岩尾根が続き、小規模な岩頭がいくつも存在したのではないかと想像する。
それらの岩場や峰々を周る御嶽行場だったのではないかと言う仮説。その御嶽領域が鉱山開発されることになり、その行場だった領域を見渡せる高台、今ある尾根上へと関連石造物を移したのではないかと考えた。下ろすのではなく、上座への移動。鉱山開発の中での移動であれば、道を作りながら、重機を使用しながら事がスムーズに運ばれる。
少し前に歩いた時丸の御嶽山は、尾根末端の岩稜帯を中心に展開されていて、必ずしも高みを目指して長大な尾根を歩くものではなかった。
今回、山頂まで自分の足でつないでみて、やはり御嶽山の領域として、山頂までを含んでいなかったのではないかと感じた。仮に石造物があったとしても、下ろしてこられるような尾根ではなかった。もし登拝が山頂を目指して行われていたのなら、山頂の大日如来は上がってきた人たちを出迎えるはずだ。でも実際は、北尾根を上がって行くと対面するはずの大日如来が、別の方向を見ている。大日如来は椚集落の方を見ている。
小沢岳が、椚側で大日如来を祀った神山だったとしたら、後に北側から上がってきた御嶽の神様たちを山頂で受け入れただろうか?それとは逆に、あれだけの像容の金剛界大日如来の世界を、後から来た御嶽の神様たちが奪うことをしただろうか?

これらはなんの裏付けもない想像の世界での話。
ただ、個人的な気持ちとしては、山頂へと登拝路が続いていたら良いなと思う。
小沢岳は、久々にハマった不思議な魅力のある山だった。自分的には、こういう山が名山だと思うんですけどね…。最近の名山は、百とか二百とか三百とか数字が付いちゃうんですよね。

小沢岳も群馬百ですけどてへぺろ
周辺でまだ歩き残しているところがあるので、小沢岳はまた秋口以降に。
そろそろ春の花が気になる山の季節になってきました。
桜


花と言えば、小沢岳の帰りに上信越道のららん藤岡で「ぐんまの洋蘭展」やっていたので見てきました。





青い胡蝶蘭は、ツユクサの遺伝子を組み込んだものらしく。
ツユクサのなんとも言えない深い青い花がとても好きなので、見てみたくなり。





遺伝子と言う部分で賛否はありそうですが、純粋にキレイでした。


なんだか花がしゃべりだしそうだ!びっくり

展示は明日の日曜まで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

前回の物語山に続いて、ヒルの出ない冬の間に下仁田の気になっていた場所を歩く。足あと


鏑川の姫街道沿いの岩山を再訪。芝ノ沢と初鳥屋の間にある岩稜で、時丸と呼ばれる。
御嶽が祀られており、前回登った時は小沢岳の帰りに寄り、短区間歩いて終わってしまった。そのときは夏に歩いたので、ヒルの餌食となり血を吸われた。
今回はここのみなので、御嶽山にまつわるものを探しながらゆったりと周回。帰りは初鳥屋の集落へ立ち寄り、以前から訪ねたかった石仏群の八十八箇所霊場を見てきた。
時丸の御嶽山は、予想以上に石碑が多くて驚いた。鏑川以南、南牧村に近い側のいくつかの御嶽山とは、御嶽の系統が違うような気もした。もう少し時代が下ったころに栄えた御嶽山だったのかもしれない。


以前夏場に訪れたとき。





2/26 晴れ


鏑川沿いの霊神碑のあるところに車を置いて歩き始める。

御嶽神像と各時代の先達たちの霊神碑が並ぶ。

元下仁田町長でいらした方の霊神碑も立っている。

きっと郷土の山を愛された方なのだろう。

道路の反対、急な斜面を上がっていくと一心行者像がいらっしゃる。

周辺山域の御嶽山は普寛行者像なので珍しい。
一心行者の流れを汲む行者が開山したのかもしれない。

摩利支天碑を祀るらしい第一岩稜は、おそらくこの一心さんの背後から取り付くのかもしれない。左側が断崖で危険なので、ここはパスして先へ進む。

岩根沿いの踏み跡をたどると御嶽神社跡。
石灯籠。建屋は倒壊している。

もしかすると摩利支天の岩頭へは、神社跡の裏手から取り付くのかもしれない。こちらも危険度高し。

岩壁下の石仏群。

熊野皇大神、不動明王、石宮、座生権現、日野神、女神像。
座生権現の背には「天下泰平」とあるので、おそらくは明治以降の比較的新しい時代のものと思う。

なんといってもこの不動明王。炎

憤怒の表情が迫力ある。でも全体を見ると少しかわいらしいところもある。ギャップが良い。
これと似た表情のお不動さまを横間地区の滝不動で見かけたことがあるので、同じ石工の作品ではないかと?

神社跡の先、大岩に大山祇命と思われる碑を見かける。

半分欠けているので「祇命」しかわからない。山ノ神として祀ったのだろうか。

第二岩稜への鞍部は、右手に岩壁、左へ登ると痩せ尾根になっている。
右手の黒々した岩壁基部。


岩壁基部に興味深い石碑があった。

「黒石神王?」。どんな神様だろうか?もしかするとこの碑の背後の黒々した立派な岩壁を祀っているのかもしれない。

危なげな第二岩稜の痩せ尾根には次々と石碑が出てくる。
浅間大神。


聖徳太子の向こうに初鳥屋の集落と上信越の和美沢橋。

足元には春日大神が転がっていた。その先に八幡大神が倒れていた。

そしてメインとなる御嶽神社の碑。

左に並んで倒れ掛かっているのは「天御中」(あめのみなかぬしのかみ)。
他に少彦名命も倒れていた。


御嶽神社碑のところから下に第一岩稜が見える。奥は御場山。

下の岩稜に目を凝らしても、摩利支天らしきものは見当たらない。倒れているのか、下に落ちたのか、それとももっと奥の末端に立てられているのか。

イワヒバたちが冬の乾燥の中頑張っている。


碑の下のわずかなスペースは、カモシカのフンで埋め尽くされている。

人も上がってこないから寝床になっていた様子。おうし座

屋根を失った石宮だろうか?水天宮と大己貴命。


いったん歩きやすい尾根になる。


登り上げて少し戻ると痩せ尾根の突端があり、そこには大井大神と八海山大神の碑が倒れていた。ここが第三岩稜と言えるかもしれない。

大井大神はどこの神様だろうか?

初鳥屋の集落と奥の一番高い山が日暮山。


突端の岩と御場山。

御場山の左背後の双耳の鋭鋒P1072が気になる。いつか行ってみよう。

恐るおそる覗き込む岩壁にはイワヒバがびっしり。びっくり



その後北東へ尾根を進むと岩稜の痩せ尾根はなくなり歩きやすい尾根になる。
途中、平凡な尾根上にいくつかの石碑が転がっていた。文字が読み取れない摩耗したものもある。

慧喜童子。


矜羯羅童子。

後ろで倒れているのは十一面観世音。八大童子が祀られるあたりが御嶽山だ。

その後パッタリと石碑は見られなくなった。

尾根上には境界杭が見られるようになる。御嶽山の世界からは外れたようだ。

820m圏から先は薄暗い植林。


木々の間に見え隠れする日暮山の山容が優美。

日暮山(にっくれやま)、哀愁を感じさせる美しい名前の山だと思う。別名「矢川富士」の名の通り秀麗な山容。日暮山も御嶽なので、いずれゆっくり歩きに行くつもり。上信越でトンネルに入る手前で見上げる姿も堂々としている。

右手側に前回歩いた物語山が遠望できた。

真ん中が物語、手前の鏑川右岸の横畑や大岩などの岩尾根群も気になるところ。

P823では新旧ふたつの石宮が置かれる。

ふたつとも屋根は落ちている。戻そうと思ったけど屋根がやたらと重い。あせる
奥の古い方の石宮は、嘉永元年(1848年)のもの。
なんで昔の石宮って、不釣り合いなくらい屋根が大きくて重いんだろう?!

P823先の鞍部。

右手へ下りれば鉱泉の芹の湯を通り芝の沢へ、左手へ出れば初鳥屋へ出られる。両側ともすぐ下に林道や作業道が来ている。

初鳥屋へ続く林道へ下りた。目の前に堰堤。


日暮山が見え隠れする。常に視界に入る気になる山だ。


林道沿いでは、堰堤の工事が盛んに行われている。


県道へ出てきた。


すぐの初鳥屋の集落へ入り八十八箇所霊場を見学。


中央の覆屋に弘法大師像。


大日如来。


馬頭観音。


石仏群の高台からの景色。のどかな山里の風景。

奥に日暮山。

庚申塔群。三尸塔も数多いのは珍しい。


初鳥屋の集落からの帰りに遠望した時丸の岩稜帯。

真ん中のピークに御嶽神社や聖徳太子碑が祀られていた。
その左の鞍部が黒石神の岩壁。右の岩稜にどうやら摩利支天碑があるらしい…。

行きに車で県道を走っていたとき気になるところがあったので、駐車地をそのまま通り過ぎて芝の沢方面へ歩く。
これもそのうち歩いてみよう。たしか道は廃道化していたような?


林道下南室線を入ると向こうに石碑群。


この庚申塔群を見に歩いてきました。

馬頭観音や十九夜塔なども並ぶ。

これがちょっと珍しいんです。

裏に文化改元とあるので1804年のもの。

「馬頭」の文字が金精様だったり馬になっていたりする。ちょっとおもしろい馬頭観音碑。


そんなこんなでまた少し県道を歩いて車へ戻った。車
尾根の上は軽井沢方面から冷たい風が吹きつけて寒かった。





あまり情報のない御嶽山なので、自分の足で歩いて探索できておもしろかった。照れ


結局、どこまでが御嶽の領域だったのかはわからず。800m等高線のピークの頃には、すでに石造物はなく、それより手前で八大童子や観音碑を見たのが最後だった。
尾根上には倒れている碑もあり、摩耗と土で汚れて読み取れないものもあった。痩せ尾根上にあるものは、谷底へ落下したものもあると思う。おそらく、尾根末端から始まる岩稜帯を中心に形成された御嶽行場だったのではないか。高みを目指して最後まで行くという感じではなさそう。
初鳥屋方面からの眺めや、集落から県道を南下していくときに見上げる岩稜の迫力はすさまじく、その荒々しく神々しい姿に御嶽の行場となったのではないかと思う。神社跡の不動明王の激しい憤怒の形相と威圧感のある岩壁がリンクする。
にしても、あの痩せ尾根にあれだけの数の石碑をよく持ち上げたなと…。底知れぬ凄みを感じる御嶽だった。
奥のP823付近は、和美峠を越える姫街道の抜け道があったと言われる。碓氷峠よりも女性の通過に寛容だったらしい姫街道。そんな姫街道もなんらかの事情で通れない人たちが裏の抜け道を通ったとか…。頂にあった嘉永の石宮は、御嶽開山よりも古いかもしれない。ペリーが浦賀に来たのが嘉永6年。そんな時代からの石宮は、いろいろなドラマを山の中で目撃してきたのかなと思うと、小さな石宮にちょっとロマンを感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

物語山をマイナーな方向から登ってみた。
一般的には市ノ萱川の深山から入る。昔は裏側の馬居沢からも道があったらしい。
そんな道があったのは、もう50年も昔の話で、今はとっくに廃道となり道は消失している。時計
自分の知る限り、そんな馬居沢道から入った記述の見える本が2冊ある。
ひとつは、昭和57年発行の佐藤節(みさお)氏の「西上州の山と峠」、もうひとつは、平成13年発行の松尾翔氏の「西上州山地・人間(じんかん)との境をゆく」。
おふたりの記述をもとに、歩かれた当時の情景を思い浮かべながら歩いてみた。
馬居沢から入り、帰りは一般道の深山へ下った。姫街道を歩いて駐車地の馬居沢へ戻ってくる。自分の足で歩いてみると、山頂の先、断崖手前に置かれた不自然な向きの石宮の意味もわかってきた。
物語山で、ちょっとした裏物語を見てきた感じの一日。照れ




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2/12 晴れ

馬居沢の集落の奥、上水施設のわきのスペースに車を置いて歩き始める。

ここより先は雪が残る。正面に御嶽を祀る秋葉山。

林道奥山線を進んで、S字のカーブから右手の涸れ沢へ入る。


植林の中を少し進むと屋根の落ちた石宮がある。

佐藤氏の記述だと、これは山ノ神の石宮。「山ノ神の小さな石宮のところから左にとる」とある。実際、左へかすかに道跡が通じていた。
松尾氏の記述には石宮が出てこない。集落の畑仕事の老人から聞いた道で歩くも、その踏み跡が見つからず見当で歩いたと書いている。山の祭祀物に詳しい松尾氏が石宮を取り上げていないということは、おそらく取り付きから違っていたのだろう。その後、遭難寸前になったと書かれている。

忠実に佐藤氏の歩いた古道を追うつもりでいたものの、左に取る道はその後消失しそうだったので、右手側の植林を進んだ。これは前週に鹿岳から眺めてこっちの方が良さそうだと感じた進路。ひらめき電球

右にとり、朽ちた木橋の植林作業道を進んだ。

古道の進路からは逸脱したと思われるので、ここからは主稜に乗るまで好き勝手に歩く。

杉林をジグザグ上がる。


主稜に乗り上げると枝の向こうに物語山が大きい。

メルヘン山と言うより、荒々しい岩肌を見せる迫力ある山容。
主稜にはかすかな踏み跡が続いていて、松尾氏も踏み跡に「山頂に続く裏尾根の一部だと直感し、救われた」と感想を書いている。

日の当たる半分は雪が解けた尾根。



目指す山頂が見える。


P709方面から主稜直下へ上がってくる植林。

かつての古道はP709の北側の支尾根、もしくはその左右の谷間付近に道をとったのではないかと想像。

佐藤氏の書いている「岩のガラガラした急斜面」とはこのあたりかもう少し手前のことなのか。

途中、雪の付いた角度のあるところも通過。

同じく「眼の前にポッカリと柔らかな枯れ草原が現れて…」と表現しているのはここだろう。

この後は岩壁の縁をへつって山頂陵へと上がる。

山頂稜線に上がって枝間から眺める山々。

手前より秋葉山から五州山、鹿岳、赤久縄山や稲含山が見える。一番奥、少しだけ御荷鉾連山が顔を出している。前週に歩いた鹿岳は一ノ岳、二ノ岳、岩舞台までしっかりと見える。

青空の元、冬枯れした幹と雪の白で明るい主稜。


ここが最高点。


三角点のある南峰側。


そして、三角点のところから少し東に行ったところの石宮。

屋根は下りている。

この石宮は、なぜか登路のない断崖側を向いている。

これは以前から不思議に思っていた。これが最後になんとなく合点がいった。キョロキョロ

冬枯れのすき間から浅間山を遠望。右の小浅間山が親子のよう。


鞍部を経て西峰側。

こちらは1000mを切っている。

平野を背後に大桁山と石尊山(鍬柄岳)。石尊山は小さく飛び出ている突起の岩峰。

この日は雪が多く残っていたら、大桁山、石尊山(鍬柄岳)に変更しようと思っていた。
下仁田インターからすぐのセブンに寄ったときに、大桁山は日当たりよく雪がないのが見えたので。

西峰突端からは財宝伝説のメンベ岩が下に覗ける。


同じ場所から荒船山。

鹿岳と同じでどこから眺めてもそれとわかる。

この山は名前勝ちなところもある。


サンスポーツランドの深山側の登り口へ下りてきた。


橋の上からさっきまで居た物語山を眺める。

右からメンベ岩、西峰、南峰。左の断崖に向けて石宮が置かれていた。

国道を歩いて戻る。

茂木ドライブインを通りかかると、ちょうど女将さんが店を開けているところで会話になる。
町会の集まりで遅くなったとか。ちょうど開いたので名物の味噌おでんを買って帰る。
おでん右

国道沿いの石仏などを見ながら歩く。

道祖神と寒念仏。

国道から御堂山のじいとばあを遠望。

じいは少しだけ頭が見える。左の大岩はこたつと言われる。

日影に雪の残る国道。

子供の頃、甘楽へ沢蟹を取りに連れてきてもらうとき、藤岡と富岡の区別がつかなった。

爆  笑

坂詰の大きな庚申塔。

このような一画の字幅と彫りの深さが同じくらいの彫り方を一杯彫りと呼ぶそうだ。

鏑川を渡り馬居沢へ入る。


庚申塔と馬頭観音。


馬居沢の集落へ入ると「ハッ」と思ったことがあった。
正面には物語山がデンと構える。あの突端には石宮がこっちを向いている…。

そうか、あの石宮はこちらを上から見守っていたのか!と。キラキラ

集落の中ほど、小高い丘に祀られる北向観世音にある薬師如来と馬頭観音。

ふたつとも大正6年のもの。ここには他にも如意輪観音や三界萬霊塔、寒念仏供養塔など多数。

集落の最奥には、中央に御幣を立てた美しい双体道祖神。安永6年のもの。

左の馬頭観音は割れて修復した跡が見られる。
馬居沢や帰りの国道沿いは、石仏の宝庫で歩いていて飽きなかった。
のどかな集落や下仁田らしい岩峰の風景を楽しみながら車へ戻った。



山頂の石宮に手向けるのは、今回上がった尾根が正解だったのかな?…と歩き終えて。
古道探索のおかげで、真相はわからないもののいろいろ想像して楽しめた。
ひとつばなの頃に歩いても良さそうだ。物語山はほかにもバリエーションがあって余裕があったら探索したい。
下仁田、南牧は石仏もたくさん見られて、山も魅力的なところが多いので、一度行くと連鎖的に歩きたくなる中毒性のあるところ。ニヤリ

今年は年明けから仕事がずっと忙しくて、常に疲れていて、特に仕事柄、眼精疲労がひどく頭痛も出るくらい。同じ持ち場でふたり同時に長期育児休業取られちゃって負担がきてます。男でも育児休業取れる良い社会になったと思うけど、中小企業では正直キツイ。そもそもそんな余裕があるなら、その人分雇用していないわけで。
疲れているので、今週は山歩きもお預け。ぐぅぐぅ


2月の病院の検査もこれまでどおりつつがなく通ったので、グチはこれくらいにしないとバチが当たる。
どんなストレスがあろうとお金がなかろうと、人間五体満足健康と言うことが最上級の最高級。ウインク