物語山をマイナーな方向から登ってみた。
一般的には市ノ萱川の深山から入る。昔は裏側の馬居沢からも道があったらしい。
そんな道があったのは、もう50年も昔の話で、今はとっくに廃道となり道は消失している。
自分の知る限り、そんな馬居沢道から入った記述の見える本が2冊ある。
ひとつは、昭和57年発行の佐藤節(みさお)氏の「西上州の山と峠」、もうひとつは、平成13年発行の松尾翔氏の「西上州山地・人間(じんかん)との境をゆく」。
おふたりの記述をもとに、歩かれた当時の情景を思い浮かべながら歩いてみた。
馬居沢から入り、帰りは一般道の深山へ下った。姫街道を歩いて駐車地の馬居沢へ戻ってくる。自分の足で歩いてみると、山頂の先、断崖手前に置かれた不自然な向きの石宮の意味もわかってきた。
物語山で、ちょっとした裏物語を見てきた感じの一日。
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2/12
馬居沢の集落の奥、上水施設のわきのスペースに車を置いて歩き始める。
ここより先は雪が残る。正面に御嶽を祀る秋葉山。
林道奥山線を進んで、S字のカーブから右手の涸れ沢へ入る。
植林の中を少し進むと屋根の落ちた石宮がある。
佐藤氏の記述だと、これは山ノ神の石宮。「山ノ神の小さな石宮のところから左にとる」とある。実際、左へかすかに道跡が通じていた。
松尾氏の記述には石宮が出てこない。集落の畑仕事の老人から聞いた道で歩くも、その踏み跡が見つからず見当で歩いたと書いている。山の祭祀物に詳しい松尾氏が石宮を取り上げていないということは、おそらく取り付きから違っていたのだろう。その後、遭難寸前になったと書かれている。
忠実に佐藤氏の歩いた古道を追うつもりでいたものの、左に取る道はその後消失しそうだったので、右手側の植林を進んだ。これは前週に鹿岳から眺めてこっちの方が良さそうだと感じた進路。
右にとり、朽ちた木橋の植林作業道を進んだ。
古道の進路からは逸脱したと思われるので、ここからは主稜に乗るまで好き勝手に歩く。
杉林をジグザグ上がる。
主稜に乗り上げると枝の向こうに物語山が大きい。
メルヘン山と言うより、荒々しい岩肌を見せる迫力ある山容。
主稜にはかすかな踏み跡が続いていて、松尾氏も踏み跡に「山頂に続く裏尾根の一部だと直感し、救われた」と感想を書いている。
日の当たる半分は雪が解けた尾根。
目指す山頂が見える。
P709方面から主稜直下へ上がってくる植林。
かつての古道はP709の北側の支尾根、もしくはその左右の谷間付近に道をとったのではないかと想像。
佐藤氏の書いている「岩のガラガラした急斜面」とはこのあたりかもう少し手前のことなのか。
途中、雪の付いた角度のあるところも通過。
同じく「眼の前にポッカリと柔らかな枯れ草原が現れて…」と表現しているのはここだろう。
この後は岩壁の縁をへつって山頂陵へと上がる。
山頂稜線に上がって枝間から眺める山々。
手前より秋葉山から五州山、鹿岳、赤久縄山や稲含山が見える。一番奥、少しだけ御荷鉾連山が顔を出している。前週に歩いた鹿岳は一ノ岳、二ノ岳、岩舞台までしっかりと見える。
青空の元、冬枯れした幹と雪の白で明るい主稜。
ここが最高点。
三角点のある南峰側。
そして、三角点のところから少し東に行ったところの石宮。
屋根は下りている。
この石宮は、なぜか登路のない断崖側を向いている。
これは以前から不思議に思っていた。これが最後になんとなく合点がいった。
冬枯れのすき間から浅間山を遠望。右の小浅間山が親子のよう。
鞍部を経て西峰側。
こちらは1000mを切っている。
平野を背後に大桁山と石尊山(鍬柄岳)。石尊山は小さく飛び出ている突起の岩峰。
この日は雪が多く残っていたら、大桁山、石尊山(鍬柄岳)に変更しようと思っていた。
下仁田インターからすぐのセブンに寄ったときに、大桁山は日当たりよく雪がないのが見えたので。
西峰突端からは財宝伝説のメンベ岩が下に覗ける。
同じ場所から荒船山。
鹿岳と同じでどこから眺めてもそれとわかる。
この山は名前勝ちなところもある。
サンスポーツランドの深山側の登り口へ下りてきた。
橋の上からさっきまで居た物語山を眺める。
右からメンベ岩、西峰、南峰。左の断崖に向けて石宮が置かれていた。
国道を歩いて戻る。
茂木ドライブインを通りかかると、ちょうど女将さんが店を開けているところで会話になる。
町会の集まりで遅くなったとか。ちょうど開いたので名物の味噌おでんを買って帰る。
国道沿いの石仏などを見ながら歩く。
道祖神と寒念仏。
国道から御堂山のじいとばあを遠望。
じいは少しだけ頭が見える。左の大岩はこたつと言われる。
日影に雪の残る国道。
子供の頃、甘楽へ沢蟹を取りに連れてきてもらうとき、藤岡と富岡の区別がつかなった。
坂詰の大きな庚申塔。
このような一画の字幅と彫りの深さが同じくらいの彫り方を一杯彫りと呼ぶそうだ。
鏑川を渡り馬居沢へ入る。
庚申塔と馬頭観音。
馬居沢の集落へ入ると「ハッ」と思ったことがあった。
正面には物語山がデンと構える。あの突端には石宮がこっちを向いている…。
そうか、あの石宮はこちらを上から見守っていたのか!と。
集落の中ほど、小高い丘に祀られる北向観世音にある薬師如来と馬頭観音。
ふたつとも大正6年のもの。ここには他にも如意輪観音や三界萬霊塔、寒念仏供養塔など多数。
集落の最奥には、中央に御幣を立てた美しい双体道祖神。安永6年のもの。
左の馬頭観音は割れて修復した跡が見られる。
馬居沢や帰りの国道沿いは、石仏の宝庫で歩いていて飽きなかった。
のどかな集落や下仁田らしい岩峰の風景を楽しみながら車へ戻った。
山頂の石宮に手向けるのは、今回上がった尾根が正解だったのかな?…と歩き終えて。
古道探索のおかげで、真相はわからないもののいろいろ想像して楽しめた。
ひとつばなの頃に歩いても良さそうだ。物語山はほかにもバリエーションがあって余裕があったら探索したい。
下仁田、南牧は石仏もたくさん見られて、山も魅力的なところが多いので、一度行くと連鎖的に歩きたくなる中毒性のあるところ。
今年は年明けから仕事がずっと忙しくて、常に疲れていて、特に仕事柄、眼精疲労がひどく頭痛も出るくらい。同じ持ち場でふたり同時に長期育児休業取られちゃって負担がきてます。男でも育児休業取れる良い社会になったと思うけど、中小企業では正直キツイ。そもそもそんな余裕があるなら、その人分雇用していないわけで。
疲れているので、今週は山歩きもお預け。
2月の病院の検査もこれまでどおりつつがなく通ったので、グチはこれくらいにしないとバチが当たる。
どんなストレスがあろうとお金がなかろうと、人間五体満足健康と言うことが最上級の最高級。