鹿岳の先の木々岩峠を以前から通っておきたいと思ってました。
元々西上州は雪が少ないですが、今年は去年よりも寒いわりに少ないので歩きやすい。
右足裏が痛くなったら、鹿岳だけ周ってくるだけでもイイかなと。景色が良いのでそれだけでも充分楽しい。音譜

何年か前に、峠の先の秋葉山から五州山の山腹を縫うように林道をつなげているのが見えて、その辺りもチラ見して帰ろうと。
木々岩峠の道は踏み跡薄く、所々途切れ、山仕事の人しか通らない感じでした。民有林道が下仁田と南牧をつないでいる今は、その役目を終えたのかもしれない。

足あと



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2/5 晴れ

YAMAPはiphoneなので、ブログはあえて落ち着いた感じに写るデジカメで。

鹿岳の登山口駐車場に車を置いて、大久保側から周回。マメガタ峠へ向かう。

前を先行する方は四ツ又山へ向かわれました。

マメガタ峠。


途中の展望台から鹿岳の一ノ岳と二ノ岳。


恐竜の背のような妙義山の眺め。


一ノ岳に登る途中から眺める二ノ岳。

左の突起の岩舞台からの展望はこの後に。

摩利支天の祀られた一ノ岳山頂。

昭和61年と比較的新しいもので、峰続きの四ツ又山の御嶽山の延長で置かれたのだろうか?

ここが一ノ岳の突端。

風にでも吹かれたら落ちてしまいそうな場所。近寄らぬが一番。

二ノ岳へ木梯子の後の鎖。


落沢岳からしれいた山の奥に下仁田の街並みとさらに富岡の街並み。



二ノ岳山頂。南牧村のこの素朴な標識がなんとなく好き。

奥には雪で白くなった浅間山。

向こうの岩舞台へ。


四ツ又山と一ノ岳。右奥ピラミダルなのが小沢岳。



岩舞台は二ノ岳山頂がわずかに遮るだけでぐるっと展望抜群。

 

一ノ岳方面から登ってくるグループの声が聞こえる。


二ノ岳から木々岩峠方面へは意外と難路。
奥に五州山や物語山が見えてきた。


峠の名前の由来にもなっている木々岩。


植林の中に明瞭な道があったが所々途切れる。


振り返って三ノ岳以降の概要。

真ん中あたりの谷間に沿って下りてきて、伐採地が開けたらそれをトラバースして手前斜めに下りる尾根に乗ってくる。

地図上の木々岩峠の位置を過ぎると、冬枯れの向こうに五州山が近い。


民有林道へ降り立った。


帰りに眺めた鹿岳。奥から一ノ岳、二ノ岳、三ノ岳。


途中の多胡羊太夫の墓。

ホントなのだろうか?多胡碑にも関連した伝説めいた人でもある。


二木久夫さんの「西上州の岩山藪山」には、「木々岩峠」を「きじやとうげ」と紹介されていて、実際のところ地元の人はなんと呼んでいるのかな?と思ったので、帰りがけ下高原の集落の人に聞いてみた。
駐車場へ戻る途中、軽トラに薪を積んでいるお父さんが居たので聞いてみると、「きぎいわとうげ」と呼んでいるとのこと。普通の読み方で良いんだなとスッキリ。
登る前、鹿岳登山口の駐車場には車が何台かとまっていて、歩き始める人を何人か見かけたのに、山中で誰とも会わなかった不思議。
鹿岳の良いところは、一ノ岳がシンボリックで、複雑な西上州の山並みの中で一発で見つけられて、方向が確定できるところ。遠くから見ると丸っこくて、海底から現れた海坊主のような雰囲気でかわいらしい。でも、山頂の岩棚はスパッと切れ落ちておっかないところ。
キョロキョロ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

年が明けてから仕事のストレスで日々余裕なく、一度もブログ投稿していなかったので簡単に。口笛
2月は久々に病院もあります。
1月はあっという間に過ぎ去っていった感あり。仕事では毎日イライラ。あせる

2月は心穏やかに過ごさなくては。






神丸尾根で白石山へ

今年の初歩きは、神流町のトレランコースにもなっている神丸尾根へ。
同じくトレランコースの若御子尾根より、こちらの方が歩きやすい気がした。展望もあったりして神丸尾根の方が楽しめる。ピストンのつもりが、山内にハンターが入っていてドンパチ聞こえたので、帰りは県道で戻った。近くの早滝は凍っていないので寄らず。

1/8 晴れ

城山道と呼ばれる古道を復活させた道。


奥多野花街道と言う響きが好きだ。


城山稲荷の裏(城山の頂上)から万場の街並みが見渡せる。


途中眺めた上武国境稜線と両神山のギザギザ。


白石山の頂上。

おそらく船子川沿いの集落の人たちが祀った、石尊大権現と思われる石宮。

帰りの県道沿いで見かけた石仏。

神像だろうか?御幣が残る。

万場の駐車地まで長い県道歩き。


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板荷石尊山

年末の鶏鳴山に続いて周辺の歩き。
笹目倉とセットで周回するつもりが体調が思わしくなく、体温調節と汗のコントロールにも失敗し、石尊山だけで終わってしまった。
植林の地味尾根で、杉とヒノキの瞑想状態。頂上で素朴なお不動様に会い、三角点を確認して早めの下山。

1/15 くもり

歩き始めてほどなくしてカモシカに会う。おうし座

 

 


作業道と交錯しながら。


頂上。


石尊山のお不動様。安永8年銘。



手入れが行き届いた尾根だ。


P625。


伐採地から遠望した高原山。


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相間川の氷柱巡り

ストレスでモチベ低下と右足の状態も良くないので、困ったときの行き慣れた倉渕の氷柱氷瀑巡り。
去年は同じところを2月に歩いて、なかなか見応えがあった。もちろん冬の赤城や日光の凍りのスケールに比べたらひっそりとしたもの。ここは成長すると川沿いの氷柱が良い。
相間川周辺は、去年あたりから伐採期間に突入。騒がしくなったので、カモシカを見かけることがなくなった。

去年の氷柱巡り。


1/29 晴れ


林道沿いに何年も鎮座しているぐんまちゃん。三ツ丸林道の門番でもある。


お気に入りの山の中の馬頭観音。馬


朝日を浴びる林道沿いの氷柱。


相間川に落ち込む氷柱。


ここは毎年なかなか良い凍り方。


中尾根沢の滝。


千丈ガ滝の氷柱。

 

 


十丈の滝。




YAMAPもほぼ同じ内容。




そろそろ耳鼻科に花粉症の薬をもらいに行こうと思う。薬
花粉症のくせして杉ヒノキの山林を歩いてしまうと言う矛盾。
鹿沼あたりの植林尾根は、2月いっぱいは狩猟期間なので控える予定。
右足の状態を考えると、房総の低山もイイなと思う最近。ほとんど歩いたことないのと、海が遠くに見えるのもイイなと。でも、帰り京葉道路とか混むんだよな…と、そこがネック。
右足を治すために、最近少し歩容を変えています。
走る人

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回も御嶽山の石仏群を見つけられず山を下りてきた。
研究報告を書かれたご住職をお尋ねするのが一番早い解決方法。ひらめき電球
と言うことで、常光寺へと向かった。

 

 

 


石段から金剛力士像や不動明王の座す立派なお寺だ。


突然お尋ねしたにもかかわらず、快くお話を聞いていただき、暖かい飲み物まで頂いた。コーヒー


現在も西上州の山岳信仰調査を続けられており、いろいろ疑問に思っていたことを教えていただいた。ご住職自身もしばらく、小沢岳の御嶽山には行っていないとのこと。
この後、時間を作ってくださることになり、御嶽山へ同行いただけることになった。


ご住職に車で先行していただき、自分も車で後を追う。歩いて下りてきた道を今度は車なのでずいぶんと早い。
途中、峯の集落でその先の道を管理している方の家に立ち寄る。ご住職が話を通してくださり、鉱山のゲートを開けていただけることになった。
土地の人間でもない自分が、ゲート内へ車を走らせるのは恐縮してしまう。キョロキョロ

ロケットの広場へ着くと、先ほど会った鹿撃ちの方々も御嶽の石仏の場所について教えてくださり、ここから先はご住職とふたりで歩いて探した。
ご住職もしばらく訪れていないので、正確な位置は覚えていない。

手分けして探し、途中はぐれかけたが、ご住職が先に石仏群へ到着し、後追いで自分も会うことができた。



御嶽山座王大権現、左右に俱利伽羅明王(竜王)、役行者。


俱利伽羅明王。


八海山大頭羅神王。


三笠山刀利天宮。




十二大権現。


石造物は石宮も含め50以上。やっと御嶽の神様たちに会うことができた。
特に俱利伽羅明王の石仏は初めて目にしたので感激。



帰りに、開闢碑のすぐ裏手が、この御嶽山の登拝口であったこと。また、すぐ横に残る建屋が御嶽行者の詰所であったことを教えて頂いた。

手前の石碑が開闢碑。



ご住職をはじめ、地元の方々にご協力いただき、素晴らしい山歩きができたことに感謝です。
ありがとうございました。
ニコニコ





ここからは自分なりにこの御嶽山の考察を…。

小沢岳の北側に展開されていた御嶽山は、昭和10年代後半の石灰鉱山開業で登路を失った。
北側のP759へ続く尾根に祀られていた石仏は、鉱山開発により一か所にまとめられ現在に至る。かつては、山頂へ続く北尾根に石仏が配されていたようで、どのように置かれていたのか、その詳細は不明である。
開闢碑の裏手から始まる登路は、果たして小沢岳の山頂まで続いていたのだろうか?と言うのが自分の中での最大の疑問になっている。

一昨年、実際に途中まで自身で上がってみて、北尾根の後半は相当な難路。妙義山系を考えれば、登路があってもおかしくはないものの、終盤、岩壁にかつての鎖などの痕跡もなく、登路が存在した風には見えなかった。もし、山頂まで登拝路が続いていたならば、ここは西上州随一の御嶽行場だったと思う。
御嶽山は必ずしも山頂を目指すとは限らず、前衛で完結していたり、特異な岩場に摩利支天を祀って締めくくっている場合も見かける。ここの御嶽山の世界が、山頂まで含んでいたかは想像の域を出ない。
御嶽山を勧請した場合、三座神の中央、座王権現は山頂や他の2神より高い位置に見られることが多いようだ。もし、小沢岳の山頂付近に座王権現が座していたとすると、現存する大日如来はなぜ一緒に下ろさなかったのか?という疑問も出てくる。これは山頂の大日如来も御嶽山の一連の流れに組み込まれているという前提での話。
ただ、山頂の大日如来は文化7年(1810年)の銘があり、この日見た御嶽の石仏群はそれよりもだいぶ時代が下る。登路の入り口に立つ開闢碑の行者は、文政6年(1823年)出生、明治13年(1880年)に亡くなったと記されている。
大日如来は、御嶽開山者の生まれる前から小沢岳の山頂に座しており、御嶽信仰とは別の流れで祀られた可能性が高い。となると、御嶽山も山頂までを含まずに、手前の前衛の尾根で完結していた可能性も考えられる。
この山域、まだ少々気になる場所が残っており、いずれまた歩きに行く予定。
地元の人々の記憶からも消えかけている御嶽山。でも、石仏群の中に平成の石宮も見られ、石仏の基壇には小銭も置かれていた。鉱山で道が途絶えても、細々と御嶽山の信仰は続いているのかもしれない。