去年の12月初めに歩いたのですが、後でじっくり書こうと思い年を越してしまいました。


小沢岳の御嶽山探しは一昨年にも歩いたんですが、結局見つからず…。
1年後、去年の秋の終わりに、下仁田自然史館に寄せられた研究報告をたまたま目にし、再度の御嶽山探しで歩いてきました。
その研究報告は、下仁田宮室の常光寺のご住職が書かれた、西上州の山岳信仰についてのもので、小沢岳の御嶽山について考察されていた。その中で、石仏群は大平の尾根に祀られているとあり、その尾根を探しながら再度歩くことにした。
前回はかなり時間をかけ、小沢岳南の磐戸鉱山周辺を探したが見つからなかった。大平の尾根と言うのがどこなのか見当も付かないが、宮室のあたりに大平沢と呼ばれる小さな沢が出ていることもあって、宮室方面から尾根を歩いて行くことにした。
下仁田ジオパークの宮室逆転層の駐車場に車を置き、麓の富士浅間神社よりP616宮室山経由で鉱山方面へ向かってみる。


(鉱山敷地内なのでYAMAPに詳細載せず)



過去の小沢岳探訪

前回の御嶽山探し。

小沢岳西尾根ルート。

小沢岳七久保ルート。






(2022.12.11)

逆転層の駐車スペースに車を置いて探索開始。


富士浅間神社へお参りし、そこから山歩き。


植林の中に途中まで道が続く。

取り付きに木の枝で作った杖が数本置かれていたので、地元の方は上までお参りするようだ。

山頂手前の肩には、年季の入った木の鳥居。扁額は失われていた。


宮室山山頂には立派な石宮。

昭和15年に宮室の氏子による紀元2600年記念の富士山大神を祀ったもの。

P566方面へ尾根を乗り換えるところで眺めた小沢岳。


ちょうど良い椅子があったので休憩。お茶


青倉川沿いの石灰工場群が見える。


P566手前で地元の鹿撃ちの方と出会う。
御嶽の石仏についてたずねると、やはり存在するらしく、鉱山側から入った方が近いとのこと。地理院地図で現在地を示して場所をたずねると、かなり麓の方を指さしておられたが、地図だと詳しい位置はわからないようだった。鉱山内のロケットを打ち上げた広場の石段の上と教えて頂いた…?。ロケットを打ち上げたのか…と。
鉱山方面に居る仲間のハンターにも無線でこれから向かうことを連絡してくださった。
ここまでで3頭の鹿を目撃したので、少し申し訳ない気持ちで鉱山方面へと向かう。
おうし座

P566。標石は見当たらなかった。


鉱山内に出てきた。

雲の切れ間から日が射しこみ小沢岳が神秘的だ。
ここからは以前もだいぶ探し歩いたので、前回を踏まえ今回は少し違った場所も探す。


小沢岳の山頂を遠望する。

前回は、山頂から2段下がる高角度の斜面で撤退。その下の小岩峰も巻いて通過した。
この激しい尾根にほんとうに登拝路があったのだろうか…。

ロケットの広場の向こうに黒滝山方面の展望が素晴らしい。四ツ又山や鹿岳も見える。


ギザギザの妙義山を遠望する。





キョロキョロ
結局、今回も探し歩いたが石仏群を見つけることはできなかった。
まさかの2連敗。なにか大きな勘違いをしているのだろうか。

残念な気持ちで鉱山を下りる。右奥に小沢岳の山頂が見えている。
鉱山へ入るゲートは閉じている。もちろん通常は入ってはいけない。


まさかこの後、このゲートを開けて自身の車で鉱山へ入ることになろうとは、このときは想像もしていなかった。

峯の集落へ下りる途中の小沢の弁天様。
岩窟の上に「天女窟」と彫られている。


弁天様の横に祀られている恵比寿様と大黒様。宮本講によるもの。

「また見つけられなかったね!」とお二人とも笑っておられる。口笛

弁天様から少し下りたところには、御嶽山の開闢碑や40回登拝した先達の霊神碑。

ここにかつて御嶽山が存在したことは確かである。

西上州らしい馬頭観音の風景に癒されながら、集落内を歩いて戻る。

峯の集落で、たまたま外にいらした方に御嶽山のことを訪ねるも、そのような山があったことは知っているが、詳しいことはわからないとの返答だった。

逆転層の駐車地へ歩いて戻る。群馬と言えば小渕さん中曽根さん。


道路から山並みを眺めながら帰る。奥は落沢岳からしれいた山の並び。

白い板のような岩壁が山頂部にあるからしれいた山なのねと妙に納得。



今回も御嶽山の石仏群には会えなかった。けれども、山を歩いて景色を眺め気分転換にはなったし、今日はここまででいいかなと。また翌年にでも機会があったら探そうと。
ただ、2回探して見つからなかったと言うことは、なにか根本的に違っているのかもしれない。そんなことを思い、次のために正解を聞きいてから帰ることにした。
逆断層の駐車場をそのまま通り過ぎ、歩いて常光寺へと向かった。常光寺のご住職に、小沢岳の御嶽山についてご教授いただこうと…。


つづく




 

 

 

 

 

 

 

あけましておめでとうございます。

門松

今年もよろしくお願いいたします。

おねがい

 

 

 

 

年が明けましたが、12月に歩いたふたつです。
いまだ右足の調子がよくないのと、寒さがこたえるので、春までは里山歩きオンリーです。




12/18 高尾山(たこうさん) 雪くもり晴れ

YAMAPはコチラ。


高尾山と言っても高崎倉渕の山です。
烏川の源流域、源頭の鼻曲山から東へ続く右岸の主稜尾根はほとんど歩きつくしてしまい、残るはこの高尾山と中垣を結ぶわずかな区間のみ。
石宮が続く地味めな里山で、そのうち歩こうと思っていて手付かずだった所。
この日は小雪舞い、里山ながら尾根上は吹雪いてとても寒かった。雪の結晶
主に尾根上の石宮を見ながら送電線巡視路へ出て周回。


カネト水産釣り堀の付近へ車を置いて出発。


榛名山塊を見ながら雪舞う舗装路を歩く。


序盤は植林。


ひとつめの石宮は文化の年号。


植林を抜けると落葉の堆積がすごい。


ふたつめの石宮。

宝暦の年号と「施主…村中」しか読み取れず。

みっつめの石宮。

これもまた宝暦の年号と「施主…川浦」しか読み取れない。

頂上の三等三角点「高尾」とよっつめの石宮。

この石宮も宝暦年間に置かれたもの。「施主川浦…塚…」。
このあたりは、大塚姓の方が多い土地柄なので大塚さんだろうか?

北関東の山に造詣の深いあにねこさんが2012年に歩かれた記録には、石宮の屋根に雨降山小天狗、大天狗、石尊大権現が読み取れたようなので、この山は石尊山である可能性が高い。
丹沢の大山から石尊大権現を勧請した、川浦地区の雨乞いの山のようだ。

帰りはそのまま尾根伝いに送電鉄塔の立つP909方面へ。


ガスが流れて烏川左岸の山並み。


西群馬幹線34号鉄塔。


鉄塔からは駐車地まで林道歩き。


道の駅でゆず味噌などを買い物して帰宅。車
はるなくだもの街道沿いの和菓子屋さん「柴もち」が気になるので今度買ってみようと思う。
お団子







12/30 鶏鳴山 晴れ

YAMAPはコチラ。


年末は栃木の道の駅で、餅や蕎麦を買いたくなるので、年末の買い出しと合わせて軽めの山歩き。ここ2年、古賀志山と組み合わせてたんですが、直前にNHK「百低山」で古賀志山をやっていて、すごく魅力的に映していたので、人出も増えるかなと思い、今年は鶏鳴山へ。
山頂付近の石仏をじっくり見たかったのもあります。
帰りに宇都宮のろまんちっく村の道の駅で大量に買い込んで、埼玉県北の親戚へ餅と蕎麦を届けてから帰宅。
餅


西沢川沿いの林道駐車スペースから周回。

となりはゴルフ場。

鉄板橋を渡って反時計周りで周回。


駐車地も民有地、山内も民有林のよう。

栃木百名山なのでご厚意で整備されている感じ。

スギとヒノキの瞑想状態。ニヤリ

落ち着く~。

当初は歩く予定だった古賀志山が見える。


植林が終わり尾根が急になる。


冬枯れの向こうに日光連山。


この中にもかつては石造物があったようですが。


阿弥陀如来。

首には修復した痕が見られる。

こちらの宝暦の石宮の中のお方はよくわからない。


表情は一見、不動のようであり、眷属の童子のようであり、ただ、左右にマントのような羽が広がっているので天狗系のようです。


蓮華座に立つこちらもよくわからない。

一見、日本武尊や聖徳太子のように見えるが、それらがこの山中に祀られる意味を見いだせない。

小来川の人たちが祀った石宮。西を向いている。


北峰側。


南峰側。

山頂の三等三角点名は「御位」。読みは「みくらい」でしょうか?

男体山。


陽の入るヒノキ林を下りる。朝よりずいぶん暖かくなった。



山頂の石仏群は、日光修験と言うよりは、もっとローカルな雰囲気で祀ったような感じがしますが…。

すべて東を向いているので、施主は東側山麓の人々でしょう。山中に阿弥陀如来はちょっと珍しい気がします。関係ないですが、途中眺めた真っ白な女峰山の本地は阿弥陀如来。比較的近隣の古峯神社は、日本武尊や天狗と関係が深いのも影響していそうな。はっきりとしたことがわからないので、いろいろ想像して楽しむところかと。ひらめき電球

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

最近はいろいろとあわただしく、アメブロに手を付けてないんですが、一区切りと言うことで。

雪だるま

職場ではコロナ急増で、代わりに出勤したり仕事が増えてかなり疲れてます。
いろいろストレスを抱えながらも、つつがなく生きていることは、5年前を考えれば大変幸せなこと。



この12月で、いわゆるガンの5年生存をクリアしました。

こんなにも長期にわたって、無治療で過ごすことになるとは想像もしていませんでした。
このブログを始めたのは、リンパ転移で抗がん剤を続けて行くことをいったん休止して、この先どうなっていくのかという混沌とした中で、同じ癌種の方々とつながりを持とうと思ったのが始まり。

その後、一度も悪化することなく、治療らしい治療もせず今に至り、体力がまずまず回復したので、内容的にはほぼ山日記になった。

この5年の間に、更新が途絶えてしまった方や、状況が好ましくない方向へ進んでしまった方も居り、5年目を手放しには喜べない複雑な気持ちでもいます。
ガンの闘病を一度でも経験した人ならば、胸中察し感情移入してしまうものです。

苦しい状況下でも、常に前向きに捉え、向き合っている方のブログをいくつも拝見し、自分がその状況になったらそこまで向き合って行けるだろうかと、自身を省みることもしばしばあります。

次の5年がどんなものになるかはわからないが、ガンも自分自身で作り出した身体の一部。共存方法を模索して、人としてブレないような人生にしてゆきたい。




この間、山の中で人の一生のような木に出会った。

幹がぐるっと一回転したヒノキ。

  

まっすぐに伸びていたところに、ワイヤーが巻かれたのか、蔓が絡まったのか、幹は曲がってしまった。
でも、またまっすぐに伸びている。きっと、曲がった後も見捨てられずに枝打ちをした人が居たんだろう。まるで人の一生と同じ。そして、後ろにも同じように曲がって立ち直った仲間や蔓に巻かれ続けている仲間が見える。
順風満帆なところに、病気や災害、戦争だったり、自分ではどうにもできないことが突然起こる。そこからなんとか立ち上がって生きて行く中で、助けてくれる人が居る。
人も木も誰か手助けしてくれる人が居ないと、まっすぐには生きられない。

そんなことを思った一本の木。