小説:17歳のジャズ、而して、スーパーカブ -32ページ目
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17歳のジャズ、而して、スーパーカブ 第3話

 人間という精神病者は、比較してやっと生きていけるくらいのお莫迦さんだ。


 僕は、ずっと隆志と自分を比較して生きてきた。貧乏さ加減とか人種とかをね。僕らは、まあ、貧乏で結ばれた親友だ。悪友ともいえる。お互いに、生きていくために悪とやらを働いていた。総動員していた。金持ちや白人至上主義者どもと同じだ。生きていくために悪とやらを総動員するという点では。


 おい、金持ちの皆さん、そんなにカネが問題なら盗んでやるよ。


 なあ、おい、シロンボの皆さん、そんなに肌の色が重要なら悪色ペンキでマッサージしてやるよ。オイル・マッサージだ。


 隆志は、ジャズに乗っていた。クロンボが演奏する二度と同じことをしない音楽に乗っていた訳じゃない。ホンダの50ccのほうのだ。原動付自転車だ。僕は、スーパーカブ、バカチョンカメラは、ジャズだ。隆志みたいなバカチョンが僕よりお洒落な名のに乗っているとはインド人もびっくりするに決まってるよ。


 隆志、ごめんな。


 でも、ほんとのことさ。


 隆志、てめえは犯罪者だ。


 まあ、僕も犯罪者だ。僕らは、よく似ている。僕も隆志も逮捕されないというだけで、犯罪者だ。法律では禁止されていて、反すると逮捕されて、起訴されて、刑務所という精神病院に強制収用されるようなことでも、そもそも捕まらなければいいんだ。ただそれだけのことなんだ。犯罪者は、このキチガイ世界にうようよいやがる。人は、全員犯罪者だ。


 そこのあんただってそうなんだぜ。


 その辺、忘れてはいけなんだぜ。


 人は、みんな犯罪者、かつ、頭クルクルパーなんだ。


 早く自殺しろよ。


 ちょっと真面目な話をしようか。犯罪被害者についてだ。結論からいって、どうにもならない。喚きたてているのがほんとの犯罪被害者だとして、そいつが被害者になる前、刑事政策的な事柄をほんの口先だけでも言っていたなら温情の余地はある。でも、どうにもならない。どうせ、そいつもどこかで犯罪をやってるんだ。だからさ、どうにもならない。悪いけど、僕はこれから正義について書きまくる。書いて書いて書きまくる。精一杯ね。邪魔しないでくれよな。


 僕にしか書けないことを書く。いましか書けないことをね。書きまくる。


 僕と隆志が、原動付自転車に乗って旅行した話をね。そこでいろいろな人たちと出会った話をね。書いていくんだ。


 さあ、今日は御伽噺はもうお仕舞いだ。また明日、つづきをでっち上げることにするよ。

17歳のジャズ、而して、スーパーカブ 第2話

 僕は、日本国神奈川県横浜市のうらぶれた区のうち捨てられた町で、母といまにも崩れ落ちそうなアパートに住んでいた。母子家庭専用おんぼろ収容施設みたいなところだ。父は、どこからか時折、昔の恋人を思い出したかのようにカネを送ってきた。僕の父は、いわゆる過激派新左翼だ。つまり、テロリストだ。時代遅れのテロリストだ。時代遅れで中途半端。やけに歳をくっている。母とは、本来、娘みたいな年齢関係だ。とんでもないな、時代遅れで中途半端なテロリストはさ。日本中を逃げ回ったりするのが、主な活動らしい。


 父さんさ、どうせだったら、ペットボトルミサイルでも国会議事堂にぶち込めよ。


 小学校の先生がこう言っていたのを憶えてる。「逃げ癖がついたらダメ人間だ」。


 そういえば、幼稚園の先生もこう言っていた。「面と向かいなさい」。


 父さんさ、幼稚園から人生とやらをやり直せよ。

 

 まあ、どうでもいい。


 僕は、寂しくはなかった。そんな気持ちになったことはただの一度もない。ほんとさ、信じてくれ。たぶん、僕の隣にもっと悲惨な母子家庭があったからだ。在日朝鮮人で、母子家庭。どん底みたいなものだ。ザ・クラッシュが歌うとおり、出世のチャンスなんかないぜ。朝鮮総連や民団のお手手を拝借しない限りはね。そこの父親は、死んでいた。完膚なきまでに死んでいた。とっくの昔に解放されていたというわけだ。このキチガイ世界からさ。素敵な話さ。在日朝鮮人で、プロボクサー。それで、八百長試合中に死んだんだ。殴り殺されたんだ。これが素敵な話で他の何が素敵な話なんだ? 


 おっと、申し遅れたけど、僕の名は、啓太。


 僕の隣の素敵な在日母子家庭の奴は、奴隷みたいな奴の名は、隆志。


 僕らは親友だ。


 ちなみに、母親たちも親友だ。いつも日本の悪口で盛り上がってるよ。自爆テロでも起こしやがれよ。


 隆志は、僕と同じで中卒だ。ただ、少々の違いがある。僕は一応、日本人だけど、隆志の奴は、奴隷みたいな奴は、バカチョンカメラだというところだ。あいつは、この国に生まれ育ったというのに、いつまでも怪しげな外国人なんだから。日本人っていうのはなかなかの差別主義者どもだよ。まあ、僕らだって差別主義者な訳だけどね。誰だって差別主義者なんだ。


 そこのあんただってそうさ。


 クロンボ、シロンボ、キロンボ、アカンボ、その他いろいろ。いろいろ差別対象はあるからね。的を狙って、バーン!なんだろ?


 そういえば、隆志の母ちゃんも、当然日本人じゃないんだよな。僕の母ちゃんは一応、日本人だ。ふたりは仲がいい。これが慰めになるかな?


 まあ、僕だって、日本人であるのにそうじゃない扱いを受けてきた。父親が、過激派新左翼というだけの理由でね。いや、そうじゃない。それだけが理由じゃない。


 さあ、今日は御伽噺はもうお仕舞いだ。また明日、つづきをでっち上げることにするよ。

 





 

17歳のジャズ、而して、スーパーカブ 始まり

 1994年、17歳の夏、僕は精神病院から退院した。退院の理由などない。ただ放り出されただけだ。頭のおかしい連中を管理していることに慣れきっている奴らでさえ、僕のことは手に負えなかったんだ。


 入院した理由はある。失恋して、精神科医を騙して、合法ドラッグを大量にせしめて、それを一気に服んで3日ほど昏睡状態となって、半分息を吹き返したところで精神病院に強制入院させられたんだ。


 僕は、生半可な自殺志願者だった。救急病院から頭クルクルパー病院に送られる間際に、看護婦にこういわれた。「手首を切断しちゃえばよかったのにね!」。


 僕は、本気で死ぬ気などなかったんだ。


 中学を卒業後、僕は、アルバイトをしながら恋に反吐するような恋をして、あとは怠惰な生活を送っていた。アルバイトから得たカネは、主に恋した人と原動付自転車という訳の分からない名称のついた乗り物につぎ込んでいた。まあ、ふたつとも乗り物には間違いない。たぶんだけど。だって、女性に失礼だろ。乗り物なんてさ。僕の恋した人のことは、もう名前も思い出せない。まあ、僕は失礼な人間ということだ。


 でも、ちょっと待って欲しい。


 原動付自転車の名前は忘れてない。忘れてないよ。


 スーパーカブ。


 そうだ。スパーカブだ。

 

 50ccのホンダのスーパーカブだ。


 僕は、雄叫びを上げながら、そいつに跨って乗り回していた。とくに夜中なんかには。恋人みたいなものだろ、つまりはさ。


 なぜ僕がカブに惹かれたのかはいまだに謎だ。でも、僕は、この謎を解明するつもりはない。謎は謎のままでいい。あるいは、いまはまだ謎は謎のままでいいんだ。そのうち自然に、あたかも恋人の名前をはっきりと思い出すように、カブを選んだ動機が思い出されるだろうからさ。


 どうせもったいぶった、もっともな動機だろうけどさ。


 どうでもいいことばかりだ。でも、ぜんぶがどうでもいいっていう訳じゃない。だから、僕はこの話をすることにする。僕には、いまはサリンジャーのことを笑うことはできない。あの『ライ麦畑でぶっ殺して』を書いた、あの野郎のことはね。いまならディケンズのことなら笑うことができるかもしれない。あの『17歳のジャズ、而して、スーパーカブ』なんていう反大衆小説を書きやがったあの野郎のことはね。


 さあ、今日は御伽噺はもうお仕舞いだ。また明日、つづきをでっち上げることにするよ。


 

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