17歳のジャズ、而して、スーパーカブ 第12話
「不景気で、日本人にも仕事がないのに、在日に仕事をくれてやるのは変なんだってよ」
「それで、お払い箱か」
「そうだ」
「差別だな、そいつを殺しに行こう」
「啓太、俺の話、わかってくれるだろ? 大東亜共栄圏、亜細亜主義、は、は、はこういちう」
「てめえは、何度か死んだほうがいい。ペンキ屋の社長と心中しやがれよ」
「啓太━━」
「てめえは……、ああ、この薄らバカチョンめ、てめえらは、ずっと日本人に差別されてやがるんだよ! 昔もいまも、何にも変わらないんだよ! そんな日本人に支配━━」
「啓太━━」
隆志は、僕の名を二度も呼び、二度も絶句し、泣き崩れた。
「てめえ、その腐った耳をくそほじくって、しっかり聴けよな。大昔にな、サミュエル・ジョンソンっていう本物の知的障害者がこう言った。『愛国心はならず者の最後の拠所である』ってな。てめえのことだ、隆志。だいたいてめえに、国なんかないだろうが。てめえから国をかっぱらったのは、どこのどいつだ? 日本人じゃないのか? いまも奪い続けてるのは、日本人じゃないのか? 総連か民団にでも入りやがれよ チョンはさ。あ? 答えろ! てめえ!」
僕は、激昂し、バカチョンカメラみたいに泣き崩れそうになった。
「つまりだ、隆志、てめえは、ならず者以下の人でなしだっていうことだ」
僕は、これ以上ないほど冷たく言い放った。気分はまるで死体袋になったみたいだった。
ベトナム戦争で使用された死体袋みたいに冷たい気分。
爽快なんてものじゃない。
「啓太……、お前、日本人なのに……、何でそんなに……、何でだよ……、もっと、あ、あ、あいこ━━」
「愛国心か? 日本人としての誇りか? 矜持か? 武士道か? 国家神道か? 何だ? 言ってみろ。言えよ。あ? このバカチョンカメラが!」
「りょ、りょ、旅行」
「てめえ、キムチ野郎、ぶん殴るぞ」
「りょ、りょ、旅行だ……、啓太、見てみよう……、世界じゃなくていいから……、日本を見てみよう……」
隆志は、涙を地面に叩きつけていた。僕は、あのとき、隆志とともに泣くべきだったのかもしれない。でも、そうしていたら、僕らは、旅行に出ていなかったかもしれない。
「わかったよ」
僕は、ただそう言った。
さあ、今日は御伽噺はもうお仕舞いだ。また明日、つづきをでっち上げることにするよ。
17歳のジャズ、而して、スーパーカブ 第11話
「大東亜共栄圏とか亜細亜主義とかっていうのを、啓太から教えてもらったとき、俺、泣いちゃいそうになったんだ。亜細亜人は、みんな、兄弟とかって最高だよな。だって、例えば、俺とお前も兄弟っていうことなんだぜ。最高だよ。漢字で書くと、亜細亜って難しいから、俺、カタカナでしか書けないけど、何度も練習したよ。大東亜共栄圏っていうのは、書けるようになった」
隆志の奴、自称愛国者か何かにカモられる野菜野郎になりやがったのか?
「なあ、亜細亜という字のほうが簡単じゃないのか?」
僕は、とことん皮肉を込めて言った。
「わかんねえよ、俺、そんな難しいこと」
「隆志、てめえ、在日朝鮮人だよな?」
「そうだ」
「日本人はさ、昔々にさ、朝鮮を侵略したんだぞ。大東亜共栄圏とかさ、亜細亜主義、大亜細亜主義とかの名の下にさ、それでもそんな思い付きを支持するのか? お前、正気か? まあ、いつもだいぶおかしいけどな」
「は、は、はこういちう」
隆志は、この自称愛国者もどきは、どもりながら、搾り出すように言った。
「このどもりのファシストが! キチガイ病院に収容されろ! 巣鴨プリズンで絞首刑にされろ!」
僕は、あいつの、あの野菜頭を打ち砕く必要がある感じたんだ。だから、罵倒した。善意のファシズムだ。
「は、は、はこういちう」
「隆志、いい加減にしろ。冗談にも程があるぞ」
「難しい漢字!」
「ハングルでも勉強しやがれよ」
あいつは、幼児みたいだった。僕は、仕方なさに包まれた。
「八紘一宇だろ?」
僕は、地面にその漢字を書いて見せた。
「これだ! 啓太、やっぱり偉い人になるよ! いつだったか忘れたけど、教えてくれたよな、この意味を。俺、そのとき感動しちゃって、泣きそうになっちゃったんだ! 天皇陛下とかを父親みたいにして、みんなが家族みたいに生きるなんて凄いことだよ! なんていうんだろ、天皇は、神様みたいなものなんだろ? それで、みんなはその子どもたちで、差別もなくて、幸せに平和に生きていく。朝鮮人とか中国人とか関係なく、だろ?」
「てえめえみたいな差別主義者は、チクロン-Bで殺されろ」
「啓太、何でそんなに怒るんだよ、わかんねえよ、俺、いい話をしてるのに」
隆志の瞳、涙みたいな嘘くさいものに覆われ始めていた。
「てめえの本物の兄弟たちは、この思い付きにぶっ殺されたんだよ! このドアホ! 本物の家族たちが虐殺されてんだよ! このドアホ!」
「……昔は、ちょっとやり方を間違えたんだよ。次はうまくいくと思う」
「おい、隆志、キチガイ隆志、なぜいきなりこんな話をし出した?」
「在日はいらないんだって言われた……」
「誰に言われた?」
「会社の社長に」
「ペンキ屋のか?」
「そう」
なあ、隆志、あのとき泣き崩れたくなったのは、僕だ。僕がお前の代わりに、そうしていたらいまごろどうなっていたんだろう。
さあ、今日は御伽噺はもうお仕舞いだ。また明日、つづきをでっち上げることにするよ。
17歳のジャズ、而して、スーパーカブ 第10話
「あ?」
「だから、旅行」
「隆志、独りで行けよ。僕、ここにいるよ。ずっとここにいる。居座る。くつろいでやる。盗んでやる。開き直ってやる。チョンって叫んでやる」
「つべこべ言わずに、行こうぜ。世界を見てやろうぜ」
あいつは、どうやら本気みたいだった。ニヤついたり、おどけてみせたりしなかった。僕は、しばらく会話とやらに付き合うことにした。
「バカチョン、旅行なんかしても無駄さ。徒労に終わるだけだ。無駄死に、犬死さ。兵隊みたいに」
「俺、失業したんだ」
唐突だった。
「あ? ペンキ屋、クビになったのか? 何をやらかした?」
「何も……、ただお払い箱になっただけ」
隆志は、中学を卒業してから、真面目に仕事だけはしてきた。犯罪者のくせに仕事だけは真面目にやってきたんだ。経営者になるためには、下積みがどうのってさ。模範囚にでもなったつもりだったのかもな。
「俺さ、ちゃんと働いてきたよな?」
隆志は、その瞳の中にある凶暴な知性を僕に向けた。面と向けやがった。
「まあ、犯罪者のわりには、チョンと働いてきたよ、お前は」
「そうだよな、チョンと働いてきたよな」
あいつは、僕という人間のことをわかっていた。さすがだ。
「いつクビに? 僕が入院してるとき? ああ、わかった。お前、ずっと嘘を付いてきたんだろ? 最初から仕事なんかしてなかったんだろ? とんでもないドストエフスキーだな、貴様!」
僕は、「貴様!」と軍隊風に言ってみた。あいつがどれくらい愛国的か試してやったんだ。国をもたない少年をさ、試してやったんだ。在日朝鮮人の少年をさ、そんな勤労少年をさ、日本人のクズみたいな少年が試してやったんだ。さすがは、非国民だよ。反日さ。過激派新左翼の血が脈々と流れてるんだ。まあ、支離滅裂のサイコ野郎だけどさ、あるいは、ソシオパスさ。
「鬼軍曹殿!」
隆志は、反応しやがった。そして、続けた。
「鬼軍曹殿は大東亜共栄圏という壮大な理念を━━」
あいつは、そこで言葉に詰まった。
「啓太、この先は?」
「あれはキチガイどもの思い付きの話だから忘れろ」
「いや、だから、俺、何て続ければいいんだ?」
「何でもいいよ、どうせ思い付きなんだからさ」
僕は、隆志が大東亜共栄圏とか亜細亜主義とかに共感していたのを知っていた。あいつは、糞尿まみれのサイコパスだ。絶対に治らない。
不治の病。
「俺、あの考え、かなりいいと思うぜ」
「お前、病気だよ。僕が信じる唯一のことは、隆志が病気だということだけ。ただそれだけをよすがにしてこれから余生を送るよ」
「ちゃんと聴いてくれよ」
あいつは、泣きそうになった。隆志は、よく泣きそうになる。泣き崩れそうになることさえあるんだ。純粋なんだ。そこが僕との大きな違いだ。でも、純粋さっていうのは、いつだって、僕らとは比較のしようもないほどのサイコに利用されるんだ。
本当さ。
信じてくれ。
大東亜共栄圏。
すべてのイデオロギーは、クロンボよりも真っ黒さ。
さあ、今日は御伽噺はもうお仕舞いだ。また明日、つづきをでっち上げることにするよ。