小説:17歳のジャズ、而して、スーパーカブ -28ページ目

17歳のジャズ、而して、スーパーカブ 第15話

 「冗談はもうなしだ、隆志」


 「いきなり真面目にどうしたんだ、啓太ちゃん」


 「貧乏隆志の全財産を言え」


 「3,594円です」


 「なぜすらすら言える?」


 「貧乏だから」


 あいつは、クソ真面目に答えた。


 「ペンキ屋の社長に足元見られるのがよく理解できるよ」


 「何でだ? 教えてくれ」


 「はしたカネに細かいからだよ」


 「そんな言い方ひどいぞ! 一生懸命に働いて稼いだカネが、はしたカネだなんて、ひどいぞ、啓太。ずっと、給料は、手取りで82,557円だったけど、ほんと頑張ってたんだぞ。給料、ぜんぶ、母ちゃんに渡して、小遣いを少し……」


 隆志は、何かに気付いたようだった。


 「啓太は、いくらある?」


 「正直に答えてやるよ、ヘソクリがちょうど30,000円あるよ」


 「おお、それで足りる。俺に、半分貸してくれ。あとで絶対に返すから。だけど、お前、何でそんなカネがある? 日雇いのバイトも、このところやってなかったのに」


 隆志は、面白い話が聴けそうだと思っている。僕は、確信した。ハラワタの捩れるような面白い話を、あいつは期待してたんだ。


 「僕、中学の入学祝に、親父から広辞苑を送り付けられたんだ。そこに、万札が3枚挟まれていた。それを後生大事にとってある。胎盤みたいにさ。ヘソの緒みたいにさ。女々しくさ」


 隆志は、あいつは、クソ真面目にクソを投げ付けられたみたいな顔になりやがった。


 「そんな大切なカネ、使えないよ、啓太、駄目だ。絶対に駄目だ」


 「てめえ、偽善者かよ」


 「俺、お前の父ちゃんのこと、尊敬してるんだ。偉い人だよ。世のため、人のためだろ? なあ、それって凄いんだぞ。過激派左翼━━」


 「てめえ、殺すぞ」


 「誇りだぞ!」


 隆志は、叫んだ。


 「何が誇りだ。このチョン嫌いのチョンが」


 「誇りなんだ! お前の父ちゃんは! 啓太、よく聴け、医学生だったのに、世の中の矛盾だとかそういうののために、自ら進んで医者になるのをやめて過激派左翼━━」


 「それがこの様だ、見ろ、この僕を」


 「お前、全然わかってない」


 「いいや、よくわかってるね。医者になるのをやめて人殺しになるっていうのがどんなだかくらい」


 「人殺しなんて言うな! 仕方のないときだってあるんだ!」


 「医者になるはずの人間がさ、人を殺すんだからさ、そいつは凄い話だよ。それはそれは凄い。医者になんてならずに善かったよ、世のため、人のためにはさ。あんなキチガイが医者になったら、世の中、万事休すだよ」


 「……まだ逃げてるんだろ?」


 「ずっと逃げてるよ、あの野郎はさ。何もかもからね」


 「逃亡生活ってかっこいいな! 指名手配だぞ!」


 「隆志、てめえ、かなりキチガイだぞ」


 「啓太、意味がよくわからないな。お前の父ちゃんの活動を応援しなくちゃ」


 「あいつはただの犯罪者」


 僕は、呟いた。


 「違うぞ! 世のため! 人のため! 偉い人だぞ! 俺と一緒にするな!」


 隆志は、拳を突き上げて、叫んだ。一言一言を絶叫しやがった。


 さあ、今日は御伽噺はもうお仕舞いだ。また明日、つづきをでっち上げることにするよ。

 

17歳のジャズ、而して、スーパーカブ 第14話

 「今日、何月何日何曜日だ?」


 僕は、いっぱしのキチガイらしく尋ねた。


 「もうすぐ、みんな夏休みだ」


 それが隆志の答えだった。僕らは、差別者でもあり、被差別者でもあった。このとき、隆志は、被差別者の装いを決め込んでいた。


 隆志、てめえ、何で生きてやがるんだ?


 もし、どこかでキチガイじみた会話をしているのがいたら、それは、僕らと同じ類の人間だろう。つまり、社会のはぐれ者だ。


 そこのあんたもそうかもな。


 ふつう、人間は、差別を嫌いながらも差別するし、被差別者になりたくないと思いながらも、そうなれば旨みを吸えると知ってる。


 人間って野菜よりも頭がいいのは間違いないよ。


 「隆志さあ、もうそろそろ、恨みがましいのはやめようよ。そんなんじゃ、一般市民になりやがるよ」


 「そんなつもりで言ったんじゃねえよ。さっき、高校生をカツアゲしようとしたらさ、そいつ、高校が夏休みになったらバイトしてカネを渡してくれるってさ」


 「で、お前は、それを信じて殴りもしなかったのか?」


 「……高校生って夏休みにバイトするもんだろ? 郵便局とかコンビニとか工場とかで、だから、後でたんまりと……あ、そうか」


 「言いながら、自分のバカチョン加減に気付いたのかよ。まったく、これだから日本人に侵略されるんだよな。やはり、もう一度、侵略されたほうがいいな」


 「とにかく、高校に行ってる奴らは、もうすぐ夏休みだ」


 隆志は、胸を張ってそう言った。


 野菜並みの頭しかもってないみたいだった。


 「最初からそう言えよな。『みんな』なんて言うんじゃさ、羨ましさがたっぷり過ぎるぞ」


 「啓太、誤解しないでくれ、俺、そんなつもりで言ったんじゃねえよ」


 「もういいよ。お前には、がっかりだよ、バカチョンキムチ。白菜野郎め。差別野郎め。被差別野郎め」


 「言いにくいんだけどさ、俺なんかより、ずっと気にしてるんじゃない……か? 自分の……つまり、その……身分っていうかさ。啓太、俺と違って、思い付きとかそうじゃなくて、自分のことだけじゃなくて、いろんなこと、気にしてるっていうか、よく考えてる。だからだろ?」


 隆志は、言葉だけでなく、僕が少しも気付いてないことをも、指摘した。僕の手に捕まえられていた、ドストエフスキーの『罪と罰』を。僕は、少しも意識していなかった。このシロンボとその戯言を捕まえていることをさ。無意識だったんだ。我ながら、とんでもない野菜頭だと思うね。


 「ロシア人のロはシロンボのロだ」


 僕は、誤魔化した。差別用語は誤魔化しにも使えるんだ。何にでも使えるよ。そこのあんたも試してみなよ。意識的だろうが、無意識的にだろうが、試してごらんよ。便利だよ。


 「シロンボっていいね、啓太」


 「あ?」


 「今度、俺、シロンボに会ったら、シロンボって言ってやるんだ」


 僕らは、大笑いした。


 ハラワタが捩れるくらい大笑いした。


 「じゃあ、隆志、クロンボに会ったら、クロンボって言えよ。ちゃんと言えよ、指差してさ」


 大笑いは、続いた。


 ハラワタが捩れて、ケツの穴から飛び出すくらいは笑った。


 でも、僕の頭にあったのは、カネをどうするかだった。


 さあ、今日は御伽噺はもうお仕舞いだ。また明日、つづきをでっち上げることにするよ。


 

17歳のジャズ、而して、スーパーカブ 第13話

 「啓太、ほんとか?」


 「ああ、旅行しよう。日本人がどれだけ下卑た奴らか見てやろう」


 「ありがとな、啓太、ありがとな」


 「じゃあ、気が済んだな?」


 「はあ?」


 「だから、お前は新しい仕事を探せ」


 「おいおい、啓太、旅行━━」


 「嫌だよ」


 「嘘だったのか?」


 「在日のくせして愛国者気取りの変態と旅行か?」


 「いいから行こうぜ」


 「どうやってだ? カネはどうする?」


 僕らに、カネなどあるわけがなかった。旅行には、カネが要る。日本人の下卑た様子を見てやるのにさえ、カネが要るんだ。世界一、レイシストだといわれる日本人を見てやるのにさえね。そのカネはどうする?


 「バイクで行けばいいだろ。ジャズとスーパーカブで。カネなんか掛からないよ」


 「てめえのポンコツと僕のポンコツでか?」


 「そうだ」


 隆志は、恋人の尻でも撫でるみたいにジャズのタンクをそうした。


 なんて気持ちの悪い奴なんだろ。


 おい、隆志、てめえ、病気だ。


 「それでもカネは要る」


 「盗もうぜ」


 「隆志、さっきのねじくれた愛国心もどきはどこに行った?」


 「はあ?」


 「二度目の『はあ?』かよ。お前は、チョンだ。自覚しろ」


 「愛国心とかとカネって関係ある? 俺、べつに愛国心とかそういうことを言いたかったわけじゃねえし」


 「てめえ、そんなんだからペンキ屋みたいなどうでもいい仕事もクビになるんだ」


 「はあ? 差別かよ」


 「三度目だな。つぎに『はあ?』って言ったら、北と南のコリアを爆撃する」


 「コリアって何だ、啓太、教えてくれ」


 「チョンの祖国とか母国とかのことだよ」


 「俺、知らなかった。ありがとな、教えてくれて」


 「てめえ、嘘付きだろ?」


 僕は、あいつの純粋さとか純真さとかが愛おしかった。在日朝鮮人で、経営者を夢見てる野郎が、コリアという言葉も知らない。これが純粋や純真さじゃなければ、すべてのイデオロギーは、力をもたない。イデオロギーは、浸け込むんだ。純粋、純真にさ。でもさ、生憎、隆志はさ、犯罪者だったからさ、跳ね飛ばす力というものがあったんだ。隆志、てめえのことが愛おしいよ。犯罪者のてめえが愛おしい。


 「啓太、お前、泣いてる」


 「カネのせいだ」


 「カネって何なんだろうな。ポエムみたいなものかな?」


 隆志は、そう言いながら、僕の涙をそれ以上見ようとしなかった。


 「ポエムっていう言葉、気持ち悪いよな、隆志」


 「気持ち悪いよ、そりゃあ、で、ポエムってどういう意味だ?」


 「ケツの穴っていう意味だ」


 隆志は、笑った。意味が通じたかなんてどうだっていいことだ。あいつの笑い方は、あの夏によく似合っていた。よく似合っていたよ。


 僕が泣いたことについて、それが問題ともいえるし、そうではないともいえる。僕は、弱みとなるような感情を滅多に表さない。あのときだって、ほんとに泣いていたかどうかわからない。


 夏のせいだ。きっとね。


 さあ、今日は御伽噺はもうお仕舞いだ。また明日、つづきをでっち上げることにするよ。