小説:17歳のジャズ、而して、スーパーカブ -31ページ目

17歳のジャズ、而して、スーパーカブ 第6話

 隆志、お前、ただの中卒の間抜けな朝鮮人なんかじゃない。いや、朝鮮人だけどさ。お前、僕の親友だ。あの夏の旅行に出掛けるまえから、僕ら、化学反応みたいのを起こしていたんだ。貧乏のどん底の在日朝鮮人と日本社会のどん底にいる日本人紛いの僕らはさ。


 僕はいま、怒りを感じている。善良な一般市民だとか愛国者だとかと自分で勝手に心底思っている奴らに。


 この差別主義の変態野郎どもめ。


 中卒。僕も隆志も学歴なんか気にしたことなんかない。気にさせられてきたんだ。善良な一般市民だとか愛国者だとかにさ。あるいは、経営者や偉い人たちにさ。


 なあ、隆志、お前が僕のことを「偉い人になる」と洗脳してきたこと、いまよくわかるよ。自分のことを「経営者になる」と洗脳してきたのもさ。そうでもしなければ、生きてこられなかったもんな。


 お前、弱くて、強い奴だ。

 

 間抜けだけどな。


 そして、犯罪者だけどな。


 僕は、やはり疑ってしまう。僕らが旅行で体験したすべてを疑ってしまう。なぜだかわからないけど。


 あれは思い出なんかじゃない。これは思い出なんかじゃない。いまでも連綿とつづく話だ。いまというものにつづく話だ。僕ら、旅行からの帰り道、これは一夏の思い出になる、くらいにしか思っていなかったはずだ。そのはずだ。あんな素晴らしい体験をしてもなお、僕ら、ろくでなしのままだった。そのはずだ。


 僕と隆志は、結局、すべてを諦めていたのかもしれない。でも、受け入れてもいたんだ。そうなんだ。僕らは自然に生きていた。ごく自然に。抗ってもいたけど。闘ってもいたけど。


 たぶんね。


 みさは、たぶんなんて言わないだろう。


 みさ、というのは僕らが旅行で出会った女だ。あえて女と書く。みさとは、15年ぶりに再会した。それは、偶然なんかじゃなかった。すべてが偶然と言う人もいるけど、それなら、すべては必然ということだ。隆志は、僕のことをいつか偉い人になると言ってきたけど、具体的なことはほとんど言ってない。みさは、隆志の言うことを笑ったりなんかしなかった。真剣に捉えた。だからかもしれない。僕に、あの夏のことを書くべきよ、と彼女が言ったのは。でも、僕には書きたくない気持ちがある。何か大切なものを、書いてしまうことによって失ってしまうんじゃないかって思うからだ。


 みさ、僕は、恐れてるんだよ。


 化学反応みたいのを、書くことによって阻害してしまうんじゃないかと。


 だけど、僕は、みさのことを信じるよ。書けば書くほど連鎖はつづく、というきみの言葉をね。


 玲子さん、勝美さん。


 このふたりも最高だ。玲子さんはみさの親友。勝美さんは、僕と隆志の偉大な母となった女性だ。この話の要となる3人の女性たち。あえて女性と書こう。


 僕がこれまで書いてきたことを、陳腐だ、と言う人もいるだろう。それは正しい。でも、正し過ぎる。僕にはこの方法しかない。もっとましな方法があるんだっらさ、教えてくれよ。学校の先生みたいに教えてくれよ。「こうすれば啓太君は、まっとうな人間として世の中において認められます。例えば━━」 そう、具体例を出してくれよな。もちろん、カネの掛からないものを頼むよ。あんたもそう思うだろ?


 おい、そこのあんた、押し付けがましいだって? だっらさ、いいから生活に戻れよ。ハラワタを捩れさせてろよ。僕は自分の好きなようにする。何度でも、あの夏のにおいを嗅ごうと思うよ。気持ち悪いだって? 勝手にしやがれよ。


 おっと、あの夏のバイクの爆音が聴こえてきたぞ。隆志のジャズの音だ。


 さあ、今日は御伽噺はもうお仕舞いだ。また明日、つづきをでっち上げることにするよ。


 

17歳のジャズ、而して、スーパーカブ 第5話

 「お前、田中角栄って知ってるか?」 隆志は、いつかこう切り出した。「偉い政治家なんだって。その人、小学校しか出てないのに、総理大臣になったんだって。だから、啓太、お前も偉い人になる。絶対、お前、偉い人になる。そのうち経営者になる俺が言うんだから間違いないぜ」


 あのな、隆志、てめえは中卒のうんこもらしだ。


 隆志は、字もろくに読めない。何かを書くことなんてあいつにしてみれば、ちょっとした人間離れした技なんだ。僕に読み書きができるっていうだけで、あいつは、偉い人になるって確信していた。いまでもそうだ。とんだうんこもらしだ。でも、あいつは、偽善者なんかじゃない。正真正銘の善人だ。同時に犯罪者。ああ、お前は経営者になる素質というものをもってるよ。僕らの旅行でそれは証明された。だけどさ、僕を巻き込むのはやめてくれ。まあ、経営者っていうのはさ、犯罪者みたいなものだ。お前には、似合ってる。特殊な才能もあるしな。


 バカチョン隆志の特殊な才能については、僕は、ごく自然に書いていくことになるだろうね。あいつは、読み書きもろくにできないけど、それを補う能力をもっているんだ。読み書きだけじゃない。あいつには、常人には理解できない不思議な力があるんだ。


 バカとチョンは、紙一重。


 バカチョンカメラの由来は、たくさんあるけど、バカでもチョンでも簡単に写せるカメラという意味が一般的だ。たとえば、隆志は、字をカメラで写すように記憶することができる。でも、それを自分のペンで再現したり、具体的な意味を汲み取ることがあまりできないんだ。あいつは盗撮魔。これは、あいつの能力のただの一例だ。書き出せばキリがない。あいつは、なるべくして経営者とやらになったのさ。もちろん、努力もした。だけどさ、努力なんかしても、ふつうはしょうがないことなんだ。努力なんかじゃ夢は実現しないよ。たとえばさ、刑務所暮らしで努力して何の意味がある? あるいはさ、死刑囚がさ、努力して何の意味がある?


 教えてくれないか。


 で、まあ、17歳っていう年齢は、刑務所に入ってるのと変わらない。僕は、もう17歳じゃないけど、17歳っていうのはきつい年齢だったと思う。きつい年齢だった。きつい。ああ、きついよな、なんて考えながら、僕はエンジンを掛けたカブの脇に、何も敷かずに、地面に寝転がっていた。傍らには、図書館から不正式に借りてきた、つまり、盗んできた、ドストエフスキーの『罪と罰』の文庫本の上巻をわざとらしく置いてさ。僕ら母子家庭みたいな、被差別被害妄想家の住むアパートは、部屋は狭いくせに、庭だけはやたらと広かった。ごろんごろん転がっても誰も文句なんか言わなかった。ドストエフスキーは、そんな庭に小さく纏まっていた。紐解きたくなんかなかった。僕は、隆志の帰りを待った。あいつなら、「何だそれ? 難しそうだな。教えてくれ」とか何とか言ってくれるだろう。そして、僕は仕方なく紐解くだろう。すると、隆志はこう言うだろう。「お前は、いつか必ず偉い人になる」と。僕は、あいつに何度そう言われても重荷なんかにはならなかったよ。


 嘘じゃない。


 信じてくれよ。


 そうじゃなければ、この話ぜんぶが嘘になりそうだ。僕はさ、これから夢みたいな話をしていくんだからさ。僕と隆志、本物の夢を見たんだ。つまり、本物の現実を見たっていうことだ。


 僕は、いま、未来というものの存在を認識してしまったことを告白したい。ずいぶん矛盾した奴だなだって? おい、そこのあんたはさ、本物の夢も知らないんだろうし、現実のことも、人間のことも知らないんだろうよ。じゃあさ、さっさとハラワタの捩れる生活に戻れよ。いや、もう少し僕と付き合って欲しい。僕らの旅行の話にさ、どうかな、興味あるかな? 17歳の犯罪者ふたりがジャズとスーパーカブという原動付自転車で、旅行に出掛けて、いろいろな人たちと出会って、後の人生とやらに化学反応みたいなのを起こした話はさ、面白そうに感じるかな? 僕はさ、こう思うんだ、つまりさ、いや、どうも思わない。いまはまだ書きたくない。誰にも教えたくない。犯罪者って自己中心的だ。


 そこのあんたと同じさ。


 ついでに書いておこう。僕のような類の人間の常として、過去とか現在とかを自由に行き来することができる。未来については、その存在が認識できた程度だけどね。ちょっと、これまで書いたきたものを読み返してみた。そこのあんたもそうしてみればよくわかるだろう。支離滅裂。何だって? そんな四字熟語を知ってるとは驚きだ。きっと、いつか経営者になれるよ。ひょっとすると、偉い人にも。


 嘘じゃない。


 信じてくれ。


 人間がもたらす化学反応みたいのって凄いぞ。


 信じないだって?


 このお莫迦さんめ。


 いや、ごめん、口が滑った。ほんとのことを言ってしまった。人間は、お莫迦さんだけど、人と人とが触れ合うとさ、ときにさ、凄い反応が起きるんだよ、僕らの旅行も……、まあ、まだいいや。


 いや、よくない。僕らの旅行、凄かったんだ。


 隆志、誘ってくれてありがとな。


 さあ、今日は御伽噺はもうお仕舞いだ。また明日、つづきをでっち上げることにするよ。

17歳のジャズ、而して、スーパーカブ 第4話

 僕も隆志も、市民でも国民でもなかった。そんな意識は、どんな真面目な振りをしても得られなかった。市民って何だ? 国民って何だ? 全然わからないよ。反社会性人格障害野郎とか賎民とか非国民とかで充分だ。ところで市民って、たとえば横浜市民という意味じゃなくて、市井に生きる民という意味かな? ふざけるのもたいがいにしろよ。愛国者が何だって? そんなキチガイはショットガンで撃ち殺せよ。そういえば、大昔に、『イージーライダー』という映画を観たことがある。ハーレーに乗って、僕らみたいに好き勝ってやって、最期には愛国者みたいな奴に撃ち殺されてしまう話。僕も隆志も、最期はそういうので構わない。


 ちなみに、隆志の乗っていたジャズは、お洒落だけど、ハーレーを模倣したものだ。隆志は、撃ち殺される率が僕より高いという訳だ。


 おい、隆志、てめえ、狙われてるぞ。


 僕は、精神病院から追放されてアパートに帰ってくると、まず、カブのエンジンをかけて、「ただいま」と言った。アイドリング状態でも素晴らしいエンジン音と排気音がした。僕のカブは、いろいろ細工がしてあった。マフラーなんかついている意味がないほどの爆音だ。消音器など原罪を隠すためのものに過ぎない。だいたい、消音器のことをマフラーと呼ぶということが、とんでもない原罪を隠している証拠だ。とんでもない偽善さ。僕は、偽善を撃つ。撃って撃って撃ちまくる。ショットガンでなければ、ペンか何かでさ。あるいは、パソコンのキーボードを。


 ところで、隆志には口癖がある。「経営者」と「偉い人」だ。あいつは、この言葉を呪文のように唱えやがる。「経営者」とは隆志自身のことで、「偉い人」とは僕のことらしい。隆志は、少なくとも偽善者ではない。ただの犯罪者だ。なぜ犯罪者がこんな言葉を口癖に? 犯罪者にだって夢くらいあるんだ。まあ、あいつは経営者になるのが夢。でも、僕は「偉い人」になるのが夢だった訳じゃない。そもそも僕には、夢というものがない。そもそも僕は、未来というものを信じない。ひょっとすると、あいつは、夢をみれば罪など帳消しにされるとでも思っていたのかな? バカチョンカメラめ。


 おい、隆志、てめえは偽善者だ。


 僕は、犯罪者かつキチガイで、すべての罪はすでに罰せられたか、はじめから罪などではなかったと思っている。正義について? どうでもいいよ。でもさ、結論を手っ取り早く知りたがるのが人だからさ、もう書いてしまう。正義とは暴力のことだ。ただそれだけ。面白くもなんともない。きっとどこかの間抜け野郎が、こんなこともう書いてるか、大声で言ってる。もうあらゆることは書き尽くされているし、喋り倒されている。では、僕は書くことをやめるべきか。いや、それはできない。これがカネになったり、これがきっかけで偉い人になれるかもしれないだろ。


 おいおい、僕は隆志に洗脳されているみたいだ。


 ここだけの話、あのバカチョン、夢を実現したんだぜ。経営者さ。


 さあ、今日は御伽噺はもうお仕舞いだ。また明日、つづきをでっち上げることにするよ。