17歳のジャズ、而して、スーパーカブ 始まり | 小説:17歳のジャズ、而して、スーパーカブ

17歳のジャズ、而して、スーパーカブ 始まり

 1994年、17歳の夏、僕は精神病院から退院した。退院の理由などない。ただ放り出されただけだ。頭のおかしい連中を管理していることに慣れきっている奴らでさえ、僕のことは手に負えなかったんだ。


 入院した理由はある。失恋して、精神科医を騙して、合法ドラッグを大量にせしめて、それを一気に服んで3日ほど昏睡状態となって、半分息を吹き返したところで精神病院に強制入院させられたんだ。


 僕は、生半可な自殺志願者だった。救急病院から頭クルクルパー病院に送られる間際に、看護婦にこういわれた。「手首を切断しちゃえばよかったのにね!」。


 僕は、本気で死ぬ気などなかったんだ。


 中学を卒業後、僕は、アルバイトをしながら恋に反吐するような恋をして、あとは怠惰な生活を送っていた。アルバイトから得たカネは、主に恋した人と原動付自転車という訳の分からない名称のついた乗り物につぎ込んでいた。まあ、ふたつとも乗り物には間違いない。たぶんだけど。だって、女性に失礼だろ。乗り物なんてさ。僕の恋した人のことは、もう名前も思い出せない。まあ、僕は失礼な人間ということだ。


 でも、ちょっと待って欲しい。


 原動付自転車の名前は忘れてない。忘れてないよ。


 スーパーカブ。


 そうだ。スパーカブだ。

 

 50ccのホンダのスーパーカブだ。


 僕は、雄叫びを上げながら、そいつに跨って乗り回していた。とくに夜中なんかには。恋人みたいなものだろ、つまりはさ。


 なぜ僕がカブに惹かれたのかはいまだに謎だ。でも、僕は、この謎を解明するつもりはない。謎は謎のままでいい。あるいは、いまはまだ謎は謎のままでいいんだ。そのうち自然に、あたかも恋人の名前をはっきりと思い出すように、カブを選んだ動機が思い出されるだろうからさ。


 どうせもったいぶった、もっともな動機だろうけどさ。


 どうでもいいことばかりだ。でも、ぜんぶがどうでもいいっていう訳じゃない。だから、僕はこの話をすることにする。僕には、いまはサリンジャーのことを笑うことはできない。あの『ライ麦畑でぶっ殺して』を書いた、あの野郎のことはね。いまならディケンズのことなら笑うことができるかもしれない。あの『17歳のジャズ、而して、スーパーカブ』なんていう反大衆小説を書きやがったあの野郎のことはね。


 さあ、今日は御伽噺はもうお仕舞いだ。また明日、つづきをでっち上げることにするよ。