17歳のジャズ、而して、スーパーカブ 第89話
僕は、めぐみのことを考えて、この数日間、精神の均衡が危うくなってしまった。僕は、何も書く気になれなかった。めぐみは、まだ生きてる。彼女のことを書くということは、彼女のことを暴くということだ。僕は、身体や肉体を売って生きてきた女のことを、尊敬すらしてる。でも、これだってアファーマティブ・アクションみたいなものだ。いや、かなり酷いアファーマティブ・アクションだ。偽善を超えてるよ。
書く。暴く。また僕は、めぐみに事実という爆弾を投げ付けようとしてるんだ。露悪を超えてるよ。惨たらしいよ。
めぐみは━━。
何なんだ、僕は、こんなふうに書き立ててさ、いったい何をしたいんだ?
僕は、この数日間というもの、彼女の名前について考えた。めぐみが、もし、幸子という名前だったらとかさ。
幸子。
僕は、そうさ、めぐみが幸せな女だとは思ってないんだ。
めぐみは、幸せではない。
子供の頃から、幸せなんかじゃなかった。
僕は、決め付けるよ。
めぐみは、幸せなんかからは程遠い場所で生きていたんだ。
なぜ、僕は彼女に爆弾を投げ付ける必要があるんだ?
彼女は、子供の頃から、現実を知っていたんだ。だから、御伽噺や嘘の世界で生きる必要があったんだ。彼女には、それが生きていくうえで必要だったんだ。僕は、それをぶち壊したがった。いまでもそうだ。こうして、書くという行為でぶち壊そうとしてさ。
あまりにも残酷すぎやしないか。
めぐみの黒くて長い髪。何色にも染まりそうにないような黒い髪。僕は、裁判官の法服を見る度に、彼女の黒い髪を思い出す。裁判官は、何にも染まらないために黒い服を着てるんだ。でも、それはめぐみと同じように、御伽噺で嘘だ。
黒が何にも染まらないなんてそんなことはない。
あのとき、風呂でさ、隆志はめぐみに背を向けてさ、数を数えた。
1……、2……、3……、4……、5……、6……、7……、8……、9……、1……、2……、3……
僕は、いまこれが恐ろしいメタファーに思える。隆志は、恥ずかしかったから数を数えたんじゃないのではないか。そんな理由じゃなかったんじゃないか。隆志は、恥ずかしかった訳じゃない。そんな気がするんだ。
「100まで数えないの?」
めぐみが風呂に入ってきて言った。
隆志は、ぶるんぶるんと首を横に振った。
「こいつ、数えられないんだよ」
僕は、隆志を嘲るためにそうめぐみに言った。
「あたしも怪しいわ、それ」
「何だよ、お前も白痴かよ。僕はふたりも面倒見られないよ」
僕は、もうめぐみの裸体に飽きてきていた。彼女の長くて黒い髪が風呂に広がってるのを眺めるほうが楽しくなっていた。
彼女の顔は、間近で見ると、子どもだった。
「今日、お化粧してないから」
めぐみは、僕が何を思ってるか何となくわかったみたいだった。
何となく。
「お前、何歳?」
「17歳よ」
「数を数えられないんだろ、17以上の数をさ」
「ほんとよ。僕ちゃんたちは何歳なの?」
「17歳だよ」
「17歳です」
隆志は、数を数えるのをやめて、言った。
さあ、今日は御伽噺はもうお仕舞いだ。また明日、つづきをでっち上げることにするよ。
17歳のジャズ、而して、スーパーカブ 第88話
僕は、めぐみに手を振った。ビートルズがやってくる!やあやあやあ!みたいな感じでさ。隆志は、顔を水道水を沸かした温泉とやらにぶくぶくと沈めた。僕は、隆志の頭を押さえ付けて、溺死させようとした。まあ、さっき僕の首を絞めたお返しみたいなものだったよ。
「一発やらせろよ」
僕は、めぐみに言った。
「じゃあさ、僕ちゃんのちんちん見せなよ」
めぐみは、僕のセクシャル・ハラスメントにセクシャル・ハラスメントで返答した。
「お前、美人だな」
僕は、率直な意見を言った。簡素にさ。ごく簡素にさ。
「よく言われるわよ、それ。もっと違う言葉をちょうだい」
めぐみは、そう言うと、シャワーを浴びた。
僕は、浴槽の縁に肘を突いて眺めた。彼女の肉体を観察した。じろじろ見た。目で犯した。視姦さ。堪能した。
隆志は、その円らな白痴の瞳を瞬いていた。チンボコを隠しながらさ。勃起したチンボコを隠しながらさ。隠せるもんじゃないのにね。いきり立ったイツモツなんか隠せる訳がないのさ。はち切れそうなんだからさ。
「隆志、そいつをしごけよ。あの女にぶっかけてやれ」
「ちょっと聴こえてるわ」
めぐみは、ぷりんとした乳房をわざと揺らしながら言った。
「啓太、俺、どうしたらいいんだ?」
「強姦してこいよ」
「やり方、わからねえよ」
「ただ突っ込むだけだ。それで、腰を振るだけだ」
「難しそうだな……」
「おい、売春婦、僕の大親友がさ、強姦したいだってさ、こいつ童貞だからよろしくな」
めぐみは、僕の言った売春婦という言葉に反応したようだったけど、僕は無視した。
「なあ、売春婦、こいつ童貞なんだよ、筆卸を頼む」
隆志は、童貞だった。これについて、僕は詳しく書きたいけど、いまはまだやめておく。
「あんまり失礼なこと言うと、おまんこ見せちゃうわよ」
「もう見えてるぞ、半分くらいはな」
めぐみは、いわゆるパイパンだった。つまり、毛を剃り落としていた。
「綺麗?」
「奇妙だ」
「何?」
「だから、奇妙」
「気持ち悪いって意味なの?」
「違う。奇妙は奇妙」
「変なの」
めぐみは、椅子に腰掛け、どうやら毛の処理を始めるようだった。剃刀を使って、石鹸やクリームなど無しで剃りにかかるようだった。
「これは見ないでね」
「いや、見せてもらうさ」
僕は、前のめりになって意思表示した。
「……啓太、見ちゃ悪いだろ」
「うるせえよ、童貞野郎が。見せてもらえよ」
「俺はいい」
隆志は、背をめぐみ向け、数を数え出した。
「白痴め!」
僕は、あいつの横っ面に水道水を沸かした温泉とやらをぶっかけた。それから、めぐみの処理作業を見つめた。
もっとも、毎日剃ってるせいなのか、剃るほどの毛は生えていなかったけどさ。
さあ、今日は御伽噺はもうお仕舞いだ。また明日、つづきをでっち上げることにするよ。
17歳のジャズ、而して、スーパーカブ 第87話
めぐみが戸を開けた。
といっても、彼女の名を知ったのは、彼女が戸を開けたときでもなく、それ以前でもなかったけどさ。
僕は、めぐみを見た。
彼女は、モデルのように、そうさ、今風にいえば、東京ガールズコレクションにでも出られそうな、ランウェイとやらを颯爽と歩けるようなスタイルの持ち主だったんだ。
僕は、彼女の裸体が重たかったと書いたけど、めぐみが太っていたという訳じゃないんだ。別に、太っていたってよかったんだけどさ、彼女の裸体は物理とやらを超えて重たかったんだ。それは、人それぞれに感じることだと思う。まったく何も感じない人もいることだろう。それだっていいんだ。ひょっとするとさ、彼女をまったく人間として何も思わない人のお陰でめぐみは生きてこられたかもしれないんだからさ。
めぐみは、美貌の持ち主。
めぐみは、それを最大限活用した売春婦。
僕は、いままた爆弾を投げ付けた。
そこのあんたらにだ。
そこのあんたらの性別なんか僕の知ったことじゃない。
男でも女でもどちらでも構わないよ。
男なら、女をカネで買った経験くらいあるかもしれない。
女なら、そんな男を軽蔑したことがあるかもしれない。
そして、女は何より売春婦を軽蔑したことがあるかもしれない。
僕は、善悪の話をしてるんじゃない。僕は、道徳や倫理の話をしてるんじゃない。僕は、アファーマティブ・アクションの話をしてるんじゃない。僕は、めぐみと出会ってさ、御伽噺の大切さを否応なしに教えられた。とりわけ、女にとっての大切さをさ。僕は、しばらくの間、それを書いていくよ。御伽噺と嘘の違いなんてほんとはないんだ。人間には、そうさ、人間には御伽噺と嘘が必要なんだ。めぐみは、自覚していなかったかもしれない。たぶん、自覚していなかったことだろう。
あるいは、この僕がめぐみに自覚させてしまった。
そうだとすれば、僕は、申し訳なく思ってるよ。
めぐみ、ごめんな。
お前の拠り所をさ、僕は破壊してしまったんじゃないかって、ずいぶん長いこと悩んだよ。
事実という爆弾を投げ付けたとしたら、ごめんな。
僕らは、同じ17歳だった。
めぐみ、お前は、小学生の頃から、身体を売って生きてきたんだよな。御伽噺や嘘くらい罪なんかじゃないぜ。
いまでも思い出すよ、お前のあっけらかんとした笑顔さ。
そのうち酒でも呑みながら、煙草でも吹かしながら語り合おうや。
僕は、ときどき、めぐみとみさを比べてみるという罰当たりなことをする。僕が、なぜ、みさを選んだか。めぐみとみさは、よく似ていると思う。似ているところがたくさんあると思う。でも、僕はみさを選んだ。そして、みさも僕を選んだ。
めぐみとみさの最も異なる点をいおうか。爆弾を落としてみようか。
それは、現実に向き合う力さ。
めぐみにはそれがなかった。あるとは思えなかった。みさにはそれがあった。
ただそれだけのことさ。
ごめんな、めぐみ。
僕は、あの夜、何度もいうべきだったんだ。
「めぐみ、僕にお前の話を聴かせてくれよ、僕の隣でぜんぶ聴かせてくれよ、ほんとの声を聴かせてくれよ」ってさ。
「あら、先客さんがいたのね。それも可愛い男のがふたり」
めぐみは、戸口で、素っ裸のまま、それを隠そうともせずそう言った。
さあ、今日は御伽噺はもうお仕舞いだ、また明日、つづきをでっち上げることにするよ。