大井神社大祭総合研究所 -25ページ目

大井神社大祭総合研究所

島田大祭? 帯祭? おヽいさんの祭ってなんだろう?
このブログは 『永く万人に愛され続ける大井神社大祭』を
目指して、知らない事を教え合う架空の研究所です。
ただ今、大祭に対する質問も受け付けております!(*´∀`*)

長唄吉住会の会報「扇草№31」に島田市在住の長唄三味線の吉住小友也先生の記事が掲載されました。

大祭の事が書かれていたのでお願いして許可を頂いて紹介させて頂きます。

━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─

昨年十月の第107回島田大祭は、私にとって最高のお祭りとなりました。

思えば約九年前、本格的に三味線に打込む為上京し、当時から将来名取りになる事が出来たら、第壱街の屋台で三味線を弾きたいという夢がありました。

2008年に一つの目標であった名取りとなり、今回、初めて長唄吉住会三味線方、吉住小友也として、屋台の上で演奏させて頂いたのです。 

お祭り初日には「御手見世」という、屋台に乗る芸人さんを町衆に披露する会が開かれ、先代のお家元、花垣先生には毎回ご出演頂いておりました。

その「御手見世」が数年ぶりに復活され、小三代先生に「みやこ風流」を弾いて頂きました。




島田の子供達は「桃太郎」を課題曲とし、約半年間お稽古して参りました。お稽古では一人ひとり弾けていても、全員で合わせると全く弾けなくなる子もおり、自分の指導力不足を感じましたが、残り十日程のお稽古では、小三友先生より頂いたアドバイスを元に、二、三人一組のお稽古に変え、その練習成果があり、本番では見事素晴らしい演奏を披露することが出来ました。
お客様からも高い評価を頂き、自分自身「三味線」の成長が認めらた様で嬉しかったです。


また、今回は五才の娘を屋台の踊り子として舞台に立たせ、夢以上の親子共演が実現致しました。
長い歴史の中で長唄、三味線、鳴物の名取りになった方がいた事実は残っていますが、親子共演は初の事で、町の皆様も大変喜んで下さいました。
演目は「娘道成寺」「越後獅子」で、どちらも「舞踊としては大し変難しい」とお師匠さんにいわれましたが六月末よりお稽古を開始。


十月まで週三回のお稽古と自宅稽古を重ね、何とか本番を迎えました。

普段はお転婆な娘で、人前で本当に踊れるのかと心配でしたが、伴奏に合わせ立派に踊る娘の姿が屋台上にありました。



目の前の舞台で娘が踊り、自分が伴奏をする。今まで三味線をやってきて、本当に良かったと 思った瞬問でした。

島田には大祭があり、長唄があります。

今後も島田を始め、静岡に長唄、三味線の音を広めて行きたいと思います。

娘はお祭りが終わってからも、「娘道成寺」と「越後獅子」の唄を口ずさんでいます。


━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─

以上が吉住小友也先生が投稿されが記事。

先生は「NPO法人 三味線音楽普及の会」の活動として

学校への出張授業、児童生徒への実技講習、鑑賞用出張演奏

そして東海道沿いのご自宅で三味線教室を開いて情熱的に活動をされています。

頭が下がりますね。

近い将来、散歩するとあちこちから三味線の音が聞こえてくるような音譜

そんなファンタスティックな町になるといいですね

クローバー
2/17 関東へ



↑除雪した雪で道幅が狭くなり 走りにくい



↑スリップで事故したトラック



↑雪の重みで車まで逝っちゃった



スーパーでパンを買おうとしてもありません。

一日遅れで静岡へ戻ってくると


清水のサービスエリアの光景

雪製ゴリラ

ドライな道


ちがいますね。ところ変われば 風景も

今もご苦労されている方もおられるようです。

お見舞い申し上げます。

クローバー

↓掛川城 竹の丸



今回の内容は祭りのはなしあれこれ

いろいろと興味深いお話を伺いました。

懇親会は吉住小三友先生ご来島のため欠席

夕方いつもの居酒屋「かなちゃん」へ行くと大雪のため先生はいなんだ。

写真は2件目はてなマーク



ぜんぜん記憶にないぞ どこだろうはてなマーク

とりあえずあやまっとこう

「迷惑をおかけしました。ごめんなさいカゼ

クローバー
起床

懸念(期待)していが大雪はなかった。

ホントこの辺って雪、降んないね。

2/8 おはようございます。

祝日~建国記念日

建国記念日ってなにはてなマーク

建国~辞書によると:新たに国を興し建てること。

日本の国としての始まりは

紀元前660年2月11日

神武天皇が即位したとされる日



2674年前の話

古い話ですね

この日本、現存する国の中で最古であると主張する学者もいるんです。

こちら世界史対照表

↑一番下が日本

こう見ると中国4千年とか言ってるけどここ60年ほどなんですね。

アメリカは240年で「大井神社大祭」より若いし

↓世界一長く続いている国 日本



あーさぶい、カップラーメンと酎ハイで映画鑑賞といこうかな
(●´ω`●)ゞ

クローバー
自分が日本人である事が誇らしい。


ここ3年位だろうか より強く感じる。


あの震災の時に私たちの日常(順列、分け合い、静寂)が海外から称賛され「なぜ褒められんだろう?」とキョトンとした辺りからだろうか






クローバー


1日:ついたちって各映画館で\1,000-で鑑賞できるんだね。

「永遠の0」観てきました。


なんか周りの方の涙をこらえる音がたくさん聞こえてきた。

原作の百田氏の狙い通り
祖国を護るために戦った英霊に
感謝の念を覚える。



靖国神社に参拝したくなる。

その後
「ヘンデルとグレーテル」
「パシフィック・リム」
「レザボアドックス」と映画三昧したけど

「永遠の0」が一番良かったな

邦画もなかなかやるね。

この映画、なんとなく「三丁目の夕日」ぽいなと思ったら案の定
監督&VFXが同じ山崎貴氏やった。

帰宅してシャワー浴びながら思い出してまたグッときたりする。

ふふふ(^~^)
いい映画だね
また観たい

クローバー


季節を分ける節分は

立春
立夏
立秋
立冬  の前日の事


最近は立春の前日の2/3だけが節分のイメージだね


豆をまくのは邪気はらい
江戸時代になると季節の変わり目の体調が崩しやすい時期の厄払いの感が強くなる。

最近「恵方巻き」とかいって巨大な寿司を食べてるね。
あれって島田ら辺にはなかった。
ひゃーひゃー言いだしたのはここ5~10年位の話じゃないかな。

田子重の戦略だろか?

調べてみる。




歳徳神っていうその年の福をつかさどる神様が住む方向が毎年かわる。

この方向の事を恵方といい、今年2014年は東北東

彼女?のいる方に向かって(>_<)目を閉じて願い事をしながら太巻きをかじるするそうです。

大井神社から東北東はハラダ製茶方向

↓皆さんの家からは恵方はどちらかな?


大井神社でも節分祭が行われます。


‥ヽ(゚◇゚ )ノ
豆まきは15:30から


クローバー
神社

神田祭の研究を中心とした組織 神田倶楽部

勉強会や各地の祭りの見学会を通して見聞を広めている。


神田祭を継承した地域の方々が集まる神田倶楽部新年会

神田明神の拝殿へ参拝した後 境内にある神田会館で宴を開く

酒

出席者は交互に親睦を深め、情報の交換等楽しく有意義に過ごします。



この新年会、静岡県からも有志が出席

遠州祭研究会の皆様と

島田からは島田大祭史研究会のメンバー



クローバー
家康、秀吉により江戸へ国替え

民衆の人気取りのため神社仏閣を寄進

祭りに予算をだした。

天下祭(てんかまつり)は、神田神社の神田祭と日枝神社の山王祭

両社は江戸城を守護する神社として徳川将軍家からも崇敬され祭の際には両祭の山車が江戸城に入って将軍に見てもらった~だから天下祭

広重「糀町一丁目山王祭ねり込」


よく見ると江戸城へ入らんとする山車と江戸人が




その後電線がひかれ山車が通れなくなり祭りは衰退

山車は各地へ払い下げ

現在は神輿が中心

家康が祭りを大きくしたのは江戸を首都としてふさわしくするため。

立派な都の立派な祭りが目的にあったともいわれています。

どれくらい立派かというと

↓これくらい ∑(゚Д゚)



山車の数がハンパじゃない

さすが天下の祭り

実は島田の屋台は天下祭の山車とは無縁ではないと指摘する研究家もいます。

クローバー
平将門 たいらのまさかど
900頃?~940年


しいたげられた農民を救うため朝廷と戦い、東国に新政権(もうひとつの日本)を作り自らが新しい親王(もうひとりの天皇)となった民衆のヒーロー

志なかばで討たれた。



彼の祟り(疫病、怪死など)は怖い

↓こんな感じ

平将門 呪い

このパーワーを利用したのが徳川家康

彼の側近 天海が強く安定した江戸幕府にするため、平将門の怨霊を、北斗七星の力を使って江戸に封じ込め、守護霊にした。


将門のパワーは映画にも

東京を破壊しようとする映画 帝都物語

(イマイチですがユーチューブで見れます。)

14世紀初頭に疫病が流行した際

将門の祟りであるとして供養が行われ1309年に首塚の近くの神田明神へ神として祀られた。

今は恵比寿さん、大国さんとともに神様として祀られている。

あっ こっちは面白いよ

その時歴史が動いた
もう一つの日本を創った男
~平将門 東国独立政権の謎~









クローバー