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好文舎日乗

本と学び、そして人をこよなく愛する好文舎主人が「心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつ」けた徒然日録。

 私が将来は経営者になりたいと考えるようになったのは、私が所属していた野球部の顧問の先生から紹介された喜多川泰著『賢者の書』との出会いがきっかけである。この本は私に新たな世界観を与え、内的成長を促してくれた。類書を探して読んでいくうちにそれらが「自己啓発」という分野の本であり、その隣には経営者の心得を書いた本が並んでいることに気がついた。ちょうど部内で後輩をまとめる役を任されていた私は、彼らをうまく動かすことができず、そのモチベーションを上げるにはどうしたらよいのかと悩んでいた矢先であったので、本にあった「人を非難せず、長所を見つけて、心から賞賛する」ことを実践してみた。すると、後輩たちが自らの意志で行動するようになり、練習の質が見る見る上がっていった。この体験から経営というものに興味を持った私は、大学で専門的にマネージメントを学び、自らの知恵と行動力とを磨き、グローバルな視野を持って、人々の幸福のために社会貢献したいと考えるようになった。

 貴学経営学部市場経営学科を志望した理由は、第一に他学科の専門科目が履修できるなどカリキュラムが柔軟である点、第二にゼミの履修が2年次から可能である点、第三にSAプログラムによって外国のビジネスや文化に触れて視野を広げることができる点に魅力を感じたからである。私は経営者になることを将来の目標にしているので、学科の越境が許され、幅広い視点からの学びが保証されていることは何よりも大切だと感じたのである。

 入学後は、講義や演習、図書館の活用といった日々の学習活動によって専門的な知識と教養とを身につけることを第一としたい。具体的には、「日本経営論ⅠⅡ」で日本企業システムの史的展開を理解すると共に、「経営組織論ⅠⅡ」「組織行動論ⅠⅡ」で組織を見る目を養い、「人的資源管理ⅠⅡ」で社員の有効な活用法を学びながら、我が国の人的資源管理の現状と課題とを把握し、「消費者行動論ⅠⅡ」において消費者の行動を規定する要因と心理プロセスを知り、その知識と理解とを深めて行きたい。

 私は地球規模で活動する「グローバル企業」の経営を目指している。そのためには、組織としての個性を確立する必要がある。そうでなければ、他の企業との差別化がなされず、組織の求心力は低下してしまう。SAプログラムの留学では、米国企業がいかに組織としてのアイデンティティを打ち出しているのか実際に見てみたい。

 経営者には専門的な知識や技能以上に豊かな人間性が求められる。そのためにはこれまで以上に、自己啓発書を読み、経営者の言行録から学んで行きたいと考えている。もちろん、4年間の大学生活は人格錬磨の絶好の機会である。学問研究のほか、総合大学の利を活かし、多くの師友と接して様々な感情に触れることによって感受性を養うと同時に、多様な価値観を吸収し、より広い視野で物事の本質を捉えられる人間になりたいと考えている

私が教職を志すようになったのは、小学校6年生の担任の先生との出会いがきっかけです。先生は休み時間は私たちと一緒に遊んでくれ、放課後は話を聞いてくれたり、授業でわからなかったところを教えてくれたりしました。私たちが答えられなかったり、間違ったりしても決して否定的なことは言わず、寧ろ励まし、褒めてくれました。わからないところはすぐに答えを教えるのではなく、誘導質問をし、最後は私たちに気づかせて答えさせるという方法で、達成感を味わわせてくれたのです。今から思うと、それは随分と根気のいることであり、教師にとって「待つ」ということがいかに大切であるかが理解できるのです。高校生になって将来について真剣に考え始めた時、「自分も先生のような小学校教師になりたい」とすぐに思ったのです。

 三重大学教育学部を選んだのは、恩師の母校であることはもちろんですが、第一に「教員養成コア科目群」が設けられ、1年生から系統的に子どもたちや教育現場に触れることができ、それを理論的に省察するカリキュラム構成であるなど、小・中学校の「体験と理論の往還」の中で、実践的指導力を養える点に魅力を感じたからです。第二に教員1名当たりの学生数が1学年当たり2.28人と少人数教育なので、教職員間の連携・協力が密で、親身の指導が望める点をとても心強く感じたからです。

私は小学4年生から中学3年生まで続けた野球を通して、「やる気・根気・負けん気」の3つの「気」を身につけることができましたが、高校生になって、新しいことに挑戦したいという思いが湧き、応援指導部とバスケットボール部に入部しました。

 応援指導部では「何千人の人にも聞こえる声を出すこと」と「アルプス席の応援団を1つにすること」とを目指しました。そのために私たちは毎日早朝練習を繰り返しました。すると、最初はなかなか出なかった声が出るようになったのです。大きな声は私たちの努力で出せるようになりますが、もう1つの目標であるアルプス席のみんなを1つにすることは、なかなか容易ではありませんでした。みんなをその気にさせる必要があったからです。私たちは場内を歩き回り、簡単な指示を出したりしました。この時、みんなをまとめることの難しさと共にみんながまとまったときの素晴らしさを実感することができました。

 バスケットボール部では、周りは小・中から続けている経験者ばかりでしたから、全くの初心者である私が技術の面においてどう足掻いても彼らに太刀打ちできないことなど明白でした。私は自分の役割を考えました。私にしかできないことは何なのかを考えました。そして答えを得ました。私にできること、それは3つありました。1つめは走ること、2つめは大きな声でみんなを励ますこと、3つめは安全で最高のプレーができる環境を作ることです。「走ること」については、小学生で野球を始めた時から取り組んできたことですから苦にはなりません。実際、私は誰にも負けませんでした。「大きな声でみんなを励ますこと」については、応援指導部での朝練が大いに役立ったと思います。辛い練習や苦しい試合展開であっても、声援がみんなを元気づけ、奮い立たせることを知ることができたのは収穫です。「安全で最高のプレーができる環境を作ること」については、練習前・練習中・練習後、試合前、試合中、試合後と欠かさずコートを整備しました。スポーツはいつも危険と隣り合わせ。コートに落ちた汗でケガをする選手も少なくはないからです。 

 教師の仕事でも同じではないでしょうか。声掛けが子どもたちを勇気づけ、意欲を呼び起こしますし、思いきり遊び、勉強に打ち込める環境を作るのは教師の務めであると思います。クラブ活動を通して培った力を教師として活かしたいと考えます。

Aさんの自己推薦入試対策の傍ら、Bさんにセンター現代文の過去問解説をしていたら、先日のマーク模試の解説をしてほしいと言ってCさんがやって来た。模試の解説が〝読めない〟生徒、自学自習ができない生徒が増えているように思うのは〝ナンチャッテ進学校〟であるからか。評論から始めて、問4まで進んだ頃、突然Cさんが泣き出した。読めないのが情けないから始まって、「先生に叱られる」「両親に叱られる」「親戚に叱られる」と呟き出した。Cさんの御両親や御親戚についてはどういう方々かよくわからないので何とも言えないけれども、「先生」がCさんに恐怖感を与えているのだとしたら、情けない話である(Cさんの担任は温厚篤実な方で、模試の成績が下がったことで〝叱る〟ことはない。だとしたら、この「先生」というのはいったい誰なのだろう。塾の先生か?)。模試の成績(の低下)という現象面を見て親がガミガミ言うのは仕方がない。しかし、「先生」がそれと同じであっては困るのである。なぜ成績が落ちたのかその原因を分析し(生徒自身がわかっている場合もある)、その解決策を示すべきである。Cさんが持ってきた模試の問題(村上陽一郎の文章)を使って、〝読み方〟を教えると、Cさんの表情が少しだけ明るくなった。

「よくわかりましたが、本番でこの読み方ができるか心配です」

「だからセンターの過去問で練習するんですよ。わからなければ、また来てください」

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そこへD君がやって来た。彼はチャーシュー大王ことC先生の生徒である。

「あの人は、国公立しか頭に無いんですか! 僕は地元の国立大なんかには興味は無いんです! 関西の私大でやりたいことがあるんですよ。『去年の国公立大合格者者は俺のクラスが一番多かった。推薦でもN大に入った』なんて自慢していますけど、僕には関係ないです!」

「昨年国公立大合格者が一番多かったのは、E先生のクラスだよ。N大に入ったってのはFのことだろうけど、あれはセンター推薦。志望理由書は僕がデッチアゲたものだし……。Cさんの功績はゼロ。彼のトコは唯一推薦組全滅だったクラスだ」

「えっ、ホントですか?」

「困ったもんだなあ。生徒に嘘ばっか。自分を大きく見せたいのはわかるけど、いつも最後にはバレるんだからさ。〝チャーシュー大王〟から〝ホラ吹き大王〟に改名だなあ」

「『〝チャーシュー〟から〝風呂吹き〟へ』ですね。でも、僕、風呂吹き大根好きですよ(笑)」

「じゃあ、一生Cさんについて行けば?」

「勘弁してくださいよ~。冗談なんですから~」

山崎みふゆさんからメッセージをいただいた。みふゆさんが卒業された高校では「小論文」の授業がちゃんと設けられており、「レベルが上がれば、それ位の対策は当然あるものだと思っていた」ので、「書かなくていいんだってば!」(14日の記事)についた吉永豊文さんの「私の卒業した進学校も、一度も小論文や、推薦書の書き方というものは教わりませんでした」というコメントに驚いたそうである。全国的に見れば、小論文の授業を設けている進学校もなくはない(それでも「小論文」として独立させるのではなく、「『国語表現』を小論文指導に充てるのが多いようだ)が、その数は決して多くはない。しかし、授業としてはなくても、小論文委員会という教科横断的な校内組織を作り、学校を挙げて生徒を指導する所は年々増えている。わが県でもK高校の小論文指導は全国的に有名である(もっとも近頃は人事異動で、頭脳流出し、以前ほどではなくなったとも言われるが)。「進学校で小論文対策なしはきついだろうなぁ」と、みふゆさんは言われる。その通り。特にウチのような「ナンチャッテ進学校」は、頼りになる教員が少ないのである。

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ここまで書いて、そう言えば、3年生に小論文や作文を書かせる授業があることを思い出した。しかし、これは前に紹介した「志望理由書は受験生が書く大学へのラブレターだ」と言い、実際に「充実した施設と優秀な教授陣に恋い焦がれています」と生徒に書かせたA先生のために設けられたような授業で(A先生は古典の授業ができなかった。やらないだけだと本人は言っていたが……。だからいつも現代文のみを担当した。その現代文の授業も、多くは懸賞作文を書かせるための時間として空費されるのであるが……)、彼の定年退職とともに消滅させるか、内容を一新すべきであったのをそのまま残してある。現在担当しているのが女性教師B(こう書くのは進路のBやAさんを傷つけてばかりの新Bと区別するためである)。この人の授業は教員仲間からも「奥様国語」と揶揄され、「有閑マダムの趣味」と考えられている。先日、生徒から「B先生は『カネモ』なんだから、退職して悠々自適に暮らせばいいのに」と言われた。不勉強で、「カネモ」が「金持ち」の略語だと初めて知った(ここだけの話であるが「金の亡者」のことかと思った)。B先生は毎日〝仕事したくないオーラ〟を漂わせ、生徒が質問に行くと露骨に嫌な顔をする。「私は古典だから」と言って小論文指導から逃げ回っているくせに、なぜか小論文の研修会だけは毎年欠かさず出席する。しかも公費で……。僕は昔から教員が自分の勉強に公費を使うことに疑問を感じている。生徒にもよく言うのだが、何事も身銭を切らねば身につかないだろう。その証拠に、B先生が研修の成果を教員仲間に報告したり、生徒に還元したり、といったことは一度もない。

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いつも被害者は生徒たちである。



かつての同僚とM市内での食事を終え、僕の車で某私立高校前を通過中、バスから降りるバカボンを発見。これにはふたりとも驚いた。運転手付きの車はどうしたのだろうか? タクシーに乗る金も無いのか? 名古屋の伯父さんからも見放され、教職員の心もすでに離れてしまっているという。先の衆院選ではMTVからも声がかからず、恒例の迷解説を聞くこともできなかった。諸行無常。栄枯盛衰。バス利用者となったのを機に〝庶民の心〟を学ぶべきである。

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数多くの生徒の進路妨害を指揮し、瀕死の経営状態の併設大学へ無理矢理進学させたバカボン。「傷が癒えるのに2年かかりました。ようやく癒えたと思ったら、学生募集の停止、数年後の閉鎖。バカにしてますよ。新たな傷ができました」と電話をくれた教え子もいる。あるベテラン高校教員が語ってくれた。

「彼は今でこそ僕の上司だけど、教え子なんだ。高校時代は成績も振るわず、性格にも問題があった。到底人の上に立つ器ではないんだよ。彼がT大学へ推薦で進学する際も、彼より遙かに優秀な子がT大への進学を希望していたんだ。でも、まさか経営者の息子を落とすわけにはいかないからねぇ。推薦会議で仕方なく彼を選んだんだ。似非研究者となって戻って来たときに久し振りに会ったんだけど、〝根拠の無い自信の塊〟になっていたのには、やっぱりなと思ったね。大学・大学院での勉強は彼の人格を全く鍛えなかった。親父さんが亡くなって彼がこっちの責任者になった時、早晩名古屋に潰されると覚悟はしていたけれども、予想より早かったな……。高校に飛び火するんじゃないかと心配だ」

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彼の進路妨害の歴史は高3から始まっていたようである。

善良な教職員の方々には同情を禁じ得ないが、これで生徒たちから新たな犠牲者を出さずにすむ。「倒産もまた社会奉仕」である。

A君がB君を連れてやって来て、「先生、Bが悩んでいます。相談に乗ってもらえますか?」と言った。B君とは15日に志望理由書の相談にやって来た〝チャーシュー大王〟の生徒である。

「C先生、ホント勘弁してほしいですよ。『志望理由書と自己推薦書は書けたか』と訊かれたので、『まだ書けていません。自分には小論文も書けそうにないし、到底受かるとは思えません』と言ったら、『なんで20%でも可能性があるのなら、それに懸けようとしないんだ。小論文なんか俺らと話していたら書けるようになるんだよ!』と叱られました。僕は京都の私大に行きたいんです。でも、C先生は僕の意思何かどうでもいいんです。国公立大学合格という実績だけが欲しいんですよ」

「Cさんが20%の可能性と言う根拠は?」

「わかりません。先生は20%も可能性あると思いますが?」

「悪いけど、無い。『小論文なんか俺らと話していたら書けるようになる』なんて有り得ないよ。だったら、去年彼んトコの生徒が合格してるはずじゃないか。昨年の彼のクラスの推薦合格率は学年最低だよ。調べてごらん。志望理由書や自己推薦書の添削は人任せだし、小論文指導も無理。面接対策もまともにやったことない。よく言うよねぇ」

「先生に志望理由書と自己推薦書を見てもらおうと思っていたんですけど、受かる気もない大学のを見てもらうなんて、迷惑かけるだけですから、自分で適当に書きます」

「あのねぇ、迷惑かけてるのは学校なんだよ。生徒の気持ちより自分の実績を優先する奴を担任に選んで生徒を苦しめているんだからさ。僕が書いてやる。それを出しときな」

「いいですよ。先生に迷惑かけられないですから……」

「京都の私大の勉強をやんなよ。無駄なことに時間は割かないこと。いいね?」

「はい、わかりました。有難うございます」

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AさんがBさんを連れてやって来て、「先生、Bさんが悩んでいます。相談に乗ってもらえますか?」と言った。

「何があったんですか、Bさん?」

「はい。先日、C大の看護学部の校内説明会の日時を忘れたので、進路に訊きに行ったんです。そうしたら、事務のDさんだけだったので、Dさんに訊いたんです。そうしたら、『あんた、ホントにC大の看護、受験する気あるの?』って言われたんです。すごくショックでした……」

「とんでもないオバハンだなあ……」
「まだあるんです。そこへ主任のB先生が戻って来られたんですよ。そうしたら、Dさんが『先生~、聞いてくださいよ~。この子ったらねぇ~。看護学部の校内説明会の日時を忘れちゃったんですよォ』って言ったんです。で、B先生が『信じられませんねぇ。受験する資格なんかありませんねぇ』って。私、金輪際進路へは行きません」
「またBか。困ったオッサンだなあ。わかりました。悪いようにはしません」
「先生、どうするんですか?」
「そのうちわかります。そのうちにね(笑)」
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〝チャーシュー大王〟も問題ではあるが、それ以上に問題なのがBとDである。誰だって失敗はあるだろう。ましてや相手は生徒である。失敗があって当たり前であって、それを「やる気があるのか」だとか、「資格がない」だとか言って責めるのは、言語道断であろう。

Bよ、だったら、定期試験の模範解答を1度でもまともに作って見ろ!

こいつらこそ進路担当の資格なしである。去年まではこんなことはなかったではないか! 何かがおかしい。まるで〝指導力不足・不適格教師の宝庫〟。いつからこんな学校になってしまったのであろうか。

A大学経営学部の指定校推薦を受けるB君の志望理由書を指導している。自己表現偏重型の文章だったので、上林憲雄他著『経験から学ぶ経営学入門』(有斐閣 2007.5)を読ませている。メモをとらせて毎日もって来させ、話を聞いているが、内容は着実に深化している。このことからも、先日の「志望理由書が数日で深まるとは思われない」という進路の発言が妄言でしかないことが知られるのである。

教師にも当然知らないことがある。わからないこともある。これは仕方がない。しかし、それを認めず、知らないことやわからないことを自分の〝物差し〟で勝手に測って、生徒に話すようなことが許されるであろうか。〝仕方がない〟で済まされることではないだろう。一部の生徒たちはすぐに僕の所へ飛んで来てそれが根拠の無い〝妄言〟であることを確認できるけれども、多くの生徒たちにはそれができない。僕の所に来た生徒たちが事実を口コミで広めれば問題はないだろうと思われるかもしれないが、教員の世界でこれをやったら「あいつは生徒を使って悪口を広めている」と言われて、大変なことになる。批判や意見を〝悪口〟と同一視し、全く聞く耳を持たない進歩や発展とは無縁の世界だからである。

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だから、生徒たちは塾や予備校に逃げる。しかし、またこれが信用できない。誤解を避けるために言っておくが、僕は塾や予備校自体を信じられないと言っているのではない。塾や予備校関係者の方のブログから多くのことを学ばせてもらっている。生徒たちにも薦めている。吉永賢一さんや豊文さん、斎籐先生のブログなどは生徒たちも好んで覗いているようである。賢一さんの所にメールを送り、懇切丁寧な返信をいただいて、その言葉を心の支えにしている生徒もいる。僕がこれから取り上げるのは、あくまで地元限定の話である。

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まずは数年前の話。Aさんは茨城にあるT大学を志望し、T予備校に通って勉強していたが、その指導法に疑問を持ち、「やめたい」と教室責任者に伝えたところ、「君はT大を目指しているけど、君の力では無理だからね」と言われたという。その後、Aさんは見事推薦入試でT大に合格。すると、「戻って来てほしい」という電話。もちろん、Aさんは拒否。数ヶ月後のTの「難関大合格者一覧」には、名前の部分を空白にして「T大学 (××高校)」とあった。もちろん、Aさんのことであるのは間違いない。

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これも数年前の話。BさんはC大学のAO入試を受験し、見事合格した。志望理由・自己推薦書はもちろん、小論文指導や面接対策もみんな僕がやった。ところが、Tのチラシには彼女の顔写真とともに次のような文章が載っていた。「私の合格はTの先生のおかげです。志望理由書と自己推薦書は何回も添削を受けて書き上げました。小論文も丁寧に指導してもらったので書けるようになりました。……」。これには驚いた。卒業式後に挨拶にやって来たBさんに尋ねたら、彼女は次のように言った。

5000円くれるって言うし、文章はこっちで考えるからって言うものですから……。すみません」

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次は昨年の話。高3生のAさんが「小論文を書いたので添削してほしい」と言ってやって来た。原稿用紙には「T予備校」と印刷されている。

「Tの先生には見てもらえないの?」

「もって行ったら、『こんなものは高校の先生に見てもらってくれ』と言われました」

「Tと印刷した原稿用紙まで用意しているのに?」

「はい……。見てもらえませんか?」

「いいけど、Tに添削料請求しようかなあ(笑)」

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これは先日の話。AさんがTで面談を受けた。(電話で呼び出された)

「Aさん、最近来ないけど、あなた、いったいどうしてるの?」

「はい。自己推薦入試を受けますので、そのための勉強が忙しくて……。すみません」

(露骨に不機嫌な顔をして)「そう。で、落ちたらどうするの?」

「落ちた時に考えます」

「そんないい加減な。……あ、電話だから、ちょっと待ってて」

そう言って席を立ち、電話に出る女性職員。Aさんが電話が終わるのを待っていると、女性職員は受話器に向かって次のように叫んだという。

「わかりました。でも、AO入試や推薦入試で受かった例はほとんどありません。ほとんど落ちますから!」

Aさんが慄然としたことは言うまでもない。

僕の所にやって来て、「面談なんか行かなきゃよかったですよ」と悄気るAさん。

すると、B君が思い出したように言った。

「おかしいなあ。少し前にAO・推薦対策の案内をもらったけど、『続々合格!』って書いて、大学名も挙がっていたけど、どういうことかなあ」

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学校も塾もいい加減で、生徒たちは本当に可哀相である。彼らに信じられるものは、もうアメブロしかない(笑)

Aさんが憤然として現れ、一言「心が折れそうです」と言った。

授業中、本を読みたかったので、担当のB先生に「すみません、推薦入試も迫っているので、今日は後ろで本を読んでいてもいいでしょうか」と訊いたのだという。センター試験受験者は教室の前半分に座って授業を受けるが、センター試験の要らないものは、後ろ半分で、私大の過去問を解いたり、小論文を書いたりしていてよいというのがB先生の方針だったからである。Aさんはセンター試験受験者であるが、来月の自己推薦入試に合格すれば、当然センター試験は要らなくなる。B先生は認めてくれるはずだとAさんは考えた。

ところが、B先生の口から出たのは意外な言葉であった。

「あかん、あかん。センター受けるんでしょ? だったら、授業を受けなさい、授業を。推薦で受かるだなって甘いこと考えていたら、Aさん、あんた大間違いだよ!」

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このBという男(進路のB先生とは別人。紛らわしい!)は、生徒の意欲を殺ぐことばかり平気で言う男で、これまでもAさんを何度も傷つけてきた。これまでは「困ったオッサンだ」と聞き流していたAさんだったが、今回は時期が悪かった。かなり凹んでいる。B先生だけでなく、他にも配慮の無い発言を繰り返す教師が何人もいて、モチベーションが低下している生徒も少なくない。どうせセンター試験の解説もまともにできない奴らなのであるから、生徒たちは何も期待していないのである。「何もせずに黙っていてくれればいい」のだという。以前、志望理由書の指導があまりにも的外れだったので、「その指導はどうかと思いますが……」と言ったら、「他人の指導法を貶すのか」とすごい形相で睨まれたことがあるが、そんな彼らも生徒を貶すことに関しては平気のようである。全く救いようのない奴らだ。昨年の3年生もいろいろと相談にやって来たけれど、このテの話は持って来なかった。今年の3年生(の担任)に限ったことなのであろうか。そうであれば、そろそろ何らかの手を打たねばならないように思う。

Aさんの自己推薦入試対策として、夏休みからふたりで本を読み続けている。その数は50冊に垂(なんな)んとしている。一部の教員たちから「本を読んでいるだけじゃダメ。考えなきゃ!」と言われ、随分悩んだこともあった彼女であるが、「本を読んでなければ考えることもできない」ということに気づいてからは、無責任教師の妄言など全く気にする様子もなく、ひたすら本を読み続けている。これが礎となって、彼女の大学生活をきっと実り多きものにしてくれるだろう。頑張れ、Aさん。

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昨年指導したBさんが30冊前後であったから、冊数ではBさんを遙かに凌駕している。そう言えば、Bさんは大学入学後、ミスコンに出場して準グランプリを獲得したらしい。Aさんは、Bさんを尊敬し、憧れていた。Bさんを追って彼女もミスコンに出るのだろうか? 読書量では間違いなくグランプリであろう(笑)