好文舎日乗 -5ページ目

好文舎日乗

本と学び、そして人をこよなく愛する好文舎主人が「心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつ」けた徒然日録。

 おはようございます。小論文や志望理由書・自己推薦書の指導に加え、面接対策も入り、ブログの更新ができずにいます。僕の体調を心配してくださるメールもたくさんいただきました。ありがとうございます。忙しくて風邪などひいている暇もありませんので、どうかご安心ください。日々の記録はメモ風に書きためていますので、時間ができたら埋めていくつもりです。もうしばらくお待ちください。

今日はどうしても言いたいことがあるので、書きます。

― ― ―

昨日の午後、Aさんが自己推薦入試受験のために東京に向かいました(頑張れ、Aさん。あなたならきっと合格するでしょう!)。それを見送りに行った帰りにBさんが寄ってくれて話をしたのですが、その中でこんなやり取りがありました。

「先生、私、C先生が嫌いになりました。余りに非常識です。人間性を疑います!」

(C先生はBさんの担任で、「チャーシュー大王」とは別人である)

「どうしました?」

「昨日、進路の話をしていたんです。そうしたら『S県立大にするか? あそこは例の事件で来年の受験者は減るだろうから、受かりやすいぞ』と笑いながら言うんです。びっくりすると同時に怒りが込み上げて来ました」

「う~ん、救いようがないって感じだなあ」

C先生の適当さや無神経さには呆れたことは数知れませんが、怒りを覚えたのは初めてです」

「まあ、そのうち大掃除が行われるだろうから、楽しみにしてよ」

― ― ―

「頼むから喋らないでくれ!」と言いたくなる教員は多いのであるが、C先生はその代表格である。

担任としての能力には昔から疑問の声が上がっていたのであるが、近頃は相次ぐ無責任発言・無神経発言によって人間としての力も無いことが証明されつつある。今回の発言はその極みと言えるだろう。このような担任に当たってしまったことは、生徒たちにとっては洵に不幸と言うしかないが、C先生のクラスは担任を頼ることができない分、生徒たちが結束し、理想的なクラスとなっていると聞いている。〝親は無くとも子は育つ〟というけれど、学校も同じなのだろう。しかし、同じであってはならない。C先生がこのまま許されてよいということはない。


今は〝大掃除〟の日をただひたすら待っている。

Aさんのお父さんから突然の電話。「先生にお詫びを言いたくて」とのこと。驚いて聞いてみると、「B君のお父さんから『息子が志望理由書をCという女性国語教員に添削してもらったんだが、話にならない。あの学校にはあんな教師しかいないのか!』と言われたので、先生のことを断りもなく紹介してしまいました。勝手なことをしてしまいました。本当に申し訳ありません」ということだった。とんでもない。こちらこそ「本当に申し訳ありません」である。指導力不足・不適格教員の宝庫でスミマセン。今〝親会社〟が在庫一掃を計画中であると聞いていますが、どうなるかはわかりません。

放課後、昨日約束した通り、B君がやって来た。いろいろ話した。

「C先生からどんな指導を受けていたの?」

(2枚のプリントを取り出して)「これを要約しろと渡されました」

「何これ?環境をテーマにしてるけど、高校生の作文だね。これを要約しろって?」

「はい。要約の仕方も教わってないんでわからないんです」

「高校生の作文を要約させてどうするんだろ?」

「とにかく月曜日までに要約しろと言われました」

「これはやってもあまり意味ないな。C先生自身があまりよくわかってない」

「どうしたらいいでしょうか?」

「過去問はある?」

「はい。1年分ですが持っています」

「じゃあ、それをやってみようか」

「はい!」

「ところで、志望理由書だけど、君が書いたヤツね、表現的にはまだまだだけど、C先生の改訂版よりずっといいよ」

「僕の文章は幼稚だと言われました」

「幼稚って、C先生のの文章は君の文章の順番を入れ替えて、字句を修正しただけじゃない」

「いえ、少し加えてある部分もありますが……」

「えっ、あ、あれね。あれは僕がこれまで指導した子たちのものを参考にと一昨年渡したのから切り貼りしたやつだから、その部分だけ、文章が浮いて不自然だろう?」

「はい。あれ、先生のパクリだったんですか?」

「C先生に何かを生み出したり、掬い上げたりする能力は無いよ」

「そうなんですか。ムカつくなあ……。あなたの頭は幼稚なのよって散々言われたんですから」

「〝空っぽ〟の次は〝幼稚〟か。困ったもんだね」

「先生、僕は幼稚ですか?」

「B君はマルコメ坊やみたいで可愛いけど、幼稚じゃないよ(笑)」

「何ですか、それ?」

「マルコメ坊やを知らないの?」

「はい」

「そうか……。まぁ、いいや。まず過去問を読んで、思い浮かぶことをメモしてごらん」

「はい!」

‐‐‐‐

午後10時半頃まで指導した

「今日はここまでだね」

「はい。先生、明日も来ていいですか?」

「いいですよ」

「明後日も来ていいですか?」

「うん、いいよ」

「明々後日も来ていいですか?」

「わかった、わかった(笑) 待ってるから」

「ありがとうございました!」

御礼を言って笑った時のB君の顔はまさに18歳のマルコメ坊やであった。

‐‐‐‐

というわけで、本日はペタが返せませんでした。ご訪問くださった皆様、申し訳ありません。

明日もよろしくお願い致します。

自己推薦入試の指導をしていたら、Aさんが言った。

「先生、B君が可哀相です。何とかしてやってください。C先生、何の指導もしてないくせに、『月曜日までに3本書いてきて! 野球部なら根性見せてよ』なんて、あまりにも無茶苦茶過ぎます」

一緒にいたDさんも加わった。

「C先生、いつもは『フニフニ、どうなんだあ~』とか、ブリっ子オバさんのくせに、小論文や志望理由書の指導になるときついらしいですよ」

「『あなたは空っぽよ』って言うんでしょ?」

「そうです。そうです(笑)先生、何で知ってるんですか?」

「いつものことです。しかし、困ったもんだなあ、B君も」

「えっ、B君がですか?」

「そう、B君が。だって、C先生に教わってても、全く書けないんでしょ? だったら、自分に力がないか、C先生の指導法が間違ってるかの、どちらかじゃない? 僕だったら1度指導者を変えてみるな」

「指導者がいないんじゃないですか!」

「そうですよ! そんなに言うんなら先生が見てやってください」

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というわけで、B君の指導を引き受けることにした。僕の指導でB君が書けるようになるという保証はないけれども、このままC先生の指導を受け続けるよりはマシであろう。B君に電話すると喜んでいたが、彼にとっても、僕にとっても気の休まらない毎日になりそうである。

Aさんの自己推薦入試対策で地元の文化の特色について調べている。

市立図書館の郷土資料室に1時間籠もるが、収穫なし。

M市の文化について書かれた本は一冊もない。

市役所に電話で尋ねると、市教委の文化課で訊いてくださいと言われた。

早速車を走らせ、市教委へ。

「すみません。M市の文化について知りたいのですが……」

「文化と言われましてもいろいろありますからね。文化財、人……」

「観光協会が出している、このようなパンフレットがありますが」

「あ、それは見ました。M市文化の特色といったものは何ですか?」

「そういったものを書いたものがあればいいんですが、残念ながらないんですよ。それはご自分で調べていただくしかありませんね……」

「こちらでは自分の市(まち)の文化について答えることができないわけですか?」

「文化にもいろいろあるわけですし……」

1023日の中日新聞にうまくまとめた記事が出ていますからそれを読んでください」

「それは読みました。でも、それって江戸期までですよね? 江戸期以前の文化が現代のM市にどう受け継がれて生きているのでしょうか?」

「それはご自分でお調べください」

「……」

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帰りの車の中でAさんが呟いた。

「あの人たちは毎日机に座って何をしているのですか?」

「ほんとだね。僕は学問の世界にいたことがあるから、ああいう手合いは許せないな」

「すごく腹が立ちましたし、情けなくなりました」

その通りだと思った。本当に役に立たない奴らである。

A君の勇気ある行動が然るべき機関を動かした。

「これからきちんと改善に向けた指導を行います。先生とA君には本当に感謝しています」

と担当の方に頭を下げられた時には、ようやく戦いが終わった時のような安堵感があった。

だが、これで終わりではないという。

「A君の問題は解決致しましたが、これをきっかけに学校が抱えているいろいろな問題をひとつずつ改善していきます。最初は電話による注意ですむと思っていましたが、いろいろ調べてみると状況が深刻であることが判明しました。すべての問題にきちんと対処させていただきます。きっかけを与えてくださったことに心から感謝致します。ありがとうございました」

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学校が変わる。それも一生徒の勇気ある行動で。久しぶりに教育に対して「希望」というものを持ってみようかという気持ちになれた。時間はかかるだろうが、「前進している」という感触さえあれば構わない。明日からも頑張って行こう。

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生徒諸君。

とにかく声をあげよう。

「おかしい」と感じたら、

それを口に出してみよう。

すべてはそこから始まる。

午前中生徒を連れて県立図書館へ。志望理由書づくりに必要な本を探して借り出させる。蔵書の多さに圧倒されている彼に、「君の志望する大学の蔵書はもっと充実している」というと、「早く大学生になりたい」と言う。本当は古書店巡りの面白さも教えたいのだが、三重県では無理。大学院時代は学部生を連れて月に1度は古書店を回った。梁山書林のK君はそれがきっかけで、今では僕が最も信頼する本屋の1人になった。彼のことは何れ書きたいと思っている。

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A君とB君の志望理由書を見ていると、Cさんが「塾の先生が先生のこと知ってましたよ」と言った。

「何という先生?」

「D先生です」

「ごめんなさい。知らないなあ」

「D先生は知ってましたよ、文章を書かせたらすごい先生だって」

「何でだろう?」

「前は大手のEにいたそうですから、そこで生徒たちの噂になっていたんだと思います」

「僕もまだまだってことです」

「どうしてですか?」

「その先生は『文章を書かせたらすごい』って言ったんでしょ?」

「はい」

「『文章指導させたらすごいって言われなきゃね」

「そんなもんなんですか?」

「そうです。〝文章を書かせたらすごい〟なんて文筆家ならともかく、国語教師としては二流ということです。大学生の頃、『彼はよく勉強しています。ウチの大学で一番の勉強量です。院生だって太刀打ちできません』と恩師が他所で僕のことを語ったと訊いた時には、とてもショックでした」

「後藤先生ですか?」

「僕にとっての〝恩師〟は後藤重郎先生だけです」

「先生のことを褒められたんだと思いますが……」

「いえ、『よく勉強する』と言われたってちっとも嬉しくなかったですね。そんなの学生として当然のことですから。『よくできる』と言われなきゃ意味がないんです。それと同じ気持ちです。〝文章書かせたらすごい〟っていうのは教師にとっては決して褒め言葉なんかじゃない。生徒にうまい文章を書かせることができなければ意味がないんです」

「先生素直じゃないと思います(笑)

昨日の深夜、A大学獣医学部獣医学科を志望するB君から「突然で申し訳ありませんが、志望理由書を見てください」というメールが来た。出願締切までもうあまり時間がないのだという。電話をしてみた。

「噂では志望理由書と小論文をC先生に見てもらってるらしいけど……」

「はい。お父さんに見てもらったのをC先生の所へ持っていったら、『やーねー。スカスカじゃない』って直されたんですが、かえって文章がおかしくなったように思うんです。見てもらえますか?」

「わかった。明日の放課後来てください」

急患ではあるが、瀕死の状態ではないようである。

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放課後になってB君がやって来た。B君のオリジナル。C先生の改稿版とを見比べる。多少の字句の修正はあるものの、オリジナルを活かす形で、改稿されている。しかし、(表現面に目をつむれば)オリジナルの方がよい。この連休を使って書き直すので、通ってくるように指示して帰した。以下、その時交わされた会話の一部である。

「ところで、小論文はどうなの?」

「C先生から読んでおきなさいと本を渡されました」

「読んで書いてる?」

「読んでますが、よくわかりません」

「試験はいつ?」

22日です」

「あ、12月のね?」

「いえ、11月です」

「えっ! 大丈夫なの?」

「C先生でということですか?」

「それもあるけど……」

「C先生、すごく不安です」

「みんな言うね。〝奥様国語〟のD先生のように〝仕事したくないオーラ〟が出てないから最初はみんなC先生の所へ行くんだ」

「でも、見てもらってるうちに〝仕事できないオーラ〟が漂ってくるんです」

「おっ、うまいね! そのセンスなら合格だよ、B君!」

「ふざけないでください! 助けて下さいよ」

「でも、僕も今月勝負の生徒を数人抱えてるし、難しいなあ」

「そこを何とか!」

「まあ、この連休頑張って志望理由書を完成させよう。話はそれからだ」

「はい。わかりました」

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愛知県で古書肆(梁山書林)を営んでいる後輩(彼については一度書きたいと思っている)から111日(日)の「第4回にしお本まつり」2目目にリンボウ先生こと林望氏の講演会「書物今昔-私の古典遍歴、そして岩瀬文庫の思い出-」があるとの知らせ。ありがとう。生徒を抱えてなきゃ行きたいところだが、今回は断念。ごめんなさい。これに懲りず、また誘ってください。

A君の家に校長から進路の対応について詫びる電話があったという。A君の担任と進路主任のB先生がA君の家を謝罪のために訪れるというのをお母さんが「お気持ちだけで」と断ったというが、今回担任は無関係である。寧ろ主任のB先生と前主任で、現在は陰の主任であるC先生、そして悪名高き事務のD女史が打ち揃って校長立ち会いの下、A君に謝罪すべきなのである。そして、A君の望みは一括出願の撤廃にあるのだから、これをA君だけの問題として終わらせるのではなく、廃止に向けて努力すべきなのである。

C先生はA君に対して、「お前は教員志望のくせに学校のルールを破るのか!」と言った。A君は返す言葉も無かったというが、「学校のルール」は当時の主任であったC先生自身によって3年前に既に破られていたのである。当時高3であったE君は国公立推薦でF大への進学を希望した。当然願書は進路が一括出願する。ところが、教員であるE君の両親がこれに異を唱えた、「そんなおかしなルールには従えない。ウチは勝手に出願しますから!」と。驚いたことに進路はこれを了承したのだという。この時点で〝ルール〟は完全に無意味化している。C先生は当時の主任であるのだからこのことを知らないはずはないのである。知っていて「〝学校のルール〟を破るのか!」とA君を責めたわけである。悪質の極みである。

A君は今回の問題が自分の問題としてだけ処理されて、「一括出願」自体は来年も継続されるのではないかと心配している。彼の本意は「今年は変わらなくても、来年度に向けての話し合いのきっかけになれば」というものであった。A君の気持ちを無にしてはならない。

2年生のA君とB君が修学旅行のお土産だとカステラを持って来てくれた。3年生のことを考えての2本入りである。クラブの先輩たちにも買ってきているという。大変だ。

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3年生のA君が「願書は29日に提出できません。自分で出願します」と進路指導室に断りに行ったら、主任のBが「わかった。書留の控えだけ持って来て」と言ったらしい。どうやら然るべき所からの指導が入ったようである。もう彼らはA君に何も言うことはないだろう。ただ、A君のことだけで終わらせてしまうのではないか。A君の望みは一括出願制度の撤廃である。自身のことよりも後輩たちのことを考えての行動なのだ。今後の推移を見守って行きたい。

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3年生のCさんがやって来た。かなり怒っている。

「先生、購買のオバさん何とかしてください」

「購買のオバさんて進路のDさん?」

「はい。Bちゃんを罵倒したオバさんです」

「で、Dさんがどうしたって?」

「最近スゴク機嫌悪いんですよ」

「あのヒトが機嫌悪いのは今に始まったことじゃないでしょ? そんなことで腹立ててるの?」

「違うんです。前にも言いましたけど、あのヒトが男子とギャル系女子に大甘なのは知ってますよね?」

「うん」

「今日はEちゃんのポケットにカロリーメイトをこっそり入れてました!」

「まだそんなことやってんのか!」

「贔屓は止めてほしいです!」

「Cさんも欲しいの?」

「違いますよ! 公私混同は止めて欲しいんです!」

「その程度のヒトなんだからほっときなさいよ」

「私、受験に失敗したら購買で働きたいです! あのヒトよりはマジメに働くと思う」

「去年もある女子生徒が『将来は購買のオバさんになりたい。あんな楽な仕事はないっ!』って言ってたな。確かにその通り。僕も呑気に購買に座っていたいなあ」

「先生はオバさんの代わりに進路の事務ですよ。あれも生徒をバカにしていればいいんだから楽そう……。先生は小論文の指導ができるからオバさんよりは存在価値がありますよ(笑)」

「事務員は小論指導はしないの!」

「えーっ! あとのヒトたちは信用できないーっ。やっぱり事務員はダメですよ」