今日は何の日が良いだろうか
またGeminiとお話をしながら、nano banana 2に絵を描かせてみた。今日は数学の日であり、今日は円周率の日であり、今日はアインシュタインの誕生日である。数学代表としてピタゴラスを、物理学を代表してアインシュタインを、それぞれc2を取り合うような構図を黒板にチョークで描く少年を描いてといった指示をしたかと思う。E=mc2Eはエネルギーで、mは質量で、cは光速である。a2+b2=c2a,bは直角三角形の直角を挟む辺の長さ、cはその斜辺の長さである。私は数学はまだ解るのだが、物理学が苦手であるので、ここに書いていることに間違いがあるかもしれないことは先に断っておく。数学も物理も一緒だろと思う人もいるかもしれないが、それでも物理学が解らないのです。さて、アインシュタインというと、一般相対性理論とか特殊相対性理論なんてのが出てくるかとは思うが、これってピタゴラスの定理を使った話しなんだよね。でも、自分が苦手意識があるのは、『光速度不変の法則』なんだ。これが、自分の中で引っかかってしまって、一向に物理学が馴染めないんだ。光源の動きや観測者の動きに依存せずに、等速で動いているように見えるってことなんだ。つまり、これによって一種のパラドクスが起こっているのではなかろうかと私は考ええいる。背理法で言うならば、最初の仮定が間違っているという結論ってことになる。まぁ、難しい話しは無しで、今日は何の日にするのがいいんだろうかって話しに戻そうか。|π-3.14|>|π-22/7|この不等式が意味するのは、3月14日が円周率の日で、7月22日が円周率近似値の日であることを示している。πと3.14や22/7の大小関係が解らないから、差を求めて絶対値で括っている。つまり、円周率πとの差を正の実数にした上で、大小を比較しているということなんだ。小学校の算数ってのは、基本的には有理数の範疇を超えない数や演算子しか扱わないのだが、唯一円周率だけが有理数の範疇を超えている無理数であり超越数でもある。しかし、そんなことを小学生に教えるにはまだ不十分だから、円周率は3.14として計算させているということに過ぎない。中学に上がると、円周率はπというギリシャ文字を使って定数として扱われるようになるが、中学では√などの記号を使って無理数を扱うようにはなるが、代数、つまり有理数係数のn次方程式の解となり得る数、つまりそれは代数的数であり、無理数の一部を含むがすべてを含んではいない。それは実数は有理数と無理数を合わせたものではあるが、無理数の中に円周率πは含まれてはいるのだが、それは代数的数ではなくて超越数なのである。では、中学の数の概念の範囲は?というと実数となる。そのため、二次方程式の解において、解なしという言葉が使われるのは、実数解がないということであり、二次方程式であれば重解を除けば解は必ず2つあるので、たまたま実数解がなかったに過ぎないんだ。高校に上がると、虚数単位iを使って、複素数を扱うようになる。こうやって、数の広がりや、その数を扱うための道具としての演算子が出てくるというのが、算数や数学だとも言える。円周率πってのは、おそらく人類の数学者が必ず一度は興味を持ったものだと思うんだ。そういうことで、3月14日は数学の日ということなんだろうね。さて、昨今のAIブームは第四次AIブームであり、大規模言語モデル、つまりLLMによってかなり流暢な言葉を使えるようになったことと、生成AIの制度が上がったことあろうか。数が月前にはnano bananaを酷評していた私が、nano banana 2に絵を描かせられるようになっていて、それに夢中になり始めていたりする。このAIブームの立役者は、AI開発者もあるのだが、NVIDIAなどによるGPUメーカーの功績が大きいのではなかろうか。NVIDIAは会社名で、GPUってのは、グラフィカル・プロセッシング・ユニットの頭文字で、CPUのセントラル・プロセッシング・ユニット、つまりCPUは中央処理演算装置に対して、GPUはモニターに映し出す画像処理に特化した装置ということなんだ。コンピュータは、画面の各ドットをVRAMというメモリー空間と対応させていて、そこの数字を変化させると、画面上の色が変化するということになるのだが、昔のコンピュータはこれらの処理をCPUがやっていたのだが、それをGPUに任せるようにしたということなんだ。じゃぁ、CPUとGPUって結局同じものなの?となるが、実はそうではなくて、説明として簡単に解るように噛み砕くと、GPUはそこまで計算に厳密性を求めていなくて、そこまで頭は良くないが言われたことを愚直に高速に処理する脳筋作業員がたくさん居るようなものなんだ。本来はGPUは画像処理のための装置だったのだが、これがLLMとの相性が抜群に良かったというか、そこまでGPUの性能が上がったってことで、今回のAIブームの立役者になったということなんだ。まぁ、そんなことを知るよしもなく、AIブームに乗り遅れるなとか、業務はAIに任せろなんていうけれども、まだそこまでは行ってないのは私の考えである。例えば、私は絵を書けるけど、高校3年のときに数学に行くか美術に行くかをなやんだ結果数学の道へ進んだくらい、美術は得意だったし好きだったんだ。そのお陰でか、コンピュータやプログラミングにのめり込んで、バブルが弾けたのにコンピュータバブルは残っていたので就職は出来たということになっているので、そこで救われてはいる。さて、絵は描けるけど、AIに任せられるってのは、つまり概念や構図などを細かく伝える力さえあれば、AIに絵を描いてもらうことは容易い。しかし、プログラミングは出来るけど、AIにプログラミング、コードを書いてもらおうとは思えないんだ。それは、プログラミングってのは微妙な間違いってのは許されない世界なんだよね。つまり、それはバグと呼ばれてしまうものなんだ。絵の色合いが多少違っていても、そこまで絵に問題はないが、プログラミングはその多少の違いが許されないことが多々あるんだ。つまり、プログラミングが何か解っていない、更にはコードの審議も出来ない、プログラムを書くことが出来ない人が、AIにコードを書かせて、それが動いたからよかったーってのは、絵が描けない人がAIに絵を描いて貰っているという状況と同じなんだ。つまり、出来ない事をAIに代替させてやってもらうという意味ではそうなのだが、そもそもが出来ない人が代替させてやってもらうのとは違うってことになる。極端な例を考えると、生まれたばかりの赤ん坊に対して、AIが人間の言葉を教えて、会話するまでに成長したとしたら、それは会話が出来ていると言えるのだろうか?ってことになる。人間との生のコミュニケーションによって言語を確立していった上で、ある程度のところまで来てからAIと付き合うようにしないとダメだってのが自分の意見であり、それが叶わないような状況が続くことが世間的にバレてきたら、今回の第四次AIブームは終焉を迎えることになるだろうということなんだ。生まれたときからパソコンがある世代、生まれたときからガラケーがある世代、生まれたときからスマホがある世代、生まれたときからAIがある世代、こうやって並べてみると、この分野において、その世代が大人になったころには、その世代には太刀打ち出来ないってことなんだけれども、AIはちょっと異質だなと感じてしまうのである。ではでは