第6回大雪山忠別湖トライアスロンinひがしかわ完走記(その3)
試泳会終了後、着替えをし、ヒロタさんご夫妻と一緒に、まずは開会式と競技説明会が行われる東川町環境改善センターに向かいました。東川町の道の駅の手前を右折し、300メートルくらいに行くと、いっぱい車が止まっていて、スポーツスエットのカワノさんも店を出していて、バイクの調整を行っていました。そのほかにもウエアなどいろいろなものが売ってました。
店を一瞥した後、参加賞引換券を握って、センター内に入ります。まずは受付で名前を伝え、参加者名の入った冊子と競技説明会資料をもらい、その後、参加賞の東川町産のお米2キロ(ほしのゆめ)とクッキーと水をもらいました。
冊子を見ると招待選手と一般を含めて355人の参加者でした。このほかにキッズ部門もあります。
3時15分から受付をし、4時30分から開会式と競技説明会です。競技説明会は選手は参加必須です。
日本トライアスロン連合の審判員も出席しており、最後に初参加の人が集められて基本ルールの説明を受けました。前の自転車について走るというドリフティングの禁止、トランジッションでは自転車を移動させる前にヘルメットのストラップを着ける、バイクのコースに入る場合は線を超えてからバイクの乗る、バイクを降りる時も線を超える前にバイクを降りるなど、そのほかにもいっぱいあって、規則違反はペネルティが科せられ、移動を数十秒間ストップさせられることもあるとのことでした。
開会式が始まる前に高橋さんから電話が入って、トライアスロン大会ではじめて高橋さんと面会することができました。
初心者のヒロタさんと私は高橋さんからルール説明のたびに解説してもらいました。その時はどうもありがとうございました。
東京ベルディのみなさんは東川町で合宿しており、その選手のみなさんや、招待選手の沢田さん、モデルでアイアンマンレースを完走しているモデルの大原里絵さんもステージで紹介されました。
午後6時過ぎに競技説明が終了し、ヒロタさん夫妻と高橋さんと別れて、一路ホテルのある旭川に向かいました。旭川市内までは30分程度でしたが、当日は山六街祭りということで立体駐車場に入れるのに1時間もかかり、車の中で携帯で女子トライアスロンを見ながら待っていました。
ようやく車も止められ、ホテルに行って、近くのラーメン屋さんでラーメンとミニチャーハンを食べてお風呂に入って10時ころに就寝しました。
翌日は雨ということがこの時点での外の雨模様ではっきりとなっていて、雨対策をしてこなかったので、どうしようかと思いながらの就寝でした。
なかなかレースには入れません・・・。
(つづき)
店を一瞥した後、参加賞引換券を握って、センター内に入ります。まずは受付で名前を伝え、参加者名の入った冊子と競技説明会資料をもらい、その後、参加賞の東川町産のお米2キロ(ほしのゆめ)とクッキーと水をもらいました。
冊子を見ると招待選手と一般を含めて355人の参加者でした。このほかにキッズ部門もあります。
3時15分から受付をし、4時30分から開会式と競技説明会です。競技説明会は選手は参加必須です。
日本トライアスロン連合の審判員も出席しており、最後に初参加の人が集められて基本ルールの説明を受けました。前の自転車について走るというドリフティングの禁止、トランジッションでは自転車を移動させる前にヘルメットのストラップを着ける、バイクのコースに入る場合は線を超えてからバイクの乗る、バイクを降りる時も線を超える前にバイクを降りるなど、そのほかにもいっぱいあって、規則違反はペネルティが科せられ、移動を数十秒間ストップさせられることもあるとのことでした。
開会式が始まる前に高橋さんから電話が入って、トライアスロン大会ではじめて高橋さんと面会することができました。
初心者のヒロタさんと私は高橋さんからルール説明のたびに解説してもらいました。その時はどうもありがとうございました。
東京ベルディのみなさんは東川町で合宿しており、その選手のみなさんや、招待選手の沢田さん、モデルでアイアンマンレースを完走しているモデルの大原里絵さんもステージで紹介されました。
午後6時過ぎに競技説明が終了し、ヒロタさん夫妻と高橋さんと別れて、一路ホテルのある旭川に向かいました。旭川市内までは30分程度でしたが、当日は山六街祭りということで立体駐車場に入れるのに1時間もかかり、車の中で携帯で女子トライアスロンを見ながら待っていました。
ようやく車も止められ、ホテルに行って、近くのラーメン屋さんでラーメンとミニチャーハンを食べてお風呂に入って10時ころに就寝しました。
翌日は雨ということがこの時点での外の雨模様ではっきりとなっていて、雨対策をしてこなかったので、どうしようかと思いながらの就寝でした。
なかなかレースには入れません・・・。
(つづき)
第6回大雪山忠別湖トライアスロンinひがしかわ完走記(その2)
正直にいいます。バイクの練習はローラ台で1週間、帰宅後に20分くらいやっただけでした。ランも週末に30キロくらいをこなすという感じでした。
なにせスイムが不安でしたので、だからと言って、特段まじめにスイムを吐きそうなくらいおよいだわけでもありません。
ただ、週に1回、土曜日に教室(40分)にいったくらいでした。まあ、定期的に泳ぎに慣れていたことはありますが、そんな「後悔なく練習しました!!」というほどでは決してありません。
そんな感じで大会主催の試泳会の日が近づいてきました。試泳会は7月22日(日)でした。前日の土曜日に一路旭川に向かいました。旭川には高速を通って(当日は浦幌から入ろうかと思ったんですが、交通事故で池田インターまで通行止めのため、池田インターから入りました。)、占冠までで約3時間の行程でした。
占冠からは国道を走り、富良野、美瑛、旭川に入りました。ルートインに宿泊し、翌日に備えました。
翌日は正午から試泳会でした。2時間半でした。初参加の人を中心に約20人くらい集まっていました。スタッフのカキザキさんに色々と聞きながら、試泳会に参加する人は名前を書いて、始まります。本番よりも小さめの三角形の形にロープが張られ、ゴムボートがもしものときのために水上に待機しています。
初めは足の着かないところで泳いだ経験がないので、当日知り合った楽走のモッチャンと岸辺に沿って泳ぎました。足はここら辺では着きますので、まあ、安心です。
他のみなさんは三々五々足の着かないところへ泳いでいきます。
私もここで行かないと今回来た意味がないとロープに沿って足を使わないようにキャッチアップクロールで静かに泳ぎはじめました。周りに人が密集しているわけではないので、安心して泳げました。途中、ちょっと疲れたので、ロープに掴まったらズブズブと沈みました。
本当にびっくりしました。
この話をしたら、モッチャンから試泳会のときはちゃんと張ってないので、ズブズブになるんですよね~とのことだった。まあ、本番は大丈夫だからこれも経験と思ってよかったと思いました。(実際、本番に掴まったらちょっとだけズブくらいにはなりましたが、やっぱりしっかり張ってました。)
そして、周りの泳ぎ方を観察していたら、進む方向にヘッドアップをして前を確認してから右か左で呼吸をしていました。これだと思いました。それでなくてもちゃんと前に進まない私です。
試しにヘッドアップしながら泳いでみたら足もそんなに沈まずに前を確認しながら泳げました。
これをひとかき一呼吸で、毎回ヘッドアップして泳ぎました。湖の透明度はほぼ10センチ程度で底が見えるわけでもなく、下を見ても底が見えないので恐怖感も湧かないでタンタンと泳げました。
途中、水温が微妙に変わります。ただ、びっくりしてパニックになって泳げなくなるほでではなく、「ああ、ここでちょっと冷たくなったなあ。」とか、「あれ、水温上がったんじゃない?」といった程度でした。これなら大丈夫と思いながら泳ぎ続けました。
そんな感じで2周回、1500メートルを泳ぎきり、試泳会の目的である足の着かないところで泳ぐことは達成できました。このとき、何とはなしに、密集地帯でのスイムバトルに巻き込まれさえけしなければ何とかなるだろうと思いました。
上がって気付いたことが一つありました。首がスーツと擦れてヒリヒリするんです。これはあとで知りましたが、ワセリンを塗らないといけません。しかもラン用のムース状のではなく、ワセリンです。
試泳会のときに知り合いになった帯広のヒロタさんは、けっこう大きいのを持っていて、首だけでなく、顔にも塗れば保温効果もあり、いいんだよと教えてくださいました。
ヒロタさんも初参加でしたが、私と違って結構緻密に準備するタイプのようで、本番はしっかり高順位でゴールしてました。
ヒロタさんとも話をして、本番ではがんばろうとお互いにエールを送りあいながら別れ、私は一路、疲れた体をおして釧路まで今度は占冠から浦幌まで高速にのって約6時間で帰宅できました。
ふ~、一安心!!
でも、そのときには天候の悪化までは考えていませんでした・・・。
(つづき)
なにせスイムが不安でしたので、だからと言って、特段まじめにスイムを吐きそうなくらいおよいだわけでもありません。
ただ、週に1回、土曜日に教室(40分)にいったくらいでした。まあ、定期的に泳ぎに慣れていたことはありますが、そんな「後悔なく練習しました!!」というほどでは決してありません。
そんな感じで大会主催の試泳会の日が近づいてきました。試泳会は7月22日(日)でした。前日の土曜日に一路旭川に向かいました。旭川には高速を通って(当日は浦幌から入ろうかと思ったんですが、交通事故で池田インターまで通行止めのため、池田インターから入りました。)、占冠までで約3時間の行程でした。
占冠からは国道を走り、富良野、美瑛、旭川に入りました。ルートインに宿泊し、翌日に備えました。
翌日は正午から試泳会でした。2時間半でした。初参加の人を中心に約20人くらい集まっていました。スタッフのカキザキさんに色々と聞きながら、試泳会に参加する人は名前を書いて、始まります。本番よりも小さめの三角形の形にロープが張られ、ゴムボートがもしものときのために水上に待機しています。
初めは足の着かないところで泳いだ経験がないので、当日知り合った楽走のモッチャンと岸辺に沿って泳ぎました。足はここら辺では着きますので、まあ、安心です。
他のみなさんは三々五々足の着かないところへ泳いでいきます。
私もここで行かないと今回来た意味がないとロープに沿って足を使わないようにキャッチアップクロールで静かに泳ぎはじめました。周りに人が密集しているわけではないので、安心して泳げました。途中、ちょっと疲れたので、ロープに掴まったらズブズブと沈みました。
本当にびっくりしました。
この話をしたら、モッチャンから試泳会のときはちゃんと張ってないので、ズブズブになるんですよね~とのことだった。まあ、本番は大丈夫だからこれも経験と思ってよかったと思いました。(実際、本番に掴まったらちょっとだけズブくらいにはなりましたが、やっぱりしっかり張ってました。)
そして、周りの泳ぎ方を観察していたら、進む方向にヘッドアップをして前を確認してから右か左で呼吸をしていました。これだと思いました。それでなくてもちゃんと前に進まない私です。
試しにヘッドアップしながら泳いでみたら足もそんなに沈まずに前を確認しながら泳げました。
これをひとかき一呼吸で、毎回ヘッドアップして泳ぎました。湖の透明度はほぼ10センチ程度で底が見えるわけでもなく、下を見ても底が見えないので恐怖感も湧かないでタンタンと泳げました。
途中、水温が微妙に変わります。ただ、びっくりしてパニックになって泳げなくなるほでではなく、「ああ、ここでちょっと冷たくなったなあ。」とか、「あれ、水温上がったんじゃない?」といった程度でした。これなら大丈夫と思いながら泳ぎ続けました。
そんな感じで2周回、1500メートルを泳ぎきり、試泳会の目的である足の着かないところで泳ぐことは達成できました。このとき、何とはなしに、密集地帯でのスイムバトルに巻き込まれさえけしなければ何とかなるだろうと思いました。
上がって気付いたことが一つありました。首がスーツと擦れてヒリヒリするんです。これはあとで知りましたが、ワセリンを塗らないといけません。しかもラン用のムース状のではなく、ワセリンです。
試泳会のときに知り合いになった帯広のヒロタさんは、けっこう大きいのを持っていて、首だけでなく、顔にも塗れば保温効果もあり、いいんだよと教えてくださいました。
ヒロタさんも初参加でしたが、私と違って結構緻密に準備するタイプのようで、本番はしっかり高順位でゴールしてました。
ヒロタさんとも話をして、本番ではがんばろうとお互いにエールを送りあいながら別れ、私は一路、疲れた体をおして釧路まで今度は占冠から浦幌まで高速にのって約6時間で帰宅できました。
ふ~、一安心!!
でも、そのときには天候の悪化までは考えていませんでした・・・。
(つづき)
第6回大雪山忠別湖トライアスロンinひがしかわ完走記(その1)
ようやくトライアスロンに参加できました。そして完走できました。とってもうれしいです。なんかひとつの節目を迎えたような気がします。
ところで、今まで走っていたのになんでトライアスロンなの?
と思われる方もいるかもしれません。
そもそも走り始めて、人間って、こんなただのおじさんが走ってどこまで行けるのかと思いつつ走っていました。厚岸60キロ、雨の中を弟子屈まで72キロと走り、そして平成17年にサロマ100キロを完走しました。
そして、次の目標は北海道マラソン!! 4時間以内に完走しないとならない時代でした。これは100キロよりもハードルが高く感じました。これに向けて本当に一生懸命練習しました。平成18年は20キロの関門でひっかかりリタイヤ。そして、道マラを時間内に完走できたのが翌年の平成19年でした。本当にうれしかったレースでした。最後の関門チェックのスタッフの方にこれが最後の関門チェックですよねと聞くほどでした。最後の関門からゴールの栄光の中島公園まではウキウキしながら笑顔満面に走って行った記憶があります。
その後、何を目標に頑張ろうと頭に浮かんだのがトライアスロンでした。たまたま新聞で見た記事がありました。それは、日本海オロロントライアスロンがその歴史を閉じて、その歴史を引き継ごうと検討されたのがこの忠別湖のトライアスロンでした。平成19年が忠別湖トライアスロンの第1回大会の年にあたります。
それから5年が経ちました。要は全く走れなかった自分が100キロ走れるようになり、道マラでサブ4を達成することができたという可能性への挑戦でした。頑張ればできるんだ、ということ。逆に言うと、頑張らないと、そして目標を持たないと前に進まないということでした。
以前、平成20年に北海道新聞に交通事故で足を失いながらもオリンピックに向かって泳ぎ続けた南アの義足のスイマーであるナタリー・デユトイトさんの紹介記事が載っていました。彼女は北京オリンピックの水泳オープンウォーター10キロに出場し25人中16位の成績でした。パラリンピックではありません。健常者とともに競い、泳ぎ終わると義足を付けて、笑顔でチーム関係者と抱き合ったそうです。
そして彼女はこう言ってます。
「悲劇はゴールにたどり着けないことではない。たどりつこうとするゴールを持たないことだ。」と。
平成19年からトライアスロンや自転車、スイムの本(私の推薦本「はい、泳げません」高橋秀実著・新潮社・1200円)を読んだりしました。
25メートルしか泳げなかったので鳥取温水プールの初心者教室に週1回の頻度で通い、たくさん水を飲んだおかげでトライアスロンのスイム距離である1500メートルを何とか泳げるようになりました。
平成20年には帯広アクアスロン(スイム800メートル+ラン6.5キロ)を完走しました。
そして、平成21年には自転車を購入しました。高かった~ 女房に感謝しています!!
その間、平成21年に足底筋膜炎になって、まったく走れなくなり、平成22年もだめでした。
そして昨年の平成23年には何とか北海道マラソンを4時間22分で完走し、これで復活宣言をしました。これも「あめ玉師匠」に揉んでもらいながらこぎつけた結果でした。このときも本当にうれしかった。道マラ完走後にすぐに「あめ玉師匠」に電話したのがこの前のようです。
この間、平成22年にはスイムスーツを購入し、物的環境は揃いました。
後は足のつかないところでのスイムが一番の課題でした。これは、安心なレスキュー体制の中でやらないと不安なので、今回の大会の前に開催される試泳会でトライしようと思い、レースに申込をしました。
着々と本番の日は近づいてきたのでした・・・。
(つづく)
ところで、今まで走っていたのになんでトライアスロンなの?
と思われる方もいるかもしれません。
そもそも走り始めて、人間って、こんなただのおじさんが走ってどこまで行けるのかと思いつつ走っていました。厚岸60キロ、雨の中を弟子屈まで72キロと走り、そして平成17年にサロマ100キロを完走しました。
そして、次の目標は北海道マラソン!! 4時間以内に完走しないとならない時代でした。これは100キロよりもハードルが高く感じました。これに向けて本当に一生懸命練習しました。平成18年は20キロの関門でひっかかりリタイヤ。そして、道マラを時間内に完走できたのが翌年の平成19年でした。本当にうれしかったレースでした。最後の関門チェックのスタッフの方にこれが最後の関門チェックですよねと聞くほどでした。最後の関門からゴールの栄光の中島公園まではウキウキしながら笑顔満面に走って行った記憶があります。
その後、何を目標に頑張ろうと頭に浮かんだのがトライアスロンでした。たまたま新聞で見た記事がありました。それは、日本海オロロントライアスロンがその歴史を閉じて、その歴史を引き継ごうと検討されたのがこの忠別湖のトライアスロンでした。平成19年が忠別湖トライアスロンの第1回大会の年にあたります。
それから5年が経ちました。要は全く走れなかった自分が100キロ走れるようになり、道マラでサブ4を達成することができたという可能性への挑戦でした。頑張ればできるんだ、ということ。逆に言うと、頑張らないと、そして目標を持たないと前に進まないということでした。
以前、平成20年に北海道新聞に交通事故で足を失いながらもオリンピックに向かって泳ぎ続けた南アの義足のスイマーであるナタリー・デユトイトさんの紹介記事が載っていました。彼女は北京オリンピックの水泳オープンウォーター10キロに出場し25人中16位の成績でした。パラリンピックではありません。健常者とともに競い、泳ぎ終わると義足を付けて、笑顔でチーム関係者と抱き合ったそうです。
そして彼女はこう言ってます。
「悲劇はゴールにたどり着けないことではない。たどりつこうとするゴールを持たないことだ。」と。
平成19年からトライアスロンや自転車、スイムの本(私の推薦本「はい、泳げません」高橋秀実著・新潮社・1200円)を読んだりしました。
25メートルしか泳げなかったので鳥取温水プールの初心者教室に週1回の頻度で通い、たくさん水を飲んだおかげでトライアスロンのスイム距離である1500メートルを何とか泳げるようになりました。
平成20年には帯広アクアスロン(スイム800メートル+ラン6.5キロ)を完走しました。
そして、平成21年には自転車を購入しました。高かった~ 女房に感謝しています!!
その間、平成21年に足底筋膜炎になって、まったく走れなくなり、平成22年もだめでした。
そして昨年の平成23年には何とか北海道マラソンを4時間22分で完走し、これで復活宣言をしました。これも「あめ玉師匠」に揉んでもらいながらこぎつけた結果でした。このときも本当にうれしかった。道マラ完走後にすぐに「あめ玉師匠」に電話したのがこの前のようです。
この間、平成22年にはスイムスーツを購入し、物的環境は揃いました。
後は足のつかないところでのスイムが一番の課題でした。これは、安心なレスキュー体制の中でやらないと不安なので、今回の大会の前に開催される試泳会でトライしようと思い、レースに申込をしました。
着々と本番の日は近づいてきたのでした・・・。
(つづく)
トラ試泳会
ただいま忠別湖です。これから泳ぎます。どうなることやら~
追記
今回の試泳会は、初トラ参加のため、必須と思い前日に仕事を終えて、一路旭川に当日土曜日の午後3時過ぎに釧路空港から浦幌・池田間が交通事故のため通行止めとなり、池田から高速道路に入り占冠まで乗って、その後富良野経由で旭川のルートイン旭川駅前に午後8時半に5時間かけて到着しました。
翌日正午から試泳会が始まるので、1時間前に到着、担当のカキザキさんとちょっと話し、気温も25度くらいになっていました。
楽走の磯ピーさんも来て、久しぶりの再会です。その友人の若い女性のモッチャンとも話ができて、彼女からいろいろと教えてもらいました。
正午にレスキュー用のゴムボートも湖面に出動し、ロープも張られ、準備完了。ボチボチと集まった20名くらいのみなさんと泳ぎはじまめした。
はじめは岸に平行し、足が届くところで泳ぎ始めました。モッチャンと足が着かないところの泳ぎ方は恐いよね~と話しながらしばし、平行して泳いでいたら、周りのみなさんが足が付かないロープに沿って泳ぎ始めました。でも水に顔をつけたら水が濁っていて全く見えません。
それで周りの人をみていたら、息を吸うタイミングで顔を前に出して方向を確認しています。これをプールでやると足が沈みますが、今回はスーツを着ているので沈みません。その後、逆にいつものように顔を水の底に向けると足が宙に浮いているように感じるくらいです。
その後、ロープは今回は試泳会なので、ピンと張ってないけど、本番はしっかり張っているので、ロープにつかまって休めるということもモッチャンから聞きました。
それで何回もロープの周りを泳ぎ、2時間近く泳ぎました。泳いだあとに首の後ろがスーツに擦れて痛くなっていました。本番当日はワセリンを塗らないとダメダナーと思いました。
でも足のつかないところで十分泳げたので、とっても自信というか安心しました。
当日の試泳会で再度チェックして本番に臨みたいと思います。
そうそう、モッチャンからもう一つ。泳ぎ始めは最後尾からゆっくりとということでした。
8月5日。頑張ります!!






