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今回は、世界一しあわせなママと子どものパン作り、

親子パン教室「Peek a boo!福岡博多教室」をされている

古賀麻美さんにお話を伺いました。
 

こちらのパン教室、普通のパン教室とは一味違います。
童話や絵本の中に登場するキャラクターのパンを作るコースが大人気です。

Q1.親子パン教室をはじめられたキッカケを教えてください。

結婚、出産後、子どもが生後1ヵ月のとき、主人の転勤で福岡から神戸へ

家族で引越ししました。その後、子どもに卵アレルギーが発覚。卵不使用の

パンを教えてくれるお教室がないか調べたところ、「Peek a boo!」本部と

出会いました。初めて住む神戸には親戚もお友達もいなかったので、

レッスン後にママ達と子育ての悩みを話せる場がすごくありがたかったんです。

福岡に戻ったときに、福岡でもママ達に笑顔が増えるこんな場を提供したいと

「Peek a boo!養成講座」へ通い、福岡への転勤に伴い、「Peek a boo!福岡博多

教室」をオープンしました。

 



Q2.小さいときになりたかったことは?得意なことは何でしたか?
テレビの影響でスチュワーデスになりたかったです。
文章を書いたり、絵をかいたりすることが好きで、友達と漫画を描いて
交換したりしていました。
どちらかというと作ったりすることは苦手で、パンを作り始めたのは

子どもが生まれてからなんです。

 



Q3.親子パン教室をするにあたり、どのような経験、スキルが求められますか?
パン作りのスキル重視というより、ママと子どもたち限定の教室なのでみんなが

楽しめる環境、空間作りに務めています。
例えばカエルパンを作る日に子どもが違うものを作ってしまっても全然OKです。

ガチガチにならず、それをさせてあげる勇気、見守る勇気を持つこと。
つい自分のお家だとさせてあげられないことも、ここでだったら粉が飛び散っても

大丈夫!自由にさせてあげていいんです。親は信じて子どもを見守ることが大事だと

思います。みんなが笑顔になれる、そんな出会いの場になったらいいなと思っています。

 



古賀さんはてっきり子どもの頃からお料理やおやつ作りが得意だったのかと

思っていたら、パン作りを始めたのがお子さんが生まれてからなんて意外でした。
後編ではこのお仕事をしていて嬉しかったことや子どもたちへのメッセージなどをお伺いします。

 

<インタビュアー 串宮 由紀子(マネーサロンなないろ)>

 

【古賀麻美さんプロフィール】
結婚出産後、息子の卵アレルギーが発覚し手作りパンに興味を持つ。
自分自身の子育ての悩みの経験から、親子の笑顔を増やす場所を提供したいとの想いから
2013年11月親子パン教室「Peek a boo!福岡博多教室」を開講
2014年KBCテレビ「サワダデース」「よくばりミルキィ」出演
2017年リトルママ2月号掲載
親子写真と共に未来に残る思い出を提供中。
http://ameblo.jp/peek-a-boo-koga/
http://peek-a-boo-bread.com/(福岡には薬院教室もあり)

 

 

引き続き神戸大学大学院名誉教授であり関西外国語大学教授である滝川好夫教授にお話を伺います。

後編は現在の職業について・子どもたちに親ができる事をお聞きします。

 

 

Q1. 教授という職業を人に説明するとしたらどのように説明しますか?

 

小学校・中学校・高校は学習といいますが、大学は学修といいます。学習では教えてもらうばかりですが、学修は「学ぶ」と「考える」の両立をはかるものです。

大学教員はまさに学者であり、第一義的には学ぶ者なのです。教えていても、「教えることは学ぶことである」を意識しているのです。

 

→「教える事は学ぶことである」子育ても同じかもしれませんね。

 
   

 

 

 

 

 

Q2. なぜ今の職業に就こうと思ったのですか?他の職業の選択はありませんでしたか?

 

転機がいくつもありましたが、大学院で先輩方に交じって輪番制で発表する時間がありました。恥をかきたくないという一心で、ひたすら勉強しました。将来のことなど考える余裕はまったくありませんでした。そうすると、大学院は博士前期(修士)2年、博士後期(博士)3年の計5年ですが、博士後期1年に進学してからすぐさま助手(つまり、指導教員の後継者)採用の話がありました。大学院入学前は経済官庁やシンクタンクへの就職が現実的かと思っていましたが、今の職業は自らの意志よりは「天の声」でした。まさに天職と思います。高校、大学と夢をいだきながら、また実力と夢のギャップを認識しながら、生活していましたが、あるときから、目先の事だけしか考えないくらいに一生懸命に勉強していたら、職業が天から降ってきました。職業をつかみとったという実感はまったくありません。

 

→目の前にあることをひたすら必死に行う。そうすると見えるものがある。私の子どもにも強く伝えたいです…。教授のお仕事はまさに「天職」ですね。

 

 

 

Q3.最後にズバリ!教授のように賢い人を育てるにはどうしたら良いですか?

 

 私の体験からすると、やはり、学校教育よりは家庭教育が重要と思われます。といっても、学歴のある親が、手取り足取り、勉強の面倒を見ることではありません。私は親から勉強を一度たりとも教えてもらったことはありません。むしろ、親に聞いても分からないから、自ら勉強したのです。ただし、現在の職業にたどりついた遠因は、日曜日の午前9時のNHKの「日曜討論」を見聞きしながら、朝食を食べ、食べながら、日曜討論を話題に話をしていたことです。これが決定的だと思います。

 

→手取り足取り教えるのではなく、環境を整えてあげることが大事ですね。普段の生活環境、大切ですね。ありがとうございました。

 

 

〖滝川好夫教授プロフィール〗

日本の経済学者。神戸大学名誉教授。神戸大学大学院経済学研究科教授を経てH28より関西外国語大学・英語キャリア学部教授(H29.5月現在)。

45冊の単著と7冊の共著でたくさんの本を出版している。

CRKラジオ関西558kHz月曜~木曜6:00~10:00放送「三上公也の情報アサイチ!」の水曜日コメンテーター。

http://jocr.jp/asa/

 

 

インタビューアー:西岡奈美(FPナンシー)

https://maneiku.amebaownd.com/

 

今回は「金融・経済」というかなりお固い学問を消費者の目線・生活者の視点から解説して下さる日本の経済学者、滝川好夫教授にご登場いただきました。

前篇では滝川教授の子どものころについてお伺いします。

 

Q1小さい頃はどんなお子さんでしたか?やっぱり勉強ばかりしていましたか??いわゆるエリートでしょうか?

 

 山手と下町ということであれば、下町に育ちました。小学校のときは、近所の同年代10人くらいと、武庫川の河原で頻繁に野球をし、泳ぎながら魚を採ったり、釣ったりしました。当時はみなさん家の外で、暗くなるまで遊んでいました。路上でも遊びました。決まった時間に勉強することもなかったし、親から教えてもらったこともまったくありませんでした。塾へ行くこともなく、当時分からないことがあれば、先生に教室内あるいは職員室で質問してました。塾に行ったのは、小学校6年生のほんの2.3カ月だけです。小学校6年生の冬休みに漬物屋ではじめて販売のアルバイトをし、仕事のおもしろさと貯金の楽しさ(自立心への自信)を知り、中学校のときはクラブに入らず、3年間、その漬物屋で、確か夕方2時間ほどアルバイトをしていました。小学生・中学生のときは、勉強第1ではありませんでしたが、「自立心」が育ちました。

 

→勉強だけをガッツリしている(させられている?)エリートというわけではなく、遊びからたくさん学んだと言った感じですね。ただ分からないことがあれば自ら質問して解決する。その姿勢がかなり大切なことをお話から感じます。「自立心」が社会人として大成するには大事ですね。

 

 
   

 

 

Q2.子どものころ興味があったことはなんですか?

 

 小学校のときは、理科の実験に関心をもち、小遣いで、実験薬・実験器具を買い、自宅で、「研究室」まがいのスペースを作り、実験をしました。このときは理系でした。

 進学校でもない、当時、9クラスのなか3クラスが就職コースの兵庫県立の高校へ進学しました。高校ではラグビー部に入りました。小学生・中学生のときとは違い、高校では、学業成績がはっきりと順位で出てくるようになり、1年生の1学期の成績は1番でした。成績がはっきりと分かり、クラブ活動を行うようになると、「時間」を意識しだすようになり、いかに効率的に、計画的に、生活すればよいのか、勉強をすればよいのかを工夫するようになり、相当充実した高校生活でした。

 「one for all, all for one」(1人が15人のために、15人が1人のために)というラグビー精神は私の生涯の精神にもなり、高校のときのラグビーは私の人格を大いに決めたものであり、大きかったと思います。ラグビーを私はしばしば「楽苦美」と当て字しますが、人生を「楽しく、苦しんで、そして美しく」というのが生活指針です。

 

→1番…。やはり普通の人とはやっぱり地頭が違う…様な気もするのですが、特に進学校に進まなくても、スポーツに打ち込んでいても後に神戸大学に進学できるのですね。「時間」を工夫して有効に使う。自らをプランニングすることが重要なのですね。

 

後半へ続く

 

〖滝川好夫教授プロフィール〗

 

 

日本の経済学者。神戸大学名誉教授。神戸大学大学院経済学研究科教授を経てH28より関西外国語大学・英語キャリア学部教授(H29.5月現在)。

45冊の単著と7冊の共著でたくさんの本を出版している。

CRKラジオ関西558kHz月曜~木曜6:00~10:00放送「三上公也の情報アサイチ!」の水曜日コメンテーター。

 

http://jocr.jp/asa/

 

 

インタビューアー:西岡奈美(FPナンシー)

https://maneiku.amebaownd.com/

 

前編に引き続き、つくば市議会議員のヘイズ・ジョンさんのお仕事について伺いました。

 

Q: 昨年11月に行われたつくば市議会議員選挙ではトップ当選を
果たしています。多くの票を得た要因は何だと思われますか?

 

実は私は選挙運動らしいことはほとんどしていないのです。

お金もかけていません。
朝の通勤通学の時間帯に、国の研究機関や学校、保育園など、
人が沢山通るところで、自転車にのぼり立てて
つくば市をこんなふうにしていきたい と演説してきました。

皆さん、何か変化を求めていて「なんかやってくれそうだ」と
期待してくれた人の票を集められたのではないでしょうか。

 

Q:つくば市をどんな街にしたいですか?

 

私が飲食店をやっていた頃、15年ぐらい前のつくばはもっと活気があった気がします。

若い人がもっとにぎやかに遊んでいて楽しい街でした。

その後、飲酒運転の法律が厳しくなって、お店の経営が苦しくなってきた頃、東京に行ったら私のお店のお客さんとばったり会いました。

つくばはつまらないから東京で遊んでるというのです。

それを聞いて悲しかった。

 

車でどこでも動く街だからお酒が飲めないと言う人もいるけれど、

例えば飲酒運転を防ぐために代行運転という仕事があるように、人と人が出会って楽しむために、お酒だけではない「仕組み」や「キャンペーン」などの策を打ち出せば、新しい活気も生まれてくるはずだと考えています。

今の筑波大生は、ほーんとに真面目で遊ばないみたいなんです。でもその筑波大生達が、卒業したあとに「つくばは面白かったし好きだから、結婚したらまたつくばに住みたいなぁ」と思ってもらえる街にしたいです。

 

Q:政治家を目指す子どもたちに、どんな人が向いているか、やっておくといいことなど、

アドバイスはありますか?

 

政治家は沢山の人の話を聞きます。問題を沢山投げかけられます。そこで自分が大切に思っていること、考えていることに確信がないと、様々な意見にその都度流されていってしまいます。自分の意見をしっかりと持ち、自信があることが大事です。反対意見などの厳しい言葉も沢山聞かなくてはいけませんから、そのストレスに耐える強さも必要かもしれません。

 

 

 

ヘイズ・ジョンさん、いろいろなお話を伺えて楽しかったです。

お忙しい中ありがとうございました。

 

私は今回のインタビューをきっかけに、初めて市議会の傍聴をしました。

「議会だより」を読むだけと、実際に議場に足を運び審議を聞くのとでは

議題への理解の深さが大違いでした。

更に結論に至るまでに質問と回答のやりとりがこんなに重ねられていたことも知りませんでした。市民に密接に関わる市制に対してもっと関心を向けてもいいのではないかと感じました。

 

 

【ヘイズ・ジョンさんプロフィール】

カナダ出身 1963年2月17日生まれ 

1991年 リジャイナ大学,サスカチュワン州 音楽教育学学士取得

平成3年10月 来日

平成4~10年 個人プライベート英語教師

平成10年 イマジネリク有限会社設立

平成19年  日本国籍取得

平成20年  つくば市議会選挙で初当選

平成24年  同 市議会選で二期目当選

平成28年  同 市議会選で三期目当選




[Facebook] https://www.facebook.com/jon.heese.5

[イマジネリク有限会社] http://imagineric.net/ 

 

 

<インタビュアー> 小峯洋子

[Facebook] https://www.facebook.com/yohko.comine.9

[URL] http://www.happymoneyplanning.com/

政治家と聞くとちょっと硬いイメージがつきまうかもしれませんが、それを覆すひとなつっこい笑顔いっぱいの市議会議員さんをご紹介します。

「愛してる つくば」をスローガンに、つくば市議会議員を務めていらっしゃる

「ヘイズ・ジョン」さんです。

 

Q:小さな頃はどんなお子さんでしたか?

 

私の故郷は、カナダのとってもとっても小さな村で、父は牧師です。11人兄弟で、そのうち5人は養子縁組です。問題を抱えた家庭の子どもを引き取っていたのです。私は実の兄弟の中では4番目、養子の兄弟も含めると6番目になります。

小さな頃、いつも母が大変そうだな~と感じていました。子どもが多いことなどで起きるストレスも相当なものだったでしょうし、お金の苦労もありました。私自身も学費は自分で稼いで大学に行きました。

 

Q:今の職業を選ぶ際に、両親の影響やアドバイスはありましたか?

 

両親の影響は大きいです。父は村の中のリーダー的な存在でした。
私が15歳の頃、村にアイスホッケーアリーナを建設する話が持ち上がりました。

その費用の補助金を申請したり、村の予算をそれに充てたりするにはいくつかの要件がありました。人々が要望し、話し合いをし、住民投票などを経て形になるという手順を父がまとめあげて実際にアイスホッケーアリーナが出来上がるまでを間近で見ることが出来ました。そのとき 政治家になろう!と思ったわけではないのですが、イメージが焼きついたのは確かです。

 

Q:日本に来たきっかけと、それにまつわる思い出などはありますか?

 

カナダで大学を卒業する頃、日本では英語ブームが起きていました。英語に関する仕事が沢山ありました。それが来日したきっかけです。ただ、それは長くは続きませんでした。同じように英語教師を目指して来日した仲間も多く、私も彼らも別の道を探すようになりました。私は翻訳やコンピューターの分野で研究者を支援する仕事や、飲食店などもやりました。どれも大変だったけれど面白かったです。

 

【ヘイズ・ジョンさんプロフィール】

カナダ出身 1963年2月17日生まれ 

1991年 リジャイナ大学,サスカチュワン州 音楽教育学学士取得

平成3年10月 来日

平成4~10年 個人プライベート英語教師

平成10年 イマジネリク有限会社設立

平成19年  日本国籍取得

平成20年  つくば市議会選挙で初当選

平成24年  同 市議会選で二期目当選

平成28年  同 市議会選で三期目当選

 

[Facebook] https://www.facebook.com/jon.heese.5

[イマジネリク有限会社] http://imagineric.net/ 

 

<インタビュアー> 小峯洋子

[Facebook] https://www.facebook.com/yohko.comine.9

[URL] http://www.happymoneyplanning.com/