「岸田さんのアメリカでの演説でスタートレックのオープニングの言葉を引用した」との報道がありました。その報道では,スタートレック(オリジナル)の画像をバックに出していました。しかし,この言葉はスタートレック・ネクストジェネレーションのものでした。両者のオープニングの言葉は似ていますが少し異なっています。オリジナルでは5年間の探検だったのが,ネクストのほうでは,期間が消されました。長い放映の障害になると考えたのでしょう。注目に値するのは,標題の言葉です。オリジナルでは,“No man has gone before”になっていました。オリジナルの頃は女性が軽視されていて,No manで良かったのです。同じころの“奥様は魔女”でも,「女性は家にいて家を守るもの」と,サマンサ本人も時々言っていたくらいです。ネクストジェネレーションが放映される頃はそれではまずいとなって,No manをNo oneに置き換えたのだと思います。岸田さんがオリジナルの方を引用していたら,もしかしたら揚げ足をとられたかも知れません。

 この演目は何となく聞いたことがありました。先ずは住吉神社の前の場面から始まりました。床屋があり,以前に観たような場面だと感じました。喧嘩で捕まった団七九郎兵衛が放免されるとのことで老侠客,釣船三婦と団七の妻子が迎えに来ています。本来なら死罪なのに,備中玉島兵太夫の尽力で放免されたのです。その場面で兵太夫の息子,磯之丞の恋人,遊女琴浦が横恋慕の佐賀右衛門にちょっかいを出されますが,三婦に助けられます。次の場では,三婦に匿われていた琴浦が,団七の舅に騙されて,佐賀右衛門のところへと連れだされます。その直後団七が帰って来て,拐かかされたと知って追いかけていきます。最後の場は井戸と沼のある場所です。舅は悪い男で,結局団七が殺すことになってしまいます。殺しの場面の塀の裏には祭りの竿灯が通ります。祭の華やかさを背に殺しの凄惨な場面が展開されるのは歌舞伎の手法のようです。しかし,映画などにもよく使われる手法だと思います。沼に はまる場面や,本当の水を使う手法で思い出しました。昔鑑賞した演目そのものでした。

 しかし一度見たとは言え,いろいろな人たちが登場し,その相関は理解しにくいものでした。ネットで調べたらこの演目は人形浄瑠璃で演じられていて,その相関図が載っていました。それによりやっと少しだけ理解できました。上の記述はひょっとしたら一部誤りがあるかもしれません。

 舞踏ものです。宝船に乗ってやってきた七福神が舞台の上で踊り,長唄やお囃子が盛り立てました。床は足踏みの音が効果的にでるよう,板が敷かれていました。まるで人間と同じで,紅一点の弁天様の気を引きあいます。踊りと曲を楽しむことができました。

 今回知ったのは,「寶」は「田から」から来ているということです。昔は米が何よりの財産でした。米は田圃からとれるという意味で「田から」としたとのことです。神は米が好きなので,米からできる酒も好きなのだそうです。

 以前に桟敷席で歌舞伎を鑑賞した時,弁当を注文しました。その時,昼の部の一幕目が終わる直前に弁当が届けられました。つまり,一幕目と二幕目の間の休憩時間に弁当を食べることになっていたのです。今回幕見席で同じように弁当を食べるためには,二幕目に入場して(幕見席では,通しで観る場合も幕ごとに退席して入場しなおさなければなりません),幕が開くまでの間に弁当を食べるのが良いということになります。幕見席では弁当は届けてもらえません。地下の弁当屋で買ってきました。歌舞伎座特製の弁当です。前回食べてすごくおいしかったのを記憶しています。他の弁当に比べてかなり高いですが,それだけの味はします。幕見席では,前の幕が下りてから,観客全員が出るのを待ち,席の整備をしてから次の観客を入れます。そのためなかなか入れてもらえませんでした。10分ちょっとで食べてしまう必要がありました。幕見席の一列目の前にはC席との間の仕切りがあります。しかし,その上に物を載せないよう注意書きがあります。また丸棒の手すりが付いているので,弁当やペットボトルは物理的に載せられません。膝の上に鞄を置き,その上に弁当を置いて食べました。ただ,ペットボトルがうまく置けません。次までにペットボトルをうまく置く方法を考えておきたいと思います。

 しばらく歌舞伎座に行けないでいましたが,再始動する環境がそろいました。3日に歌舞伎座昼の部を観てきました。1幕目は午前11時からなのでのんびりしていると間に合いません。そこで2幕目,3幕目を幕見で観ることにしました。着いたときはすでに1幕目が始まっていたので,通常の席は夜の部の開場時刻の案内になっていました。幕見席は写真の奥の方の入り口からエレベーターで4階まで行きます。感じたのは外国人が大変に多いということです。

 4階で予約のQRコードを読み取り機にかざします。そして,前の幕が終わり客が全員出るまで,列を作って待たされます。出てきた外国人が係員に英語で,「叫んでいた男がいたけれど…」と訊いていました。係員は「???」の状態だったので,「大向こうの掛け声のことではないか」と言ったのですがはっきりとしませんでした。その後,外国人は翻訳ソフトで「大声を出すのは悪いこと」と日本語で発声させていました。係員は翻訳ソフトの翻訳結果の画面を見せたら外国人は返って行きました。画面は見えなかったので何と答えたかはわかりません。

 若旦那が茶屋で出会ったお嬢さんに一目ぼれして恋患いにかかってしまう。お嬢さんの手掛かりは,お嬢さんから渡された,短冊に書かれた崇徳院のうた。若旦那の友達がそのうたを手掛かりにお嬢さんを探して回る。一方,お嬢さんの方も恋患いにかかって店のものが探し回っていた。探している2人が床屋でたまたま会い,自分の方に連れて行こうと争いになり,鏡を割ってしまう。互いに,見つけたお礼がかかっているからだ。オチは,崇徳院のうたをもじって,床屋の主人に「割れても末に買わんとぞ思う」と言い訳をする。

 崇徳院は,他に笑福亭仁鶴,二代目三遊亭百生など3人の噺を聴いていますが,それらではお嬢さんが短冊に崇徳院のうたを書いて,若旦那に渡します。扇游さんのは,桜に結んであった短冊がたまたま風で落ちてきたのをお嬢さんが拾い,若旦那に渡します。こちらが自然だと思います。恋患いになるほどのお嬢さんが,そんなに積極的に,「末には一緒になれる」などといううたを書いて渡すでしょうか。たまたま風で飛ばされた短冊のうたを見て,自分の心持を表していると思い,そっと置いていったのが自然だと思いました。

 東京藝術大学大学美術館にて“大吉原展”をやっているのを朝のテレビで知ったので早速行ってみました。落語では「廓もの」というジャンルがあるくらいいろいろな噺があります。この展示を見れば,「噺を聴いていて,よりイメージが湧くだろう」という思いがありました。館内は遊郭の模型が展示されているところ以外は撮影禁止でした。この模型からお店の様子がよくわかります。噺を聴いて想像していたのとだいたい同じでした。噺を聴いて想像していたのとほとんど同じと言うことは,噺家さんの伝え方が素晴らしいということに他なりません。

 他にも,吉原全体をCGで見て回るビデオも良くできていました。この遊郭は田圃の中にかなり広く囲まれた中に整然と建物が並んでいたようです。落語「唐茄子屋」で勘当され乞食のようになったところを叔父に助けられかぼちゃを売って歩く途中で,田圃の向こうに吉原の灯りが見え,懐かしがっている場面があります。今回,田圃の中にあるという様子がわかりました。また,音曲師の柳家小菊さんが,船から降りて「浅草演芸ホール(吉原)へご案内―」と語る場面がありますが,船は金持ちの旦那のアクセス手段であったということを示す浮世絵も飾られていました。

 NHK大河ドラマ「光る君へ」で庚申待ちの話題がでました。ドラマ最後の紀行で解説をしていました。私は落語でこれを知っていました。「宿屋の仇討」で出てきて,噺家さんが解説もしてくれました。この噺は「庚申待ち」という別名もあるようです。暦には子丑寅兎…の十二支の他,甲乙丙丁…の十干(じっかん)があり,これを組み合わせた庚(かのえ)で甲(さる)の日は,寝てはならないとされていたそうです。頭,腹,足にいる三尸(さんし)の虫がこの日寝てしまうと,閻魔大王に日ごろの悪い行いを報告してしまうからだそうです。落語ではその日,宿に侍と,仲の良い3人組が泊る。侍は眠たいのに,3人組が騒いで眠れない。何度か注意をするが,3人組はうっかり侍の妻を殺して金を盗った話(どこかで聞いた話を自分におきかえて)をして盛り上がる。業を煮やした侍は,その夫だとして,「明日仇討ちをする。この者たちを逃がしたら宿屋の者たちの首もはねる」と申しつける。3人組と宿の者は眠れぬ夜を過ごす。朝になって侍は「あれはうそだ。ああも言わなければ眠れなかったからな」と言うのがオチ。この噺では,“庚申待ち”の言葉は冒頭にでただけでした。3人組と宿の人たちが眠れない夜をすごしたことと,庚申待ちの日とが関連しているのでしょう。

 強い尊富士なのですが,背中に絆創膏が大きく貼られています。まるで#の形です。ネットで見ると“ハッシュタグ・尊富士”という言葉も出てきました。試合中の解説でわかったのですが,場所前に肉離れを起こしてしまったそうです。それにも拘わらずこの強さです。体格と言い,千代の富士を彷彿とさせられます。強い横綱になることを期待します。

 この記事を書いた後,14日目に朝乃山戦で足首を痛めてしまいました。場所前にも肉離れを起こしたこともあり,体の故障が心配です。復帰してくれることを祈ります。

 私が大学の時に配属された研究室の教授は大の琴桜ファンで,断髪式のときに,髪を切る役もしたと聞いています。琴の若はそのお孫さんです。歌舞伎には強い世襲制がありますし,落語界や芸能界でも“親の七光り”がかなりあるように思えます。今場所の前半にはトップクラスの成績を上げていた琴の若は近い将来の日本人横綱と期待をかけて応援していました。相撲界には親の七光りはないと信じています。昔は相手が多少の手加減をしたことがあったかもしれません。しかし,今は実力の世界と見ています。琴の若が強いのはおじいさんのDNAを受け継いでいるからだと思います。これは,この人の実力ですから,文句を言ういわれはありません。

 ところが,この記事を書こうと思って以降,2敗してトータル3敗になってしまいました。それでも今後の活躍を期待しています。日本人横綱を期待している私としては,尊富士も大の里も応援します。