来月の歌舞伎座のチケットをすでに購入してあります。第一部1幕目は「鯉つかみ」という演目です。どんな演目かと思い,歌舞伎座のHPの「みどころ」を見てみました。以下のように描かれていました。

  「釣家の息女小桜姫は、清水寺で出会った滝窓志賀之助に

  一目惚れし、家老篠村の妻呉竹の計らいで密会を果たします。

  しかし、篠村が釣家に受け継がれる重宝龍神丸の刀を抜くと、

  その威徳によって姫と一緒にいた志賀之助の正体が、

  実は釣家の滅亡を謀る鯉の精の化身であることが発覚。」

 これをAIに“この場面を漫画的線画(カラー)吹き出しなしで描いてください”と命令してみました。掲載してあるのは描かれたイラストです。AIは賢くないのでしばしば矛盾した絵を描きます。中央付近にいるのが,小桜姫と志賀之助だと思いますが,右側の鯉の妖怪も志賀之助に化けた後,龍神丸の威徳により正体を現した状態です。本来なら志賀之助の位置にこの妖怪がいるはずです。

 この後,本物の志賀之助が妖怪を退治する場面になるらしいです。そこでは本水を用いた演技になるらしいです。本水は,本当の水を用いた演技です。前に鑑賞した牡丹灯籠 栗橋宿の場面では,舞台に本物の水を用いて大量の雨を降らせました。その量は半端でなく迫力がありました。今度の歌舞伎ではどのような本水か,鑑賞が楽しみです。

 来月,歌舞伎座に義経千本桜を観に行く予定です。そこでこれをパロディーにした落語「猫忠」を思い出しました。初めてこの演目を知った時,「猫定」という演目と区別がつきませんでした。前者は「ねこただ」と読み,後者は「ねこさだ」と読むので1字違いです。また忠義のある猫という意味で「ねこちゅう」なのかとも思いました。「猫定」では,猫が飼い主の仇を討ちます。そういう意味で「ちゅう」とも思ったのです。

 歌舞伎では,鼓の材料にされたキツネの子が親を慕って,佐藤忠信に化けて鼓の持ち主の静御前に近づきます。落語の猫忠の名は忠信の忠をとったもので,忠義の忠ではないようです。落語では,下心のある治郎吉が清元の美人お師匠さんのところを覗くと兄貴分の常吉がお師匠さんとべたべたしていました(AIには刺身を食べさせていますが,落語ではもうちょっと強烈でした)。やきもちを焼いた治郎吉は常吉の奥さんに告げ口をしますが,奥さんのところにも常吉がいたのです。変だと思って治郎吉は常吉とお師匠さんのところを見に行きます。すると,常吉そっくりの男がお師匠さんと仲良くしていたのです。最後に分かったのは,常吉そっくりの男は猫が常吉に化けたものだったのです。猫の親は皮を剥がされ三味線にされていたのです。その猫の子は親恋しさに,お師匠さんと仲の良い常吉に化けて三味線のそばに来ていたのでした。常吉が「こんな場所は猫には似合わない」というと,「にゃー(似合う)」と答えるのがサゲです。

 歌舞伎の方もすでに一度鑑賞しています。猫とキツネの違いがあり,清元のお師匠さんと静御前,三味線と鼓という違いもありますが,ストーリーは異なると思います。もう一度この違いも頭に描きながら歌舞伎を鑑賞したいと思います。

 西側桟敷席を経験すると,できるだけそこで観たいという気になってしまいます。10月分については,一般客予約開始日の9月14日に予約することにしました。これなら結構余裕をもって席を選べると思いました。ところが希望の曜日について調べていきましたが,西側桟敷席に空きはありませんでした。最後に千秋楽に3席の空きが見つかりました。その3日後に調べてみると空き席が結構見つかるようになりました。また,これまでも「明日行ける」と翌日の予約を試みると席をとることができたことが何度もあります。これらのことから確信をもったことがあります。発売側が客がいなくても最初はブロックしていて,関係者やお得意さんの希望がないことが分かった時点で開放するということを行っているということです。

 つまり,待てば取れる可能性が結構あるということです。私は,希望日前日までに取れなかった場合,幕見席をとります。幕見席は前日の正午からwebで売り出されます。そのため,西側桟敷席は希望の前日までチェックを続け,だめなら幕見席を予約します。幕見席の難点はちょっと遠くなることと,天井のあるセットの奥の方の演技が見えにくいことです。その他は全体が見渡せるので悪くはありません。

  人生得意須尽歓

  莫使金樽空対月

  天生我材必有用

  千金散尽還復来

 近所の中華料理火鍋屋さんの外壁に絵とともに描かれていた漢詩です。中国人のオーナーが持論を漢詩にしたものかと思っていました。しかし調べてみると李白の詩でした。酔っぱらって仲間とともに,「金のことも気にせず飲み明かそう」とアドリブで詠った詩の一部です。後半では詩の文字数の規則(7文字または5文字)も無視して,友の名前も叫んでいます。この酔っぱらいの詩が後世までもてはやされたのは,落語「浜野矩随」に通じるものがあると感じます。この落語では,浜野矩随は馬を彫れば3本足だったりしょうもない彫り師でしたが母の,死をも覚悟した愛情により名人ともいえる彫り師になったという話です。世間では,そうなった後にはしょうもない3本足の馬もありがたがって高価で買おうとします。李白は有名な詩人として世間に知れ渡っていたので,こんな適当に酒に酔って詠った詩ももてはやされたのではないかと思っているのです。

  錦綉山河

  西塞山前白鷺飛

  桃花流水鱖魚肥

  青箬笠 綠蓑衣

  斜風細雨不須歸

 これは,乗換駅でたまたま入った台湾料理店の壁に飾られていた詞です。前回書いた詩とは異なり,7文字構成にはなっていません。唐代中期の歌の歌詞として作られました。[絹織物のような美しい景色。西塞山の前に白鷺が飛び,桃の花の下の川の流れにはよく肥えた桂魚が泳いでいる。竹で編んだ青い笠,緑の草を編んだ蓑を着て釣りをしている。霧雨が斜めに吹き込んでいて心地よい。こんな心地よい気分なので帰らずずっとここで釣りをしていたい。]というような意味です。白鷺の白,桃のピンク,笠の青,蓑の緑の色をうまく織り込んでいます。

 作者はこの後,大親友の顔真卿(がんしんけい)が、文化人仲間をたくさん集めて盛大な宴会をしているところに加わります。そこで即興で替え歌としてこの詞を披露します。これが大好評で,時の皇帝の耳にも達しました。そして,素晴らしい詞との評価を得て世に広がったとのことです。落語「はてなの茶碗」を連想させます。芸術品の評価の在り方を提起させられます。

 この詞は台湾人を含む中国では誰でも知っている詞だそうです。義務教育で暗唱させられるそうです。Youtubeでこの歌のコーラスを聴くと,韻を踏んでいることもわかります。今度この店に入った時,台湾出身の店員にこの詞について訊いてみたいと思います。

  春残何事苦思郷

  病裏梳頭恨髪長

  梁燕語多終日在

  薔薇風細一簾香

 軽井沢プリンスショッピングプラザの中国料理店 月季花(ユェジーホァ)の壁にバラの絵とともに書かれていた漢詩です。「春の終わりにどうしてこんなに強く故郷のことが恋しくなるのだろう。病気がちの身で髪をとかしてもなかなかまとまらないので長い髪を恨めしく思ってしまう。梁の燕が一日中おしゃべりをしている。薔薇の香りが簾を抜けて優しく香りを運んでくる」というような内容です。

 料理店の壁に「苦」とか「病」とかあるのに違和感がありました。この詩の作者 李清照は女性です。病気がちで心も参っていますが,燕のさえずりや,優しい風に乗ってやってくる薔薇の香りに心が癒されています。舞台は南宋時代です。清照は北宋時代に幸せな日々を過ごしました。燕の鳴き声や薔薇の香りはその頃を思い出させるのでしょう。このレストランの名前は,1年の四季に亘って咲くこの薔薇の名前です。この心地よい風情を詠んだこの詩がレストランにぴったりとマッチしているのでしょう。ただ,この心地よい風情が余計に望郷の念を抱かせているとも解釈できます。わざわざ最初の2行でつらい状況を詠んでいるのはそう言いう意味だと思います。

 木曽義仲の家臣である樋口次郎兼光は,船頭松右衛門として船頭の家の婿を装い,仇側に逆櫓のテクニックを教えることで潜伏していました。しかし,敵方に正体がばれ,舟で教えている最中に教えている兵に襲われました。この場面にはちょっとした工夫がありました。戦いが遠くで行われていることを示すため,舟を小さくして,乗っている人を小柄な子供にやらせたのです。これは歌舞伎の工夫です。しかし,声も子供のものなので,まるで学芸会を観ているようでした。せめて声は幕の後ろから本来の役者が出せば良いと思いました。歌舞伎は江戸時代に工夫を重ねて改良されてきました。しかし,明治時代になってその進化を止めてしまったのです。それは国策が関係しています。外国と交流するようになったとき,「日本にはこんな歴史の長い芸能がある」として,歌舞伎を保護したのです。歌舞伎側としては,“伝統”が認められたということで,頑なにこれまでの手法を守る姿勢に変わってしまったのです。悪いものも伝統として守るというスタンスは,私は違うと思います。


 

 子(駒若丸と槌丸)が入れ替わったまま外に逃げ出しましたが,木曽義仲側は追手につかまり,子は連れ去られ,首をとられてしまいます。山吹御前もショックでなくなってしまいます。鎌田隼人は討ち死にしてしまいます。その娘,お筆も駒若丸を守っていましたが,首をとられた子供を発見します。女の子の衣装を着けていましたが,それをとって見ると巡礼の衣装であり,その子は入れ替わった槌丸であると理解します。敵は駒若丸を討ち取ったと思っていますが,この遺体が見つかると,入れ替わったことがばれてしまいます。そこでお筆はどこかに葬ろうとします。女手では運ぶのが難儀なので,現場の笹林の笹を切り,そこに遺体をしばりつけ運びました。それが笹引きの場面です。

 この画像もChat GPTで作りました。ただ,「現在歌舞伎座で上演中の『ひらかな盛衰記 笹引き』の場面を描いて」と要求すると,御殿内で女性と男性が綱引きしている画像を作りました。AIは,この舞台をどのように考えていたのでしょう。やむを得ないので,現場の様子を細かく指示しました。それでも遺体に顔が付いていたり,遺体の着物が男物だったり,お筆が御殿内の立派な衣装を着ていたり,場面が昼間だったりと,実際と異なるところがたくさんありました。何度も描き直させて,ようやく希望に近い画像ができました。

 この日の3幕目です。1幕目では曽我兄弟の仇討ちに義経が静御前を通して味方をしました。この3幕目では義経が木曽義仲を討つ(命令を出した)悪役です。そして,2幕目は善と悪の踊りです。違う演目ながらうまくまとめたものです。

 木曽義仲が義経方に討たれ,妻(山吹御前)と子(駒若丸)が付き添いの武士(鎌田隼人)が逃避の旅で宿に泊まっていました。駒若丸は男の子ですが,敵の目を欺くため女の子の服装をしています。駒若丸が,おもちゃがないとだだをこねると質素な隣室に泊まっていた巡礼の祖父(権四郎)が,子(槌丸)の大津絵の1枚を上げます。ここまではほほえましい場面ですが,駒若丸が女の子の格好で逃げてこの宿に滞在していることが敵にばれていました。敵がやってきたとき,隼人は明かりを消して真っ暗にします。そこで手探りの「だんまり」という歌舞伎の演技となります。とっさに隼人は駒若丸の女の子の衣装と槌丸の巡礼の衣装を入れ替えてしまいます。そして,逃げるとき間違えて,義仲一家は槌丸を,巡礼一家は駒若丸を連れてしまいます。

 この2人の子の取り違えがつづく2幕で大きな問題となるのです。「だんまり」のシーンはかな手本忠臣蔵5段目で初めて観ました。その時はイヤホンガイドがなかったら,だんまりのシーンとはわからなかったと思います。今回は隼人が提灯を消し投げたところで明るさが落ちたのでだんまりのシーンとはっきりとわかりました。また演技もストップモーションとなるのもだんまりのシーンの特徴です。今回はイヤホンガイドでも説明がなかったのにすぐわかりました。だんまりのシーンに少し慣れたのだと思います。

 浅草寺は昔,漁師の兄弟が観音様の像を網で引き上げ,知識人の男性に相談して祀ったのが起源だそうです。その後3人は神として3つの社で奉られました。その3つの社の祭りが現在も行われている三社祭とのことです。今回の歌舞伎ではこの兄弟が舟から降りてきて踊りました。空から黒雲が降りてきて二人は善と悪の仮面をかぶって更に踊りました。人間の心には善と悪が共存していることを意味しているらしいです。仮面の悪の字が亜の下に八と口を書いたような字で,悪という文字だと言われないとわからないような文字でした。ちなみに善の顔は白塗り,悪の顔は赤塗でした。