落語「長短」はよく演じられる名作です。ただ,ストーリーを楽しむというより,長さんと短七のやり取りを楽しむ演目です。最初に聴いた時,長さんの話し方に違和感がありました。長さんは気が長いのでゆっくり話します。最初に聴いたのは,長さんが「だ~~か~~ら~~お~~せ~~・・・」というようなしゃべり方をするのです。まるで言語障害者の話し方のようでした。気が長いのと話し方が単に超ゆっくりなのとは違うと思うのです。最近聴いたものでは,確かに気が長い人の速度だと思ったものがありました。しかし,まだちょっと違うなーと思ったことがあります。気が長い人の話し方は,文と,文の間(あいだ)の間(ま)が長いのだと思います。次の文が出てこないと,気の短い人は「次は何を言うのか早く言え!」と心の中で叫ぶことになります。

 関連した出来事が私の身の回りで起こりました。あることで,サービスカウンターに電話したことがあります。担当者が外国人だったのです。日本語の発音が悪く聞き取りにくいので,「もうちょっとゆっくり話してください」とお願いしました。確かにしゃべりはゆっくりになりましたが,文と文の間を空けてくれませんでした。わかりにくい言葉は,文を一つ言い終わったところで,全体的に考えて「こう言ったのか!」と理解できるのです。たぶん英語でも同じでしょう。スピードを落とすより,文間を空ける方が理解しやすくなると思います(ただ,英語初心者はそのようにお願いすることができないかもしれませんね)。

 これまで,演芸ホールでコントが出たときは全然面白さを感じることができませんでした。そんなわけでプログラムに「コント」と書いてあったので居眠りするか一時退席するかと迷っていました。そのまま出し物が始まってしまいました。しかし,他の漫才と同様に自分自身次々と笑いが起こりました。コントと漫才の違いについて考えてみました。コントは劇なので,目線は出演者同士であり,観客には向けません。漫才は主に観客に向けて話します。現在のコントは主に若者のあるある感で成り立っているらしいです。そのため,歳を重ねてきた人間には共感できないようです。山口君と竹田君のコントは普遍的な共感を狙っているため,私にも共感できたのだと思います。

 八月納涼歌舞伎第2部を観てきたばかりですが,第1部の怪談牡丹灯籠も観てみたくなりました。牡丹灯籠は明治時代の大落語家である三遊亭圓朝原作です。落語では「お札はがし」や「栗橋宿」がよく演じられます。「牡丹灯籠」も第2部の「らくだ」同様,落語が基の作品です。そんな理由もあり,観てみたくなったのです。席を探しましたがこの幕については,桟敷席の空きはありませんでした。1等席は後ろの方まで一括して同じ値段です。今からとっても後ろの方になりコスパが悪いです。2階2等席の一番前は見やすくコスパが高いです。しかし,すでにいっぱいでした。こういう時に私の最後の手段は幕見席です。昔とは異なり,今は前日の正午丁度からネットで予約ができます。牡丹灯籠は2幕からなっています。通しで観たいものです。以前に3幕からなる部を通しで取ろうとしたとき2幕目だけとれなかった痛い思いがあります。しかし,夜調べてみるとその日の正午に発売開始だったのにまだ売り切れにはなっていませんでした。通しでとれる可能性は高いです。ちなみに1幕目を予約してから2幕目を予約したいと思います。2幕目が取れなかったら日を改めればいいからです。逆に2幕目からとって,1幕目が取れなくなると観る順番が逆になってしまいます。

 Chat GPTによるイラストを載せました。この演目のシーンはとかく暗くなりやすいです。そこで,新三郎,お露再会のシーンを描かせました。新三郎,お露は恋に落ちた後,身分の差から引き離されてしまいます。お露は恋煩いから床についてしまいます。そこで気分転換と称して幇間医者と呼ばれる山本志丈が段取りをつけ,お露を舟遊びに誘います。その通過点の宿に新三郎を待たせるのでした。それが,このイラストです。

 街道の茶屋の前で男たちにからまれた娘がいました。居合わせた侍はそれを助けて家まで送ると約束して歩いていきます。そして川を越えなければならなくなります。娘を負ぶって向こう岸まで渡らせます。実は娘は盗賊の頭で盲目の夫があり,子供が一人いる鬼神のお松だったのです。からまれたのもたくらみだったのです。この侍を殺してしまいます。お松の夫は主家の宝刀を奪われ目つぶしに遭い盲目になったのでした。お松は盗賊鬼神となって侍の刀をつぎつぎと奪い,夫の奪われた刀を探していたのです。ここで奪った刀も目的のものではありませんでした。しかも後でわかりますが,この侍は夫の実の兄だったのです。

 その後,夫の許嫁が現れます。許嫁は美人で,刀を奪った荒尾一学に騙されて寺に連れてこられます。これを助けに鬼神のお松が乗り出します。そこで荒尾が宝刀を奪ったことや,お松の夫の目を見えなくさせた張本人であることがわかります。捕手に取り囲まれたり,人質が脅されたりして,お松は捕らえられます。そこに役人が現れ実の犯人は荒尾であることを暴き,捕らえるべきなのは荒尾であることになります。お松は見逃されることになりそうでしたが,盗賊の頭だったことを認めてお縄を頂戴します。お松には夫の兄を殺してしまった引け目があるし,自分が夫と暮らしたらお家再興はならなくなることを悟っていたのだと思います。赤子は許嫁の子供だと心を鬼にして引ったてられて行くのでした。赤子の鳴き声を楽器で出していました。これも歌舞伎の手法のようです。

 歌舞伎の多くの演目のオリジナルは現在上演される長さよりもっと長いものだったのでしょう。この劇も2幕に収めるためいろいろと省略されています。オリジナルでは最後の役人はお松の手下の小助であり,その正体は木鼠という大物盗賊のようですが,劇の中ではそれを表に出しませんでした。イヤホンガイドでもその解説はなかったと思います。ただ,パンフレットの役者のリストでは「盗賊小助 実は木鼠 歌之助」となっていました。通の人はこういうところから深読みするのでしょう。

 この演目は落語で知られたタイトルです。調べると落語がオリジナルで歌舞伎がそれを取り入れた形だそうです。長屋の鼻つまみ者,通称「らくだ」が突然死んでいました。その仲間の男半次が発見します。弔いをやってやらなければと思っているとき,屑屋が通りかかります。半次は屑屋を呼び止め弔いのために,大家に酒と煮しめを持ってくるよう使いに出します。「いやなら死人にカンカン踊りを踊らせる」と言えと言います。大家夫婦はまさか本当にやるとは思わないので断ります。そこで半次と屑屋は死人のらくだを連れて大家の家で本当に躍らせます。大家は恐ろしくなってまず酒を酒屋に届けさせます。そこで,飲めないと言っている屑屋に強引に吞ませます。屑屋は酒癖が悪く,酔うと態度が大きくなり立場が逆転するという落ちです。

 歌舞伎では,どうやって死人を操って躍らせるのかと興味を持っていました。死人役の片岡市蔵さんの演技は素晴らしかったです。死人のようにただ力を抜いているだけでは操る役者が相当な力を要するでしょう。それがうまく死人のように見せながらもうまく動いて本当のように見えました。そして屑屋の頬に顔をころがせ屑屋を震え上がらせました。会場は笑いに包まれました。屑屋もらくだも半次も演技が大変に良かったです。

(Chat GPTにて作成)

 旅行やもろもろの理由で観劇にご無沙汰していました。それでも,先日浅草演芸ホールに行くことができました。歌舞伎も3か月間ご無沙汰しておりました。5日に空席照会すると翌日に第二部の西側の桟敷席に空きがありました。早速予約しました。一つは落語がオリジナルの「らくだ」でした。もう一つは「鬼神のお松」でした。「らくだ」は死人にカンカン踊りをやらせる内容が含まれていてどのように演ずるのか楽しみでした。「鬼神のお松」は初めて観る演目です。

 多くの場合,昼の部と夜の部の二部に分かれていますが,今回は昼の部が2つある,三部構成でした。第一部は「牡丹灯籠」でした。これも落語が基となった作品です。確か昔の噺家が作った噺だったと思います。後味の悪い内容のものは懲りているのでこれを避けました。いつもならお弁当を頼むのですが,時間的にお弁当は第一部の方になるので,外で食べて入りました。落語での牡丹灯籠は,「お札はがし」と「栗橋宿」を聴いたことがあります。隣の席の人は第一部も観たそうで,どちらも含まれた内容だったとのことでした。

 むさい身なりと異様な音楽で出てきてけだるい口調で漫談を語ります。「裏通りの飲み屋。おれはまだ終わってない!←もう一軒行くということか?」というような語り口が続きます。他の漫談家に比べてネタが多く長いように感じました。「長い」と言っても退屈ではなく,「次はどんな話だろう」と期待を抱かせます。落語のある大御所の楽屋話はいつも同じでうんざりしますが,ナオユキさんのは,いつもの話題に新しい話題を混ぜ込んで話している気がします。多いネタすべてを新しくするのは難しいと思うのでナオユキさんのは頑張っていると感じます。

 鏡を知らない村人の中の親孝行者に褒美として親に会える箱が授けられた。実はそれは鏡だった。その男は父親そっくりだったので,鏡に映った人を父親だと思い込む。授けた領主はそれがばれないよう,秘密にさせる。男の妻は,男がこっそり箱の中を見に行くので,浮気と思い込み鏡を見る。そこには女(自分)が映っているので,やっぱり浮気だと泣き出す。そこを通りかかった尼さんが仲裁にと覗き込むと頭を丸めた女の人が映っているので,「反省して頭をまるめた」と言うのが落ちです。

 「松山鏡」を初めて生で聴いた(観た)のは,九代目林家正蔵さんのでした。それには小話が含まれていました。鏡を知らない村人が,町に鏡なるものがあると言って見に行きます。言われた店は琴と三味線の店に変わっていました。それを見て,「琴三味線(ことしゃみせん=今年ゃ見せん)」と書いてあると言ってがっかりしたという話です。鏡が演目と共通なので落語の一部かと思っていましたが,小痴楽さんの噺にはでてきませんでした。しかし,この小話は松山鏡にピタリとフィットしています。他の噺家さんも演じているようですが私はまだ録音も含めて正蔵さんのしか聴いたことがありません。

 暑いにもかかわらず,浅草は賑やかでした。八月の上席の大喜利は噺家さんを中心にした素人ジャズバンド・ニューオイランズがあるので,かなり混んでいました。普段は省エネのため2階席は使えませんが,昼の部はこの特別興行のため,解放されていました。中半になると,立ち見ができるほど混んできました。係員が空き席を見つけて立っている人に案内していました。

 「ふるさと再生日本の昔話」で「嫁の剃髪」という演目がありました。見ているとそれは落語「大山詣り」の「日本の昔話」版でした。仲間で喧嘩をよくする男がいて,一旦は今年の大山詣りには彼を外そうということになりましたが,「喧嘩を始めた者は坊主にする」という約束で大山詣りに出かけました。結局はその男,酒に酔って暴力をふるいます。その男が寝込んだところで,皆が男の髪をそってしまいます。皆は男が起きる前に帰路についてしまいます。遅れて起きた男は自分が坊主にされていることに気づき仕返しをすることにしました。駕籠に乗り,皆を追い越して長屋に戻ります。そこで,「他の皆は船がひっくり返って死んでしまった。おれは弔いに髪をそった。奥さん方も坊主になって冥福を祈った方がよい」と,うそをつき皆の髪の毛をそってしまいます。落語では「け(毛)が(怪我)がなくてよかった」が落ちとなります。

 「日本の昔話」は現在進行中の番組ではありませんが,毎週新しい昔話を考えるのは大変だったと思います。その中で落語を題材にするのは良いアイディアだったと思います。ただ,内容はちょっと子供向きではないように思いますが・・・。