近所のドトールでコーヒーを飲もうとソファに座ったら、隣の若いカップルが別れ話の最中でした。
私の隣の女の子はずっと泣いていて、向かい合って座っている男の子はなんだかちょっとエラそうな話し方で、なんだかとても悲しくなってしまった私。
私は心の中で女の子に「だいじょうぶ。だいじょうぶ。何があってもだいじょうぶ。もっとステキな男性が現れるよ」って声をかけながら、イメージの中でギューっとしていました。
こんにちは。
あなたのゆらぐこころとからだを見つめ
本来の姿を一緒に探す
心屋認定カウンセラー 皆みなみです。
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別れ話の瞬間を目撃してしまうことって、時々あるのだけれど。
数年前、だんなさんに「離婚したい」と言われたときの瞬間と重ねて見てしまう。
大好きなひとに別れを告げられた時って、何が起きているのかさっぱりわからない。
自分の魂が抜けて、少し離れているところからその様子を見ているような感じになる。
予想していなかったからね。
そして、少しずつ少しずつ、なんとなくだけど状況が掴めてきて、気づくと声を上げて泣いている。
呼吸もできない程に激しく。
全てが崩れ落ちる音が聞こえるような気がした。
その日を境に、世界はモノクロになった。
私は、呼吸と睡眠と飲食がうまくできない、家と会社を往復するだけの物体となった。
その10年前、私は逆のことをしていた。
1度目の旦那さんには私から別れを切り出したのだ。
こんな思いをさせていたのだと知った。
生活は何もかもが変わり、私はひとの目に触れないように、ひとの幸せそうな表情を見なくて済むように、陰に隠れるように息を潜め、暮らしていた。
大きな空洞ができて、何をもっても埋めることができない。
ずっと、闇の中で生きていたような気がする。
”心”
それまで目を向けることがなかったものを、見つめるようになった。
そこから目にするものひとつひとつに色を感じるようになり、世界は優しくあたたかい場所だと知り、少しずつこころにもからだにも温度を取り戻していった。
呼吸や睡眠や食事の大切さをひとに伝える立場となり、私の全部を使って喜びを表現できるようになるまでに
いったいどのくらいかかったのだろう。
まだ暗く冷たいままの部分も持ってはいるけれど、それでいいと思っている。
コーヒーを飲みながら隣の席の女の子に心の中で言っていた
「だいじょうぶ。だいじょうぶ。何があってもだいじょうぶ」
私が言われたい言葉でもあり、私が私にかけてあげたい言葉でもある。
「大丈夫なんかじゃない」
渦中のひとはもちろんその思いがある。
そしてその思いは長く長く続くかもしれない。
それでもやっぱり
だいじょうぶ。
だいじょうぶ。
何があってもだいじょうぶ。
こう思える日は、やってくる。
自分らしさを見つけて、軽やかに美しく生きていこう
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