遂に「コンベス時の解散フラグ」をカミングアウト | Perfumeとグルメの日記

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昨年末に発売されてからだいぶ時間が経っているので、もういいだろうと思いますので書きますが、「ROCKIN'ON JAPAN 2月号」のPerfumeインタビュー記事の中で、これまで事ある毎に否定し続けて来た、2006年の「Complete Best」発売前後にファンの中にあって、今も我々の中で強く信じられている『Perfume解散フラグ』について、とうとう本人たちがそれを認める発言を致しております。



これまでのこのベスト盤のリリース時期の状況についてPerfumeは、「ここで一旦今までの楽曲をひとまとめにしてベスト盤という形にして、自己紹介という形に変えた」とあくまでこのベスト盤は未来に向けての一里塚という類の発言を繰り返していたのですが、それを根底からひっくり返す内容の発言をこのロッキン最新号でしているのです。
以下、あ~ちゃんの発言の一部を抜粋して編集して紹介すると、




あ:「ベスト盤を出した時にも解散するんじゃないか?って言われたし、自分たちでもその思いはよく理解できたし不安に思っていた。
『エレクトロワールド』のジャケ写を撮るついでにベスト盤の撮影も済ませてしまった時に、お金がないって事も理解出来るけど、どうもこれで『終わり』だと自分たちで思ったし、英語に詳しくはないけど、『Complete~』のタイトルが指す意味くらいは分かってたし」




2005年に「リニアモーターガール」で徳間ジャパンから待望のメジャーレーベルデビューを果たした時も、実はその裏ではデビューに当たる挨拶回りの中で、当の徳間のお偉いさんに「3枚は曲を出してあげるから、いい思い出ができたでしょ」と言われていました。
この徳間からのメジャーデビュー自体が、徳間に期待されてのデビューではなくて、当時制作本部長であり、アミューズと繋がりのあった、現徳間ジャパン社長である篠木雅博氏の所に当時、Perfumeのメジャーデビューに向けて東奔西走していたPerfumeのマネージャーであった中村氏、石井氏らが、個人的なコネクションを頼ってPerfumeのメジャーデビューの引き取りを求めたのが、2004年の9月。
しかし後のインタビューに於いて、篠木氏がPerfumeの徳間からのメジャーデビューを決めた理由として語っている最大のポイントが、マネージャーの「熱意」しかなかったという事実が当時のPerfumeに対する徳間ジャパンの会社としての評価を物語っているエピソードです。
徳間ジャパン側としては、気乗りはしないが個人のコネとしがらみで仕方なくPerfumeを預かったが、必要以上のダメージは受けたくないから、「シングル3枚・アルバム1枚」の限定契約だったのでしょうし、そのアルバムにしても、プロデューサー中田ヤスタカが執拗に固執したオリジナルアルバム案を一蹴する形で、コンプリートベストをリリースさせたのでしょう。




こんな裏事情があった事は、いくらミドルティーンだったとはいえ、芸能界に何年も染まっていた当時のPerfumeが感じ取れなかったとはとても思えません。
ですから、我々Perfumeファンは「解散フラグ」についてあくまでそれはあった物だとして考えていて、なぜそれを彼女たちが否定し続けて来たのかが極めて謎だったのですが、それをやっと当のPerfumeが認めた事は、彼女たちとファンの間のギャップが埋まったと言えるでしょう。




この辺の話は、2010年の「Perfume Locks」の自分たちの芸能生活の歴史の振り返り企画で、本人たちの口から発した物をボクがまとめて考察した記事をこちらからお読みくだされば触りだけでも分かっていただけるかと思います。

2005年①

2005年②

2005年③


本人の口から聞きたい方はこちらからどうぞ。