高野山をおりました。今日から東京出張です。
それにしても、立秋過ぎたとはいえ、まだ暑いですね。
高野山は標高1000メートルくらいの場所なので、久しぶりにクーラーを使わなくても平気な毎日でした。
奥の院に水行場があるのですが、いつかここで水行がしたい…(プールではありません…)
さて、その高野山にいた最中、こんなブログを書きました。
ゴータマ・ブッダが仲間の修行僧たちに語った言葉をまとめた『スッタニパータ』を引用した内容でした。
恵まれた環境や家族、友人たちを捨てて宮殿を去り、自分の道を貫き悟りを得たブッダだからこその言葉ともいえます。
誰かに依存せず、さみしくても群れに入ったり、自ら群れをつくることなく、誰も支持してくれなくても自分の信念を貫きなさい、自分をガイドとして歩みなさい、というメッセージです。
けれど、このブログで書いた中で大事なのは、ここです。
だから実は、孤独のようでいて、孤独ではないのです。
孤独に道を歩むようでいて、孤独ではない。
言葉を変えると、
自分の道を歩めるのは自分のみ。だから、その道のりは孤独。
だけど、孤立しているわけではない。
ということです。
「つながり」を感じることができれば、人は安心して自らの道を独り勇気を持って歩める、と私は思っています。
そして、そのまた先日には、こんなブログを書きました。
自分の道をイキイキと歩む方々から、「自分も言われました!」などの共感をたくさんいただいた記事です。
そう。「つながり」さえすればいい、ってことではないのです。
依存のエネルギーとお別れをしない限り、自分の道は創っていけません。
そして、互いに磨きあえる、励ましあえる、もしくは無条件で受容して愛情を注いでくれる家族や友人、仲間とは、一緒に歩めばいいのです。(その数は、そんなに多くないはずです。群れになった時に、その純度がどこまで高いかは見極める必要があります)
※ちなみに、ブッダの「たった独りで歩みなさい」は74もの文(ケース)で語っていますが、たった1文だけ、「賢明な仲間、行動をともにする意思の固い賢者」となら、「あらゆる危難を克服して……その人とともに歩みなさい」と言っています。ただし、ブッダはかなり純度が高く……その賢者たちとすら、意思が固くなければ「王が征服された国を捨て去るように」たった独りで歩め、とおっしゃるのです。ひえ〜……まあ、確かにそれくらいの気概でないと、自分の道は創れないですね
一方、私がもうひとつ大事だと思っているのは、自分に厳しくストイックに、ではなく。
自分自身に思いやりを持って接すること。
それがないと逆に、歩み続けられなくなります。
そんなことを書いたのがこちら。
最近のブログをつかって、私の考えのつながりを描いてみました。
今のあなたに、何かがピンときたら幸いです。
※おまけ※
9月末のリトリート、残席あとわずかです。実はひそかに増席して、そのお席もあとわずか、という感じだそうで…
ご検討中の方はお急ぎくださいませね