道徳会館という新興宗教の信者の親を持ち宗教2世として生活してきました。
中学生くらいになると親に対し何故そこまで新興宗教に入れ込み、新興宗教に否定的な意見を無視するのか疑問に思っていました。
客観的に見て道徳会館で語られることは抽象的で科学とは矛盾したものが多く、都合の良い事ばかり捏造しているように見えます。
新興宗教について色々と調べていくとほとんどの新興宗教では定期的に信者を集めてイベントを開くという特徴があります。
このイベントは群集心理を利用して信者を繋ぎ止めたり、新しく信者を獲得するものなので殆どの新興宗教はそういったイベントを定期的に開催する必要があります。
- 群集真理
道徳会館では「道徳」「真理」「慈悲」「幸福」「道理」などの抽象的な言葉を使います。
このような単語は一見する良い言葉のように感じますが、明確な定義が無く実体が無いという特徴があります。
抽象的な言葉を使用した方が群集心理を煽りやすいと言われています。
具体的な言葉で語るためにはデータと検証が必須で時間が掛かりすぎたり、読み取る難易度が高すぎて群集が付いてこれなくなるためです。
群集心理はその名の通り個人が群集に組み込まれたときに起こる心理になります。
仮に全く面識のない赤の他人と1対1で対話で「道徳とは~」「慈悲が~」などと語られても「何言ってんだこいつ」としか思わないでしょう。
ところがこれが大広間で先生と呼ばれる一人のオッサンが壇上に立ち、多くの人が聞くという場合はどうでしょうか?
そしてそのオッサンの話を聞いてウンウンと頷き、感動で涙を流す人が周りに居たり、話が終わった後、素晴らしい話が聞けたと感想を言い合っていた場合は群集心理が働きます。
その場の雰囲気に流されて何の根拠もない話や起こりえない現代科学とは相反する話であっても「なんとなく自分にとって有益」と思えてしまうのが群集倫理です。
逆にそのオッサンに対し罵倒や野次が飛んび、話の終わった後で周りの人たちが「あのオッサン適当な事しか言ってない」と感想を語っていた場合、そのオッサンの語った言葉は「自分にとって不利益」と思えてしまうでしょう。
(勿論、冷静で賢明な人であれば群集真理の特性を知っており流されたりはしないと思います。)
群集となった個人は物事を信じ込みやすく、暴走し、時には異常なまでに残虐性を発揮します。
嘘を信じ込み、その嘘を広げるだけでなく脳で想像力を働かせ、神や奇跡を作り上げるのも、それを否定する人を排除するのも群集心理の特徴です。
世界中で荒唐無稽な宗教的な言い伝えが広がっているのはその証明になります。
歴史的に見てもこのような群集心理は非常に危険なものです。
例を挙げればフランス革命などです。
フランス革命では「Liberté, Égalité, Fraternité 」日本語では「自由・平等・博愛」というスローガンのもとに群集真理が働いた民衆が貴族階級に反乱を起こしました。
フランス革命ではギロチンに掛けられた貴族を群集は歓喜し、死者を100万人出した結果、ナポレオン・ボナパルトが台頭し、さらに多くの死者を出しました。
またナチスのヒトラーなども群集心理を利用したことで有名です。
フランスの社会心理学者ル・ボンの「群集心理」を愛読しており演説に使う単語、立ち振る舞いに大きな影響を与えたと言われています。
- 新興宗教の群集心理の利用と対策
道徳会館でよく使われる「道徳」「真理」「慈悲」「幸福」「道理」などの言葉は抽象的で考えても具体的な意味が分からないようなものです。
私の親は「慈悲」という言葉を好んでいました。しかし、どのような行為や思想が「慈悲」なのかと深く考えてはいないようです。
私が親にどのような行為が「慈悲」なのかと問えば、「相手を思いやる」などと抽象的な言葉を返してきます。
更に突っ込めば「自分も勉強中だからお前も道徳会館で勉強しろ」と主張します。
人に対し「勉強不足」と罵倒することのどこが「慈悲」なんだと思いますが宗教という狭いコミュニティで群集心理の奴隷として生きている人間には耳障りな言葉は通じません。
多くの新興宗教団体はイベントを定期的に開催し、抽象的な言葉を並べそれを群集心理を利用し宗教の普及を行います。
「怪しい新興宗教に近づかないようにする」という防御策のみでは不十分です。
なぜなら現代の新興宗教はSNSで巧みに偽装しており気が付いたら宗教施設に踏み込んで思想を刷り込まれてるケースが有るからです。
こういうものに引っかからないためには群集心理が有る程度理解しておく必要があります。
ヒトラーが愛読していた社会心理学者ル・ボンの「群集心理」は群集心理のバイブルなのでお勧めです。
新興宗教の教祖や幹部はヒトラーのように群集心理を利用している可能性もあります。