浦上天主堂は、原爆によって崩壊してしまった教会です。
現在は再建されたものですが、元は浦上の信者達が30年かけてレンガと石を積み上げ、東洋一と言われた美しい教会だったそうです。

浦上天主堂
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原爆の爆風に耐えたアンジェラスの鐘が、今も毎朝5:30にミサの始まりを知らせます。

破壊された天使像
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浦上天主堂に登る坂道の途中に、原爆で破壊された天使像が安置されています。
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入口の聖人像
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鼻が削られた聖人の像。

入口のマリア像
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手が削られています。
教会内には、焼け焦げて顔だけが残った木造のマリア像があります。

教会内は撮影禁止です。信者以外は礼拝できませんが、入口の柵の後ろから祭壇を見ることはできます。
暗い教会内に、青いステンドグラスから射し込む青一色の世界。祭壇上部のステンドグラスのマリア像が、礼拝者の椅子に映し出されます。
まさに、荘厳という他ありません。

また、原爆で焼失した教会の遺構の一部が、平和公園内に保存されています。

浦上天主堂遺構
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浦上天主堂内で被爆した修道女達は、聖歌を歌いながら死んでいったそう…。

平和公園内 爆心地跡
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平和公園内 被爆地層
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お茶碗のカケラやガラスの溶けたものが地層の中に残されています。

この後原爆資料館も見学し、原子力という巨大なエネルギーについて、再び考えさせられました。
一瞬で全てを焼き尽くすだけでなく、その後何年にも渡って人体を、その子孫をも破壊し続ける力を持つ恐ろしさを知っていながら、手放すことができないなんて…。
人間の罪深さを最も象徴するものに思われてなりません。


中町教会から坂を上がっていくと…。

巨大観音様
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なんや~?あれわ~!?
急にぬぉ~んと現れる巨大観音様!

これは行ってみなければ…。

坂道が多い
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それにしても、坂が多いです。

福済寺の万国霊廟長崎観音
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巨大亀の上に巨大観音様。
テーマパークちっくな匂いがしないでもないですが、坂本龍馬も宿泊した福済寺という由緒あるお寺なんです。
鎖国時代、長崎に住んでいた中国人がキリスト教徒ではない証明のために建てた寺で、かつては広大な大伽藍でした。ここも原爆で焼失し、新しく造られたのがこの観音様というわけです。

地下には地球の自転を表すフーコーの振子が展示されていますが、早朝なので閉まっていました。


聖福寺 山門
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福済寺の近くには聖福寺があります。中国広東の信徒が多かったので広東寺とも。山門の扁額は隠元禅師の筆。

聖福寺 惜字亭
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不要文書類を焼却するための炉。江戸時代、オランダ人技師によって伝えられた赤レンガ製。

聖福寺 石門
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かつて長崎にあった大寺、崇岳神宮寺廃寺の際移築された門。中央「華蔵界」の文字は唐僧木庵筆。

聖福寺 大雄宝殿
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森に囲まれた静謐な仏殿。坂本龍馬が海援隊の蒸気船いろは丸の賠償請求談判を、この寺で行ったそうです。

聖福寺 鬼塀
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聖福寺の末寺が廃寺になった時に、その屋根瓦を重ねて作られた塀です。

聖福寺 じゃがたらお春の碑
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キリシタン禁教政策の一環で、15歳で母、 姉と共にジャカルタ(じゃがたら)に追放されたイタリア人混血児お春の碑。

すぐ近くの福済寺は原爆で焼失したのに、聖福寺は無傷のようです。
福済寺も聖福寺も同じ黄檗宗の寺なので、元々の雰囲気は同じような感じだったと思うのですが…。
時代のセンスってのをしみじみ感じる…。




ふじわら旅館のすぐ近くに、中町教会という真っ白な教会があります。
敷地内には、保育園や女子修道院もある。

中町教会
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朝のミサが6:30からあるので行ってみたのですが、祝日は19:00からで朝はやっていませんでした。残念。

江戸時代の外壁
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下の方にちょび~っと見えているのが外壁です…。
元は大村藩蔵屋敷跡で、当時の石垣が残っています。和風の石垣に囲まれた白い教会という不思議な外観。

ここは被爆遺構であり、原爆によって、尖塔と外壁を残して焼失しました。

教会内
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真っ白な壁にステンドグラスから朝日が射しこむ情景がなんとも言えません。
大浦天主堂も浦上天主堂も素晴らしい教会ですが、私はここが一番感動しました。

祭壇
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ほほえみの十字架と言われる、スペインのザビエル城にある十字架のレプリカです。

ステンドグラス
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キリストの一生を表すステンドグラス。

中町教会は明治22年、フランスのある婦人の多額の寄付により、江戸時代に長崎西坂の丘で処刑されたトマス西のために建てられた教会です。
教会の入口には、豊臣秀吉によって同じく西坂の丘で処刑された26聖人のうち3少年の像が立っています。

元々、織田信長が仏教寺院の勢力を削ぐためにキリスト教を持ち込んだものの、返ってキリスト教の勢力が拡大したために弾圧するようになり、さらに鎖国へと進むことになりました。
古来、日本のあらゆる宗教は、政争や権力争いに翻弄されてきました。
しかし、鎖国はキリスト教禁止のためだけではなく、実は日本人を奴隷貿易から守るためでもあったのです。当時、キリスト教宣教師を装ってやって来る奴隷商人が多かったのです。歴史にはいつも、表の顔と裏の顔がある。

奴隷貿易とアメージンググレイス
http://s.ameblo.jp/kiyokoj/entry-10805766539.html