21代ヨンジョの治世下で。 『暗行御史-パク・ムンス』② | コワれるまで ALLORA

21代ヨンジョの治世下で。 『暗行御史-パク・ムンス』②

帽子暗行御史(アメン オサ ) パク・ムンス』(2002年)の時代背景は、後に聖君と讃えられる21代王 英祖の(ヨンジョ )治世下です。
暗行御史-パク・ムンス
ヨンジョは朝鮮時代最も長生きした王であり、なんと83歳まで生きました。
その在位期間も最長で、52年間 王座に在位しました。

朝鮮王朝500年、計27人の王のうちヨンジョを除いて60歳を超えた王は5人。
70歳を超えたのは王朝初代王の太祖(テジョ)李成桂(イ・ソング))のみなのです。



第19代王は かんざしトンイ(Dong Yi) (2010年)でチ・ジニが演じた、コミカルでダンディな粛宗。(スクチュン)
本作の中では “宮中で三角関係を繰り広げた” 国王だと紹介されます。
英祖は(ヨンジョ )父をして 「治績の評価より浮き名が立つ。その中心には張禧嬪が(チャン・ヒビン)いる」 と評します。

本作に寄るところでは、ヨンジョ (延礽君(ヨニングン)) の生母 淑嬪(スクビン)(チェ)씨(トンイのこと) は出身が卑しかったため、その三角関係の争いには巻き込まれませんでした。
息を殺して生きていた彼女は、享年49歳、ヨンジョが即位する5年前の1719年にこの世を去ります。
奴婢(ノビ)(召使い)出身だからということで高官らの反対に遭い、スクチョンは墓の名前を与えられませんでした。

「皆、母を蔑視しておるのだ。母は生前、息さえ大きく吸えなかった。いや、大声で笑ったことさえなかったのだ」
母の苦労を見て育った彼は、死ぬその日まで彼女のことを思い続けました。
肉親だからというのはもちろん、孤独な者の痛みに共感していたのでしょう。

皇子を3人も産みましたが、卑しい身分のため墓の名前さえ贈られなかった、そんな粗末な墓は、彼の心のしこりとなったのでした。
本作ではそれがパク・ムンスへの処遇が揺れ動く原因、ということになっています。

『トンイ』だけを観ていても、この評価はよく分かりません。
妃 『張禧嬪』(Jang Hee bin)(2002年)ですね。
むしろ本作の朝鮮王朝史観は、ドラマ『張禧嬪』の歴史解釈に沿っているようです。

『張禧嬪』に出てくるスクチョン(チョン・グァンリョル)は本当に、側室に目がくらんだ愚王でした。
『トンイ』でも第44話あたりのスクチョンは「もう王でなくてもいい」と、トンイを守るために国法さえ無視します。
まぁ、これはチ・ジニだから許されるところかもしれませんけど。



本作ではヨンジョの義兄 第20代国王の景宗は( キョンジョン)もう亡くなっています。
民心の中には、ヨンジョがキョンジョンを毒殺したのではないか、という疑惑もあったようです。

でも『トンイ』の最終回に顔を出すヨンジョは、母(ハン・ヒョジュ)の志を継ごうとする精悍な王として描かれます。
トンイ

また、ドラマ『張禧嬪』でもキョンジョンとヨンジョは仲のいい兄弟として登場します。
張禧嬪
ただしキョンジョンにとっては母親が悪すぎました。



派閥政治に苦しんだこの19代~21代の王親子の時代は、現代の政治への反面教師として、数多くのドラマに採用されていきます。
本作の翌年に製作されたドラマ  『チェオクの剣』 (原(The Legendary Police Woman)題:茶母(Damo) 2003年)も、スクチョンの治世下が舞台となっています。