日本人のための近現代社会 -24ページ目

日本人のための近現代社会

主に日本近現代史を日本人の立場から分かりやすく解説した動画をあげています。日記は投資について書いていきます。

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 前々回の動画で、真珠湾攻撃と同じ1941年12月8日にマレー半島に上陸し、イギリスの航空基地を次々と占領したという話をしました。今回はその続きで、いよいよ本丸のシンガポール攻略へと入っていくことになります。

動画解説

ニコニコ http://www.nicovideo.jp/watch/sm29927668

ようつべ https://www.youtube.com/watch?v=v-dMOqb51mk

 

 マレー半島に上陸してたった4日後には日本陸軍はイギリス領マレー、今のマレーシアに突入し順調にシンガポールへと進軍を続けます。この時、日本軍の歩兵は戦車や自動車ではなく自転車を移動手段として採用しています。これなら燃料もいらないし、橋が落とされていても担いで渡れるなど小回りもききますから何かと効率が良かったんでしょうね。まぁ石油が備蓄分しかない以上極力節約しようっていう涙ぐましい理由もあったのかもしれませんが…。

 

 ともあれ、銀輪部隊は快進撃を続け、予定よりも1カ月も早いたったの70日でシンガポールを陥落させる事に成功します。ちなみに、自転車のタイヤは当然パンクするのでタイヤなしのホイールだけで走ることになります。普通に考えたら乗りにくくなって困るんですが、たくさんの自転車が音を立てて走る音を聞いたイギリス軍は戦車部隊が来たと勘違いして大慌てで逃げ出したという話もあるんだそうです。何が幸いするのか分からないもんですよね。

 

 もちろん、日本軍がここまで順調に快進撃を続ける事ができた事には色々と理由があります。まず、前もってマレー半島の航空基地を破壊し、マレー沖海戦での勝利もあって制空権と制海権を確保していたために空や海からの支援が楽にできた事があげられます。

 次に、開戦前から綿密に作戦が計画されていた事もあって、陸軍と海軍の連携が素晴らしく機能していた事も大きいでしょう。

 さらに、イギリス軍の中にたくさんいたインド人兵士の士気が極めて低く、次々と降参してくれた事も進軍を楽にしました。そら、インド人からしたら自分たちをいじめ尽くしているイギリスのために命をかけて戦う理由なんてないですからね。当然と言えば当然の話です。

 ちなみに、この時捕虜になったインド人の中から「インド独立国民軍」が組織され、チャンドラ・ボース率いる「自由インド仮政府」となってインドの独立へとがんばることになります。そして、後に解説するインパール作戦で、日本軍との共同戦線を戦っています。

 最後に、このあたりって人口も多く、食糧も豊富にありましたから、現地での食料調達が簡単にできた事も大きかった。日本軍の最大の弱点は兵站能力の弱さでしたでした。兵站ってのは簡単に言うと進軍するための食糧とか弾薬の供給です。いくら強くても食べ物がないとどうにもなりませんからね。シンガポール攻略までの一連の作戦ではこの日本軍の弱点が表に出なかったわけです。

 

 さて、このシンガポール陥落は世界に大きな衝撃を与えました。当時のシンガポールと言えば大英帝国と呼ばれたイギリスの東アジア支配の拠点であり、大植民地時代の象徴でもありました。そこが、支配すべき有色人種である日本人の手によってたったの70日で陥落してしまったわけです。この事をしった世界の有色人種がどう思うかは想像がつきますよね。60回動画で解説したように人種差別撤廃提案を国連で堂々とやってのけた日本がこの偉業を成し遂げたわけです。

 

 有色人種でもやればできる。白人に支配されるのが当たり前じゃないんだという事を日本がとんでもないインパクトで体現して見せたわけです。

 そしてこれらの日本統治下におかれた国々では民族主義が高まり、さらに日本が現地で軍を鍛えたり、教育を施したりした事によって日本が守ってあげなくても自分の国は自分たちで守るんだという意識が生まれ広がっていきます。これがあったから、日本が敗戦した後、白人達が戻って来たときにはそれぞれが独立戦争を戦い、これに勝利し、今の東南アジア諸国の独立へとつながっていったという歴史的事実があります。これは日本人として誇るべきことだと僕は思います。

 

 戦争っていうと負のイメージだけで語られる事が多いし、実際悲惨な戦いもたくさんあります。もちろん僕だって戦争なんてしたくないし、反対です。しかし、それでも彼らが独立戦争を戦ったように、理不尽に対しては戦ってでも抵抗しなければならない時ってのはあるんです。そういう側面がある事も歴史から学ばなければいけないんじゃないかなと僕は思います。次回はシンガポールを落とした後の動きってことで、今のインドネシアの攻略の話をしていこうと思います。読者登録及び動画のチャンネル登録、お気に入り登録をよろしくお願いします。

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動画に使った画像の一部


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 前回までの動画でアメリカに追い詰められた日本は1941年12月8日の真珠湾攻撃によってアメリカとの戦争を始めたという話をしました。今回は真珠湾攻撃後のアメリカ国内の動きについて話をしていこうかと思います。

動画解説

ニコニコ http://www.nicovideo.jp/watch/sm29882374

ようつべ https://www.youtube.com/watch?v=CIOjsumvmQM

 

 真珠湾攻撃によって戦争が始まるとアメリカに住んでいた日系人たちは「敵性外国人」とみなされ、アメリカの内陸部に作られた強制収容所に放り込まれる事になります。

 その数何と12万人ですよ。しかもそのうちの8万人はアメリカで生まれ育った日系2世3世です。もちろん1か所に12万人もは入りませんからアメリカ各地に10か所もの収容所が作られています。

 

 収容所に送られた日系人たちはたったの1週間で収容所に向かわなければならなかった上に、列車にすし詰め状態で移動させられたため手荷物として持って行ける程度しか持って行く事を許されませんでした。そのため、家具など持っていけないものをすぐに処分して現金に変えなければなりませんでした。そのため、足元を見たアメリカ人にあほみたいに安い値段で買い叩かれてしまっています。家だって放置するしかなかったわけです。これは事実上の財産没収と変わらないですよね。そんな酷い仕打ちを受けた日系人の地獄はまだまだ終わりません。強制収容所の準備が完了していない場合、一時的に収容する仮収容所に送られたんですが、中には競馬場に併設された馬小屋に入れられたケースもあったんですね。ドラクエ的にいえば1Gで売れるゴミのにおいが立ち込める中での生活を強いられたわけです。

 

 

   さらに強制収容所に着いてからもなかなかに酷いものでした。砂漠の真ん中の板張りの質素な小屋と仕切りすらない共用のトイレという環境ですよ。ただ、あくまで収容所であり、監獄では無かったのである程度の自由は認められていました。ですから、そんな絶望的な状況でも日系人たちは自分たちで自給自足し、戦後まで生き抜きます。農業をやって食べ物を自給し、生活に必要な家具などは廃材を活用して自分たちで作りました。そうやって厳しい環境を生き抜いてきた方々は本当にすごいと思います。

 

 

  しかし、そんな日系人たちにアメリカ軍は、日系人で部隊を作って戦わせるために18歳以上の男性に忠誠審査という名のアンケートを実施します。要するに、戦争で白人が死ぬのはもったいないから日系人を最前線に立たせて弾よけにしようって算段ですよ。それまでやっていた黒人を最前線に送るっていうやり方と同じですね。

 

 さて、このアンケートには「合衆国軍隊に命令されるいかなる場所であっても戦闘任務に就くことを誓いますか?」とか「合衆国への無条件の忠誠を誓い、外国からのいかなる攻撃からも合衆国を守る事を誓いますか?」というものがありました。市民権を剥奪しておいてアメリカのために命を捨てろといっているわけです。なんて虫のいい話でしょうねぇ。

 

 また実際に送られたのはヨーロッパ戦線でしたが、この質問を見た日系人がどう思ったかは分かりますよね。普通に考えて日本軍と戦わされると思うのが自然だと思います。ですからこれを突きつけられた日系人たちは当然、悩み苦しみます。こんな仕打ちをされるくらいだったらアメリカ国籍なんかいらないから日本に強制送還してくれと言いだし始める人が大量に出てきてしまうわけです。しかし、日本に送還なんてしてしまったら強制収容をやったアメリカへの恨みから驚異的な敵兵になってしまう可能性が高いじゃないですか。ですから送還はできない。最終的には質問の内容を変えたり、説得したりで大半は忠誠と認められましたが、それでも不忠誠となったものはツールレイク収容所に送られ、より厳重な監視体制がとられる事になります。

 

さて、この強制収容所は終戦とともに次々と閉鎖され釈放されますが、1952年まで日系人に市民権が認められる事はありませんでした。ちなみに同じく敵性国家だったドイツ人とイタリア人の扱いはどうだったか。彼らは強制収容なんてされてないんですよね。スパイ容疑をかけられた人が短期間捕まる事はあっても集団での強制収容なんてことにはなっていません。当然市民権のはく奪なんて事もありません。これは明らかな人種差別ですよ。

 

 ちなみにアメリカ政府は日系人に対して謝罪と賠償をしましたが、これはあくまで日系人とはいえアメリカ国籍を持ったアメリカ人に対して酷い事をしてしまったという謝罪であって、日本への謝罪ではありません。次回は前回動画の続きでシンガポール攻略戦について話をしていきます。読者登録、動画のチャンネル登録をよろしくお願いします。

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 前回動画で日系人強制収容所について解説すると言っていたんですが作っていくうちに5の倍数回向けの内容になってしまったので、予定を変更して真珠湾攻撃と並行して行われたマレー半島上陸について話をしていこうと思います。

動画解説

ニコニコ http://www.nicovideo.jp/watch/sm29838024

ようつべ https://www.youtube.com/watch?v=KzA_Q9-Ku_k

 

 大東亜戦争の始まりと言うと真珠湾の印象が強いと思うんですけど、あれは正しくは日米開戦の始まりですね。実際にはマレー半島上陸作戦のほうが真珠湾より1~2時間早いです。

 ここはほとんどがイギリスの植民地でした。日本としては石油を獲得するため、その先にある今のインドネシアが欲しかったんですね。ところが隣にはイギリスの東洋の拠点シンガポールがありました。このシンガポールを攻略するための足掛かりとしてまずはマレー半島に上陸したわけです。

 

 日本の陸軍は海軍の援護を受けてマレー半島に次々と上陸しコタバルの空港をその日のうちに落とすなど、空軍基地を次々と占拠する事に成功します。もちろん日本の快進撃がここまですごかったのには日本軍の強さ以外にも理由があります。

 当時このあたりの防衛をやっていたのはイギリス領とは言ってもイギリス人ではないんです。イギリスに戦わされていたインド人だったんです。ですから当然、自分たちをいじめ抜いているイギリスのために命懸けで戦うなんて事はないわけです。むしろアジアの開放を謳って戦争を始めた日本に好意的な人たちもたくさんいました。ですから、本格的な抵抗とはならず、すぐに投降といった事態が相次ぐ事になります。要するにどうぞお通りください的な状況があったわけです。これは101回で解説するシンガポール攻略でも同じ状況ですね。

 

  しかし、イギリスも黙ってやられているほどアホではありません。陸がだめなら海で叩いてやるという事で戦艦2隻を主力とした東洋艦隊を送り込みます。日本海軍を叩いて陸軍をマレー半島で孤立させることが狙いですね。そのために、当時最強を誇っていた「プリンス・オブ・ウェールズ」と「レパルス」の2隻を投入してきたわけです。しかし、イギリス艦隊に空母はいませんでした。その上、陸上基地からの航空支援も日本軍が空軍基地を制圧していたため期待できないという状況です。

 

 しかし、それでもイギリス東洋艦隊は自信満々でした。戦艦は2隻とも強力な装備をしていましたし、特にプリンスオブウェールズは当時不沈戦艦と呼ばれていました。この戦艦で挑めば日本の艦隊なんて楽勝だと思っていたんですね。日本で言うと大和型戦艦的な位置づけです。ところがふたを開けてみると日本の基地航空隊から飛び立った飛行機による魚雷攻撃で2隻とも沈んでしまい、日本海軍の艦隊を見つけることすらできずに終わっています

 

 日本側から見た艦これ的な例えをするなら制空権確保状態で基地航空隊から一式陸功での総攻撃をやり、艦隊が相手にするまでも無く支援攻撃で全滅しているっていう状況ですね。丙作戦だったのかな?だからマレー沖海戦のイベントでは基地航空隊の強さが半端なかったんでしょうね。

 

 さて、このマレー沖海戦で航空機の力を見せつけられた連合国側はこれ以降水上艦には対空装備に重点をおくようになり、航空機の護衛の無い状況での戦艦の出撃はどこの国も慎重になります。

 まぁ、そもそも重装甲の戦艦を飛行機だけで沈めるとなると反撃がほぼない状況でのフルボッコじゃないと不可能なので、日本が飛行機だけで戦艦を沈めたのはこのレパルスとプリンスオブウェールズだけです。アメリカは戦艦大和と武蔵を航空攻撃で沈めていますがこれも大戦末期の日本に出せる戦闘機がない状況でのフルボッコですので同じ状況なわけです。

 

 ともあれ、このマレー沖海戦によって日本は南洋の制海権と制空権を獲得し、2カ月後にはシンガポールまで陥落させることになります。

 ちなみに、戦艦が2隻も沈んだわけですから当然船から投げ出された乗組員がたくさん海を漂流する事になります。しかし、日本軍はこれを救助するイギリス駆逐艦の人命救助の妨害は一切しませんでした。やろうと思っても燃料弾薬を戦艦撃破で使い切っていた部隊もあったそうですが、残った機銃で掃射すれば救助作業を妨害できました。しかし、イギリス海軍の戦いぶりに敬意を表しあえてそれをせずに帰還したという記録も残っているんだそうです。

 

 101回では今回の続きでいよいよ本丸のシンガポール攻略と尺があればインドネシア攻略までやっていこうと思います。次回は5の倍数回と言う事で日系人強制収容所について話をしていきます。

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動画に使った画像

 今後の更新予定をざっくり作ってみました。

 空欄(5の倍数回)は未定。「これいらないだろ」とか、「こんな話して!」というのがありましたらぜひ、コメントしてください。特に5の倍数回は歴史に限らず教育でも政治でもOKです。

 

99回  マレー半島上陸作戦

100回 日系人強制収容所 ~過酷な環境を生き抜いた日系人~

101回 シンガポール攻略 ~自由インド仮政府~

102回 インドネシア攻略 ~現地人が助けてくれた~

103回 ドゥーリトル爆撃隊 ~アメリカの戦争犯罪~

104回 珊瑚海海戦 ~初の正規空母喪失~

105

106回 ミッドウェー海戦 ~そして敗戦へ~

107回 ソロモン海海戦

108回 ガダルカナル島敗退

109回 アッツ島玉砕

110

111回 フィリピン独立宣言・自由インド仮政府樹立

112回 大東亜会議

113回 インパール作戦

114回 マリアナ沖海戦

115回 

116回 サイパン陥落

117回 レイテ沖海戦 ~特攻作戦のはじまり~

118回 ヤルタ会談

119回 東京大虐殺(大空襲)

120回 特攻の成果と意味 ~自爆テロと一緒にすんなバカ野郎!~

121回 沖縄戦

122回 広島・長崎大虐殺(原爆)

123回 ソ連による満州での非道行為

124回 玉音放送

125

126回 ソ連、北海道に攻め込む

127回 アメリカの占領政策2回に分けるかも)

128回 東京裁判

129回 ソ連軍、朝鮮半島に攻め込む

130回 戦犯の意味(A級・B級・C級とは?)

131回 サンフランシスコ平和条約

132回 日本の戦後補償とアジア諸国への支援


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今回は御前会議から真珠湾攻撃までの流れを話していきます。

動画解説

ニコニコ http://www.nicovideo.jp/watch/sm29793194

ようつべ https://www.youtube.com/watch?v=6L9iwLEcb0g

 

 前回の動画で1941年9月に天皇陛下も出席した御前会議が開かれ、10月末までに日米交渉がまとまらなければ開戦準備を始めることが決定したという話をしました。当然、御前会議の後も日米開戦回避の努力が続けられ、近衛首相は再度ルーズベルトとの首脳会談を実現すべく、奔走する事になります。そしてようやく駐日大使の説得に成功し、ルーズベルトに対し日本の誠意と戦争回避への努力を伝えてもらう約束を取り付けるんですね。しかし、始めから戦争に日本を引きずり込む事が目的のルーズベルトや国務長官ハルはグルー駐日大使の懸命の進言に対しても聞く耳を持つ事はありませんでした。結局、近衛首相の必死の努力もむなしく日米交渉は何の成果も得られないまま10月を迎え、近衛内閣は責任をとって総辞職という事になってしまいました。

 

 そうすると次の総理大臣を誰にするかという事になるんですけど、今にも戦争になりそうな状況で総理大臣になりたがる人なんてそうそういないわけです。結果として陸軍大臣だった東条英機に白羽の矢が立つ事になります。東条英機っていうと教科書的にはアメリカとの戦争を強力に主張し、近衛内閣を退陣に追い込んだクソ野郎みたいに書かれている事がありますが、これはちょっと違うと思うんですよね。

 

 根拠は東條が首相に推薦された理由と首相就任後の東條のとった行動です。戦争をやりたがっていると思われていた陸軍の大臣が首相になって平和外交の動きを見せればアメリカの対日警戒が薄れ、戦争を避けられるかもしれない。こういう狙いがあって東條英機が首相に推薦されているんですよ。さらに、もしホントにアメリカとの戦争をやりたかったのであれば、御前会議で決定したようにすぐにでも開戦準備に入るはずじゃないですか。ところが、東條は御前会議での決定を一度白紙撤回し、再度アメリカとの交渉に努力するよう打ち出しています

 

 しかし、11月の時点で開戦後2年半しか石油の備蓄がない事は分かっていました。そのため結局はこれ以上待てば何もせずに日本は餓死してしまうという事で開戦の方へと流れて行ってしまったわけです。ちなみにイギリスにも戦争回避のために交渉を続けていましたが、英米は裏で日本を戦争を引きずり込む事を決定済みだったため、何の成果もなく終わってしまっています。

 

 そんな厳しい状況の中、前々回解説したハルノートを突きつけられた日本はもはやこれまでと開戦に踏み切る事になるわけです。そして、運命の12月8日、日本海軍はマレー半島と真珠湾に向けて出撃し大東亜戦争の幕が切って落とされる事になります。 さてこの真珠湾攻撃で日本海軍は当時まだ世界的に見ても実験段階だった空母機動部隊を使って、飛行機による空襲を行い、停泊していた敵艦隊に大打撃を与えました。

 

 しかし、米軍に暗号を解読されていたため手の内を読まれていて、最も撃破しなければならない空母は予め退避されており、撃破したのは老朽化した船ばかりだったと言われています。しかも、なぜか艦隊を撃破した事で満足してしまって、海軍の工廠とか石油タンクには手を付けずに放置してしまったんですね。当然ハワイの占領もしていません。これは日本が大東亜戦争に負けた大きな原因の一つと言って間違いないでしょう。もったいない。

 

 結果として真珠湾攻撃は日本の華々しい勝利のように見えて実は得られたものはあまり無かったと言えるでしょう。逆にアメリカは実践では使えない老朽艦を沈めさせただけで、戦争反対だった世論を「日本が戦争を仕掛けてきた!やられたらやり返す!戦争だ!」という方向に誘導する事に成功しています。これは日本の宣戦布告がトラブルによって遅れてしまった事と相まって強烈な効果がありました。果たしてどっちの勝利だったのか・・・

 

  さて、ネガティブな話ばかりではアレなのですごい話も一つ紹介しようと思います。この真珠湾攻撃で日本軍が攻撃したのは軍艦とか軍事施設だけで、ハワイの民間人に対しては一切攻撃を行わず、国際法を律儀に守っていました。当時、戦時下において平気で国際法が無視されていた現状を考えるとこれはすごい事ですよ。日本軍の誇り高さがよく分かります。一般人でも平気で銃撃したり、民間人を狙って大空襲やったり原爆落としたりしたどこぞの国家とは全然違いますよ。

 

次回は真珠湾攻撃直後のアメリカの動きという事でアメリカの日本人強制収容所について話をしていきます。

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