日本人のための近現代社会 -20ページ目

日本人のための近現代社会

主に日本近現代史を日本人の立場から分かりやすく解説した動画をあげています。日記は投資について書いていきます。

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 前回の動画でサイパン島がアメリカに取られた話をしました。今回はその続きでレイテ沖海戦について話をしていきます。

動画解説

ようつべ https://www.youtube.com/watch?v=cwm7KOfF1fo

ニコニコ http://www.nicovideo.jp/watch/sm31068934

 

レイテ沖海戦と一言で言ってもフィリピン近海で起こった4つの大きな海戦とその他の諸戦闘の総称です。神風特攻隊の初出撃もこの中に含まれています。

 さて、前回解説したようにサイパン島がアメリカ軍の手に落ちた事で、日米どちらも次の戦場はフィリピンだと判断していました。そこで、日本海軍は来たるフィリピン近海での戦闘に備えて地獄の猛特訓を行う事になります。ハッキリ言って戦力と言う意味では完全にアメリカが有利な状況になってしまっていますから、飛行機とか軍艦の数の不利を訓練によって少しでも補おうとしたんですね。参考までにレイテ沖海戦における戦力差を表にしてみたのでご覧ください。絶望的な戦力差がありますよね。ハッキリ言ってこれで勝てたら奇跡ですよ。

 一方アメリカ軍はというとダグラス・マッカーサーが復讐の念に燃えていました。2年半前に日本軍の攻撃の前に味方を見捨てて真っ先に逃げ出すという情けない姿を晒していますから気持ちは分からんではないですね。

 そんなわけでマッカーサー率いるアメリカ軍は1944年10月に大荒れの台風の中、フィリピン上陸作戦を開始します。そしてマッカーサーはフィリピンに台風に乗じて上陸した際、「私はマッカーサー大将である。フィリピン国民よ、私は戻ってきた」と軍艦の上からフィリピン人に向かって演説したんだそうです。負けそうな時には真っ先に逃げ出しておいて圧倒的有利な状況になってから偉そうにそんな事言われたって感動も何もないですよね。フィリピンとは関係ないですがソロモン海海戦の時にでも出てきてくれればまだネタになったんですがね。

  さて、戦闘自体はこの戦力差ですから当然アメリカが優位に進めることになります。日本軍はレイテ島を守るべく、守備隊に徹底抗戦させつつ戦艦大和や武蔵を含む栗田艦隊をレイテ湾に突入させようとします。

 しかし、当然素通りさせてくれるはずもなく300機以上の飛行機による集団リンチで武蔵は沈められてしまい断念。この後北の方に囮として展開していた空母瑞鶴を含む小沢艦隊のおかげでアメリカの空母機動部隊を北の方におびき出す事に成功し、この隙に先ほどの栗田艦隊がレイテ湾に突入することに成功しています。その代償として帝国海軍最後の正規空母瑞鶴他4隻の空母は全て米軍に沈められてしまっています

 帝国海軍で1隻しか残っていなかった正規空母を囮に使わざるを得ない時点で当時の日本軍がどれだけ追い詰められていたかってのは分かりますよね。

 

 しかし、せっかく小沢艦隊が自らの壊滅と引き換えに道を切り開いたにもかかわらず、栗田艦隊はサマール沖海戦で敵艦隊に勝利した後、いざレイテに殴りこみという時になって突如殴り込みをやめて進路を北に変えてしまっています

 このときレイテ湾に突入できていれば間違いなく上陸した米軍の部隊を孤立させることができていましたから、一時的かもしれませんが厳しい状況になっていたはずです。この反転はアメリカにとってはラッキーとしか言いようがない。逆に決死の覚悟で囮任務をこなした小沢艦隊からしたらブチ切れて当然と言えますよね。

 

 この反転については栗田さんは戦後一切語らなかったため謎の反転とされています。西村艦隊が壊滅したとの知らせを受けて二の舞になる事を避けたかったからだとか、輸送船を潰すより他の艦隊と戦いたかったからとか色々と説がありますがどれが本当かは本人以外わかりません。

 

 ちなみに、帝国海軍では沈めた敵船の種類によって点数があってそれが出世に影響したという話を聞いた事があります。空母とか戦艦は点数が高く輸送船はいくら沈めても大した点数にはならなかったらしいですね。そのあたりももしかしたら関係があるのかもしれないですね。

 

 さて、この戦いの結果、日本軍は戦艦武蔵や空母瑞鶴等主力の船を失ったにもかかわらず、栗田艦隊の謎の反転のせいでアメリカ輸送船団の撃滅と言う目的を達成することができませんでした。このため、燃料がない本土と燃料はあっても船がない南方地域に完全に分断されてしまい、戦闘能力を失っていきます。

余談ですが、神風特攻隊の初出撃はレイテ沖海戦でおこっています。特攻隊については120回の動画で扱っていこうと思います。次回は硫黄島の戦いについて話をしていこうと思います。次回は硫黄島の戦いと市丸中将からルーズベルト大統領への手紙について話をしていこうと思います。

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 前回の動画で、サイパンを守るために行ったマリアナ沖海戦で帝国海軍は持てる力の全てを出しつくしたにもかかわらず惨敗したという話をしました。

 今回はその続きで海戦で破れた後のサイパンと日本国内の動きについて話をしていきます。

動画解説

ようつべ https://www.youtube.com/watch?v=CqP6rZLzOz0&t=4s

ニコニコ http://www.nicovideo.jp/watch/sm31027101

 

 マリアナ沖海戦で海軍が負けて制空権、制海権が完全にアメリカに奪われた事でサイパン島にいる日本軍守備隊は完全に孤立してしまいました。そして日本軍の10倍に当たる約65000人のアメリカ軍の上陸部隊によって日本軍は奮戦するも全滅。

 そして守備隊が全滅した事により島の北端に追い詰められた現地人約5000人が崖から身を投げて自決するという悲劇が起こっています。

 なんで本来なら意図的に殺されるはずのない民間人がこんなにもたくさん自殺してしまったのか。その理由はアメリカ軍の素行の悪さですね。

 アメリカ軍に限った話ではありませんが、当時の米軍では民間人への略奪とかレイプってのは当たり前に行われていましたから、捕まって死よりつらい苦しみを味わうくらいなら身投げするというのも理解できない話ではありません。

 

 さて、この戦いによって日本はサイパン島をアメリカ軍に取られることになります。そしてこの事が日本国民の生活にきわめて大きな影響を与えることになりました。というのも当時の米軍のB29爆撃機の航続距離がだいたい5000キロちょいなんですが、日本とサイパン島との距離がだいたい2000キロちょいなんですね。つまり、日本の主要都市が全てアメリカ軍の爆撃の射程圏内に収まってしまい、本土空襲の脅威が身近なものになってしまったんです。

 これまでもドゥーリトル爆撃隊のように日本本土への爆撃はありました。しかし、日本本土に爆撃をするためには空母に爆撃機を乗せて日本近海まで近づくというリスクを取る必要があったんです。ところがサイパンから日本までの距離は2000キロ、往復4000キロですから普通に往復できてしまうんですよ。

 つまり、空母を使って飛行機を日本近海まで運ぶ必要がなくなってしまったんです。そしてこれ以降、米軍機が度々日本本土を訪れ、日本の航空機の生産力を潰すために工場を爆撃し、東京大空襲や原爆投下と言った民間人を意図的に狙ったえげつない空襲まで行われる事になっていきます。

 

 この後も日米の戦闘は続きますが、このサイパン島陥落が実質的な日米戦争の決着と言っても間違いないのではないかと僕は思います。

 

 さて、サイパン島が陥落したことで、日本国内の政治にも大きな動きが発生しました。それまで東條の脇を固めていた側近たちが「サイパンを取られては戦争継続はできない。講和しよう」などと出来もしない事を言い始める等、内閣に混乱が生じることになります。そして結局はサイパン島陥落の責任を取らされる形で東條内閣は総辞職、小磯内閣が誕生する事になってしまうんですね。

 あれ?ドM史観の先生達が言うには戦前は天皇独裁の暗黒国家だったはずですよね?どうして独裁状態の国家で戦争継続中に総理大臣辞めさせられるなんて意味不明な事になっているんでしょうか。

不思議ですね。

次回は特攻隊の初出撃となったレイテ沖海戦について解説し、その後硫黄島の戦いについて話をしていこうと思います。

(こんな感じで絶望的な戦力差)

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 前3つの動画は日本はこんなすげぇこともやったんだよって話だったんですが、今回から歴史の流れの本筋に戻りましてマリアナ沖海戦について話をしていきます。

youtube https://www.youtube.com/watch?v=Q2uJoitw9jc

ニコニコ http://www.nicovideo.jp/watch/sm30884202

 

 マリアナ沖海戦をざっくり言うと、帝国海軍が持てる全戦力を投入したにも関わらず惨敗し、もはや再起不能になってしまった戦いと言えるでしょう。

 何故、帝国海軍はマリアナ沖海戦に全戦力を投入するほどに必死だったのか。それはこの海戦に負けてしまうとアメリカ軍がサイパン島を確保できてしまうからです。サイパンって南の島のリゾート地みたいなイメージであんまり関係なさそうな気もするんですけど、実はものすごい重要な場所なんです。

 なんでかっていうと、サイパン島がとられてしまうとアメリカ軍の爆撃機が直接日本の本土空爆ができてしまうからです。つまり日本国民が空襲の脅威に直接さらされるという事ですね。だから当時の人たちはサイパンを絶対国防圏に設定し超重要視していました。

 

 当時の米軍ってのは民間人だろうが平気で爆撃し虐殺していましたからサイパンを取られるってことは日本国民にとって死活問題だったんです。だから帝国海軍は全力でここを守ろうとしたんですね。

 まずは戦力差を見てみましょう。

 

 戦闘で一番重要な空母は9対15、その他の艦艇でも全てアメリカが上回っているという状況ですね。そこで日本軍の小沢中将はアウトレンジ戦法というのを考え実行します。

 アウトレンジ戦法ってのは日本軍の飛行機の方がアメリカ軍の飛行機より長い距離飛べるという特徴を生かして相手の間合いの外から飛行機を発艦させて敵の射程外から叩いてしまおうという作戦ですね。しかしぱっと見上手くいきそうなこの作戦には落とし穴がいくつもありました。

 

 1つ目の落とし穴としてはアホみたいに長い距離を飛んでサイパン周辺のどこかにる米軍空母を見つけ爆撃するということ自体がまず難しいですよね。長時間飛んでいる間に相手だって移動できますからね。

 また、2つ目の落とし穴として、運よく敵を見つけることができたとしても当然敵戦闘機との戦闘が待っているわけです。長時間飛行で疲れたパイロットが迎撃のために出撃したばかりの米軍機と果たしてまともに戦えるかと言われればかなり不利と言わざるを得ないでしょう。

 最後にアメリカの対空能力の飛躍的な向上です。アメリカ軍の駆逐艦には高性能のレーダーが積み込まれていてそいつらが空母より300km近くも前に出て見張りをする事で日本の航空機の接近を全て把握するという体制を作っていました。これによって数に勝る戦闘機の力でほとんど米軍艦隊にたどり着く前に日本軍機は落とされてしまっています。

さらにかろうじて米軍の船に近付けた日本軍機にたいしても米軍の対空新兵器VT信管が待っていました。それまでの対空兵器は弾が当たらなければ意味がなかったんですが、VT信管は弾が当たらなくても飛行機の近くを通りさえすれば自動的に爆発するという脅威の性能をもっていました。

 

 これらの結果、アウトレンジ作戦は大失敗に終わり、航空機のほとんどを失っています。

さらにアメリカ軍の潜水艦による魚雷攻撃によって帝国海軍が満を持して投入した装甲空母大鳳と歴戦の空母翔鶴が沈没、大敗北を喫しています。

この戦闘の結果、帝国海軍は全力を注ぎこんでの決戦で3隻しか残っていなかった正規空母のうち2隻を失い、艦載機とパイロットもほぼ全滅、陸上基地の航空機も壊滅的な打撃を受けてもはや再起不能な状況に陥ります。これを指して米軍ではマリアナの七面鳥打ちと呼んでいたんだそうです。

 

余談ですが、艦これにおける大鳳や5航戦の台詞にはマリアナ沖海戦にまつわるものがおおいですね。七面鳥云々のセリフなんかはマリアナ沖海戦で日本軍の飛行機が落とされまくった事に由来してますし、被弾すると真っ先に燃料庫を気にするあたり、たった一発の魚雷で爆発してしまった事が元ネタになってますからね。

さて、マリアナ沖海戦で勝ったアメリカはサイパン島を攻略し、いよいよ日本本土への爆撃をいつでもできるぞという体制を整えていくことになります。ということで次回はサイパン島陥落と日本国内の動きについて解説していきます。

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  今回は5の倍数回と言う事で歴史の流れからは少し離れまして、ナチスの迫害からユダヤ人を救った日本人と言う事で杉原千畝東條英機の話をしていきます。

ようつべ https://www.youtube.com/watch?v=3uSurBSB4Jc

ニコニコ http://www.nicovideo.jp/watch/sm30841773

 

 杉原千畝の方は「命のビザ」としてテレビで扱われたり、映画になったりしてるので知ってる方も多いと思います。しかし、TVとか映画では東條英機とか日本の軍部ってのは杉原にユダヤ人へのビザを出さないように命令した悪役として描かれていますよね。ですから僕が杉原と並んで東條の名前を出した事に違和感を感じている人がほとんどなんじゃないかと思います。今回の動画ではそのあたりの話をしていきます。

 

 時は1938年大東亜戦争開戦の3年前ですね。この時期にはすでにナチスによるユダヤ人迫害が行われていて、ドイツから逃げてきた2万人のユダヤ難民がソ連を経由して満州国に入ろうとします。ところが、満州国はドイツからの抗議を恐れて入国を拒否。そこでユダヤ人たちは関東軍の樋口小将にユダヤ人の助命嘆願を行います。これを受けて樋口小将は満州国外交部と交渉し満州国へのユダヤ人の入国を認めさせます

 この時、樋口小将は誰に許可を得てこんなことをやったのか。当時関東軍のトップにいた東條英機です。満州国がユダヤ人入国を拒否していたのに日本が入国させたとなれば当然ドイツ政府から日本政府に対し激しい抗議が行われる事になります。しかし、この抗議に対して東條英機は「当然なる人道上の配慮から行ったものである。日本はドイツの属国ではない」と毅然とした態度で一蹴しています。策定された「ユダヤ人対策要綱」の中でも「我が国は八紘一宇の国である。ユダヤ人だからと言って特定の民族を差別することはできない」と書かれています。こうした関東軍の働きによって2万人のユダヤ人の命が救われました。

 

 杉原千畝が命のビザを発給したくさんのユダヤ人を救ったのはこの出来事から2年後、東條英機が総理大臣になっている時の話です。

 1940年7月、当時リトアニアの領事館に派遣されていた杉原の元にナチスから逃げてきたユダヤ人たちが日本へのビザを求めて押しかけて来ました。当然、杉原は外務省に対し、ビザを出してもいいか確認をしますが、外務省の返答は「正規の手続きを踏んでいない者にはビザを出すな」というものでした。杉原はどうするべきか悩みますが最終的には「人道上拒否することはできない」として外務省に背いて全てのユダヤ人にビザを出す事を決定します。

 そしてユダヤ人へのビザを寝る間も惜しんで書きまくり6000人ともいわれるユダヤ人を救っています。そしてユダヤ人たちはシベリア鉄道を使ってソ連を横断し、ウラジオストクの港から日本に向けて出港しているんですね。

 さてここで考えてみてください。例えビザがあったとしても本当に日本政府の意思としてユダヤ人を日本に入れるなと言う事になっていたんだとしたら、たとえ杉原が発行したビザがあったとしてもウラジオストクから日本へ来る時に乗船拒否すればいいじゃないですか。もっと言うなら杉原がビザを書きまくっているのだって知ってるわけですから即刻クビにすることだってできますよね。にもかかわらず杉原が1カ月もビザを書き続ける事ができ、ユダヤ人が無事日本に来れたという事は日本政府の意思として完全拒否という事ではなかったという事に他なりません。

 

 じゃあ外務省の拒否文書は何なんだよという突っ込みが入ると思いますが、外交には本音と建前があるんです。1940年の7月と言えばアメリカが日本への石油の禁輸をやった時期と重なります。そんな戦争一歩手前の状況で同盟国ドイツとの正面からの対立は避けなければならない。だから表面上は「正式な手続きを踏んでない者へのビザは出すな」と言う事になったわけです。しかし、八紘一宇を標榜し、人種の平等を謳う日本としては助けを求めてくるユダヤ人を見殺しにはできない。だから現場判断でやっているということにして、政府は「ビザを出すな」という文書なんかを出しつつも黙認するという形をとったわけです。

 

 杉原さんは優秀な人物でしたし、当然国際情勢も把握してましたから外務省文書の意味も把握していたはずです。その上で、総理大臣が自らもユダヤ人を2万人救った実績のある東條英機でしたから、ビザを出せばちゃんと日本にたどり着けると信じていたんだろうと思います。近衛内閣だったらビザ出してたところで日本にたどり着けてないと思いますよ。

 余談ですが1946年に行われた東京裁判によって東條英機が死刑確定すると、翌年杉原は依頼退職と言う事になってはいるものの実質はクビになっています。次回は歴史の流れに戻ってマリアナ沖海戦について話をしていきます。読者登録及び動画のチャンネル登録・お気に入り登録をよろしくお願いします。

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 前回の大東亜会議の動画がニコニコ動画の政治カテゴリの動画ランキングでデイリー3位にランクインしました。広告・応援ありがとうございました!

 今回は大東亜会議の4カ月後に行われたインパール作戦について解説していきます。

動画解説

youtube https://www.youtube.com/watch?v=FANoL0urpY8

ニコニコ http://www.nicovideo.jp/watch/sm30793530

 

 インパール作戦っていうと「兵站を無視した無謀な戦い」とか「指揮官の牟田口中将は無能の極み」みたいな感じで良いイメージはないんじゃないかと思います。実際、3万人の戦死者と4万人の餓死病死者を出して負けるという悲惨な事になっていますしね。ついでに当時もう日本は負け始めていてアメリカにどんどん押しこまれている状況ですから戦線を拡大する余裕なんて本来無かったんです。ですから「無意味な戦いだった」ともよく言われています。

 ではなぜこんなぱっと見、意味の分からない戦いを日本軍はやったのか。それは前回解説した大東亜会議が一番大きな原因です。前回解説した大東亜共同宣言を採択した後、ビルマ代表のバ・モウ氏が次のように発言します。「インドの独立無くしてアジアの自由なし。インドとビルマの共通の敵はイギリスである。インドの奪還を提唱し戦ってきたわが友チャンドラ・ボースこそが独立首相の最適任者である。アジア10億の民の団結が達成された今こそインド独立の時である」これに対し、チャンドラ・ボースはインド人4億人の先頭に立ってイギリス打倒に立ち上がると決意表意をすることになります。そこで日本は国家としてインド独立に協力することを約束するんですね。この約束を実現するために行われたのがインパール作戦なんです。

 日本はどこぞの国家とは違いますから国際会議で約束した事は守らないといけません。それがたとえ、負けつつある状況で日本にとって意味の薄い戦いであったとしてもです。誰の目にも厳しい戦いである事は分かっていました。

 しかし、自分の部下を無意味に死なせるようでは指揮官失格です。ですから指揮官となった牟田口中将はどうやればうまくいく可能性があるかを必死に考えます。大戦末期ですから物資にも装備にも余裕はありません。ですから侵攻ルートや作戦目標、必要な装備の配分など検討に検討を重ねて無駄のないよう考えて配置されていました(無駄がない=余裕もない)。

 当然長期戦は無理ですからできる限り短期決戦で終わらせるという大前提です。

 

 その結果、牟田口中将率いる日本とインドの連合軍は最初だけは順調で、速攻でコヒマを占領しています。さぁ、あと2日も歩けばイギリス軍の物資が大量にあるディマプールに着きます。そこに行きさえすれば物資が足りないという問題は全て解決するはずでした。ところが、ここで牟田口中将にとって予想外の出来事が起こります。コヒマ攻略を行った佐藤中将率いる部隊が進軍を拒否してしまったんですね。

 牟田口中将だけに無駄口叩くな!さっさと行け!と言いそうですが佐藤中将の気持も分からんではないですよ。要所であるディマプールには確かに物資はたくさんある。しかし、物資がたくさんという事は守りもそれなりに堅いという事ですからね。武器弾薬はいつも通りギリギリの日本軍ですから速攻で落とせないと詰むわけです。

 

 そんな内輪もめをしている間に雨季がやってきてしまい、ぬかるんだジャングルの中の進軍は困難を極め、おたおたしている間にイギリス軍は完全に体制を整え日本軍は敗北していくことになります。

 それでも日印連合軍は補給もできない中2カ月もの間戦いぬき、どうにもならなくなって撤退するという極限状態の時ですら道中での略奪や暴行は一切行っていないんだそうです。

 余談なんですけど、この日本軍の戦いぶりに感動したイギリス軍の司令官が後に東京裁判へのパール判事の派遣を決定したという話があるんだそうです。誰かと比べるわけではないんですが、前に解説した海の武士道の時のフォール少尉とと言い、今回といいイギリス人ってのは誠意というかそういうのがちゃんと伝わる人が多い気がしますよね。

 

 さて、色々と話が飛びましたが、インパール作戦は確かに結果だけ見れば日印軍の惨敗ですし、作戦自体に無理があったのも間違いありません。しかし、この作戦が行われた時期というのは日本軍が負けていて物資もろくに無い状況なんです。悲惨な戦いだったら他にも後に話す予定のマリアナであったりレイテであったりいっぱいありますし、ハッキリいって無謀でない戦いの方が少ないですよ。それなのにインパール作戦は悲惨さだけが強調されてゴミクズ扱いされている事に僕は違和感を感じるんです。

 ここからは僕の主観ですが、インパール作戦が必要以上にゴミクズ扱いされている理由って大東亜会議の理念に基づいて行われた独立支援戦争であり、戦後のインドの独立に大きくかかわったという側面がある事を隠したい人たちがいるからなんじゃないですかね?

 

次回は5の倍数回という事でユダヤ人を救った杉原千畝と東條英機について話をしていきます。読者登録及び動画のチャンネル登録、お気に入り登録をよろしくお願いします。

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