〇もう書きたくなかったのですが…
ご無沙汰しております。ブログ主です。
もうこのブログを書く予定はありませんでしたが。
VECTOR magazine 8月特集 「水木プロダクションの挑戦」
この記事を読み、もう何度目かわからない失望を体験しました。
悩みましたが再び筆ならぬキーボードをとることにしました。
結論から言って現水木プロにはやはり期待できないと再確認しました。
水木先生のご息女である社長夫妻は「妖怪」と「水木先生」に向き合うにもっとも不向きな人材だと感じました。
おふたかたの考え方、思考、方針は、水木ブランドの特色と致命的なまでにズレています。
11月のゲゲゲ忌に向けてこういった現水木プロのアピール記事が増えいくんでしょうな。
もう、ため息が出ます。
あんなに必死で生き抜いて
片腕一本で家族や社員を支えて
90を超えても連載仕事をしていた人の仕事が
死後、まさかほかならぬ遺族によってこんなに踏みにじられるなんて……
今まではゲゲゲ忌は参加していましたが今後は当分、もしくはずっと、参加を見送ります。
ファンから得た利益でまた「ゲゲゲの謎」のような原作を踏みにじる三次創作なんか作られたらたまったものじゃありませんから。
現状水木プロの経営陣がごっそり変わるか、あるいはどこか別のまともな会社が作品の権利を買い取って真っ当なゲゲゲを世に送り出してくれる日がくるまでの間は、今まで買いためた水木先生の書籍と過去作の映像化のみ愛でてゆきます。
〇後世に伝えるなら正しく伝えてください
まず現状水木プロが掲げる「御大とその作品を後世に伝える」というテーマ。
おおいにけっこうですが事実と異なる伝え方をされては本末転倒です。
最初に書いた「ゲゲゲの謎は矛盾だらけ」の記事にも書きましたが
この映画、何もかも矛盾だらけです。
何度も何度もくり返し書きますが
「ゲゲゲの謎」なんて話は
原作にも今までのアニメにも
一切ありません。
アニメ6期ともぜんぜん辻褄が合ってません。
無関係のアニメスタッフと現状水木プロが
好き勝手に個人の趣味を出し合って勝手に作った三次創作です。
映画が気に入った人も原作を読んで「あれ?」と思ったでしょう。
なにせMも若い親父も村もカッペDQNも、原作には影も形もありませんから。
おまけに原作では鬼太郎親子はあっさり水木青年を見殺しにしています。
水木青年が鬼太郎を甲斐甲斐しく世話して育てたなんて話はどこにもありません。
そもそもMなんていうかっこつけた横文字ネーミングが水木先生らしくありません。
水木先生なら幽霊薬とかそんな単純な名前にしていた気がします。
田舎DQN一家だって山田家とかそんな名前にしていたでしょう。
水木作品に仰々しいネーミングはそうそう出てきません。
水木作品には子供が悲劇に遭う作品はありますが、子供が性的虐待に遭うような話などありません。
「ゲゲゲの謎」はオリキャラひいきのナーフだらけの記事にも書きましたが
目玉親父は虐待されている可哀想な子供を放置するような性格ではありません。
「ゲゲゲの謎」は水木先生の作品や今までのアニメ鬼太郎から大きくかけ離れた別物のお粗末な何かです。
さらに「ゲゲゲの謎」は甘えでできているの記事にも書きましたが
反戦描写も浅すぎ、偏りすぎてお話になりません。
日本兵を一方的に悪と決めつけ侮辱するのが「オトナの反戦」ですか?
歴史を批判したいなら時代考証ぐらいちゃんとしなさい。
ワンタッチアンプルはもちろん、あの時代の山奥の山村でアイスケースや電柱はオーパーツです。
映画を見た人の感想で
「日本兵や昭和を馬鹿にしているとしか思えない内容だった。水木しげるの原作もあんなひどいものなのか」
というのを見ました。
こんなでたらめ映画のせいで水木先生のお心が誤解されるのは本当に悲しい事です。
水木先生の功績を後世に伝えたいなら
いらんことせずメッセンジャーだけに徹してください。
それが出来ないならどこか別のまともなところに作品の権利を売却してください。
そしてお好きなだけオトナ向けの高尚なお仕事をなさってください。
水木先生も漫画で描かれたかの偉大な音楽家・ベートーヴェン。
そのベートーヴェンの秘書のシンドラーは、ベートーヴェンの偉業・人物を伝えると言いながら伝記に話を盛りまくり捏造しまくりました。
こんにちではシンドラーはベートーヴェン研究において最大の汚点となっています。
このままでは現状水木プロはシンドラーになってしまいます。
私は社長夫妻のインタビューを読んで、
(本当はこの人たちは、妖怪なんて幼稚なものだと考えているんだろうな…)
(そして、そんなものはやりたくない、高尚なオトナの仕事がしたいと思っているんだろうな…)と感じました。
私と同じ事を感じた人も多いようで、SNSの妖怪ファンの間では問題視されました。
のちに水木プロは「子供向が大人向より劣っているなんて考えた事はありません」と謝罪文を出しましたが無理がありまくりです。
今までの態度、文章、全てから「子供向やおばけなどナンセンス」という意志がにじみ出ています。
「勧善懲悪妖怪退治ものはするな」「妖怪を出せば興ざめ」「大人向がしたい」
何度も何度も出るワードからそれがにじみ出ています。
まあ、妖怪なんてばかばかしいという人がいてもおかしくないと思います。
そう感じるのは個人の自由でしょう。
でもそれが半世紀も妖怪で食べてきた会社の経営者なのはいただけません。
そう思うなら一刻も早く経営から退くべきです。
ラーメン屋さんが
「ラーメンなんて健康に悪い高カロリーなだけの汁麺だ。だから俺は本当はハイソな人が認める上品なラーメンを作りたい」
と言ったら、私ならそのラーメン屋さんには入りたくなくなります。
〇時代に逆行する現状水木プロ
しかし「妖怪などばかばかしい、稚拙な子供だましの迷信だ」という考え方は実際にありました。
ものすごく昔、昭和では当たり前でした。
そんな迷信は子供の教育に悪いと言う考え方すらありました。
確か荒俣宏先生が仰っていましたが、テレビで妖怪特集なんかやろうものなら視聴者から
「くだらない番組をやるな」という抗議が来たそうです。
しかしその空気を変えたのが他ならぬ水木御大です。
妖怪漫画の金字塔「ゲゲゲの鬼太郎」がそういう空気を払拭したのです。
そのおかげでいまや妖怪や昔話は逆に子供に推奨されています。
水木先生や荒俣先生、小松和彦先生や京極夏彦先生、多田先生や村山先生など名だたる民俗学者、妖怪研究家、妖怪馬鹿たちの活躍もあり、いまや妖怪研究は子供だましではない学術的に価値のある研究だ、と世に認められるようになったのです。
それがなぜこの令和の世に、御大の後継者が時代に逆行するような真似をしているのでしょう。
「ゲゲゲの謎」もそうです。
「ゲゲゲの謎」は女性蔑視とルッキズムだらけの記事にも書きましたが
この映画、異様なまでに女性や子供が酷い目に遭います。
昭和の時代の劇画ブーム時代の価値観は「女子供はひどい目に合わせてナンボ」でした。
意味がなくとも女性の性暴力シーンや血みどろシーンが挟まれ、読者を刺激する事こそヨシとされました。
平成時代のヤンキー系漫画や反社系漫画もそういう感じですね。
そうした作品も名作もありましょうし「そういう作品」として読めば娯楽として楽しめる部分もあります。
しかし「ゲゲゲの鬼太郎」には不似合いな価値観ですし、
女性が意味も無く性被害に遭う話は時代に合いません。
子供の性的虐待やDQN一家の女性が全員性的虐待の餌食になっていた設定とか、誰得なんですか?
スタッフの一人の「黒髪ロングなんて昭和のオッサンの妄想」という発言といい、この映画の制作陣はみな時代に逆行しているとしか思えません。
この映画、本当は女性が一番怒らないといけませんよ。
知らない人のオリキャラを「これが昔の親父ねステキね」と鼻の下伸ばしてる場合ですか。
鼻の下伸ばしてるのは原作キャラだけでいいんです。
鼻の下といえばこの映画、これだけ薄っぺらいオリキャラばかりたくさん出るのに
鼻の下伸ばしてるキャラはねずみ男と記者しかいませんね。
それで何が「水木しげるを伝えたい」ですか、ばかばかしい。
〇大人はバトルに興ざめ
インタビュー記事の中の現水木プロ社長の
「本格的な人間ドラマ(…?)で急に実体の妖怪が出てきてバトルが始まると大人の観客は興ざめする」というお言葉。
これは心の底から同意です!
首がちぎれるほどうなずきます!
だって私も裏鬼道との戦いや狂骨戦は興ざめに興ざめしまくったので!
ラストも「さんざん犬神家ごっこやって結局必殺技でとどめENDか」と呆れに呆れました。
で、裏鬼道戦や狂骨戦は「興ざめ妖怪バトル」ではないのですか?
バトルが興ざめだと思ったらなんでバトルシーン入れたんですか?
もっとキャラ同士が話し合い、心のやり取りをしあう、大人のドラマを作ればよかったのでは?
私は急に裏鬼道とバトルになったとたん、なんか急に少年ジ〇〇プになったなと思いました。
ラスボス戦のビー玉は少年ジ〇〇プ通り越してコ〇コ〇コミックです。
まさにあれこそ興ざめの極みです。
いや、ごめんなさい。
言い過ぎました。
そんな言い方はいくらなんでもあまりに失礼ですね。
少年ジ〇〇プやコ〇コ〇コミックの漫画、他作品の子供向バトル漫画の方が「ゲゲゲの謎」よりずっと大人の鑑賞に耐えうるドラマ作品がたくさん載ってます。
〇妖怪はたしかに感じるものだけど…
インタビュー記事の現水木プロ社長の「やはり妖怪は感じるものです。だから妖怪を実体で出さないで」というお言葉。
たしかに水木先生は「おばけは見るものではなく感じるもの」とおっしゃいました。
でもね。
じゃあ「ゲゲゲの謎」に出た鬼太郎親子と猫娘とねずみ男はなんなんですか?
彼らは実体がある妖怪では?
「(禁忌の島では)妖怪に重きを置いてない」という発言にもがっかりしました。
そんなふうに考えるなら最初から「ゲゲゲの鬼太郎」でやらなければよかったのです。
映画向で大人向のホラー短編なんてゲゲゲ以外にも水木先生はたくさん描いていらっしゃるのに。
それこそ妖怪が出ないミステリ妖怪小説で名を広めた京極先生に脚本をお願いすれば良かったのではないでしょうか。
それまで実体のなかったおばけたちに実体を与えたのも水木先生の功績の一つでもあります。
砂かけのおばばや子泣き爺、一反木綿やぬりかべ、油すまし等の今や誰もが知る有名妖怪となったゲゲゲの森の妖怪達はもとは地方のマイナーな伝承妖怪で、姿形などはまったく伝わっていませんでした。
一反木綿もぬりかべ、そのほかたくさんの妖怪たちも、もし水木先生が「実体」を与えていなければ民俗学の専門書籍かもしくは地方の郷土史の1ページに載っていた程度だったでしょう。
「ゲゲゲの鬼太郎」はがっつり実体で妖怪が出ている作品です。
それをやるうえで「妖怪を実体で出さないで」という注文はおかしい。
そもそも「妖怪などくだらない」と言う人が見ても妖怪で感動するようなものを作るのが水木先生の伝承者としての心意気でしょう。
妖怪が出ても大人が興ざめしないように作れば良かったでしょう。
「おばけは見るものじゃなくて感じるもの」
先生の台詞を、おばけをないがしろにする言い訳にしていませんか?
〇「けんかはよせ 腹がへるぞ」の色紙
このご夫妻、一見水木先生を尊重しているような事をおっしゃいますが、どうもそこに何かズレのようなものを感じて仕方がありません。
インタビュー記事による炎上の際の他責思考的な謝罪の文章だけでも
「ほんとは妖怪や鬼太郎なんか大嫌いなんだろうなあ…」
「言葉を選ぶと言う事に不慣れな人達なんだろうな…」とげんなりでしたが
その謝罪文で水木先生の「けんかはよせ」の色紙を出したことで
「あ、根本的にズレてる、わかってない」と確信しました。
あの色紙は俗にいう「煽り」にしか見えません。
今の水木プロにはSNS対策ができるまともなスタッフはいないのでしょうか。
露悪趣味の性的要素を入れただけで「わーいこれぞオトナ向だー」と思ってしまう精神と色紙の件といい、このご夫妻はきっと心がとてもお若い方なんだろうなとお見受けしました。
うらやましいことです。
私は昨年「ゲゲゲの謎」を見たあの日、心が一気に50年ぐらい老け込んだ気がします。
夏バテもあってか、いまだにやる気が起きません。
長くなるので続きは後日。